第4話

 教室に戻る道すがら、洋子は私たちの二年B組にもサヤマミユキの被害者がいることを教えてくれた。よどみなく語る彼女の横顔には、池のベンチで沢田くんをまじえて話していたときにはなかった、深刻で暗い影が宿っていた。


小峰こみねさんっていう女の子がいるの。大人しくて、あんまり目立たない感じの、髪が長くてすらっとしたコ。中学生の頃に両親を交通事故で亡くしてから、ずっと、市内にある親戚の家で暮らしてるんだって」


 校舎に入った私たち二人を、反響するたくさんの生徒の声が包んだ。休み時間の学校のノイズは田舎も都会も変わらない。

 踊り場に差しかかると、洋子は立ち止まって、壁に飾ってある静物画を見つめた。テーブルの上の果物籠を描いた、暗い色調の油絵だった。


「小峰さんも美術部でね、ここしばらく、亡くなったご両親の絵を描いてたんだって。二人が若い頃に撮った写真を元にして、並んで立って、こっちに笑いかけている絵を」

「……それが、盗まれたの?」


 洋子はうつむくようにうなずいた。


「その上、小峰さんが暮らしてた親戚の方の家、ついこの前、隣で起きた火事の炎が燃え移って」


 家屋は全焼。小峰さんとご両親との思い出の品は、絵の元になった写真も含めて、何もかも燃えて灰になったのだという。絶句した私に横顔を見せたまま、洋子は悲しそうに続けた。


「だからもう、小峰さんが自分で描いた絵しか残ってないわけ。彼女の両親が二人並んで笑っている姿は、彼女が描いたその絵でしか、見ることができないわけ」


 盗まれたのは、小峰さん自身が描いた、ご両親の形見とも呼ぶべき絵なんだ。

 そんな大切なものをサヤマミユキは――。


「盗んだ絵をサヤマミユキがどうするつもりなのかは知らないけど、小峰さんの絵だけでもいいから、できるだけ早く返してほしいなって、私、思ってる」


 そうつぶやく洋子の微笑みは、静かな怒りに満ちているように感じられた。




 教室に戻ると、いったい何があったんだろう、ざわざわと落ち着かない気配が廊下にまでれ出していた。クラスメイトのほとんどが立ち上がっていた。皆、何かを遠巻きにして立ちすくんでいる。


「え、何? 何かあった?」


 問いかけながら入る洋子に私も続いた。人垣が割れた。割れた先では、クラスメイトの女の子が数人、床に落ちた誰かの鞄を見つめていた。


「ねえってば、明美あけみ?」


 洋子が一人の名前を呼んだ。気付いた皆が顔を上げて、こちらを――、というか、私のことを見たようだった。


「洋子、その……、私たち、洋子たちの机も借りて、皆でお昼を食べてたんだけど」

「いつものことでしょ。何?」

「机を戻そうとしてたらさ、えっと……」


 私を見つめるクラスメイトたちの視線。


「山崎さんの鞄を、私たち、落っことしちゃったのね」


 私の? 落ちているそれは、私の鞄?

 何だか肌に痛い、これまで味わったことのない雰囲気だった。私は恐る恐る輪の中心に入った。突き刺さるような皆の視線。ひょっとしてあの人が小峰さんだろうか、長い黒髪の女子生徒が、誰よりも青ざめた顔をこちらに向けている気がした。皆、私を見ている。けれど何も言おうとしない。


「何、これ」


 私の鞄は床に落ちたまま。

 誰も拾ってくれなかったのか。

 いや、きっと拾えなかったんだ。

 開いた鞄の口から、あのカードが見えていた。

 サヤマミユキの犯行予告カードが、私の鞄から何枚も何枚も顔を覗かせていた。




 午後から早退という扱いにしてもらった私は、戸惑い顔の洋子や他のクラスメイトたちの眼差しを背に、鞄を抱えて教室を後にした。

 ひどく不名誉な初登校になってしまった。自分でも意外なほど、転入初日を台無しにされたショックは大きくて、少しだけ涙が出た。

 階段を降りた私は踊り場で振り返った。

 クラスの皆は、今頃どんな思いで授業を受けているだろう。洋子は先生の話なんかそっちのけでノートに記事の下書きをしているだろうか。こっそり沢田くんとメールでやり取りしているだろうか。小峰さんはどうだろう、気が気じゃなかっただろうな、と思う。もういない両親の絵、自分が描いた何よりも大切な一枚を盗んだ犯人かもしれない人間が、目の前にいたのだから。

 けれど、私はちかってサヤマミユキじゃない。クラスの皆の前でも、私は強くそう言い切った。こんなカードを鞄に入れた覚えはないと懸命にうったえた。学校に忍び込んで盗みに手を染めたりなんかしていない。サヤマミユキという名前も、盗難事件が起きていたことさえも、私は洋子に聞くまで知らなかった。


「絶対、何かおかしい」


 誰かが私を罠にはめた。そうとしか考えられない。よりにもよって転入したばかりの私に、窃盗犯の濡れ衣を着せようとしている人がいる。

 でも何のために? どうして私なの? あんなカードをいつ鞄の中に?

 頭に血が上ってなかなか考えがまとまらなかった。とりあえず職員室を訪ねて、先生方に何もかも話してしまうことにしよう。そう決めて、溜息をついた私がまた階段を降りかけたときだった。


「待ちなさい」


 よく通る硬い声。私は上の階を振りあおいだ。授業中なのにどうして今ここに、という私の疑問は見透かされていた。


「この学園の生徒会に認められた裁量さいりょうは、他校のそれよりもずっと自由度が高い。必要であればこうして授業中に出歩くこともできる」


 と、彼女は右手の指先で銀縁の眼鏡に触れた。

 縦ロール会長こと大安堂玲華生徒会長の秘書的存在、明智絵里が、私のことを恐ろしく冷ややかに見下ろしていた。

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