1-2.精霊魔法~


 「アルス、起きなさい。朝ですよ」


 やさしく澄んだ女性の声が山小屋に響き渡る。


 彼女はリリーと呼ばれていた。

 妖精のような美しい顔には、慈愛に満ちた表情を浮かべている。


 母親にしては少々幼く見える。

 耳につけている耳飾りと首もとのスカーフは、青空のような色をしていてとても印象的だ。


 耳が少し尖っているようだが、もしかしたらハーフエルフだろうか。

 それなら美しさも幼さも納得できる。


 「おはよう。ママ」


 目をこすりながら起きだす小さなアルス。

 こちらは一言で表すなら天使だ。


 母子ともにサラサラとした輝かんばかりの金髪をしており、

 まるで教会に飾られている絵画のようだ。


 アルスの体が小さいことから、これは幼い頃の記憶のようだ。


 「ほら、今日からお父さんと剣の練習をするって約束してなかった?」

 「あ、そうだった」


 あわててベットから飛び出したアルスは、着替えもせず外へ駆け出していく。


 木々の向こうから、あたりをオレンジ色に照らしながら朝日が顔をだしている。


 そして空の高い位置には、白く輝く半分に欠けた月が昇っている。


 この世界の月は沈むことがない。

 月は満ち欠けはするが、朝も、昼も、夜も地上を見下ろしている。


 冷たい風がながれるなか、とても恵まれた体格をした男性が、右手にロングソード、左手にラウンドシールドを持ち、荒々しく動いている。

 まるで姿の見えない敵と戦っているようだ。


 アルスは男性の姿に目を輝かせながら近くまで行き、ぎこちなく挨拶する。


 「お、おはようございます。お、おとうさま」

 「なんだ、その貴族様みたいな挨拶は」

 

 手を止めた父は苦笑して、アルスの髪をぐしゃぐしゃにした。


 彼はクリフと呼ばれていた。

 

 長身と言うほどではないが、鍛え上げられた体は大きく見えた。

 顔はまぁ普通か少し上といったところだ。

 

 なんだかほっとする。


 「ほれ、このショートソードを使え」

 

 クリフは腰に挿してあった短めの剣をアルスに渡す。

 

 『おいおい、いきなり真剣を使うのかよ。さすがに本場は違うな』


 「こうやって振ってみろ」

 

 クリフは長さのある真っすぐな剣、ロングソードで素振りして見せる。

 なかなかの腕らしく、その振りは鋭い。


 アルスはショートソードを上段に両手で構えると、ひっくり返りそうになる。

 

 「わああああ」


 なんとか踏みとどまると、むりやり振り下ろす。

 

 「えい」

 

 ショートソードは途中で止まることなく、足の少し先の地面に突き刺さる。

 

 『うわぁ、やっぱり危険なんじゃないか』


 しかしクリフはまったくあわてた様子がない。


 「それじゃー、自分の足を切っちまうぞ。もっと小さく、ゆっくり振るんだ。50回出来たら次を教えてやる」


 『え、いきなり50回ですか?』


 そんな感じで剣の練習は進んでいったが、長くは続かなかったようだ。


~・~・~・~・~・~・~・~・~


 ある日、クリフとアルスは森の中を歩いていた。


 冬が近いのか、二人とも毛皮で出来た上着を羽織っている。

 アルスの背がわずかに伸びているだろうか。


 二人とも左手には弓を持ち、矢筒を背負っている。

 クリフの腰には、ロングソードと2羽のウサギがぶら下がっている。


 二人が獲物を探しながらしばらく進む。


 …………

 …………

 …………


 「キャーー、こないで~~」


 右手前方から、少女のか細い悲鳴が聞こえてくる。

 

 走り出したクリフの後を、アルスは必死に追いかけていく。


 …………

 …………


 茂みを抜けたところで、まるで猫がねずみをもてあそぶように、大きな山猫が少女を追い詰めているのが見えてきた。

 

 それは山猫というには体が大きく、豹や虎に見えなくも無い。


 「アル、大山猫を撃て」


 クリフの声に反応して、アルスは狙いもせず弓を射る。


 矢はわずかにそれて地面に突き刺さったが、驚いた大山猫は後ろへ飛びのいた。


 すかさずクリフは大きな声をあげながら少女と大山猫の間に入り込みロングソードを抜き放つ。


 しばらくクリフと大山猫はにらみ合いを続けていたが、突如、山猫が鋭い爪を武器にクリフへ襲い掛かかる。

 クリフは攻撃をかわしざまに大山猫の胴をなぎ払う。


 大山猫は血しぶきを上げて倒れるも、直ぐに起き上がり逃走に移る。


 近接戦が繰り広げられていたために、2射目を射るタイミングを失っていたアルスだが、背中を見せた大山猫に力一杯引き絞った矢を放った。


 矢は大山猫の胸のあたりに深く突き刺さった。

 

 運よく急所に当たったらしく、大山猫の力が抜け、走る勢いのままに転がっていく。


 …………

 

 「うぇ~~ん」


 クリフの後ろにいた黒髪の幼い少女は、ほっとしたのか泣き出してしまった。



 これがアルスとミヅキの出会いだった。



 ミヅキの怪我は幸いにして擦り傷と、引っかき傷だけだった。

 

 クリフが膝の手当てをしているのを眺めていたアルスは、ワンピースから覗く白い布を見て、顔を赤くしながらあわてて目をそらした。


 このまま幼い少女を森の中に、一人にすることも出来ず、クリフとアルスは少女を家に送ることになった。


 クリフはミヅキを背負いながら、これまで何が起きたのかを訊ねていった。


 少女の名前はミヅキといい、山奥に住む老婆と暮らしているそうだ。

 アルスより背は低く、顔つきも幼い。


 ミヅキは、冬篭りるるための食料を手に入れるために、村へ行く途中で大山猫に襲われてしまったらしい。

 本来であれば老婆と二人で村へ向かうところなのだが、あいにくと老婆は腰を痛めてしまったため、しかたなく幼いミヅキが一人で村へ向かうことになったということだった。


 老婆の家に近づいたとき、老婆はカナデでという名前の呪い師で、アルスを取り上げてくれた産婆だとクリフが教えてくれた。


 老婆の家は岩肌をくり抜いて作られていた。

 

 中はそれほど広くないが、空気は暖く薬の様な不思議な匂いが漂っている。


 しばらくすると奥の部屋から、怪訝な顔をした老婆が現れた。


 「おゃ、クリフかぃ。熊かと思ったよ。年寄りを脅かすもんじゃないよ」


 「なんだ婆さん。娘を助けた恩人に対して、ずいぶんな言いようじゃないか」


 クリフの後ろから、涙で汚れたミヅキが顔を出すと、老婆の顔がやわらいだ。


 老婆は、抱きついてき泣きじゃくるミヅキをなだめながら、怪我をしていないか小さな体を確認していく。


 「それはすまなかったね~。おや、後ろの坊主は息子かい?ずいぶん大きくなったものだね」


 「おうそうだ。アルスだ。こいつが大山猫をしとめたんだぞ」

 

 外に置いてある大山猫を親指で指し、自慢げに息子を紹介する父であった。


 「そうかい。そうかい。それじゃー何か礼をしなくちゃけないね」


 目を輝かせて部屋中を見渡していたアルスが訊ねる。


 「カナデお婆さんは魔法を使えるの?」


 部屋の壁際には、所狭しと見たことも無い小物が、棚やタンスの上に無造作に置かれている。


 「そうさね~。精霊魔法を少しだけ使える物知りなだけの婆さんじゃよ」


 「じゃーさ、僕、精霊魔法?を教えて欲しいな」


 カナデ婆はチラッとクリフの様子を窺うと、なぜかクリフは渋い顔をして首を横に振る。


 「残念じゃが、そう簡単に使える物じゃないのじゃ。代わりと言ってはなんじゃが回復薬をやろう。あと、おまけと言ってはなんじゃが、いつかこの世界の話をしてやろう」


 カナデ婆は奥から持ってきた、緑色の液体が入った小瓶を3本アルスに渡した。


 「おいおい、婆さん。そんなに高価な物をいいのかい」

 「これはお前にじゃなくて、アルス坊やにあげるんだから黙っておき!」


 「ありがとう、お婆さん!」

 

 アルスは天使の微笑みでお礼をする。


 その後、カナデ婆とクリフが話し合った結果以下の様に決まった。


 ・大山猫の大きな牙と爪、目玉はお婆が買い取る。

 ・回復薬や解毒薬と大山猫の毛皮を売ったお金でカナデ婆たちの冬支度の物資を購入する。

 ・購入した物資はアルスがカナデ婆とミヅキの所へ届ける。

 ・今後は月に2回、アルスがカナデ婆の所へ訪れ、村との取引を代行する。


 ちなみにミヅキが運んでいた薬草などの品物は、大山猫から逃げている間に全てなくしてしまったらしい。

 それを補うべく大山猫の毛皮を商人に売ったのだが、かなりの金額で売れたようだ。


 それにしても幼いアルスを、一人で山奥にあるお婆の家と村の往復をさせるとは、さすが異世界、いや、さすがクリフというほかない。


 あとは精霊魔法をお婆から教わることが出来れば、マジックナイトも夢ではない!


~・~・~・~・~・~・~・~・~


 ある朝、山奥にあるカナデ婆の家にアルスは訪れた。

 あたりにはまだ霧が漂っている。


 幼いアルスは村までのお使いをするためにやってきたのだが、家の中から出てきたのはミヅキだけだった。


 「あ、アルスお兄ちゃん。おはよう」

 「おはよう。ミヅキちゃん。お婆さんは?」

 「朝にしか咲かない花を取りに出かけているの。あ、そうだちょっと待ってて」


 パタパタとミヅキは、ドアを開けたまま家の中に戻ってしまう。


 しばらくすると、ミヅキは右手に六角形の板と左手に赤い玉を持って現れた。


 「お兄ちゃん。魔法が使いたいんでしょ?」

 「うん!」


 そういいながら、ミヅキは右手に持った六角形の板をアルスに渡してきた。

 六角形の板の各角には色違いの小さな玉が埋め込まれていて、中央には大きめの水晶玉がはまっている。


「あのね。それに手をかざすと魔法が使えるかわかるんだよ。ねぇ、ねぇ、やってみてよ」


 アルスはためらいながらも、恐る恐る受け取った六角形の板に手をかざす。


 六角形の中央にある水晶玉が淡く輝きだす。

 

 続いて各角に埋め込まれている色とりどりの小さな玉がフワフワと点滅しだす。


 「わぁ~~、お兄ちゃんすごーーぃ!」


 ミヅキは興奮した赤い顔でしてアルスを見つめているが、アルスは驚きのあまり光る玉から眼を話すことが出来なかった。


 「あのね、あのね、この玉が光ったら魔法が使えるのよ。でもね、ミーちゃんは光らなかったの」


 泣きそうになっているミヅキに気が付き、ようやくアルスは板から手を離した。


「大丈夫だよ。きっとミヅキちゃんも魔法が使えるようになるよ」


 アルスはミヅキの頭をそっとなでてあげる。

 

 「ほんと~?」

 「うん」

 「よかった~」


 こぼれそうになっている涙を拭うと、機嫌を直したミヅキは、今度は左手に持った赤い玉を差し出してくる。

 アルスは受け取った赤い玉を覗いて見ると、中には小さな炎が燃えていた。


 「その玉を手に持ってね。魔物に、えい!ってやると火でやっつけちゃうのよ。前にお婆ちゃんがやってたんだから」


 ミヅキは得意げに胸をはっている。


 「ねぇお兄ちゃんもやってみて」


 「え、ぼ、ぼくに出来るかな~」

 「お兄ちゃんなら、だいじょうぶだよ!」


 根拠の無いミヅキの自信におされ、アルスはためらいながらも一歩前にでる。

 恐る恐る手に持った赤い玉を木に向けてかざし、目をつぶって気合を入れてみる。


 「えぃ!」


 ゆっくりと目を開けてみるが何も起きていない。


 アルスがほっと息を吐いた次の瞬間、ブワっと大きな音を立てて地面に生えている草が燃え出した。


 「うわぁ」


 アルスは尻餅をつきつつも、ミヅキの所まで後ずさる。


 「ミヅキちゃん。どうしよう」

 「どうしようって……」


 今にも泣きそうな二人をよそに、炎は周囲に燃え広がっていく。


 ついに二人は炎に取り囲まれてしまった。


 「………… ウィンディーネ」


 どこからとも無く女性の声が響き渡ると、忽然と二人の傍に水で出来た、型のよい女性の像が現れた。

 女性像は生きているのか、滑らかに手が持ち上がると、手の平から勢いよく水が放出され、次々と燃え広がった炎を消していく。


 …………


 辺りに煙と焦げた匂いとが漂う中、大きな杖を持ったカナデ婆が現れた。

 お婆は魔法を行使したためか、肩で息をしている。


 「まったく。困ったガキどもだね~」


 怒ったお婆は二人の頭を杖で小突く。


 「それで、いまのはアルス坊がやったのかい」

 「うん。ごめんなさい」

 

 アルスは俯き涙をこらえている。


 「はぁ~、しょうがない子だね~。仕方が無い、ほれ、その板に手をかざしてみな」

 

 お婆に促され、再びアルスは六角形の板に手をかざす。


 色違いの6色の玉が光るのを見て、お婆の糸の様に細い目が見開かれる。

 

 「まぁ~、たまげたよ。全部の精霊石が光るなんて初めて見たわい」


 お婆はしばらく目を閉じ沈黙した後、つぶやいた。


 「そうかい。あの娘にはハイエルフの血が……」


 目を開いたお婆は、アルスを力の篭った目で見つめた。


 「いいかい、良くお聞き。精霊の力を操るには精霊の言葉を覚える必要があるんだよ。もし覚えないまま力を使うと、今みたいに暴走した精霊の力に自分が焼き殺されることになるよ。わかったら二度と精霊魔法を使うんじゃないよ。いいね!」


 「うん」

 「はぁ~、ほれ付いてきな」


 涙目になりながらうなずくアルスから、お婆は6角形の板と赤い玉を奪うと、ため息を吐きながら家に入っていった。


 結局、カナデ婆は精霊魔法をアルスに教えることはなかったが、代わりにこの世界のことを話してくれた。

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