第1章 戦国文化の大破壊 コンクリートと人へ

第11話 戦国文化の大破壊開始 津久見の自然破壊から

 長い長い前置きが終わりまして、ここからが本編になります。

 織田信長の場合、どうやって家督を継いだのかとか次に桶狭間が来るなとか分かるのですが、宗麟の場合キリシタンだった事以外、大分県人も殆ど知らないので、宗麟の権限が弱いという所の説明から始めました。

 まあ九州の辺境大名の中間管理職の様な生きざまを楽しみながら大友宗麟について途中まで学べる小説になればいいなと思います。


なお今回は大分県津久見市の特産品紹介回になります。

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【1550年2月15日 大分市顕徳町】

 大友宗麟となって4日。

 この間に死んだ父親の遺書を作成ねつ造したり、父親を守った人への感謝状を作成したり、ベッキーの甥っ子への相続許可証を作成したりしたが、基本的に俺の仕事は長増の爺さんたち政治のベテランが選別した案件を見て、それにサインをすることである。

 また今は少しでも味方がほしいので、その土地の顔役と対面し上っ面でも協力的な関係が気づけるようににこやかに談笑し、何かお願いをされたら「その件は一度本社に持って帰って検討した上でお返事させていただきます」的な事を言うだけ。


 立派な傀儡。


 大友家社員一同が通常運行するためのお飾り大名が俺という存在である事が骨身にしみてわかった。

 何しろ、右も左もわからない若造が「ちょっと戦争いって大将首とって来い」なんていきなり命令できるわけもなく、まずは先輩のお仕事を見て覚える必要がある。

 ここで変なリーダーシップを発揮してもろくな事がないだろう。

 お気楽な仕事と思われるかもしれないが、この対面一つ間違うと「殿様から侮辱されたから一族総出で反乱起こすぞー」とも成りかねない案件なので、毎日が入社面接受けさせられているような気分である。おなかが痛い。


 ついでに言えば、これは現代日本の現場職人からも誤解されていることだが、監督役というのは気楽な仕事ではない。

 むしろ3つくらいある工事現場の一つから「先輩から頼まれたネジを注文していたのですが大きさが合いませんでした。ネジは500万円の機械の据え付けに必要で、据え付け期限は明日までですが取り寄せに1週間かかります」とか「お客さんから洗面台の色を変更してほしいと頼まれたけど、注文し直すのを忘れてて変更前のものが届きました」「届いた商品が欠陥品でした」「職人が逃げ出しました」などの絶体絶命といえる面倒事の解決を回される仕事である。

……ゴメン。思い出したら胃が痛くなってきた。

 こうした『導火線に火がついたダイナマイトのような厄介事を渡される仕事』以外にも、建物の手抜きや間違いがないか確認したり理不尽な事態が起きても責任をとらないといけない超絶ブラック職である。

 まじめで責任感のある人間ほどストレスや体を壊して3年でやめる職というのがおわかりいただけるだろうか?

 しかも現場なら責任をとるのが100人程度ですむが、一県の主なら100万人規模となる。

 大名とは、そこで起こった事件の責任をとらないといけない御神輿である。

 朝起きる度に吐き気と頭痛が起こって、飯もろくに食べられないほどの重圧が双肩にかかった職なのである。

「もしかして、これっていわないか?」

 とこちらに来て一日が終わるたびに自問自答する毎日である。

 前に大型商業施設を一つ作るには3人の現場監督が人柱になる必要があるという自嘲話を聞いたことがあるが、人間が壊れるのを前提に仕事を進めるのは止めてほしい。

(※この作品はフィクションです。内容はすべて実在しない架空の出来事です)


 そんな辛い状態だったので、俺は「反逆者一族の処遇について直接説明する」という名目で一日旅行に出ることにした。


「殿!出発の準備が整いました!」

 と戦国人らしい口調でさねえもんが言うので俺も「うむ!大儀である」と殿様風に答えてみた。

 時代的に正しいのかわからんけど。

 どうやら大在(大分市東部の元港町)から引っ張ってきた船がついたらしい。

 久々の息抜きに顔がゆるむ。やった!俺は自由だ!

「ちなみに、寄り道したい場所があるとおっしゃられてましたが、どこによりたいのですか?」

 そう、さねえもんに聞かれて俺はこう答えた。


「大分県津久見市北部 水晶山。ここに建築屋に必要な重要アイテムが眠ってるんで」


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【大分県臼杵市田口~風成】


 まずは津久見の途中にある臼杵の田口に向かった。

 そこで住民たちに「今度の事件は非常に恐れ多いことだが親族には罪はない。かといってこちらにも面目があるので10年間は名目上領地を召し上げ、反逆が起きなければ返還する」と神社に誓った神文を読み上げた。

 この対応に

「これは、ほぼお咎めなしということか?」

「大殿を傷害して、そんなうまい話があるのか?」

 と、一族総出で反逆して死ぬ予定だった田口家みなさんは半信半疑だった。

 特に嫡男の石見守さんは「それだけですか?私の首くらい要りませんか?」という余計なサービスまでしようとしていたので慌てて止めた。

 いらないよ。そんなの。

 この寛大なる処置に住民一同が仏を拝むように感謝した。

「本当によろしいのですか?彼らの土地を接収すれば収入は増えるのですぞ?」

 と進言する部下がいたがトンでも無い話である。

 だいたい人間というのはこの時代、食料生産からみれば余っているのかもしれないが、現代の水準からすれば足りないくらいである。

 現場作業員が不足していた俺としては

「困ったことがあったらなんでもいうといい、きみたちは大事な労働力なんだ」と言いたくなるくらい、人材が存在するというのは大事なことなのだ。


 はじめは半信半疑だった住民も、さねえもんから「しばらくは田口家罪人の家であることを隠すために、奥様の実家の鶴原姓を名乗られてはいかがでしょうか?」という提案をされて、こちらの要求が本当だと判断したらしい。

 実際に田口家の次男、和泉守という人は史実でも鶴原と名字を変えて生存したらしいので、その歴史知識を生かしたのだという。

「もしも、この神文に違えて大友家に反旗を翻せば、おまえたちだけではなく浄土にいる先祖まで、同様の罪を得て地獄に落ちるぞ」という脅しをした上で田口家の件は手打ちとなった。

 あっさりだが、俺は一刻も早く津久見に行きたいのである。


 なお対岸にある風成と御霊という土地に潜伏していた田口家の3男と長女も「神のお告げで見つけた」と言って実家に送ったらたいそう感謝され神社を造るとまで言われた。

 科学万能ではない世界の神様効果すごいな。

 大体の事態の説明に仕えるマスターキーみたいなものである。

 まあ、神社造るくらいなら将来的に宗麟の城となる丹生島に建物があったほうが助かるので、そちらに寝泊まりできる建物を手の空いたときに建ててくれとだけお願いしておいた。下手したら4年後1553年に殺されるらしいし。俺。

 

 こうして厄介事を解決した俺は「津久見の水晶山へ向かおう」と命令した。



【大分県津久見市青江】


 大分の戦国時代の知識に乏しい俺でも2つだけ詳しいことがある。

『地名と特産品』だ。

 地名は最小の歴史書という言葉があるそうだが、その言葉通り現代使用されていた地名はこの時代でも通用したらしい。

 鶴崎は津留崎という字ではあったが水流の崎という土地の特徴から呼び方は同じだし、臼杵も砂浜の堆積地ということで地名は同じだった。

「ここになにがあるんですか?」

 船から見える雄大な山々を前にさねえもんが尋ねる。

「ここはな、なんだよ」

 そして津久見氏への処遇も田口と同様にして、こちらは対岸にいる親戚の薬師寺氏を名乗らせることにした。

 あと、土地を持たない次男以下は山での鉱夫として役務を果たすようにと付け足した。

 そして、そのメンバーを連れて水晶山に向かう。


 さねえもんによると、ここまではおよそ史実ルートだという。

 100人規模の死ぬ予定だった人間が生存しているが、それだって将来的に戦争で死んだり疫病で死ぬ運命にある。

 だがこれから先、俺が大名という地位フルに利用してやろうとしている事はどれだけ実際の宗麟の生涯とズレを生じさせるかわからない。

 だが、ここにやってきた以上は出来り全力を尽くそうと思う。

 でないと大友宗麟という人間は最低でも5回は死にかけるらしいし…(切実)。


 現在の津久見市市街地から北に向かうとインターチェンジが建設される予定の場所に、

 これが水晶山である。


 この山に存在するお宝を掘り抜いた為に、現代では山が半分消え地名が残るだけとなっている。

「え?鯛生金山は知ってますが、津久見にそんなすごい山があったんですか?」

 とさねえもんが驚く。

 まあ、この山が注目されたのは明治になってからだからな。逆に言えば100年弱で山一つを人力でぶっこわしたのだから人間の欲というのは恐ろしいものである。

「でも、金とか銀でしたら、採掘するのにこれだけの人数で足りるのでしょうか」

 さねえもんが首を傾げて聞く。

 まあ、金銀のような鉱石なら足りないな。でも俺が欲しいのはそんな役に立たない物では無くもっと実利的なもの。今足元に転がっている白い小石である。

「なんですか?これ」

「石灰石だよ」

 そう言って道端に落ちてる石を渡す。

「軽くてもろそうな石ですね」とさねえもんが素直に感想を言う。

 まあ運動場のライン引き(白線)の原料にもなるからなぁ…


 俺は津久見の住民に、これと同じ石を出来るだけ多く集めるように指示を出すと、石灰石を石斧で細かく砕いていく。

 20人がかりで畳3枚分の石粉の山が出来る。

「よし、これに臼杵の粘土と鶴崎の刀鍛冶からでたスラグを混ぜるぞ」

 10:1:1の割合で混ぜあわせ、竈の中に入れて火をつける。ついでに米を炊いたり魚を焼く。

「これで何ができるんです?」

 さねえもんが不思議そうに見つめている。

 今まで教えてもらってばかりなので、少し新鮮である。

「マグロ・みかんとならぶとだけ言っておこう」


 こうして竈の中には灰色の砂粒が残った。

 雑な作り方だが実験中なのでこれ位でも十分だろう。

「何なんですか?これ」

「やっぱり、学生さんだとなじみが薄いのかなぁ」

 できあがった砂粒と『真砂土』と呼ばれる花崗岩が風化した砂(これも津久見で取れる)を1:3程度の割合で混ぜ、粘り気が出る程度に水を混ぜる。さらに追加で小石を入れて地面にぶちまけた。

「もしかして、これって…」

「やっとわかったな。さねえもん」

 漁師町である津久見では取れたてのマグロをさばく料理屋さんがあり、津久見みかんを使ったデザートとか食べるのが観光時の定番だったのだが、それだけだとこの町は寂れる一方だっただろう。それが単独で市として成り立つ理由がこれである。


「さて、後は硬質化が始まるまで待つだけだ」


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「な、なんだこれは!」

 夕暮れ時になって、石を採掘していた津久見の住人は驚いた顔で地面を見ていた。


 そこには戦国時代の日本のどこを探しても存在しない、長い長い巨大なからだ。

「こんなバカでかい石が一日で運ばれてきたなんて…天狗様でも来られたんじゃろうか?」

 人力で運ぶなど考えられない、長さ約20mの石だけでできた道を見て全員が驚いている。通常の石畳で使われる石の大きさが0.5~1m程度なのだから、これだけ大きな一枚岩というのは見た事がないだろう。

 無理もない。これは日本では1889年、明治時代になって初めて見られる物質なのだから。

「建設現場で見たことはありましたけど、実際にどうやって使うのかは初めて見ました」とさねえもんも言う。

 そうだろうそうだろう。俺にとっても就職するまで『言葉では知ってても普段まず使うことのない建築資材』の中で、これが最初みた時一番驚いたからな。


 入社したばかりの新人に自慢するように胸を張り、俺は高らかに宣言した。


「これが現代建築の基礎中の基礎、セメント。砂と混ぜればモルタル。石と混ぜればコンクリートだ」

 そう宣言した俺を、まるで神でも見るかのように津久見の住民は見上げていた。


 この物質により津久見では1967年に日本でも珍しい町名が登録される。

 その名も「セメント町」

 セメント工場が大正時代から操業しているのが地名の由来だ(角川地名辞典より)





 ………………作り方はネットで知ってたけど成功して良かった…。


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【津久見 水晶山】で検索すると、人間はお金になるなら山のひとつや二つ削り取れるという光景を見る事が出来ます。結構感動的です。

 というか日本の石灰石が取れる山は殆どがそうです。

 余談ですがセメント町は山口にもあるそうです。


 なお、津久見の『うみえーる』というレストランでは『まぐろクッキー』という名前だけ見れば非常に美味しくなさそうなお菓子が販売されてますが、味は普通に美味しいので興味のある方はひゅうが丼を食べた後のお土産に購入されてはいかがでしょうか?

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