第14話 奴隷となった国民
○日本国憲法(前文)
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
●自民党日本国憲法改生草案(前文)
日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、 国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。
「旧憲法の前文、今度読んでみたいですね」
寛が言った。
「良いと思いますよ」
恐らくネットで探れば出てくるだろう。特に政府はそこまで神経質に対応していまい。なぜなら、国民を馬鹿にしているし、実際に有益な情報を放置したところで大衆は見向きもしない。何か重大事があっても、すぐに忘れてしまう。
どんなに立派なお題目があっても、きちんと見て、考えて、話して、知ってということを地道にやらなければならないというツキミの言葉が思い出された。
多くの人は旧憲法を改憲前に読み直してみるということすらしていなかっただろう。まずは本当に変える必要があるのかの検討があって然るべきだ。そのうえで改憲案と対比させるなど、個人で出来ることは多そうに思えた。
「もったいないですねえ。せっかくのチャンスだったのに。もうちょっとしっかりしてくれよって、つい思っちゃいますね」
寛は思わず呟いた。
「本当に、申し訳ありません」
老人が頭を下げる。
「あっ、そういうつもりで言ったんじゃ、」
しかし、寛は少し黙って、言った。
「やっぱり、そういうつもりで言ったのかもしれません。なんか、すいません」
「いいえ、謝るのはこちらの方ですから」
微妙な空気が流れた。寛が気まずそうにしていると、老人がその空気を打破するように言った。
「チャンスを逃したという指摘はそのとおりですね。しかし、言い訳になってしまうかもしれませんが、続きを聞きますか?」
「はい、お願いします」
「先程の話は、主に大衆から見た階級社会と公共でした。ですので、今度は少し支配層に寄って、階級社会と公共をお話したいと思います。
支配層は先程も言ったとおり、旧憲法を押し付けられたものとして嫌っていました。首相に至ってはみっともない憲法などと揶揄する始末です。彼の発言は先の大戦を全く反省していない歴史修正主義者の心根が透けて見えますが、それはさておき、大方の支配層はただ意味もなく嫌っているわけではないです。
なぜだと思いますか?」
「えっと、自分の利益にならないからですか?」
「そのとおりです。旧憲法及びそこで示される概念は、多くの国民の幸せに資すれど、一部の支配層をより幸せにするものではありません。
もしも旧憲法の示す概念が大衆に定着していたら、どうなっていたでしょう。まず考えられるのは、労働者の権利がきちんと確立していたはずです。学校では習いますか?」
「いや、無いですね。ビジネスマナー講習なんかはありますけど」
「当世風ですね」
「ええ、権利よりも義務って感じですね」
「なるほど。しかし、私の時も特に労働者の権利は習いませんでしたね。ほとんどの人が会社に勤めるわけですから、必修だろうと思うのですが。全体的にそれを求める意識も低かったように思います。
ストライキもめったに起こりませんでした。例えば公共交通機関がストライキを行い、朝の通勤に遅れたとしたら、多くの人はストライキを決行した労働者達に対して怒りを向けたでしょう。
労働者の権利は公共の財産であり、それは社会のみんなで守る必要があるという意識がないのです。
しかし、もしもこういった意識が定着した社会であれば、ストライキを決行した労働者は理解を得られ、使用者側に要求を飲ませることが出来るかもしれません。それは最終的に労働者側全員の幸福に資することとなります」
「しかし、それだと使用者側に厳しくなり過ぎやしませんか?」
「それは程度問題でしょう。使用者側といえど、色々な人が居ます。すべての使用者が儲かっているなどということは口が裂けても言えません。ですから、一様にストライキをして、使用者から富を奪えば良いのだということでは決してありません。
しかし、必要以上に労働者から搾取しようとする使用者は確かに存在します。そしてそれが当然の権利だとばかりに声高に主張するのです」
寛は現在の労働環境を鑑みるに、確かに使用者の権利と労働者の権利は不均衡な状態だと思った。そうでなければ、みんなもう少し幸福そうな顔をしているだろう。
「もしも労働者の権利を皆が知り、我が物としていたら、新自由主義者の横暴にももう少し歯止めを効かせることが出来たかも知れません。
改憲前の議論であった働き方改革やそれ以前の派遣法改悪を止めることが出来たかも知れません。そもそも派遣社員は一九八〇年代まで違法でした。知っていましたか?」
「えっ、そうなんですか?」
「はい。労働者保護の観点から禁止されていました。派遣社員は派遣会社に中抜きされますし、働き先の企業からしたら景気が悪くなれば解雇しやすいわけです。派遣法は基本的に使用者優位の法律です。
派遣法成立及び改悪の歴史を紐解くと、特に愛国者ぶった政権時に多くの国民を貧しくさせる法が成立している場合が多いわけで、彼らの本性が透けて見えそうなものです。
彼らは正社員と派遣社員という分断を作り、横と横との対立を煽り、大衆もまたその構図に乗ってしまうという始末でした。正社員の人々の中にはどこか派遣社員を馬鹿にし、自分のちっぽけな優越心を満たす人々もいました。
後年、派遣法改悪の旗振り役であった政商が正社員を無くしましょうと言い出した時、彼らは何か思うところがあったのか、それとも無関心で在り続けたのか。恐らく後者であったことは現在の状況を見れば明らかです」
この正社員と派遣社員の分断は未だに続いている。それどころか正社員であることは一種のステイタスにすらなっており、まるで派遣社員より生きる価値が一段上のような感覚すら持っていた。しかし、支配層から見ればそのような感覚を持ってしまう大衆は、奴隷が首輪の色を自慢しあっているようで滑稽極まりないだろう。
心が寒々しくなるほど精神的に貧しい社会になっているのだな、と寛は思った。
「しかし、その政商なんかを、何か罰するような法律はないもんなんですかね?」
「ありませんね。確かに彼らは私から見れば極悪人です。たいへん罪深い恥知らずな人間です。
例えば驚くべきことに、その政商は後に日本で最大規模の派遣会社の会長となります。その後も政策会議などに出席し、利益誘導が疑われていました。
また、彼は若者へのアドバイスとして、『君たちには貧しくなる自由がある。何もしたくないならそれでいい。貧しさをエンジョイしたらいい。けど、頑張って成功した人の足を引っ張るな』などと言っていましたね」
「それはなんだか、おかしくないですか?」
世の中のルールを作る側の人間が自分に有利なルールを作っておいて、不利な環境に放り込まれて割を食う若者には自己責任を押し付けるのである。
こんな物言いが許されて良いのか、と寛は思った。
「そうですね。
確かに自由というのは、反面とても厳しいものですから、個人が貧しさや破滅に向かう自由というものもあるでしょう。それは良いでしょう。
しかし、多くの人は何もしないから貧しくなっているわけではありません。
恐らく彼の言いたいことは、リスクをとって、起業でもして成功の果実を狙え、といったことだったのでしょう。
それはよっぽど競争資源に恵まれた人以外失敗する道のはずですが、それも自由だと言えばそうでしょう。努力しようとする意志を否定する気はありません。若者の希望の光を徒に潰す気も毛頭ありません。自由とは厳しくもあり、かつとても素晴らしいものだということは理解できます。
しかし、彼自身は多くの既存企業で役員を務めていますが、リスクをとって、一から起業して成功したことがあるのか、残念ながら私は知りません」
「弱肉強食のような社会を導きながらも、当の本人はずいぶん安全なところからものを言っているように思えますね」
「ええ。もしくは、元々学者畑の人のようですから、そこからのし上がって俺は政商にまで成功したんだという矜持のようなものがあるのかもしれません。つまり、そこで自分は努力して成功したから助言をしているのだということです」
「とてつもない暴言ですけどね」
「ええ。彼のしたことは労働者の権利という公共の財産を簒奪し、みんなの権利を自分の利益に変えているように見受けられます。
そのような大切なものを簒奪した人物に自由や努力の尊さを説いてなどもらいたくないですね。
彼らは罪深いことは確かです。しかし、法そのものを変えられては与える罰がありません。
新自由主義者は政権と結託し、時には政権自体が新自由主義者となり、大衆の権利を簒奪することで自らの利益とします。
これを努力と認めていいとは、私には到底思えませんね。
極論すれば、努力して法律を変えれば、泥棒まで正当化されてしまうのか、と思うからです。
果たして、そこに『みんなの幸せを願う心』はあるのでしょうか。全体の上位者である自分たちだけが良ければそれで良いといった、支配層の差別的な心がそこにあるのではないでしょうか」
いくら法的な問題をクリアし、受ける罰がないからと言って恥やモラルといったものはないのか、と寛は訝しんだ。盗人猛々しいとはこのことだと思った。同時にこれが新自由主義者というものかと改めて得心のいく気分であった。
また、こういう人々にこそ罰が必要なのではないか、と寛は思った。罰がなければ彼らは増長するばかりだろう。そして、それは歴史修正主義者にも言えることだ。彼らは罪の上に罪を重ねている。
よくヘイトスピーカーが自分たちを差別するなと言っているが、それは違うだろう。彼らは『公共』を傷つけているのである。例えば公園の遊具を徒に破壊する子供が居たら、注意するのが正しい行いというものだろう。それと同様にヘイトスピーカーを批判するというのは、社会の一員として正しい反応だろう。彼らの悪行は子供の比ではない。しかし、彼らは見逃され続け、増長を続けている。
それにしても罰がなければ、罪を犯しているということに彼らは気づけないものだろうか。
罰が無ければ罪を感じられないのか。いや、それでも彼らは罪を感じることはないかもしれない。何か基本的なことが欠けているし、自己正当化には余念がないからだ。
そして、新自由主義者のような考え方は実に身近であることが寛には実感された。
寛が言った。
「恐らく彼らは批判されたら、こう返すのではないでしょうか。『弱肉強食の世の中でぼうっとしている方が悪いんだ。情報弱者が悪いし、騙される方が悪い。俺たちは強くて、賢いから利益を独占してもそれは仕方のないことなのだ』と」
寛は実にすらすら彼らの気持ちを代弁できてしまった。なぜなら、こういった考えの持ち主はなぜか貧乏なはずの大衆にも溢れているからだ。彼らは現在も搾取されてばかりいるのだが。
「はは、それはものすごく言いそうですね。
一見、弱肉強食という言葉は、何か生物全般が宿命付けられている真理のように思われます。そう考えると、なんだか説得されてしまいそうですね。しかし、彼らの言うそれは本当に弱肉強食なのでしょうか。吟味が必要な気がします。
弱肉強食とは自然界において、何でしょう?」
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