第5話

「聞こえないのか。質問に答えろサヤマミユキ」


 冷たくて抑揚よくようのない声と激しく床を打つ鞭の音。あまりにも非日常的で非常識的なシチュエーション。自由を奪われた私は、目の前の明智を強く見据みすえることで、何とか自分自身をたもとうとした。


「私はサヤマミユキじゃないって、何度言ったら分かってもらえるんですか」

「とぼけるな。だったらなぜカードを持っていた?」

「だからそれは、本物のサヤマミユキが私の鞄に」

「入れて身代わりにしようとした、と? わざわざ転入初日のお前を狙って? 盗難事件の発生……、つまり奴の出現から三週間以上が経過している。お前が言うように本物のサヤマミユキが別にいるのだとして、鞄にカードを忍ばせて一般の生徒をスケープゴートにしようとするなら、これまでにいくらでも機会はあったはずだがな。それに、聞けば新たな犯行予告も出されたとか。そんなタイミングで身代わりを立てる必要がどこにある」

「それは……、その……」


 理路整然とした物言いに、私は返す言葉を見失う。明智の声に哀れむような響きが混じった。


「いい加減、楽になってしまえ。気付いていないとでも思っているのか、山崎由美。サヤマミユキはヤマサキユミの読み替え。アナグラムだ。そうだろう」

「え、ええ!?」

「カードを持っていたのは、山崎由美、間違いなくお前がサヤマミユキだからだ」


 アナグラム。頭の中で文字を並び替えた私は心の底から驚いた。何これ。都合が良過ぎる。というか、物事がどんどん私に都合の悪い方へ進んで行く。私、どうしてこんな所でこんな目に遭っているんだろう。

 踊り場で声をかけてきた明智は、私を生徒会室まで連れて来た。室内に入ると、あの縦ロール会長、大安堂玲華が窓際に立っていて、『すぐに始めなさい』と明智に命じた。それから起きたことを、私は信じられない気持ちで思い返す。

 生徒会室は一般教室並みの広さで、校長が使っていそうなくらい重厚なライティングビューロや黒革張りの椅子、毛足の長い絨毯じゅうたんの上にマホガニーの応接テーブル、高級そうな猫足のソファ、立派な観葉植物の鉢に数台のデスクトップパソコンとそれはもういたれりくせりな室内環境なのだけれど、その一角にとてつもなく場違いな設備があった。かけられていた布の覆いを明智が取り去って現れたのは、Xの形をした大きな拘束具こうそくぐ。いつか何かのマンガで見た中世の拷問器具ごうもんきぐそのもの。禍々まがまがしい気配を放つ呪われたアイテムだった。

 なぜこんなものが学校に、と心に疑問を浮かべる暇もなく、私はいつの間にか明智の手によってその器具に拘束されていた。脚を広げてバンザイをした、まさにXの姿勢だ。鞄は奪われ、制服のポケットの中身も全て取り出されて、今それらは応接テーブルの上に並べられている。

 ああどうしてこんなことに、と私は何度目かの溜息をついた。


「どうした、言いたいことがあるなら言ってみろ」


 正面の明智が表情を変えずにうながしてきた。彼女が指先で眼鏡に触れる様子は、できる生徒というよりも怜悧れいりな女教師を連想させる。加えて、もう一方の手に持った鞭が喚起するのは冷徹な尋問官じんもんかんのイメージだ。ナインテイル・ウィップというらしいその鞭は先が九つに分かれていて、打たれて肌が裂けると傷が治りにくいのだとか。明智が自分のバッグから取り出した紛れもない私物だった。どうして女子高生がそんなアイテムを――、などという私の疑問は黙殺されて今に至る。


「サヤマミユキ、物証ががっているのになぜ認めようとしない」

「だから、私は違うって何度も言ってるじゃないですか」

「吐け。盗んだ絵はどこに隠している?」

「私は盗んでない!」


 カップがソーサーに触れる音が、大きく開けられたフランス窓のそば、レースのカーテン揺れる明るい窓辺から聞こえた。その響きにいきどおりが含まれていることを感じてか、明智は眼鏡の奥の目を見開いて固まった。


「手ぬるい」


 つぶやいたのは大安堂だった。私が生徒会室に連れて来られてからずっと、彼女は窓に寄り添うようにしてカップを傾けていた。窓辺に立つその横顔は、逆光の中、とてもはかなげで美しく見える。こういう絵があったら私も盗んだかもしれない。そんな不謹慎ふきんしんな思いを抱かせるほど、たたずむ大安堂の姿はまさに一枚の絵画だった。

 

英理えり、あなたのナインテイルは飾り? 鞭で事が済むなら迷わず振りなさい」

「申し訳ありません会長」


 振り向いた明智が折り目正しく頭を下げた。

 いいこと? と大安堂は続けた。


「私たち生徒会には、一連の盗難事件を解決に導く責任があるの。サヤマミユキの行いは目にあまる」

「はい会長」

「それに、ここでぞくを捕らえることは、他の生徒たちに対するまたとない見本にもなる。出るくいは打たれる世の必然を……、何より私の庭をみだせばどのような目にうかを、強く知らしめなければならないわ」


 よその学校の生徒会長たちも、皆こんなふうな頭を働かせているのだろうか。


「それにしても……、お前、山崎といったかしら」


 ティーカップをテーブルに置いて、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる大安堂。

 返事をする代わりに、私は上目遣うわめづかいに彼女を見返した。はっきり言って、不当な扱いに腹を立てていた。まあ下品、と大安堂がわらった。


「なんて目をするのかしら。でもまぁ仕方がないかもしれないわね。転んでいた朝のときといい、無様ぶざまなシチュエーションが似合う哀れな女のようだから」


 生徒会長の表情はどこか恍惚こうこつとして見えた。私の自由を奪ったこの状況を、彼女が楽しんでいることは明らかに思えた。散々けなしてくれるけれど、この人の趣味だって相当だ。仰々ぎょうぎょうしい器具で人を拘束したりなんかして、可哀相な女はどっちだと言ってやりたい。

 不自由な私を満足そうに眺めながら、大安堂は続けた。


「カードの所持、アナグラムによる名前の一致いっち、そしてその生意気な態度。山崎、これでお前をサヤマミユキだと疑うなだなんて、ちょっと難しい話だと思わなくて?」


 確かに、はじめの二点については言葉の返しようがない。どうあれカードは私の鞄から出てきたし、並び替えれば名前も一致するのだから。私は唇を噛んで無言を通した。あら、と大安堂は微笑んだ。


「身動きできなくされて不快で仕方ないでしょうに、こちらの言い分も理解できるという顔をするのね」

「それくらいの頭はあるもの。驚いた?」


 言い返してやった。けれど縦ロール会長の余裕は少しも揺るがない。


「ええ驚いた。案外あんがい賢いわ。もっと残念な人かと思っていたら」

「残念はこっちのセリフよ。全校生徒のお手本となるべき立場の人間が、裏ではこんな野蛮な真似をしてるなんてね。三ノ森学園がこんな無法地帯だったなんて知らなかった」


 面と向かって言葉を返す私に、控えていた明智の目が景色けしきばんだ。彼女が何か言いかけたのを片手で制して、大安堂は更に近付いてきた。


「その理解力に免じて、英理に鞭を使わせるのは止めてあげる。ただ、本当、随分と口の減らない転入生だこと。何も知らないって罪ね、かわいそうに」

「何よ、鞭なんて怖くないからね。ていうかそれ以上近寄らないで。そっちこそ知らないでしょう、本気になった私がどれくらい大きな声を出せるか。人を呼ぶからね! ちょっと! 来ないでってば!」

「可愛い声。でもね、あの窓を閉めてしまえば」


 指示を待たず、素早く移動した明智が窓を閉めた。


「もうこれで、室内でロケットエンジンが火をいたって平気。どんな音域のどれほど大きな音であっても、決して外部には漏れない」

「嘘」

「試してみればいいわ。でも、その大声の他に打つ手はないというのなら、どうぞ気をつけて。最後の手段という心のり所を失って、その後でも正気を保っていられるほど、私の取調べは中途半端なものじゃないから」

「え、ちょ……、ちょっと! あは、うわッ、あはははッ! やめ、やめてぇッ!」


 身動きできない私の脇腹を大安堂の指が恐ろしい勢いでくすぐり始めた。

 全身をおぞましい感覚が駆け抜けて、私の頭の中はたちまち白くスパークした。


「さぁ何もかも言ってしまいなさい! 私がサヤマミユキですと泣いてびなさい!」

「あ! イヤッ、いやーッはははッ! あは、止めてくらさ、くださあああぁーッ!」


 長い長い拷問の始まりだった。

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