第11話 独裁2
「さすがにこれには国民も怒ったでしょう」
「怒ったところでどうにもなりません。すでに独裁体制です。首相は改憲のための国民投票法を自己にさらに有利な内容に変え、立て続けに改憲をし、正規の軍も我が物としていました。公務員には特別支給として現物が惜しみなく配分されていましたので、軍も従順なものでした。
今では特区以外の街中に軍が配備されていることはないでしょう。なぜなら国民はもう忘れたか、諦めたからです。
大衆は多くの資産を失いました。また、尊厳もです。彼らに支給されたのは現物ではなく、自殺薬でした。マスメディアは社会保障が崩れたのは仕方のないことと説く一方で自己責任論を垂れ流し続けました。多くの人々が苦しい生活の中、選択肢を狭められていきました。
対して、支配層からしてみれば、自殺薬はコストカット以外の何物でもありませんでした。大変おぞましいことですが。
支配層は我が世の春を満喫しています。先程お話しした億り人のような人ではない、本当の金持ちは独自のポートフォリオを形成しています。ハイパーインフレになる以前から資産を様々な形で国外に移しています。そうすることで恐慌が来ようがダメージを最小限に抑えます。あとは嵐が過ぎ去るのを待ち、バーゲンセールの日本を買えば良いわけです。そうしたら資本主義の名において、国民大衆の土地や家、会社などの資産を破格で接収、自分たちの元へ一元化出来るわけです。彼らからすれば本来あるべき姿に戻った感覚ですらあるのかも知れません。
大企業は超円安下において過去最高収益を上げました。国内人件費の安さも追い風です。日本はある意味において製造大国に戻りました。その背景は外国人労働者と共に日本人労働者の賃金は低水準であることです。だからといって、現在の外国人労働者を排撃しようとする動きは向けるべき矛先を完全に誤っていますが、それもコントロールされたものでしょう」
そもそも外国人労働者の賃金は安くて当たり前という意識がおかしいのだと寛は思った。
「支配層は特区を中心にその他の地域を植民地化したといえるでしょう。外に植民地を作れないならば、内に作ればいいというわけです。一部の大企業含む支配層からしたら、それで一向に困ることはないのです。人口減少傾向の国内需要など切り捨てて、成長見込みのある世界に目を向けるという姿勢は資本主義下の大企業においてはある意味正しい理屈です。
そして、何よりアメリカは日本を買い叩きました。元々財布のようなものでしたが、名実ともにそのような存在となりました。もはや五十一番目の州だという人が日本の国会議員にいますが、ただの植民地です。アメリカは日本を植民地にし、日本の支配層は国内で植民地を作る。まるで入れ子構造です。我々大衆は二十一世紀を過ぎて、すべてが金で相対化され、数値化されるエコノミックアニマルとして完成しました。
この時になって、ようやく一部の大衆的反知性主義者達は自らの愚かさに気付きました。国家権力を監視することを怠れば、足枷を着けられるのは自分たちの方なのだと。決して国家権力はお友達などではないのだと。しかし、それも一部の人々だけです。多くの人は反知性主義者のまま在り続けています」
寛は両親のことを思った。二人は朝から晩まで働きづめだ。残業はあっても残業代はない。年間百日程度の休みがあるという建前だが、休日出勤は当たり前。まさに生かさず殺さずという感じで、休みの日はたいてい寝ている。それでも生活に余裕はない。
そんな環境で子供一人を育てるのは非常に大変だ。比較的裕福だったツキミの家は憲法改正前に先代が亡くなり、遺産が形になって残っていたからだ。しかし、寛の家にはそれすらない。だからこそ恩義に思い、いつか報いるために立身出世しようというマインドセットは環境がしつらえてくれている。繰り返し唱えられた教育勅語も少なからず影響しているだろう。しかし、寛は素直にそれに乗る気にはもうなれなかった。
頑張っても上限は決まっている。それになにより、その環境が生かさず殺さずを志向して、意図的にデザインされたものだとしたら。
「しかし、政権としては海外資本が入ってくるのは気に食わないのではないですか?政権寄りと思われる非常に排他的なヘイトスピーチなどを聞くとそう思うのですが」
寛は学校帰りにたまに見かける外国人労働者に対するヘイトスピーカー団体を思い出した。
そういった団体は寛から言わせれば不快ではあるが、警察が止めに入ることは一切なく目の前を素通りしていた。
「確かに激しい排撃行動を見ると、一見そんな気はします。しかし、実はそんなことはありません。
まずは政権、支配層に関してですが、現憲法全文にはわざわざ『活力ある経済活動を通じて国を成長させる』と書き加えられました。大半の支配層は実のところ反知性主義を利用した新自由主義者です。歴史修正主義、差別主義的傾向も持っていますが、何よりも彼らが優先するのは新自由主義です。
新自由主義とは一応経済学の一つの流派のようなものとされていますが、私から言わせれば、『金持ちがより金持ちになるための方便』に過ぎません。彼らは弱者を守るための保障や規制をすべて取っ払い、自分たちに都合の良いルールを作るために政権と結託します。彼らの世界観を表すのによく言われるのが一%の大富豪と九九%の貧民です。現在の状況を鑑みれば、既にそのとおりになっていますね。
首相が度々、世界で最もビジネスのしやすい国を目指すといったことを言っていましたが、それは労働者のためではなく、使用者側のための国にするということでした。
ちなみに彼ら新自由主義者が口癖のように言うのは『このままでは日本は負けてしまう!』という言葉です。これは労働者を安く使い、私腹を肥やすための方便です。彼らがどの立場にいるのか?よくよく考えて聞いてみてください。
また彼らの差別はアジア系、特に朝鮮、中国の人にいつも向いています。これは周辺諸国を脅威とみなすことで、政権の正当性を担保する働きがありますし、外国人労働者と日本人労働者を分断、対立させて矛先を自分たちに向けさせないための手口です。対して、アメリカには従属一択です。
ヘイトスピーカーに関して言えば、街に立って行っているような人々は徹底した反知性主義者なのかもしれません。未だに政権はお友達だと思っているのでしょう。しかし、大半の本や講演、ユーチューブで行われるそれは反知性主義を利用した商売です」
新自由主義者などと大層な名前が付いているが、ただの拝金主義者じゃないかと寛は思った。
しかし、多くの国民が今や、お金こそを渇望していた。なぜなら、単純に良い生活を送りたいという思いと共に、存在意義に直結してしまうからだ。それは自覚的にせよ無自覚にせよ、結果としてお国のために金を稼げと働いていることになる。しかし、醜悪な支配層及びお友達の本音では、金のために国を利用しているのである。つまり、多くの人々を、国民を利用しているのである。
寛はなぜそんなひどいことが出来るのかと改めて信じられない思いだった。
確かに金はこの社会で支配的な物差しになってしまった。自由も平等も平和も金で買うものになってしまった。集団の中にあっては愛さえも相対化されてしまう。
完全なるエコノミックアニマル。アメリカは日本を家畜化するのについに成功したのかも知れない。あらゆるものが相対化出来る市場。日本が植民地だというのなら、絶対的な愛や自由、平等は本国アメリカにならあるというのだろうか?
昔ツキミと一緒に見た映画のように、ただ相手のことだけを想い合えるような。
日本ではなぜそれが出来なかったのだろう?手に入れるチャンスは七十数年間もあったはずだ。
支配層はますます繁栄し、それに同調していたはずの大衆的反知性主義者が得たものは腐敗したナショナリズム。引き換えに、なけなしの富も、人間の尊厳も、自由も平等も奪われた。
結局の所、憲法改正とは支配層のための世界を復権するものでしかなく、自殺薬が配られるのも、金持ちがより金持ちになるのも、貧乏人がより貧乏になるのも、自由は制限されて義務ばかり課されるのも、都合のいいものの見方しか教えられないのも、偏狭なナショナリストが溢れてレイシストが跋扈したのも、そのくせ最低限の保障さえないのも、すべて支配層が望んだからだった。
今更だが、多くの国民にとっては改正などでは断じて無い。改悪そのものである。
しかし、多くの国民は望まなかったのか。そうではないだろう。多くの人々、つまり大衆的反知性主義者は都合のいいものの見方やことによると偏狭なナショナリストになるのを自ら望んだ節もある。
よく理解もしないまま、なんとなく投票したり、しなかったりして、結果として奴隷になったというわけだ。『国民の不断の努力』を放棄したその姿は、あたかも奴隷であることを望んだかのようにさえ見えてしまう。
しかし、もし今の光景を見ることが出来たならば、多くの人々は反対票に傾いただろう。誰も本当には奴隷になどなりたくないはずだ。それは多くの人々が全く幸福そうではないことからも感じられた。
このズレは何だろう?奴隷となることを望んでいるように見える一方で、望みが叶い奴隷になっても幸福そうではない。
多くの人々はまさに大衆的反知性主義者で、愚かで、怠け者だったのだ。それだけが原因なのだ。
そう断罪するのは簡単だろう。しかし、これは醜悪なるものの立場にいつの間にか取り込まれたもののセリフのようにも思われた。
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