第8話 大友義鑑(大友宗麟の父親)と地獄の遺産相続会議
宗麟の叔父と名乗った鼻持ちならない服部氏をぶっ飛ばしたのだが、結局この男自体、軍隊を動かす権限がなかったそうなので俺は越権行為をしたのではなく、越権行為をしようとしたバカを止めたということでおとがめはなかった。
活動的なバカほど恐ろしい者はない(byゲーテ)というのはどの時代でも共通の認識らしい。
【1550年2月11日 大分市上野丘高校南部 上原館】
「お屋形様がお待ちです」
屋敷の門をくぐると、家老らしき人から言われた。
お屋形様。つまり宗麟の父親の大友義鑑(1502~1550年)という人なのだろう。
聞けば義鑑は家臣の粛正をしたり、物語だと後妻の子供に後を継がせるために部下を殺そうとして報復で殺傷されたともいう。
…ううう、絶対話が合いそうにない。
それに、明日の12日には亡くなるのだという。そんな人に、記憶的に全く面識の無い自分が会おうとしているのである。
あいたくないなぁ…
そう思いながら先に進む。
立派な
ここが惨劇の渦中にあった事がわかる。畳も床板も上質の素材を使っているので勿体ない。
事件の凄惨さを感じながら俺たちは奥の座敷に通された。そこには…
顔の上に白い布を置かれて眠っている人がいた。
「・・・・・・・・・・・」
目の前の御遺体は全く動く様子がない。
………死んでる。
京都風に言えば、死んではるわ。
……ごめん。ちょっと目の前の出来事が理解できなくて変なこと言った。
改めて目の前の御遺体を見る。息はない。
「亡くなられておられるじゃねぇか!」
ドッキリでも何でもなく目の前の人間は事切れていた。
「何をおっしゃられます。殿はご健勝ではござらぬか」
「さよう。遺言を残すため、こうしてお待ちでございます」
え?もしかして死んでるように見えてるのは俺だけなの?
ご遺体の顔を隠す白布(打ち覆い)までかぶされているのに生きてるの?
「この方、明らかに死んでるよな?」
さねえもんに小声で耳打ちすると「あちらの机をご覧ください」と言われた。
そこには
「あの書状に遺言が書かれるまでは、大友家の当主として死んだことにはできないのでしょう」という。
どういうことだ?
「武田信玄が「自分が死んだら三年は死を隠せ」と言われたのはご存じですか?」
ああ、七日後には上杉に知れ渡っていた事まで聞いたことがある。
「あれと同じですよ。家の体制が整うまでは生きている事にして、それから死を公表したいのでしょう。今回事件の事は知れ渡ってますから、隠せても2日が限度だったというだけで」
なるほど、つまり遺言状も作成されてない今死なれてはこまるので、死ぬのを延期してもらってるのか。ひどい話だ。
こうして、物言えぬ当人を交えた遺言所の作成が始まった。
●第8話 大友義鑑(大友宗麟の父親)と地獄の遺産相続会議
財産のある家ほど遺産相続というのはもめるものだが、大名の家ともなるとその欲望もはなはだしい。
醜い人間たちの展覧会とでも言うような光景が目前で繰り広げられていた。
遺産相続の定番、金に土地。さらには財宝に至るまで、いかにして自分の取り分を多くするかで30人ほどの大人たちが昨日からずっと言い争っていたようだ。
「わしは大友家のためを思って言っておるんじゃ」という誰も信用できない枕詞を盾に、1mmでも余分に土地を奪うために自分がいかに大友家の為に尽くしてきたか説明しつつ、俺を「何の実績もない若造」として敵対的に見る人間。
逆に「五郎殿は世間を知らないでしょうから私が力になりましょう」と言いながら「傀儡にしよう、あわよくば実権を奪ってやろう」という下心が見え見えのものまで様々だ。
醜悪。
一言で言えばそう表現できる会議というか欲のぶつかり合いが広がっていた。
転移前にお世話になった会社の社長が死んだ後、保険の受け取りとか会社に貸していた土地などを元部下たちが合法的に遺族からかすめ取ろうとして葬式の席で分配について言い争っていたが、それと良い勝負だ。
中には「お世話になった先代に恥ずかしくないのか?」
と憤慨するものもいたが
「うちは先代に一度滅ぼされかけましたから、跡継ぎ様は慎重に決めないと。また滅ぼされたらかないませんわぁ」的な事を佐伯さんに言われて黙っていた。
恩と恨みと生き残りを賭けたイヤな会議。現代の株主総会みたいなものである。
さっさと逃げ出したい。
「これ、1週間で終わるのかな?」
互いに妥協と言うモノがないのだから終着点も全く見えない。最終的には戦争で決着をつけるとか言いだしそうだ。
そう言うと さねえもんは困った顔で
「早めに終わらないと、来月には熊本で反乱が起こるんですけどねぇ…」と不吉な事をさらっと言いやがった。
え?それ初耳なんだけど。
「
そういうことはもっと早く教えてください。
本当だとしたらこんな事してる暇はないじゃないか。
とは言っても、戸次さんことベッキーは早死にしたお兄さんの息子が家を継ぐまでの代理らしく、また領地がそれほど大きくないので大友家での発言権はそれほど強くないらしい。
佐伯氏は大領主ではあるものの大友家の親族ではない(婚姻関係にもないらしい)ので大友家ではなく地元の領主たちの代表として動かないといけないらしい。
中には「ここまで意見が割れるなら、いっそ大内家ともつながりがあり天皇家の血筋でもある服部殿を養子にして跡を継がせてはいかがだろうか?」とか言いだしたおっさんまでいたが、全員から無視されていた。
「どーすんだよ、これ」
『会議は踊る。されども進まず』というフランス割譲の議会の様相に、俺はうんざりして さねえもんに聞いた。
「一応、手は打ってますのでしばらくお待ちください」
「手?」
「九州で一番 分別のある人を呼んでますので」
という。
はて、そんなご大層な称号を持つ人なんて誰かいたっけ?
そう思っていると、伝令から来客が来たと報告があった。
「後にせよ」
と、会議に加わっていた一人が言う。だが
「おやおや、そんな口を利くとは坊主も偉くなったもんじゃのう」
と言う声にさっと顔色が変わった。
それを見てさねえもんは「あ、やっときましたよ」と言った。
え?一体誰?
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今回の話は『大友義鑑の遺言である、条々に書かれた花押は死ぬ前にしては力強い』という大分県郷土史家の長年の疑問に対する筆者の回答案です。
遺言も後継者の指名もなければ宗麟が大友家を継ぐ正当性は薄れるので、体制が整うまで生きてたことにし、準備が整ってから死を公表したというわけです。
なお、もう一つ「あんまりにも独断専行がすぎるんで、家臣からクーデーターを起こされて、宗麟への家督委譲が終わったら殺された」という荒唐無稽な説も考えましたが、そんな部下と仕事はしたくないので今回の案にしました。
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