第10話 大友家の宰相 吉岡長増宗観

 吉岡さんは俺の方を見てこう言った。

「殿、お父上の家督を継いだ後の、大友家の話をしとうござりますが、よろしいですか?」

 その視線は俺へ、いや大友家当主だった大友義鑑の息子である次期当首、大友義鎮へと向ける敬意にあふれたものだった。

「うむ、許す」

 家老然とした男の問いに、自然とそう口にした。


「ま、待ってくだされ!」

 そう遮ったのは鬼瓦のようないかつい顔をした男だった。先ほどの服部とかいう男が隣に座っている。

「確かに五郎様は嫡男なれど、このような国難の時なれば、もっと」

「なあ、お主…誰が発言を許した?」

「は?」

 次の瞬間、長増は虎のように跳躍すると発言を制止した男の顔面を足で蹴りとばしていた。

「国難の時だからこそ、嫡男であり正当な後継者である五郎様をもり立てていかんでどうするのじゃ?」

 そう言うと鼻から血を流している鬼瓦の首根っこをつかんで言った。

 この時になって俺は、初めて目の前の男性が老齢とは思えない引きしまった体をしている事に気がついた。戦場帰りは伊達ではないらしい。

 そんな俺を見もせずに爺さんは男の胸倉を掴むと

「大友家滅亡寸前まで言った時に、お主の父親は無駄口を挟まず言われずとも兵を揃え軍を揃えたぞ!ワシは冬の寒天の下、雪の山中で野営をした!貴様のような戦場にも出たことのない若造が聞いた口をきくでない!この愚か者が!」

 そう一渇すると鬼瓦はガマガエルのように地べたにはいつくばり「ははぁ!」と平伏した。

 何でも大友家は16年前に大きな戦闘があった後は内紛があるだけで、大がかりな戦闘はなかったらしい。

 戸次は従軍経験はあるが、大軍を率いて国を防衛したのはこの吉岡という爺さん、いや武将たちだったという。

「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」

 まるで何ごともなかったかのようにほほえむ吉岡さん。


 この年、長増は18年ぶりに大友の家老に返り咲いたという。

 ここまで長期の不在期間から家老に復帰したのは長い大友家の歴史でもただ一人の事である。そこまで義鑑から警戒され、宗麟から信頼されていた証拠だろう。


 もう大友家の当主はこの人でいいんじゃないだろうか?

 

 これ以上はないほど冷えきっている会場で俺はそう思った。ここからどう話を進めればいいんだろう?


「はっはっは。爺様。良く帰られた。御変りは御座いませぬか?」


 そんな凍りついた場で発言したのはベッキーこと戸次鑑連だった。どうやら旧知の仲らしい。

「うむ、右も左も分からぬ新参者じゃがよろしく頼む」

 新参だが一番の古株となる長増の一言に苦笑が漏れた。

 府内近くの水軍を所有し、都ともつながっている。さらに隠居しても途絶えさせなかった人脈は大友家中でも随一だろう。

 長増自身としては、自分の代にこれらの人脈が生かされることが無い方が幸せだと考えていたという。

 自分が表舞台に立つというのは、自分の命令で近しい者を地獄へ送り込むのと同義だからだ。

 だが義鑑公が死亡した今、自分の財産を使わなければさらに多くの人が死ぬ。

 だから長増は鬼となる道を選んだ。

 飄々としながら心の中で詫び続ける修羅の道を。


「まずは、大友家の土地を守るために指揮系統と協力者を再構築する必要があるな」

 長増はブランクを感じさせない手慣れた口調で会議を先導する。

 これに涼しげな文学青年風の男が答える。臼杵鑑続という臼杵市の領主らしい。

「では最初に玖珠、日田郡衆。それに直入(岡城で有名な竹田の城主)の志賀家に書状を書いて協力を依頼しましょう。両郡は18年前に共闘した者が多くおります。お館様には志賀への書をお願いしたいのですが」

 急に話を振られた。ええと志賀って岡城で有名なあの志賀さんか?

 戸惑う俺をサポートするように長増の爺さんが

「うむ、志賀は入田の近辺、早目に押さえれば入田に同心するものも減るだろうな」

 と相槌を打つ。

 志賀家は大友家の庶家であり所領の広さでは12を争う大領主だという。現代で言うなら株式の10%を所有する大株主らしい。(さねえもんから聞いた)

「はい、本来なら下知として申しつける所ですが先代でも志賀は別格でした故、書状案は前々からの右筆(大名の文章を代筆する人)に申しつけるとよろしいかと」

 そう言われて奥に控えていた右筆の顔が明るくなるのを確認した。


 お館様を失ったのは悲しいが、それ以上に『自分の地位が新当首によって別の者と変えられはしないだろうか?』という不安の方が上なのだろう。

 だから長増と臼杵は『指示を伺う』という形で前任者の仕事の継続を新当主である俺に認めさせようという腹らしい。

 この提案を俺は即座に了承した。

 こうなると、会議の風向きは変わった。

「では大野郡の抑えは一万田、戸次。国崎は岐部、山香は田北に一任し、所領の安堵を速やかに行いましょう」

「書状の伝達は前々からと同じでよろしゅうございますな」

「では家中のものを安心させるためにも安堵状を出しましょう。特にこの度戦死された斎藤どの、小佐井どのはすぐに…」

 まるで以前から考えていたようにスラスラと諮問が出てくる。

 前任者を自分の政権でもそのまま任せると、自分が許すたびに今まで誰を当主にしようかと悩んでいた人間が減っていく。

 吉岡と臼杵は、この場にいる重臣の全員に従来の役目と土地を守るための任務を

 もはや俺が当主としての資格があるか?と言う場では無く、俺を旗印に熊本から領地を奪いに来た侵略者とどう戦うか?という流れに会議は変わっていた。


「中国で宰相という役職があるんですが…」

 いつの間にか隣に来ていたさねえもんが言う。

 宰相。君主を補佐した最高位の官職で日本の総理大臣に相当するという。

 そんな重要職だが「宰」という文字は「屋根の下に包丁を置いた形」なのだという。

 確かに、ウ冠の下に伝説の剣でも突き刺した形に見えなくもない。


「この宰相の役目はなんです。多くの上下関係や因縁を持った語族たちが一堂に揃った祭祀の席で、。それが宰相と言います」

 つまり、領地や職務、席次など、様々な見栄がまとわりつく国の統治で不平を出さずに黙らせるだけの分析力と力を兼ね揃えた人間が就く職責らしい。

 それでいうなら吉岡長増と言う長老は豊後の宰相と呼ぶのにふさわしい人間だった。祖父の代から大友家の人間関係を把握し、年下の家臣たちをなだめすかして新しい政権での役割という『肉』を魔法の様に分配していく。

 うちの現場にも欲しいな。こんな人。


 一通り指示を出し終えると、思い出したように吉岡は言う。

「それと混乱がおさまりましたら将軍家に家督の相続をお認め頂くのも大事ですな。どなたか適任はおられますか?」

 今までカヤの外だった家老たちに話題を振る。

「お、おう。それならば臼杵どのが適任よ。のう」

「そ、そうじゃそうじゃ。流石の入田も海に領地を持たぬゆえ、京への外交は全て臼杵に任せておった」

 つまり他の仕事は入田が殆ど独占していたのか…。そりゃ怨まれるわ。

「そうですね私は使僧の勝光寺とは旧知ゆえ、国が安定したら、すぐに書状を出しましょう」と臼杵鑑続は言う。


 


『相変わらず切れる男だ』と長増は思ったらしい。

 言葉の端々に長増以上の人脈とのつながりをにおわせる。

 この二人が手を組めば、宗麟以外の当主は都で認められようがない。

 下剋上の時代とは言え、国を治めるにはある程度の大義名分と将軍の権威と言うのは必要らしい。

「ではお館様。臼杵どのにお願いしてもよろしゅうございますか」

 今まで手持無沙汰だった家老たちが『当主にお伺いをする』という役目を与えられてうれしそうに尋ねてきた。


 これで家老衆も宗麟を次期当主に認めざるを得なくなったのだ。


「流石の差配!智慧者と呼ばれるだけのことはありますね!」

 とさねえもんが興奮したように長増を褒める。


 最後に外交を臼杵に回したのは、余り出しゃばりすぎると長増が今度は独裁的な存在になるのではないかという他者の嫉妬や勘繰りを防ぐ為の配慮だという。


 えーと、これから俺はこんな疲れる会議に参加しないといけないの?

 帰ってもいいかな?


 入田に菊池という共通の敵を与えられて盛り上がる場を眺めながら、俺は大名と言う職をさっさと辞めたくなっていた。


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 個人的に毛利元就を九州から追い出したと言われる【吉岡長増】という武将は立花道雪と同じ位、話題になっても良いと作者は考えています。

 ですが現在の鶴崎では娘婿の妙林尼という女性の石像はあっても長増の像は無いんですよね。赤神先生の小説でも主人公になったのは彼女でしたし…

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