第6話

 取調べの名を借りた大安堂の拷問は、本人が自信たっぷりに言った通り、生やさしいものでは全然なかった。彼女の長い指は的確に私の弱点をとらえ、よりいっそうの苦痛を与えようと緩急をつけてうごめき続ける。見ていられないとばかりに明智が顔を背けた。自分でも信じられないような奇声が、何度となく私ののどからほとばしった。

 こんなひどい仕打ちがあるかと、言葉にならない考えが渦を巻いて脳内を占拠した。私はなにも知らない、まったくの被害者なのに。なのにどうしてこんなことに? 三ノ森で楽しいスクールライフを送るはずじゃなかった? 私の何がいけなくて、転入初日から拘束具に自由を奪われてこんな辱めを受けなければならなくなったの?

 出せるだけの大声はもうとっくに出していた。どんな抵抗も本当に無駄なのだということが、白く沸騰ふっとうした頭ではなく汗ばんだ身体で理解できた。むせようが叫ぼうがお構いなしで、大安堂の指はますますヒートアップして行く。

 私に負けず劣らず息を荒くして、熱っぽい目を潤ませた大安堂が声高に叫んだ。


「ここへ来る前にお手洗いへは寄ったのかしら? 尋問の果てにもしも粗相そそうをしたら、床の掃除はお前が自分でするのよ!」


 粗相。ものすごく恥ずかしいイメージが頭をよぎった。粗相。失禁。ありえない。このままだと私、この生徒会の二人にとんでもない弱みを握られてしまう。誰か異性に話されでもしたら恥ずかしすぎて泣いてしまうくらいの弱みを。

 そこで唐突に、彼の穏やかな微笑みが脳裏に浮かんだ。とっさに私は叫んでいた。


「あの人! 幸也って人!」


 ピタリと大安堂の指が止まった。


「幸也が何? 何を言い出すの。……ちょっと、黙っていないで答えなさい!」


 まるで全力疾走したような疲労感だった。頭と身体がおかしくなる一歩手前でようやく解放された気分。荒い呼吸の合間に、どうにかこうにか、私は言葉を繋いだ。


「私、……あの人しか、知らない。……今日、私以外で、私の鞄に、……触った人」

「鞄? 今朝、幸也とぶつかったときのことを言うの?」


 私はうなずいた。一瞬の閃きは言葉にするほど確信に変わっていった。


「拾って、もらった。だからあの人が、きっと、その時に」

「ふふッ、ふふふ。あはははははッ!」


 突然、大安堂が高笑いを始めた。


「幸也があなたの鞄にカードを入れたって言うの? 幸也が実は、サヤマミユキその人だと? あはははッ!」


 その様子があまりに楽しげだったので、私はさっきまでの辛さも忘れて見入ってしまった。何がそんなに可笑しいのかと、私が口を開きかけたそのときだった。

 ドアをノックする音がした。入りなさい! と大安堂がそちらを見もせずに許可を出した。


「失礼します。遅くなってごめんなさい」


 入って来た人を見て、私は目をみはった。

 ふふん、と大安堂が鼻を鳴らして笑う。


「呼んでおいて良かった。山崎、お前に紹介するわ。生徒会副会長の海藤雅美かいどうまさみよ」

「海藤……、え? 副会長?」


 海藤幸也と同じ整った顔に穏やかな微笑みを浮かべて、美しい女子生徒が入って来た。




 私は教室での洋子との会話を思い出す。海藤幸也は双子だと、彼女は確かにそう言っていた。沢田くんからメールが届いたせいで話題が途切れたけれど、私はそのときちょっとだけ、じゃあもう一人は海藤何クンなのかな、なんて考えたりもしたのだ。


「朝は、兄が失礼をしたそうですね」


 ごめんなさい、と海藤雅美は私に頭を下げた。


「妹の海藤雅美です」


 緩やかにウェーブした髪が背中で揺れ、ほのかに甘い香りを漂わせる。双子の兄、幸也と同じ顔であるのには違いないけれど、身だしなみ程度に施された薄化粧が、雅美にもうワンランク上の美を宿らせているように見えた。すらりと背が高くて、だけど骨太な感じは一切なくて、曲線的な、実に女性らしいスタイルだ。本当に私と同じ高校二年生なの?

 私を拘束するに至った経緯を明智から説明されて、雅美が口許に手を当てた。大きな目をぱちくりさせる様がなんとも可愛らしかった。


「あらそう、じゃあ、この方がサヤマミユキさんなの?」


 腕組みをした大安堂が一歩前に出た。


「本人はそのことを否定しているわ。いいえ、それどころか雅美、愚かしくもこの山崎は、幸也こそがサヤマミユキだと言ってはばからないのよ」

「あら、それは大変ねぇ」


 今まさに双子の兄に泥棒の嫌疑をかけられながら、雅美に動じる様子はまったくなかった。おっとりした口調には緊張感が少しもない。そんな彼女を前にした大安堂が、腕組みのまま、明智に向かってひょいと肩をすくめてみせた。どうやら雅美は、暴君をも呆れさせるマイペース娘のようだった。

 雅美はこちらに背を向けてゆっくりとソファに腰を下ろし、応接テーブルの上に広げられた私の持ち物を眺め、指先でつまんだりし始めた。


「私の兄がサヤマミユキだなんて、一体どうして、そんな突飛とっぴなことを言い出したんです? 山崎さん、ちゃんと理由があってそう考えたのでしょう?」

「今朝、幸也に、落とした鞄を拾ってもらったのですって。そのときにカードを忍ばせたのだろうと言うのよ」


 私の代わりに大安堂が、大いにあざけりの混じった声で答えた。なるほどねぇ、と雅美が頷く。


「確かに、クラスメイトたちを疑うより先に、疑ってみるべき相手ではあるわねぇ」

「はぁ⁉︎」


 雅美の反応に驚いたのは私だけではなかった。大安堂も明智も、雅美の方を見て固まった。


「ちょっと雅美、まさか、……え? 幸也がサヤマだというの?」


 初めて大安堂がうろたえる様子を見せた。

 雅美は違う違うと笑って首を振る。


「可能性の話よ、可能性の。少しでも疑わしい相手なら、当然、確かめてみるべきでしょう。私の兄はサヤマミユキじゃないけれど、彼を疑うという発想自体は間違ったものじゃないと、私は言いたいだけ。兄の疑いが晴れたら、今度はクラスの人たちを疑う必要が出てくるわね。そうでしょう、ええと、山崎さん? それとも、そんな調査は必要ない? サヤマミユキは貴女あなたなの?」

「違います! 私、泥棒なんかじゃありません!」

「実際、疑いが深まりそうな物をお持ちじゃないことは、確かなようね。あ、でもこのガーゼなんかは少し怪しいかも。血と、……これは炭かしら、少し汚れている」


 細い指が丸めたガーゼを摘み上げた。今朝、手をすりむいた私に用務員のおじいさんが握らせてくれたものだ。なんとなく捨て切れなくて、私はそれをポケットに入れたままだった。黒い汚れは炭だったのか。

 私が順を追って説明すると、しげしげとガーゼを見つめていた雅美は、ふぅん、という気のない返事を返した。


「なるほどねぇ。ねぇ、玲華」

「何よ」


 私は驚いた。大安堂のことを、雅美はファーストネームで呼ぶのか。何だかとても新鮮で稀有けうな瞬間に立ち会ったような思いがした。

 肩越しに大安堂の方を振り向いて、雅美は言った。


「山崎さんのこと、解放してあげましょう。これ以上彼女をいじめても、私、意味なんかないと思う」

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