第7話

 雅美の提案をれた大安堂は私をあっさり解放した。

 雅美のマイペース加減を差し引いても、彼女たち二人の関係は、どちらかといえば雅美の方がイニシアチブを取っているように感じられた。私の素直な感想に明智は、そうか、とだけ応えた。

 連れて来られたときと同じように、私は明智に先導されて歩いている。生徒会室は東校舎三階の北側奥にあったので、私は一度、渡り廊下を通って、自分の下足棚がある西校舎まで戻らなければならなかった。

 授業中の廊下は、静かだけれど無音ではなかった。どこかの教室から漏れ聞こえてくる話し声や、開けられた窓の向こうにある雑多な街の音が、このまな静謐せいひつさを引き立てているようだった。

 そういえば、と私は明智の背中に話しかける。


「私は早退ですけど、生徒会の皆さんって、午後の授業はどうしたんですか? お休み?」


 トップである大安堂にさえ食ってかかってみせた私なのだから、もっと強気に喋っても良かったかもしれない。けれど明智と二人きりになると妙な緊張感があって、砕けた話し方はできそうになかった。いきおい敬語になってしまう。ただ、私に対する明智の高圧的な態度や口調は一貫して変わらない。


「大きな自由裁量権が認められていて、必要があれば出歩けると言っただろう。今年度、玲華様が生徒会長に就任してからこちら、生徒会メンバーとなった我々には様々な特権が与えられている。そのうちの一つだ」

「『玲華様』?」


 私が思わずリピートすると、何だ、とさもいぶかしげに明智が振り向いた。この人たちって一体どんな関係なのだろう。そんな疑問が強く湧き上がったけれど、私はとりあえずそれを保留した。黙り込んだ私を無視して、明智はまた歩き出す。

 名門のほまれも高い三ノ森学園。ここに転入できた私ってすごくラッキー、なんて今朝まで喜んでいたけれど、今はそんな自分のことが何だか馬鹿みたいに思えた。

 怪盗が出没したり、生徒会に主従関係があったり、非現実的と思えるくらい綺麗な双子が出てきたり、あと拷問されたり。こんな所だと先に知っていたなら転入したいなんて言わなかったのに。私が欲しいのは、頼れる先生方や明るいクラスメイトと過ごす、ごく一般的で楽しいスクールライフ、それだけなのに。

 そういえば、と私はまた一つ思い付く。生徒の絵が盗まれたことについて、学園側は、何か対処をしているのかな。警察に相談したり、保護者に連絡したり、そういう何かしらのアクションを起こしていて当然だと思うけれど。

 

「この場所だ」

「え?」


 階段の踊り場だった。

 突然、立ち止まった明智が壁に触れた。


「サヤマミユキの犯行予告カードは、絵が飾られていたこの壁に貼られた。そして翌日、カードと共に絵も消えた」


 私は沢田くんの言葉を思い出す。ここは東校舎南側の、二階と三階の間にある踊り場だ。二十二点目の絵が盗まれた現場がここであるらしい。明智は壁に触れたまま続けた。


「カードが目撃された前後の時間、ここを通った生徒の数名が、彼の姿を目撃している。調べたところでは、その日、彼のクラスは教室の移動がなかったとされている。この東校舎に彼が来なければならない理由はなかったはず、と私は考えている」


 彼、とは誰のことだろう。はっきりしない物言いが彼女らしくなかった。迷っているか、ためらっているのかもしれない。私の方を向いた明智はさらに言葉を繋ぐ。


「玲華様も美術部なのだ。別の部との掛け持ちだが」

「え、生徒会長って、部活動に参加してるの?」


 その通りだが何だ、と明智に睨まれた。私は首を振る。


「玲華様は中学生の頃から美術部だった。盗まれた作品の中には、玲華様の作品も含まれているのだ。私は一刻も早くそれを取り戻し、あの方に返して差し上げたい。だから……」

「だから?」


 顔を上げた明智が私に命じる。


「山崎由美、君は、海藤幸也を調べろ」

「え?」

「言っただろう、カードが目撃された前後の時間に、彼の姿が東校舎で目撃されている」


 彼って、幸也君のことだったのか。


「でも、さっき生徒会室では、私の考えを笑ってたじゃない。それに、彼は副会長の、雅美さんのお兄さんなわけで」

「彼がどういった立場にあっても、やはり調べてみる必要はある。先ほどの副会長の態度は立派だった。もちろん、双子の兄君に対する全幅の信頼があればこその、あの余裕なのだろうがな。とにかく、君は海藤幸也を調べろ、いいな?」


 明智はこちらへ迫ってきた。私の制服の襟元に手を伸ばしてきた。いきなり何のつもりだろう。身体がぞくぞくしたけれど、何だか怖くて動けなかった。明智から身を引く私は、すぐに壁際に追い詰められた。


「我々の指示に従っている間は、ひとまず、君を容疑者から除外しておくと約束しよう」

「……もし、その指示に逆らったら?」

「逆らう? 一般の生徒が生徒会に楯突くのは、あまり賢い振る舞いではないぞ。君だって、卒業を迎えるまでは、健全で楽しい学生生活を送っていたいはずだ。違うか?」

「逆らうならそれは望めない、と」

「さあな。具体的なことは、私の権能を超えているから何とも言えない。ただきっと、何を健全とし、何を楽しいとするか、君の中の基準の書き換えくらいは起こるだろうな」


 さらりと恐ろしいことを言われた。

 眼鏡越しに見る明智の瞳は、伏せられた物事以外はすべて把握しているといった様子で、実に冷ややかだった。実際、気を許していいような相手じゃない。彼女は私の家族構成から何から、プライベートなことを含めて色々と知っている。逆らえば何をされるか分かったものじゃない。

 そういえば、ともう一つ私は思い出す。私の鞄からサヤマミユキの犯行予告カードが出てきたことを、明智はどうやって知ったんだろう? あれは午後の授業が始まる直前の出来事だった。教室を出てから彼女に捕まるまで、私は誰にもそのことを話さなかった。それなのに。もしかして、うちのクラス内に情報提供者でもいるんだろうか。

 黙り込んだ私に、明智はいよいよ詰め寄ってきた。


「それに、勘違いするなよ。現状、君が一番疑わしいという事実に変わりはない。今度は本当に、粗相をするまで尋問を続けなければならなくなるぞ」


 私の体に触れたまま、眼鏡の奥の目を細くして、明智は初めて私に微笑みかけた。

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