第6話 大友宗麟になったのなら天下は諦めてください

 前回、誤字とか修正しようとして予約投稿にしてたのをそのまま公開したので一部修正しました。


 今回は宗麟の生涯の説明とタイトル回収回です。


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【大分県別府湾海上】

 翌日、俺は佐伯さんの船で府内、今の大分市街地に向かう事にした。

 右手には現代なら国道10号線、別大国道という6車線の広い道があるが、今は断崖絶壁で、道らしきものが存在しない。

 高崎山は変わらないが、『マリーンパレス』と言われた水族館が出来るであろう場所には何もない。これでは五月の連休に大分の子供たちはどこに遊びに行けばいいというのか…

「本当に、ここは室町時代の大分なんだなぁ…」

 話には聞いていたが、実際に見るとそのギャップに驚く。


 板張りの粗末な小屋で寝たために背中は痛いし、寒くてすぐに目がさめたので最悪な目覚めだった。はやくあったかい布団で眠りたい。


「そういえば、さねえもんはこの時代に来てすぐに状況を把握していたけど何で?」

「そうですね」

 と軽く考えた後、さねえもんが言うには

「メタな視点で見ますと、別府の浜脇で転移するなら天文20年2月10日に大友宗麟に転移する以外まずありえないからですね」

「はい?」

「あと候補に挙がるなら1600年に宗麟の息子が黒田勘兵衛と戦う前に、浜脇に逗留したという伝承がありますが、あれは9月の話ですし、他に類似作品があふれない限り、余程ひねくれた展開をしようとしない限り2月10日に宗麟に転移するはずです」

 なんだい、その異世界コンシェルジュみたいな発言は。

 まあ、大分にいたのに千葉の里見とか近畿の姉小路(某戦略シミュレーションゲームで超難易度を誇る小大名)になったとしたら読者からクレームが来そうだけど、異世界転移ってそこまで秩序だったものなのだろうか?大体グレゴリオ暦と昔の日本の暦って別の日になるんじゃなかったっけ?まあ、そこまで考証に拘ってたら即死してたかもしれないので深く考えないようにしよう。


「まあ今回は助かったけど、これから先 大友宗麟ってどんな人生を辿るの?」

 九州6国の守護大名とか言ってたし、ここさえ乗り切れば安楽な人生は待っていそうである。特に宗麟はキリシタン大名とか大分市のPRで言ってたし文明的で優雅な生活が送れるのは間違いないだろう。そう思いながらさねえもんに聞くと


「かいつまんでいえば、

「マジで!」


 九州の半分も手に入れた人でもそんな目に合わないといけないんかい!

 詐欺だ!もうおうち帰る!

「まあ、信長も桶狭間とか浅井氏の裏切りで撤退したり、10回以上家臣から謀反起こされてますし、戦国大名なんてそんなもんですよ」

 身の危険を『業務上予想される危険』程度に語る少年に私はドン引きだよ。確かに信長も日本の1/4手に入れてから部下から殺されたっけ。

 そういえば大分に20年以上住んでても、大友宗麟ってどんな人生を送ったのかわからない事に気がついた。

「では軽く、宗麟公の生涯を追っていきましょうか」

 知名度の低さに慣れているのだろう。『まあわかってたけどね』といった感じでさねえもんがいう。


「大友宗麟は1530年、豊後の府内で生まれます。父は豊後と肥後、筑後の守護、大友義鑑(よしあき)。母親は3通りの説があってはっきりしません。」

 へえ大分の大名の息子かと思ったけど熊本と福岡南西部も関わっていたのか。

 都会の人にはなじみが薄いだろうが豊後とは大分県(中津と宇佐を除く)と肥後(熊本)、筑後(福岡県柳川~三池)あたりを指す。

「宗麟は家督を継いだ後、4年で肥前(長崎と佐賀)の守護。8年後には豊前筑前(福岡県東部と北西部)の守護になり、福岡を含めて九州の北部をほぼ制圧します」

「ほほう、そんなにすごかったんだ」

 キリシタン大名とか南蛮王とか言われてるけど大分一カ所の大名だと思ってたよ。

 6つも国を支配するというのは武田信玄や上杉謙信でもできてないし、毛利元就の次くらいの大勢力となるだろう。

「宗麟の最盛期は、九州に侵入してきた毛利を追い出して九州の北半分を統一しますし、織田信長と協力して毛利家を攻め落とそうとしてます」

「へー、信長と交流があったんだ」

 それは知らなかった。

 近所のさえないオジサンが実は有名人ともつながりがある凄い人だった感じだ。

「……三国志で有名な赤壁の様子を彫ったお盆とかを、有名になる前から送ってたといわれているので先見の明はあったのでしょうね」

 そんなスゴい大名とは知らなかった。

「ちなみに家臣は、豊後2老・3老と呼ばれる吉弘、臼杵、吉岡、戸次の4名。特に吉岡長増は「九国一の分別者」の異名をもった知恵袋です。軍事では「雷神」と後に呼称された立花道雪こと戸次鑑連に、高橋紹運がいます」

「へー、人材も結構多いんだな」

「大分の市報で一度紹介してたんですけどね」

 特に近年は赤神諒という作家の先生が豊後を舞台に吉岡長増の息子の嫁、妙林尼や豊後のヘラクレスと呼ばれた柴田リアンたちを主軸にした物語を書いてくれているとのことだ。

 ここまで聞いてふと思った。

「それくらいよい条件が揃ってるなら、さねえもんの知識とあわせれば天下くらいとれそうだね」

 先ほどさねえもんは、宗麟は1530年生まれと言った。

 織田信長が頭角を現す桶狭間の戦いは1560年だったはずだから、宗麟の方が先に生まれているはずだ。


 だったら開幕早々スタートダッシュをぶっちぎれば、九州平定どころか西日本に一大勢力を築く事くらいできるのではないだろうかと思ったのだ。

 だが、さねえもんは急に真顔になって言った



「いえ、


 えー。


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やっとタイトル回収できました。


 なお赤神の作品の最後に協力者として本会を取り上げていただいております(自慢)

 大分で繰り広げられたとは思えないほどの人間ドラマがかかれてますので興味のあるかたは是非一読を。

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