第2話

「それから? それから?」 


 クラスメイトの鳥越洋子とりごえようこさんが、大きな目を輝かせて私にせまってきた。小柄な彼女が身を乗り出してくると、何だかおやつを待ちきれない子犬を前にしているようで、思わずそのくせっ毛の頭をなでてあげたくなる。


「『このグズ! 靴を舐めなさいホラ早く!』みたいな感じだったわけね?」

「いや、そこまでは……。グズとは言われたけど」

「初対面の相手にいきなりグズなんて普通の神経じゃ言えないよね。ムカついたでしょ。イラッときたんじゃない? どうよ」

「うん、まぁ……。でも本当、あっという間の出来事で、唖然あぜんとするばかりっていうか」


 ひとまずそうにごしておいた。私だって本当は洗いざらいぶちまけてしまいたい。暴言を吐かれたことへの怒り、いい知れない悲しさ、人前で恥をかかされた悔しさ。これらの感情を大いにまじえて話したいし、聞いてほしい。ただ、鳥越さんが構えるペンとメモ帳を見ると、やっぱり全部を打ち明けることはためらわれた。登校初日、最初にできた友達は新聞部のエースを自称していた。

 彼女が熱心に書き込んでいるメモを恐る恐る覗いてみると、『罵倒ばとう威嚇いかくの初登校』とか『被害者に遭った転入生、暴君への怒りをあらわに』といった細かな文字が読み取れた。


「ねえ鳥越さん、そのメモって」

「洋子でいいってば。メモ? これ?」


 遠慮なく、私は彼女を洋子と呼ぶことにする。あんまり不安なもので、ついつい背中は丸く、声は小さくなった。


「洋子、いろいろ書いてるけど、それ、そのまま記事にしたりしないよね? 困るよ私。この学校来たばかりなのに、そんな、上の人から睨まれるような書き方されたら」

「上の人っていうか、生徒会長は私たちと同じ二年生だけどね」

「え、そうなの?」


 洋子はころころと笑って私の肩を叩いた。


「平気平気。由美の名前はちゃんと伏せておくから」

「けどぜんぜん無いよね匿名性」

「大丈夫。由美よりずっとひどいこと言われた生徒がたくさんいるんだよ、この学園には。そのたびに、私たち新聞部は、あの女の蛮行ばんこうを記事にしてきたの。今更この程度の記事の一つや二つ。第一、書かれた本人は存在すら気に留めてないんだよ、きっと。私たちの新聞なんか」


 ほんと忌々いまいましいわ、と洋子は一瞬だけ鋭い目をした。

 あの女というのはもちろん、私が心の中で『縦ロール会長』とあだ名した大安堂玲華生徒会長のことだ。

 工業用センサーの製造販売からスタートして、通信や創薬、アパレル産業、外食産業と多くの分野に事業を展開、今や政財界に多大すぎるほど多大な影響力を持ち、この三ノ森学園の創始と運営にも深い関わりを持つという『大安堂グループ』。そのトップである大安堂雅臣だいあんどうまさおみの一人娘。わがままで乱暴でキツい性格。何より腹立たしいことに学園一の美少女、と洋子は一息に説明してくれた。


暴君ぼうくんぶりは中学の頃からすごかったらしいよ。彼女を怒らせた教職員のクビは、それが校長のものでも放課後には飛んだって」

「嘘」


 それはないでしょう、なんて笑って流すことはできなかった。何しろあの迫力と威圧感だ。遅まきながら、私は不安になってきた。

 これからの学園生活、私はちゃんとやっていけるのだろうか。製薬会社の営業マンであるパパの思いがけない栄転えいてんが決まって三週間。長く親しんできた友達や学校と急に離れなければならなくなったことは辛かったけれど、こうなったら心機一転、私も三ノ森で頑張ってみよう、そう心に決めていたのに――。

 何気なく、クラスを見渡してみた。休み時間の教室は賑やかで、誰もが思い思いに、集まったり散らばったりしながら自分たちの時間を過ごしている。転入してきたばかりの私が質問攻めにあったのは、ホームルームの後だけだった。あとは洋子をはじめとする席の近い女の子たちが、何かと話しかけて、私の緊張を少しずつほぐしてくれた。二年B組は、とても居心地の良い、雰囲気の明るいクラスだ。


「けど本当、転校初日から、学園一の美男美女とそんな形で関わり合うなんて、由美ってラッキーなんだかそうじゃないんだか」


 洋子がメモ帳を仕舞いながらつぶやいた。

 瞬間、朝日を背にした彼の微笑みがフラッシュバックして、私の頬は一気に熱くなった。


「やっぱり、あの幸也ゆきやって人が、この学園で一番かっこいい男の子なんだ」

「そう。海藤幸也。二年D組の超人。勉強だって楽器だってスポーツだって、何だってこなせる万能の美青年。ただ、やっぱり生徒会長ほど目立つ存在じゃないかな。あれに比べれば、海藤くんはまだしも普通の人。ちなみに双子なの」

「双子!」

「そう。隣のC組に……」


 と、言いかけた洋子のスマホが短く振動した。メールが届いたようで、画面を覗き込んだ彼女は大きな目をさらに大きくした。


「本当に来た! お手柄だわアイツ、あとでナデナデしてあげなくちゃ」


 椅子に座ったまま体を弾ませて、洋子はとても嬉しそうだ。キョトンとしてしまった私に、これ見て、と画面を向けてきた。

 それはカードらしきものの画像だった。周りに石膏像せっこうぞうの肩口や絵の額縁といったものも見えるから、場所は美術室だろうか。その壁に、トランプのようなカードが一枚、やや傾いだかたちで貼り付けられている。


「場所は文化部棟にある美術部の部室。今、私たち新聞部が総力を上げて追っている事件の最新情報だよ、この画像」

「事件?」

「そう。部の後輩にね、休み時間ごとに美術部の部室をチェックするようにって指示しといたの。良かったあ。成果が上がった」


 洋子はホクホク顔でスマホのふちさすっている。私はというと、内心、事件なんていう不穏な単語が出てきたことに引いていた。


「事件って、この学園の中で? どんな事件?」

「盗難事件。生徒の作品の」

「え」


 思わず眉をひそめた私にずずいと顔を寄せて、洋子は声のトーンを落とした。


「犯人の名前はね、『サヤマミユキ』っていうの」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る