第18話 大友宗麟の弟 大友八郎晴英さん登場

 俺は府内の町の堤防を作る作業を開始した。

 とはいえ「当主の仕事とはー」とクソルールを押しつけようとするクソッタレな家老に配慮して、陣頭指揮はとらず指揮官を配置することにした。


 彼の名は大友八郎晴英くん。

 大友宗麟の弟である。母親は宗麟と腹違いとも同じ大内家の娘とも言われているのだが、生年が不詳なのでわからない。さねえもん曰く「宗麟は1538年11月に元服し、八郎様は翌年の6月に元服した名前を名乗っているので同い年の可能性もありますが、大友家の元服のルールがイマイチ分からないので確証はありません。大分市の文化財課とか歴史資料館の専門家も分からないのでグレーゾーンです」と言われた。

 だったら、ここで何歳か聞けば良い気がするが『禁則事項です』という謎の声が頭に響いたので、聞いては不味い話題だと理解した。


「兄上ー!人員がそろいました!」

「おお、そうか。ありがとう」と無邪気に兄である俺を慕ってくれる八郎くんに、素直に感謝の言葉をかけた。

「はい!ありがとうございます!」

 年齢は宗麟とほとんど変わらないはずだが、素直すぎてもっと年下に思える。

 かわいいなあ、俺は一人っ子だが、こんな弟が欲しかった。

「よーし。では、やり方だけ説明するか」

 堤防の建設。そういう名目で人員を集めたが別の狙いもある。

 俺は職人の養成を行いたいと思っていた。

 若くて労働力はあるのに働けないワープアな人間で常備軍を作りたいのだ。この条件に合致する人間と言えば、戦国転生ものの定番、信長も利用した武士の次男3男である。

 実家を継げずに飼い殺し状態となっている彼らを、食料と交換で土木工事に従事させ、セメントや工具の扱いに慣れさせようという試みだ。


 そんな彼らを集めて働かせるのに弟の八郎はうってつけの人物だった。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さて、大友八郎という人物にあんまりなじみのないであろう読者諸兄のために説明しよう。俺も全く知らない人だし。教えてさねえもん。

「大友晴英様は後の大内義長、最後の大内家当主となります」とさねえもん言う。

 彼は母親が大内家の娘だったといわれ10歳位の時に、跡継ぎのいなかった大内義隆の猶子(跡継ぎ要素の薄い養子)になったという。

 大内義隆に子供が生まれなければ、次期大内当主として自分の実家よりも大きな家の跡継ぎになれるのだから、それはもう嬉しかっただろう。

「ところが、1545年に大内義隆に子供が産まれます」

 このため、養子縁組みの話は無しになった。

 1548年の夏に八郎くんは「自分は大内家の養子となったが、有名無実となり周りの人間から「周防守(笑)」と陰で笑われている。神様の力でなんとか恥を注ぎたい」と宇佐神宮に絵馬みたいなものを捧げている。と宇佐神宮史13巻に記録があるらしい。


 こうした経緯のため、家を継げない武士の2男3男とは共感できる部分も多く、人集めを依頼したら結構な人数が集まった。

 なので、彼らからの長男で家を継いだ俺への視線は結構冷たい。


 それでもめげずに「今日集まってもらったのは、町を守るための堤防を作ってもらうためだ」と説明した。


 治水工事の発達した現代では水害はなじみがないが、戦国時代は洪水との戦いだった。山の多い日本では梅雨時期に山間部に降った雨が谷に集まり、奔流となって川を下る。

 広大な山々に降り注いだ雨が一カ所に集まるのだ。

 その量は途方もない。約100tにも及ぶ水の塊は10mを越える山の木や直径3mの岩をも巻き込んで人間の住居に流れ込んでくる場合もある。

 こんな大災害を防ぐ信玄堤を作ったのだから武田信玄は地元では人気が高いという。中国では『黄河を征す者は中華を征す』という言葉があるのだが、それだけ治水工事は為政者にとって重要な仕事なのだ。

「なので、洪水を防ぐために高さ3間(約5m)の堤防を作る」と言った。

「そんな堤防を作る材料はどこにあるんですか?」と一人が聞いてくる。

 そう。ここは大分川の河口。あるのは被災地の様に流木と岩石と小石と河の水である。

「材料ならそこにあるじゃないか」と俺は河原に散乱する石を指さす。

「こんな小石で堤防なんてできる訳がないでしょう」と小馬鹿にしたようにいう。

「いや、使うのはそこの2尺半(75cm)の岩とかだよ」

「そんな大岩、我々だけで動かせる訳が…」と言おうとする彼らに雷のような怒声が落ちた。

 やる気のない連中に一喝する男。戸次鑑連ことベッキーである。

 ベッキーは前回の津賀牟礼城の戦いにの際に投石機などの作成を依頼したら俺よりもよっぽどうまく監督していたので、サポート役としてお招きしたのだ。

 まあ、合戦みたいな臨機応変の指示が必要な仕事をこなしていたのだ。現場監督なんて彼にとっては簡単なのかもしれない。野生の猿を威圧で押さえつけるような要素があるからね。現場って。

 ベッキーは有名なのか、文句を言っていた連中は「げぇーっ!」と声を上げる。

「普請(土木建設工事全般)は、戦での重要な仕事である!戦時中ならまだしも、平時でやるなら色々試してから申せ!」

 とベッキーは言うと、4本の木材で土台を作り、間にロープをかける。

 それに長さ6mの竹3本を結んだものを乗せ、両端にに縄をつけて一方には縄かごに結ぶ。

 俺考案の簡易式人力クレーンである。

「これから、ワシらのやることをよく見ておれ」

 そういうと、300kgはありそうな岩を6人がかりでテコを使って縄かごの上に転がす。

 そして反対側の縄を6人が引っ張ると、天秤のように重さが釣り合い、岩が持ち上がった。

「おおおお!!!」

 この光景に歓声が上がる。

 まあ人間という動く重りをそのまま使うのが一番楽だからな。

 縄や竹が切れなくて良かった…


 これが江戸時代の石垣作成なら、このあと修羅と呼ばれる木製のそりを使うのだが、今回は石を乗せやすいように改造したトロッコに乗せた。レールは木製。荷重が均等にかかるように、地均しじならしはしてあるしワザと土手側へ進むように傾斜をつけている。

 巨石を乗せたトロッコはゆっくりと動き出し、石だけ土手の建設予定地に落として止まった。

 たった一個の石を運ぶのに手間がかかりすぎかもしれないが、重機のない時代ならまあ上出来だろう。

 この光景に集められた人間は「おおおおお!!!!」と歓声をあげ、実際に作業に加わった。

「凄いですね!兄上!」と八郎くんもおおはしゃぎだ。

 ちなみに1tの大岩を実際に丸田に乗せて運ぶ実権をしたら中学生が30人がかりで引っ張ってやっと動いたという。

 さすがにそれは面倒なので手頃な大きさでやるべきだろう。

 一瞬で全力を尽くすより、半分の力で長時間動くのが力作業の鉄則だ。

 無理をしたら次の日体が動かなくなるので帰って効率が悪い。


 なお現代日本の河川堤防は土を使うのだが、土石流で岩が散乱しているこの時代なら岩を使った方が話がはやい。

 ある程度形が整えば、水で堤防の斜面が壊れないようコンクリート護岸工事をすれば、一年は洪水被害から逃げられるだろう。

 このとき洪水で流れてきた岩石を利用して、さらに堤防を強化すれば3年後には立派なものができあがる寸法である。そのためにも戦や農作業に予定が左右されない常備軍的な作業員と俺の代わりに指揮が取れる信頼できる人間が欲しかったのである。

 俺は八郎くんに天端てんばという堤防のてっぺん、今なら遊歩道が作られている場所と、表法おもてのりと呼ばれる斜面の重要性、そして「堤防とは洪水の荷重にも耐えられるように小型の山を作るようなものだ」と説明する。

 ものすごい水圧がかかるので、表面の強度はもちろん。その後ろに巨大な質量をもった支えが必要になるのだ。江戸時代の貧弱な堤防が決壊するのはこれらが欠けているからである。

 また作業効率を上げるため、3カ所に工事拠点を分けて分担作業を行うように指示する。豊臣秀吉お得意の割普請という奴である。

 これらの技術を八郎くんは目を輝かせて食い入るように聞いていた。

 さねえもんによると「八郎様はフロイスの記録によると、知恵は少ないけど性格は素直で、兄に気に入られようとキリスト教を保護したという記述があるんです」と説明された。


 人間の悪意とかつまらない因習に対しては無頓着な性格を表したものだろう。

 だが、素直ということは教えた方さえ間違えなければ正しく技術を吸収できる事だと俺は判断した。

 この手の作業になれているベッキーに、実務での難点や部下への指示方法を補助させれば、正しく作業ができるだろう。

「では八郎よ。おまえに任せたぞ」

 そういうと、八郎くんは一瞬驚いた顔をしたが

「はい!ありがとうございます!兄上!」

 と元気の良い返事が返ってきた。

 大友家当主のスペアとして人生を終えるかと思われた彼が武士らしい仕事を与えられたのだ。本当に嬉しいのだろう。俺も1年ほど就職浪人した後で建築会社に入れたときは同じように嬉しかったなぁ…。

 あのあと、地獄のような仕事の丸投げ(入社2日目)とかクソみたいな職人(約束破りに、サボり、嘘をついて失敗をごまかす)とか、納期の短縮などのブラックな仕事が重なって「金を払うから誰か変わって!」と悲鳴を上げることになるのだけど…

 そんな事のないよう、ホワイトな職場を作らないとな。


 ちなみに『同じ作業ばかりしていたら筋肉が固まってよろしくない』というベッキーの提案で、2時間おきに休憩と岩の間に詰める小石を、布で挟んで投げて運搬する作業をさせることにした。

 これが合戦の初めに足軽が行う投石攻撃の練習で、重要な戦の要に成長するとは知る由もなかった。


 なにしろ、俺は俺で面倒事に巻き込まれていたからだ。

 長増の爺様から「まずい事になりました。」と報告を受けていたからだ。

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