寄生者

ぼさつやま りばお

第1話 胃の中の蛙

「ああ、何て可愛らしいの。食べてしまいたい」


 雲が掛かる程大きな彼女は、大樹のような指で僕を優しく摘まむと、湖の様に大きな口を開け、そのまま僕を落とし込んだ。


 その日、僕は落ちて行ったんだ。

 彼女の食道を何処までも。


「――――ギャッ!」

 

 どれくらい落ちただろうか。

 尻から落下していったというのに大した痛みはなく、着地と同時にぶよっとした不思議な感覚は何度か僕をその場に跳ねさせると、ようやく制止することが出来た。


 存外。不可解な事に彼女の内部は明るくて、何故か方々に家々が建ち並んでいる。


「お、久しぶりの新人だ」


 ふと、何処からともなく現れた青年は座り込む僕に手を伸ばす。


「ようこそ、レシーヌの村へ」

「レシーヌの村……?」


 僕と比べると彼の差し伸ばした手はごつごつしてて。

 手を握った途端、軽々と僕を引っ張り上げた。


「君も彼女に食べられたんだろ? 此処はそんな男達が集まって作りあげた村さ」


 なんとなく、僕はモヤモヤした気分になる。


「なんだ。僕だけじゃなかったんですね……」

「まぁ、そう落ち込みなさんな。恋多き乙女なのさ、レシーヌは」


 青年はそう言うと、ゴツゴツした手を再び差し出す。


「ドルートだ。よろしくな」

「ルイ=マクダナルです。よろしく……」


 どこと無く老成した雰囲気の青年、ドルートは僕の手を握るなり優しく微笑んだ。なんとなく、彼女、レシーヌが彼の事を好きになった理由もわかる気がした。


「あの、良ければ僕もこの村の仲間に入れて欲しいのですが」

「もちろん歓迎するよ。と言っても特にやる事もないんだけどね」


 この人達はどうやって生活しているんだろう。ふと、そんな事を考えていると、ドルートはそんな僕を察してか、上の方へと指をさす。


「意外と、衣食住には事欠かなくてね。そろそろじゃないかな?」


 僕が彼女の胃壁を見上げると同時だった。

 

 ――――ドスン。

 僕とドルートの目の前に、事切れた牛が落下してきたのだ。


 もう一度上を見上げると、樹木や馬等、色々なものが村中に降り注いでいる。


「彼女は色々なものを飲み込んでくれるからね。俺達はこれで生活してるのさ」


 つまり、僕達はさながらレシーヌの寄生虫って事らしい。


 ◇


 ドルートの言う通り、村での生活は意外と快適なもので、僕はそこで彼女の温もりを感じながら自適な生活を送っていた。


 ……そう。あの黒い月が昇るまでは。


「これは? モルガンかな?」


 一人の男が、白骨化した遺体を指さして首を傾げた。


「気の毒に、この間の胃酸池の氾濫で逃げ遅れたんだ」


「最近多いな、それに食料も降ってこない」


「あの黒い月が昇ってからおかしな事ばかりだ」


 次いで、男達の雑踏からワラワラと喧騒が零れて行く。


 確かに、あの黒い月が昇ってからというものの、食料が落ちてくる頻度も随分と減ったし、胃酸池の氾濫も短い間隔で起こるようになっていた。


「まずいな……外で何か有ったのかもしれない」


 ドルートは僕の隣で、気難しい顔で胃壁を見上げる。

 それに合わせて僕も胃壁を見渡すと、黒い月が最初に見た時よりも大きくなっている気がした。


 黒々とした月は、禍々しくて、こうしている間にも大きさを増して行き……。

 次第に、小さな黒い月が星の様に点々と胃壁に現れるようになった。

 

 それから……村は一層荒廃して行った。


 食べるものも無くなり、僕達は彼女の胃壁をかじったりもした。

 中には胃酸の池に飛び込む者も少なくなかった。

 誰も彼女の弱って行く姿を見たくなかったんだ。


「ドルートさん……この村はもうダメです」

「ああ、知ってるよ。けれど、これでいい」


 胃酸に溶かされかけ、手足を失ったドルートは星空の様に黒い点々だらけの胃壁を寝そべったまま見つめている。


 どのみち、彼はもう助からないだろう。


「ルイ、村を出るのか?」

「ええ、ドルートさんは?」

「俺はこのままでいい。何も喉を通らなくなった彼女の栄養になってやれるならそれでいいんだ。きっとそれがこの村の意義だったんだ」


 この村の皆は、彼女の事が好きだった。

 僕だってそうだ。彼女の事が大好きだ。


「……行かないのか?」


「外に出て、最期に彼女の事を一目だけ見ようと思いましたが気が変わりました」


 僕は彼女の抉った胃壁が入った荷物を下し、ドルートの隣に同じく寝そべる。

 ゴマを撒いたような胃壁の黒点は、じっと僕達を見つめていた。


「思い出は美しいままの方が、きっと彼女も喜んでくれる気がして」

「ああ、そうだな。誰も痩せ細った彼女の姿何て見たくない」


 体が溶けて行く感覚がする。

 不思議と痛みはなく、とても暖かい物だった。

 僕は今、彼女と一つになろうとしている。

 これ以上の幸せなんか無い。


「おやすみなさい。ドルートさん」

「ああ、おやすみ。また会おうな」


 僕は溶けて、彼女の栄養となるだろう。 

 血と成り、肉と成って。

 胃の中の蛙だった僕は彼女の身体の隅々まで旅をするんだ。


 そして、あの黒い月をやっつけてやる。

 そう静かに思いながら、僕は彼女に包まれて行った。


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