第12話 縛られるべきは誰?

○日本国憲法

〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。


〔憲法尊重擁護の義務〕

第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。


●自民党日本国憲法改正草案

(国民の責務)

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。


(憲法尊重擁護義務)

第百二条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。

2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う 。



「一体どうしたら良かったんですかね?戦後七十年も経っていたのに、こんな亡霊染みた連中に付け込まれるなんて」

 寛は不思議にさえ思った。

「そうですね。それはまた難しい問題ですね。また、たらればの話になってしまいますから、どうしても理想的な話になってしまいそうです。それでも聞きますか?」

「はい。お願いします」

 老人は頷いた。

「多面的な意見があるでしょう。しかし、私が思うには、まず問題は貧相な公共意識と階級社会だったと思います。そこでは社会正義、愛、自由、平等などといったものは大事なものとして守られませんでした。

 ほとんどの大衆は皆どこか不真面目で、それらについて議論することなどありませんでした。すれば笑われてしまうものでした。政治を話題にした時のように、本当に大事なことであるほど冷笑的なのです。

 そうしておけば、自分を相手より一段上だと思えるからでしょうか。そのお手軽さこそが人が反知性主義に惹かれる魅力でしょう。一切の努力や誠実さは必要とされないのです。しかし、自分が相手よりも上だと思うことは錯覚です。

 おかしなことに上下感覚は非常に強いのに、自分たちが明らかな階級社会に属していることには、多くの人が無自覚でした。尋ねてみれば、自分は労働者階級ではない、と多くのサラリーマンが答えたことでしょう」

 今も昔も客観視は難しいものだな、と寛は思った。

「また、笑いとは生活の上で時には良いものですが、時には思考停止です。笑いとは精神的なお酒なのです。バラエティの溢れる現在の日本はまさに総酩酊状態です。

 それにしても、この不真面目さへの欲求はどこから来るのでしょう?きちんと誰かと真正面から同じ地平で向き合うということをしなかったのはなぜでしょう?人間は本質的に怠惰なのだともいえるでしょう。しかし、そこにだけ問題を求めるのは身勝手な支配層の論理です。

 私達階級社会に住むもの全ては、上や下から他者を見ることに慣れすぎたのではないでしょうか。人間は本質的に対等で、一個の人間同士でしかないということを忘れているのではないでしょうか。すべての社会的、精神的装飾品を外して、お互いを尊重するという意識がなかなか表れません。私達は何かいつも着飾ろうとしてしまうのかもしれません。まっすぐにただその人を見つめるということが出来ないのです。

 『先生』という言葉を醜いと思ったことはありませんか?」

 寛は思い当たる節があった。小出水も織田も熊野もそうだし、中学や高校に上がってからもろくな教師はいなかった。まず彼らは偉ぶるのだ。自分たちは教師なのだから、尊敬されて当然だという意識なのだ。だが、心から彼らを尊敬していた生徒など一人でもいるのだろうか。

「自分が偉いということを前提に語られる言葉は薄っぺらいですよね」

 寛が言う。

 老人が頷く。

「そうですね。もしも子どもたちの幸福を願う本当の『先生』がいるのなら、子どもたちに対等な目線で真摯に向き合うはずです。子どもたちは劣っているわけではないのです。私達は少し先に生きているだけで、『偉い』わけではないのです。

 恐らく改憲前まではそういった教師もいたでしょう。教養や豊かな文化的価値観を背景に生徒に教えられるような、生徒の人間の幅を広げてくれる教師です。

 しかし、そういった生徒が量産されてしまうと困るのが支配層です。多くの国民は愚かなままでいてもらわなければ困る。僅かな才あるものだけは良いコマとして登用してやるが、それだって階級社会に馴染むように教育せねばならない。

 そういった国家の意図は人文社会系の教育予算を削減する方向性からも、以前から見え隠れしていました。

 そして決定的なのは憲法二十六条第三項が新たに書き加えられたことです。『国は、教育が国の未来を切り拓く上で欠くことのできないものであることに鑑み』と国家のために教育はあるのだと規定されてしまいました。子供の自由な未来、幸福に資するためのものではなくなってしまったのです。

 かくて唯一人の『個人』としての人間的成熟を促すような教師は排外され、国家が指定する規格に逆らわないか迎合する教師だけが残ったということでしょう」

 最初に学校でどんな教育を受けているのかを聞いたのは、これを確認する意図もあったのかと寛は気づいた。

 確かに教育勅語を振り回すような教師以外にも優しげな教師はいることにはいたが、そういった教師は発言権が弱く、隅の方に追いやられている印象だった。きっと、彼らは時代が違えば子どもたちに真摯に向き合う誠実な先生でいられただろう。そして、その誠実さ故に現在隅に追いやられているのだ。


「私達は小さい頃から階級社会という構造に慣れすぎました。階級というものの中で生きることしか許されず、取り込まれてしまっているのです。そして、取り込まれているがゆえに意識することが難しくもあります。

 階級社会に疑問を持たず、それどころか階級社会であることは正しくて、その秩序を守ることはさらに正しいのだと教えられます。先輩に敬語を使わない後輩を見て、苛ついたことはありませんか?あるとしたら、あなたはすでに取り込まれているのかもしれません」

 寛は言われてみればそうかもしれないと思った。しかし、反面それは普通のことなのではないかという反論が不気味にも自動的に浮かび上がってきた。

「でも、そうじゃないと社会はうまく回らないのではないでしょうか?あらゆる人に敬語を使わないというのはある意味すごいですが、無用の軋轢ばかり生みそうです」

 老人は少し目を閉じてから言った。

「それは処世術としてはそうでしょう。しかし、ここで本質的に問題なのは、敬語を使うとか使わないということではないのです」

 老人は身振りを交えて話した。

「あなたという人が中間にいます。後輩という人が下にいて、先輩という人が上にいます。階級社会ですね。これをただの上下関係だというのは言葉のごまかしです。一笑に付してしまうのは、既に取り込まれている証拠です。こういうと、怒りすら湧いてしまう人もいるでしょうが。

とにかく、後輩が自分を通り越して先輩に敬語を使わないということが起きたとしましょう。これに苛ついてしまう心情とは何なのでしょう?

 それは自分は規律を守っているのに、後輩は規律を守らないことに対する怒りではないでしょうか」

 それを言われて寛はハッとした。自分でも気付かない自分のことを照らされた気分だった。

「自分は規律を守っているのに下のものが守らないと、とてつもない不満が感じられてしまうのは階級がある故のことだと思われます。それはつまり、秩序が乱されたと感じるからであり、階級を守らなければいけないという意識があるからです。

 対等な個人がそれぞれ在る状態ならば、そんなことは気にもとめないでしょう。

 あなたは社会がうまく回らないのではないかとおっしゃいましたね。ここには個人的視点だけではなく、社会的視点が入り込むのです。

 先輩が後輩に対して直接不満を言うというのであれば、まだわかりやすい個人的軋轢ですが、中間にいる人が自分自身が無礼な口をきかれたわけでもないのに腹が立つのです。これは個人というよりもその集団の一員として、秩序を守ろうとする意識が無意識にでも働いているということでしょう。

 無意識ということは客観視とも違うものでしょう。しかし、社会的視点自体は悪いものではありません。これは恐らく人間が社会的動物であるがゆえに持っている能力です。その社会を存続させようという能力が個を超えてあるということなのかもしれません。

 問題なのは、その視点がみんなの『幸福』に資するものなのか?というところでしょう。

 しかし、残念ながら、ここにあっては秩序を守ること自体が重要視されています。秩序こそが日本の社会正義です」

 規律を守ろう、秩序のために。では、秩序を守るのは一体何のためで、誰のためなのか。

 寛は小学校に入りたての頃、繰り返し練習させられた整列を思い出した。前にならえ、なおれ、右向け右、意味もわからず繰り返し繰り返し練習させられた。少しでも列が乱れれば、教師は理不尽な怒りを子どもたちにぶつけた。

 まさに理不尽だった。当然だ。そこでは理など求めてはならぬということを教えていたし、世の中には意味はなくとも上のものには従わなければならないということを教えていたのだ。それは自らの幸福や自由意志よりも優先するものがあると教えていたのだ。それが階級社会というものだ。秩序というものだ、ということだろう。

「この社会は何のためにその規律や秩序を守るのかという本来最も重要な問いが決定的に欠けた社会です。

 規律を破り、秩序を壊そうとするものに対して取られる処置は取り込むか、排撃するかの二択です」

 寛は少なからずショックだった。ツキミとの会話でそういった階級めいたものにはなるべく意識的であろうとしていたはずなのに、いつの間にか取り込まれていたことに気付かされたからだ。

 部活にも入っていないので、特に親しい後輩がいるわけでもないが、もしも先輩に無礼な口をきいている後輩を見かけたら少し違和感のようなものを感じてしまうかも知れない。

 その違和感は突き詰めていけば、階級社会の秩序を乱すものであると無意識に認識しているということではないか。

 自由なようで知らず知らずに取り込まれているのかもしれない。反論が不気味にも自動的に浮かび上がって来たことを思い返し、寛は薄ら寒い心地がした。

「階級社会というのは強固です。なぜなら、社会正義が秩序であり、一人ひとりが規律を守ることが重要視される故に自己強化を続けますし、負の連鎖が続きます。

 先程の先輩後輩の例で言えば、先輩からの命令を聞く度に段々と慣れていき、理不尽な要求も飲むようになります。また、後輩間で命令を守っているかの相互監視すら始めます。それは秩序の強化を意味します。

 さらに後輩たちはその強化された秩序でもって、自分たちより下のものに当たります。その下のもの達はさらに下のものに当たるでしょう」

 寛は野球部のクラスメイトを思い出した。一年のときは上級生を殴りたいほど憎んでいたが、いざ自分が上級生になると喜々として下級生をいじめているのである。なんでそんなことするのかと聞いたら、少し考えて、『だって、俺達もされてきたんだから、やんなきゃ損じゃん』と言っていた。

 また、先輩からの理不尽な仕打ちに耐えかねて辞めていった同級生を平然と負け犬扱いするのである。確かに内部的結束は強まっているのかもしれない。しかし、同時に排外的でもあった。

「階級社会においては秩序こそが社会正義である。

 このことは非常に重大な問題をはらんでいますが、一旦置いておきましょう。

 代わりに階級社会との対比として公共というものを考えてみましょう。公共とは何でしょう?」

 寛は聞かれて困った。公共という授業はあるが、その内容は国家のことや納税のこと、家族のことを形式的に触れているだけで改めて公共とはなにかを問われるとよくわからなかった。

「う~ん、何でしょう?公益とは違いますもんねえ」

「そうですね。それは正反対のものでしょう。しかし、日本人にとっては同じようなものとなってしまっている感はありますね。だから、それは非常に鋭い指摘のように思えます」

「そうですか」

「はい。公共とは辞書的に、公のものとして共有することと定義しましょう。ここでの公とは国家ではなく社会です。社会とは人間が集団で生活している共同体だとしましょう。

 例えば原初的な社会を想像してみます。もし男女二人だけならば、公共などいらないかもしれません。ただお互いを見て、お互いの幸せを望めば良いのですから。

 しかし、そこにもう一人、二人と段々と人が増えていったとしましょう。そうすると段々複雑になってきます。あっちを立たせれば、こっちが立たずということも出てくるでしょう。

 そうした時に必要なのが公共という意識です。基本的に人間は幸福を目指すものですから、それに見合った共通基盤、社会正義が育まれていくはずです。まだ法のようなカッチリしたものではないでしょう。それはおそらく自由や平等といった原則的で抽象的なものです。共同体の中の人々はより幸福になるため、公共について議論を重ねます。そうすることでよりその社会に適した形になったり、強固になったりするものです。また、自分たちのものであるという意識が生まれ、大切に尊重するようになるでしょう。いずれにせよ、時代や場所、人々によって幸福は異なるでしょうから常に話し合うことが重要なのです。そうすることによって、自分は社会の一員であるという積極的な公共意識も生まれるのではないでしょうか。

 公共の本質とは『みんなの幸せを願う心』だと言えるでしょう。幸福とは公共の大原則です。そしてそこから自由や平等などの原則も派生していきます。

 これはあくまでも理想的なお話ではありますが、考える上でのヒントになるはずです」

人々は幸福を基本的に求める。それはそうだろうと寛は思った。今だって金が欲しいとみんな喘いでいるのは幸福になりたいからだ。

「日本の社会と比べてみてどうでしょう?」

 寛は考えた。いや、考えるまでもなかった。感じるままに口から吐き出した。

「全然違いますね。自由や平等、公平などというものはなく、階級的で、ただただ『他人に迷惑をかけるな』ということがまるで真理だと思われているのではないでしょうか。これでは大原則であるはずの幸福がありません。一部の人々が、金で自由や平等らしきものを買うというイメージです」

 老人は頷いた。

「そのとおりだと思います。しかし、実はそれは今に始まったことではありません。改憲のだいぶ前から少しずつ始まっていました」

「そんなに前から始まっていたなら、どうにか出来たのではないですか?」

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