第10話 独裁

○日本国憲法

なし


●自民党日本国憲法改正草案

(緊急事態の宣言の効果)

第九十九条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。

2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。

3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。

4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。





 最後に見たのはツキミの背中だった。それから彷徨って、死に損なって、こんなところで火に当たっている。寛は自分が情けなかった。

 その情けなさは決して一思いに死ねなかったから、だとかいう馬鹿らしい理由ではない。おばさんとの約束を蔑ろにしてしまったことが情けなかったのだ。自殺薬を使わなければいいなどというわけがあるまい。

 寛の中で多くのことが意味を失い、それは今でもそのままだ。だが、頭を巡るのはツキミのことばかりだ。

 同時に社会への怒りとも不満とも言えぬ感情が内から沸々と湧き出てくるのを感じた。それは体が温まって来るに連れて大きくなった。

 老人は木を削って何かを作っていた。こちらを気にする様子もなく、没頭しているようだ。声をかけては悪いかとも思ったが、気になったので寛は声をかけた。

「何を作ってるんですか?」

 老人は手を止めず、しかし柔らかな表情で答えてくれた。

「猫です」

「猫?お好きなんですか?」

「はい。一番好きな動物です」

「彫刻は昔から?」

「いえ、始めたのは数年ほど前からです。唯一の趣味ですね」

「楽しいですか?」

「はい。楽しいですよ。やってみますか?」

「いえ、自分はそういうのは苦手でして」

「私も不器用なものですから、実は苦手です」

「はぁ、よく続きますね。苦手だと嫌になりませんか?」

「ここでは、私一人ですから比べる相手もいません。誰かに習ったこともありませんから、自分の好きなように努力できるのです。ですので、非常に豊かに楽しめています」

 老人はこちらを見て、そうにこやかに答えてくれた。

 その姿を見て、寛はこの老人に聞きたくなった。

「何で、こんな社会になってしまったんですかね?」

 焚き火の火を眺めながら言った。

「こんなとは、どんなものでしょう?」

 焚き火の向こうで老人が言う。

「憲法は変わり、自殺薬が配られ、金持ちはより金持ちに貧乏人はより貧乏に、自由は制限されて義務ばかり課され、都合のいいものの見方しか教えられず、偏狭なナショナリストが溢れてレイシストが跋扈し、そのくせ最低限の保障さえない。一体全体、なにが楽しくて、国民はこんな国を望んだのでしょうか?」

 老人はゆっくりと頷いた。火に照らされて老人の顔に複雑な模様が浮かんだ。

「難しい問題ですね。とても私などに答えられるものではなさそうです」

 そうはいっても自分よりは詳しいだろうと寛は思った。何せ憲法改正が行われた時はまだ寛は年端も行かぬ子供だったのだ。

「わかる範囲で構いませんので教えてくれませんか?」

「教科書には書いていないのですか?」

「ないですね」

 小学生の時の歴史の授業には天皇による国の成り立ちが物語形式で語られていた。中学に入ると、歴史の授業は必修科目ではなくなった。代わりにプログラミングの授業が大幅に増えた。高校に入ってもそれは変わらなかったし、たとえ履修しても戦前までは念入りに学ぶのに、戦後になるとまるで軽やかにスキップするかのように終えた。

「そうですか。ではご両親は教えてくれないのですか?」

「はい」

 寛の両親は昔のことを聞かれるのを嫌がった。寛の両親だけではない。多くの憲法改正前を知る人々はそのことを話したがらなかった。学校の教師も口をつぐむばかりだった。唯一ツキミの母だけが聞けば答えてくれたが、多くのことを聞く前に亡くなってしまった。

 なぜ皆教えてくれないのだろう?そう聞いたこともあった。そうしたら、それはもう少し大人になったら理解ると思うと珍しく濁されてしまった。

 自殺薬が届いてしばらく経って、ふと気づいたことがあった。街で老人を見かけることが異様に少ないことだ。テレビでは老人を見ることはあったが、実際に話したことはなかった。両親になぜ自分には祖父母は居ないのか?聞く機会もなかった。なぜなら、周りを見渡しても祖父母のいる家は無かったからだ。

 恐らく他の地域、例えば特区などにはいるだろう。つまり、金持ちの老人以外のほとんどが自殺薬を飲んで死亡しているのである。それは今、この時も人知れず起こっていることだ。この異様さに気づいた時、多くの人々が同様の罪を背負っているのだと気づいた。

 だから夜の森のなかで老人と二人きりで話している状況は、寛にとってどこかこの世のものではないような不思議な気分を生じさせていた。

 老人は逡巡しているようだったが、やがて小さなナイフを折りたたんだ。

「それでは仕方がないですね。期待に応えられるかはわかりませんが、やってみましょう。しかし、その前にあなたにきちんと伝えねばならないことがあります」

「何ですか?」

「実は私は改憲の前年度にようやく政治に興味を持ったのです。それまでは全く興味がありませんでしたから、選挙にも一切行きませんでした。何も理解らずに投票することは良しとはしなかったのです。しかし、積極的に知ろうともしませんでした。ですので、このような世の中になってしまったことは、私にも責任の一端はあるのです。当時選挙権の無かったあなたのような若い人々には、大変申し訳ないと思っています」

 そう言って、老人は頭を下げた。


 寛は少なからず落胆したような気持ちが浮かんだが、この老人一人にすべての責任があるでもなし、怒るわけにもいかなかった。

「頭を上げてください。別にあなた一人のせいではないですよ」

「そう言ってくれる優しさには感謝します。

 しかし、やはり無関心は罪なのです。

 旧憲法第十二条には『この憲法が国民に保証する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない』と書いてありました。目を離せば自由や権力は奪われ得るものであるということを日本は経験的にも知っていたのです。政治、つまり国家権力と国民の関係は決してお友達でもお上でもないのです。常に対峙し、監視していかなければならないものだったのです。それを怠った結果、私達はあなた方に償っても償いきれない罪を背負ってしまいました。

 だから、せめてもの罪滅ぼしというわけではありませんが、あなたの知りたいことに精一杯答えようと思います」

 炎の向こうで老人が言う。静かな声音だった。この老人は山中で一人、ずっと罪の意識と戦ってきたのだろうか。国家権力に施された自殺薬を拒否し、木と向き合うことで精神を保ちながら。それはとても辛い罰のように寛には思えた。

「わかりました。それにしても、一体なぜ憲法改正の前年度になって、政治に興味を持ったのでしょう?それまで興味がなければもうずっと興味がなくてもおかしくはないと思うのですが、やはり憲法という大きなものが変わってしまうかもしれないということからでしょうか?」

「いいえ、正直に言って、改憲だけでしたらやはり他人事のような感覚だったと思います。直前になってテレビで放送しているのを見て、なんとなく投票するかも知れないし、しないかもしれない。その程度の意識しかありませんでした。しかし、私にとって衝撃的だった出来事はその数年前に起こっており、それを遅ればせながら知ったことで意識が変わったのです。

 それはとある女性国会議員が書いた、LGBTには生産性が無いので彼らのために税金を使うのは無駄であるといった趣旨の論文でした」

「生産性?それは一体どうゆう意味でしょう?」

「子供を作らないということは国家にとって生産性がない、つまり、将来的に国家に税金を払ってくれる存在を産まないのでそこに予算を割くのは無駄である、ということのようでした」

「はぁ、ひどいですね。産みたくても産めない人はいくらでもいるでしょうに」

「その通りです。しかし、この議論はそもそもおかしいのです。産める、産めないの話ではないのです。

 というのも、国民に対して生産性が有るとか無いとかの区別を国会議員がつけることはおかしなことです。人間には元より基本的人権があり、それを保障するのが旧憲法の大きな役割の一つでした。決して国民が国家のために何か奉仕をしたから、権利を付与してもらえるといった関係ではなかったのです。

 それが現憲法下の日本ではいかに国家のために国民が働くかが重要視されるようになってしまいました。国会議員はまるで殿上人のようです。これは明らかに国家の暴走、人権侵害です。憲法とは、そもそも何だと思いますか?」

「えっと、国家の理想を語るものです」

 寛は学校で習ったことを言った。

「いいえ、違います。憲法のもっとも重大な役割は国家権力を制限することにあったのです。国家権力とはとてつもなく強大なものです。考えてもみてください。警察一つとっても、もしもその牙を恣意的に剥かれたら国民には太刀打ちする術がありません。自衛のための手段はそもそも法で制限されていますし、向こうは強力な武器をいくつも持っています。物理的な面でもそうですし、普段から強権を発することによる萎縮効果、国全体を覆う情報網。司法と結託されたら手も足も出ませんね。冤罪のオンパレードです。

 現況では緊急事態条項が発動されていますので、さらに悪い状況になっています。つまりは独裁状態なわけですから。

 こういった強大な権力を国家が持っている以上、恣意的に使われたら困るわけです。だから、憲法によって国家権力を縛る必要があったのです。それが今では憲法は国民を縛るものに変わってしまいました。

 憲法とは国家の理想を語るものとおっしゃいましたね。改憲前に首相がよく言っていた言葉ですね。しかし、それは首相及び周辺の理想を語るものという意味だったのです。

 と、このように偉そうなことを言っておりますが、当時の私はそのようなことも一切知りませんでした。

 無邪気にも政権を信じていたのです。それどころか時に醜悪なものの一部でさえあり、国家をお友達か何かだと勘違いしている愚か者でした。

 まさかお友達である政権がそんなひどい奴なわけはないだろうと思い、当の論文を少し調べてみる気になったのです。

 まずは著者である国会議員からです。国会議員と言ってもいろいろな人が居ます。ですので、正直少数派の野党だろうと思っていました。そんなひどい考えの持ち主が多数派である与党の一員としてこの国を動かしているわけがないと思いたかったのです。

 しかし、彼女は与党であり、しかも首相本人の肝煎りであるということがわかりました。

 この時点で足元がグラグラしていましたが、当の国会議員自身が、SNSで流れているのは一部を切り取ったものであるから、きちんと全体を読んでほしいとの旨を表明していました。確かにそれは一理あるな、と思い私は図書館に行きました。そして、私は仰天しました。

 一部を切り取ったのはむしろ優しい処置でした。全体はよりひどいものでした。頭が本当にクラクラしました。文章にはLGBTへの無理解と蔑視、自分の世界が『普通の世界』でありそれにそぐわないものは排撃する態度、背景にある醜い自己愛と特権意識。およそ論文などと呼べる代物ではなく、この世のあらゆる汚水を混ぜ合わせたスープを飲んでしまった気分になり、吐き気がしました。

 私は怒りに打ち震えました。こんな人間がこの国の中枢に居て良いのだろうか?長い人生の中で初めて国を本気で憂えました。

 また、当の国会議員はSNSで先輩議員に励まされたと投稿していました。

 何のことはない、彼女だけがおかしいのではなく、調べていく内に政権そのものがおかしいのだということがわかりました。それは政権与党の出していた改憲案を読めば一目瞭然でした」


 寛はそんなことがあったのだなと初めて知った。今ではそんなことはすっかり風化してしまっていた。なぜなら、ほとんど彼女の志向する『普通の世界』になってしまっているからだった。LGBTだけでなく、外国人労働者や障害者は弱者とされ、差別は公然と行われていた。『生産性』という指標、つまり金を拠り所にして階級社会化していた。それはこの国すべてを覆っていたので、どうしたって組み込まれてしまうものだった。

「私は怒りよりも危機感を抱きました。

 その頃はテレビで政権の汚職疑惑がよく報じられていましたが、いい加減先に進めばいいのに、野党は税金泥棒だなくらいの認識でした。しかし、途端に見る目が変わりました。それまでのどうせ自分には関わり合いのない世界での出来事だという意識から、すぐ自身の喉元にまで迫っている危機だと感ぜられたのです。

 実はこの件以前にも、違和感を感じたことがありました。とある女性ジャーナリストの方がレイプされた事件がありました。それもおそらく睡眠薬のようなものを使われたのではないかという疑惑がありました。彼女は旧態依然とした警察の取り調べにもめげずに、被害を訴えました。なんとか証拠を掴み、逮捕直前まで行ったにもかかわらず警察上層部からストップがかかりました。これは異例なことだそうです。容疑の男は首相と懇意にしているジャーナリストでした。

 事件の全貌は結局闇の中です。彼女は誹謗中傷を受けて日本で暮らすことは困難になり、国外で暮らすことになりました」

「ひどい話ですね」

「はい。しかし、当時の私は政権がそこまで醜悪な存在であるとは思いもよりませんでしたから、有耶無耶の内にその問題を閉じてしまいました。

 彼女は勇気を持って、顔をメディアに出して訴えたにも関わらず、多くの人が冷ややかな反応であり続けました。その結果が現在の女性蔑視の風潮に繋がっていると思うとやりきれません。こんな事を言う資格も私には無いでしょうが」

 現在の社会通念上、女性がレイプされても隠されて終わってしまうだろうと寛は思った。

もしも表に出たとして、誰も味方になってくれる人は居ない。憲法改正されてからもっとも変わったことの一つが男尊女卑風潮の強まりだった。

「しかし、例の論文で国家権力が国民に対して重大な人権侵害を犯しているのだと気付かされました。現金なものです。権力を監視する義務は怠っていたのに、自分の世界にも危機が及んでいるとわかった途端に警戒し始めるのですから。

 それまでに酷い目にあっている方もいらっしゃいました。汚職疑惑では強制的にやらされた仕事で罪の呵責に耐えかねた公務員が自殺までしているのです。それに対しても私はまるで他人事でした。政権もこの件に関してまったく責任を取ることなく黙殺しました。私はいつの間にやら政権率いる多数派と同調し、おかしなこともおかしいと気付かなくなっていたようです。

 非常に後発組でしたが、私は焦りとともに勉強を開始しました」

「後発組?」

「はい。政権に以前から危機感を抱き、実際に警鐘を鳴らしたり、活動をしている人々がいました。欧米のメディアなどは初期の段階から革命政党だと見抜いていたようです。革命政党とはそれまでの体制を壊し、自分たちの思うがままの世界を作ろうとする集団のことです。彼らは実際にそれをしましたし、当時から明らかな憲法違反を繰り返していました。彼らは旧憲法を押し付けられた憲法だとし、非常に嫌っていました。そんな彼らの手法の一つが、憲法を無視することで有名無実化するというものでした。それもまた明らかな憲法尊重擁護義務違反だったのですが。

 当時、よく首相が言っていたのは『戦後レジームからの脱却』です。何のことだかわかりますか?」

「いや、よくわかりません」

「はい。私も当時わかりませんでした。多くの国民がそうだったでしょう。わざとすぐにはわからないような言葉を使うのです。本当のところは国民の理解など必要としていませんでしたから。でも、なんとなく横文字でカッコ良く聞こえたり、あの時言ったじゃないかという言い分を作るためにあえて言うのです。

 レジームとは体制のことです。戦後レジームからの脱却とは戦後体制からの脱却ということです。戦後体制とは、『民主・立憲・平和』を追求する体制でした。これらは主権者であった国民の幸福に資するための体制です。

 しかし、彼らはそれを壊し、自らを主権者としました。国民は国家権力側の人間を幸福にしなければならなくなったのです。

 なぜそのような事が出来るのでしょう?他人の痛みが想像出来る人間ならば、そのような一方的な世界は望まないはずです。

 この点に関しては、政権と三十年以上付き合いのあった憲法学者が暴露しておりました。政権の多くを占める世襲議員は非常に傲慢で、自分たちをまさに殿上人だとすでに自認していたようなのです。国民の義務を増やし、自分たちの義務を減らし、権力はより強大にする。彼らの理想は戦前のファシズム期でした。そこにあっては国民は尊重されるべき個人などではなく、国家の、つまり自分たち殿上人のコマに過ぎないのです。理想とする国家は北朝鮮のような国です」

 確かに言われてみれば、教育勅語や新家族法など個人を蔑ろにする体制が整えられていることから寛には実感があった。

「彼らは支配層を自認しています。だから、国民に奉仕されるのは当然の権利と思っていることでしょう。支配層などというと陰謀論に聞こえるかも知れませんが、日本の場合、戦前の権力者側がそのままスライドして戦後も権力者であることが多いのです。つまり権力構造はそのまま保存されてしまったのです。彼らはずっと『偉い』を継承し続けているのです。ですから、彼らからしたら、国民のための憲法はさぞかし目の上のたんこぶだったでしょうね。

 特に政界における権力構造の保存は顕著でした。首相の祖父は元A級戦犯です。戦中は官僚や閣僚として戦争に荷担しました。しかし、彼はなぜか裁かれることなく釈放され、コネにより会社の役員を務めた後、公職追放が解かれると政界に復帰。首相も務めます。

 兄弟も首相経験があり、娘婿も政治家、孫二人も政治家。他の家族は財界でのトップ層です。こういった人々のことを支配層といっても何の差し支えもないでしょう。ちなみに戦中にあっても彼らは一般の人々とは一線を画した生活をしていたことが窺えます。戦争の終わりを告げる玉音放送を聞いた娘、つまり現首相の母は『もっと頑張れないのかしら』と言ったそうです。

 しかし、だからといっても戦後の主権者は国民だったのです。だから、国家及び支配層を国民は監視しなければならないという自覚を持っていた人々は確かにいたのです」

「なぜそのような人々がいたのに憲法改正を止められなかったのでしょうか?」

「いくつか要因はあると思います。しかし、一番の理由はその人々は少数派だったということが挙げられるでしょう。彼らが正しいことを言っても、多くの人は聞く耳を持ちませんでした。

 ただし、多くの人が積極的な政権擁護派だったのかというと、そうではありません。改憲前の衆議院選挙の投票率は五十%程でした。残念ながら、私のように多くの人が政治に無関心だったと思わざるを得ません。それは改憲を決める国民投票が差し迫っても同じでした」

「自分の権利が侵害されるのにですか?」

「そもそもそんなことは知らないし、知ろうともしない層がやはり多数を占めていました。彼らの胸中としては、自分が投票したところで何も変わらないといった無力感が強かったのでしょう。

 また、我々はあまりに政治の話をすることを避けてきました。ですので、投票するための素養がないということもあったと思います。

 思えば不思議な事です。様々な人がいるのだから、様々な政治信条の人がいて良いはずです。公共のことでもあるし、堂々と話せば良いはずです。しかし、そうは出来ないのです。

 テクニカルな部分でいうと、改憲のために行われる国民投票は問題のあるものでした。いろいろと問題はあるのですが、その最たるものは最低投票率を定めていないというものでしょう。例えば日本が百人の村だったとして、三十人しか投票に行きませんでした。だとしても、十六人の賛成票を取れば改憲されてしまうのです。それがもし残りの八十四人にとって改悪だったとしてもです。

 また、実際には発議されてから六十日しか投票までの期間がありませんでしたから、多くの投票者はなんとなく野放図に垂れ流される広告やワイドショーを見て、あまり重大事とは捉えずに投票した節があります。コマーシャルなどでは当然良いようにしか言いませんし、国民から権利を取り上げるなんてことはわざわざ言いません。

 昔のことですが、とある広告会社が選挙戦略を与党から依頼されて作り出した国民の分類では、こういった人々をB層と呼びます。A~Dまでありますが、B層とは要するに『政権やマスコミに騙されやすく、IQの低い人々』のことです」

「ものすごくバカにされてますね」

「ええ。しかし、実際に選挙は勝ちましたし、最も国民に多いタイプとその分析ではされています。だから、改憲も通ってしまいました。彼らが口を揃えて言うのは『でも、野党よりはマシなんじゃないの?』ということです。彼らはなんとなくの与党支持者でした。

 この『なんとなく』のイメージが彼らを操作するのにもっとも大事なことだと、政権は考えていたことでしょう。彼らは間違いなく国民を馬鹿にしていました」


 寛は少し胸が痛んだ。それは自分にも当てはまってしまうことだと思ったからだ。

「私は以前、改憲前に居酒屋で友人達に話を振ってみたことがありました。彼らは私と違い、政権与党に投票していました。

 その友人達は相当に高等な教育を受けていて、良い企業にも入っているといった人々だったのですが、政治的にはいわゆるB層でした」

「政治的にはB層?」

「はい。こういった人々はとても多くいたように思います。先程も話したように誰とも真面目に政治の話をしないというのが通例でしたから、興味もそもそも湧かないのです。話しても、ワイドショーレベルの知識をこね回すくらいのものでした。

 ただ、彼らのために弁明しておけば、普段の生活に忙殺されていたというのが政治に興味が向かない最も大きな理由だったと思います。

 考えてみれば当然ですよね。夜遅く帰ってきて、疲れの抜けないまま仕事に向かい、触り程度ニュースを見て、休日も色々と生活のためにやらなければいけないことがあるのです。どこに政治に振り分ける余地があるのか、だから、専門職として代議士がいるのだろう。そういう論も一定の説得力を持ってしまう実情がありました。

 しかし、それでも興味を持たなければいけませんでした。常にチェックしておかなければ生活そのものが危機に陥るということを意識しておかねばなりませんでした。

 ですが、当時も居酒屋にて、興味自体がやはりそもそもないようでとても白けた雰囲気になりました。

 その中の友人の一人が私に冗談で言った一言が忘れられません。彼は私に『反日かよ』と言いました」

 寛はその言葉に馴染みがあった。一部の教育勅語好きな教師が良く使う言葉だった。またネットを開けば食傷気味になるほどその言葉が溢れていた。定義はイマイチわからなかったが、どうも政権に都合の悪いものに使われる言葉のようだった。

「彼は軽い気持ちで私に言ったのですが、私はショックでした。国が間違った方向に行こうとしていると思うからこそ批判しているのであって、いたずらに批判しているわけではないのです。ですが、同時に思い出しました。私もつい先日まで、だいたいこのような態度だったのです。

 その頃の心境を思い返してみると、『政権批判をするような人は他所に責任を求めるような人物であり、自己責任感の養われていない迷惑なやつだ。政権もまあ、外交とか近隣諸国の揉め事とかで多分頑張っているみたいだし、そんな暇あったら自助努力の一つでもしろよ。さては、お前反日かよ』といったことを潜在的に考えていたのではないかと思うのです」

「なかなかひどいですね」

「はい。今思い返すと非常に恥ずかしいです。自由とは他人に迷惑をかけないことだと嘯き、その実、対話のない自重ばかりの貧相な公共意識、事実をきちんと捉えようとしない不勉強さ、そしてそれを良しとして怠けるための免罪符として『反日かよ』という言葉は機能していたのだと今は思います。

 人は自分が所属する組織をバカにされたと感じたら無意識に反感を持ってしまうものです。非常に幼稚な感情ですが、自分の世界を防衛するのにとても便利な言葉でもありました。

 更に加えて言えば、こういった言葉を好み、幼稚なナショナリズムに陥る人々も一定数居たようです。彼らはネトウヨと呼ばれていました。その声の大きさにも関わらず、本当はものすごく少数の人々なのではないか?という疑いも持てます。なぜなら、ネットの中が彼らの主戦場ですから。

 彼らはもしかしたら、あの手の汚水のようなスープを刺激的だと感じ、美味しいと勘違いしてしまった人々なのかもしれません。人の脳は刺激を追い求めるものですから。それが本当に『幸福』に基づいているのかは問題になりません。

 しかし、友人が冗談で言うということからみても、それなりにそういった言説は巷間に流布されており、心情も怠惰な私や友人たちとそう離れたものではなかったように思います。少なくとも同じようなタネは多くの大衆の心の内にあり、それが凶暴な形で他者を排撃しようとするまでに育ってしまったのがネトウヨと言われる人々だと思います。

 ちなみに、新聞は信じずともネットの情報は真実だとなぜか無批判に信じてしまう人々が相当数居たように思います。

 新聞は各紙の偏りさえ知っていれば有益な情報源になってくれる可能性が昔はありました。

 確かに便利な面はありますが、ネットの情報の半分は不正確か不足した情報に、嘘まで紛れ込んだものだということは、書籍に当たって何か一つの物事を調べた経験のある人はわかるはずです。

 情報が溢れすぎて、情報との距離のとり方が難しくなった時代だったとも思えます。気づかぬ内に取り込まれているということもあったでしょう。

 いずれにせよ、信じる、信じないではなく、あくまでもこのメディアではこう言っているのだなという一歩引いた目が必要だったと思います。その上で自分の意見を生成していくことが重要です。

 私の話も同じことです」

 老人は少し微笑んで言った。

「話を戻しましょう。

 これらの無関心層、B層、ネトウヨ層は大衆の中の多数派でした。彼らに共通して言えることは『都合の良い世界しか見ようとせず、それを守るためには不都合な真実は知ろうとせず、時には排撃すらしようとする態度を有する』と言えるでしょう。こういった人々のことを『反知性主義者』と言います」

 寛はそれらを咀嚼するように頷いた。

「要はポジショントークしか出来ないってことですね」

「確かにその通りです。しかし、また少し話が横道にそれるかも知れませんが、この言説自体が反知性主義的ではないか、俺たちを排撃しているじゃないかとそういった人々から言われかねないということです。

 確かに私は反知性主義者的性質を持っています。自分から見た世界観で私を含む彼らを批判しています。しかし、差別ではないのです。なぜなら、やはり私もまた、同じような性質を持った人間であることを理解しているからです。これは自己批判なのです。ヘイトスピーチやヘイトクライムはやりませんが、そのタネは心の内に埋め込まれていると思うのです。それは、おそらくあなたにもあるでしょう」

 寛はドキリとした。しかし、確かに思い当たる節は数えきれないほどあった。この社会に生きていれば見たくないものには目をつぶるというのは自然な行為だろう。なにせ、あまりにもこの世界が嫌になって、さっき自殺しようとしたほどだ。

 ある意味究極的に反知性主義的な行為だったかもしれない。

 自殺しようとした時の心持ちは少し前のことであったはずだが、完全に再現するのは難しかった。段々と細く狭まっていく崖っぷちに一人で立っていたような心象風景が浮かんだが、今はそこには立っていなかった。恐らくそう何度も行くような境地ではないという実感はあった。進んだ先は死だからだ。

 しかし、政府が自殺薬を配っているのは、そのように生きにくいと感じている人々の排撃行為が万が一でも政権に向かないようにする処置にも思えた。反動分子は速やかに自己処分してくれというメッセージなのだろうか。寛は改めて怒りが湧いてきた。

「話を再度戻します。そういった大衆的多数派をうまく利用したのが支配層であり、かれらが一体となれば少数派の人々、あえて知性主義者と呼びましょうか、彼らの声を無視するのは赤子の手をひねるよりも簡単でした。

 ところで例の女性国会議員は支配層でありながら、相当な反知性主義者であると思われます」

「論文の内容を聞いた限りではそうですね」

 自分の世界を傲慢にも『普通の世界』と断じるその姿勢は確かにそうだろう。

「相当数の支配層が、自分に都合の良い世界だけを見ていたいという反知性主義者でもありました。

 驚くべきことに首相もそうでした。これは非常に危険なことです。その権力をもって、支配下にある世界を思いのままに出来るのですから。実際にしたのが改憲下の日本というわけですが。

 彼らはまた、歴史修正主義者でもありました。先の大戦において日本が起こした過ちを否認し、日本は正しいことをしたのだという認識なのです。正しいことだとしたら、なぜ一千万人以上とも言われる人々を殺したのか?あまりに不思議なことですが、おそらく彼ら支配層からすればアジアの人々は同じ人間ではないという認識なのでしょう。

 副総理が支援者向けの会合で『G7の国の中で我々は唯一の有色人種であり、アジア人で出ているのは日本だけ』という発言がありました。副総理自身はリップサービスのような感覚なのかもしれませんが、透けて見えるのは差別主義者的な心根です。支援者および副総理の世界観は白人と名誉白人の日本人とそれ以外の劣った人々といったところでしょう。

 歴史修正主義と差別主義は密接に結びついており、差別主義はより根深いものでしょうが、それらを反知性主義は内包していました。殊に支配層と積極的な同調者の世界観はグロテスクなものであり、現在の日本の世界観にも繋がっていると思われます」

 外国人労働者へのヘイトスピーチや障害者とLGBTへのヘイトクライムが鳴り止むことのない現在の日本の状況を考えると寛は暗澹たる気持ちになった。

 事件が起こる度に警察権力は強化されるが、なぜかその矛先は弱者に向き、強者を守るものであった。

「しかしながら、そういった世界観でありつつも、多くの支配層は自覚的に反知性主義を統治としてのツールとして使っていました。自覚的でなかったのは、大衆的反知性主義者だけでした。少数派の知性主義者は警鐘を鳴らしましたが、大衆的反知性主義者は聞く耳は持ちません。今思うと彼ら知性主義者は無力感に苛まれていたことでしょう。日に日に崩壊する日本を横目に、どう呼びかけようとも話を聞いてくれさえしないのですから。

 そして、ついにXデーを迎えます。すべては滞りなく終わりを告げました。あまりにも静かな幕切れでした。憲法を変えても、それまでの日常と何も変わらないじゃないかと思われました。

 しかし、嵐はすぐにやってきたのです。世界恐慌です。

 それまでなんとなく国民は景気が良い気がしていました。確かに世界景気は良かったのですが、国民の、特に労働者層はそんなこともなかったはずです。しかし、喧伝されるのは景気の良い話ばかりです。

 だから自分はあまり儲かっていないけれど、他の人は儲かっているのかも知れないと思っていました。確かに富の偏在は起きていました。億り人などという言葉も流行しました」

「億り人?」

「投資によって、億単位の額を稼いだ人々です。当時は日本政府が株高を演出していましたし、仮想通貨への投資も過熱していました。一般層の中からも億万長者が出たことで夢のある話として話題になりました」

「なんだか宝くじみたいな話ですね」

「そうですね。中には確かに天才的な才覚や地道な努力をもってトレーダーとして成功している人々もいたようですが、ほとんどの人は場当たり的な博打と同じ感覚で手を出しては退場していきました。

 しかし当時もっとも日本で恩恵を受けたのは円安を享受できた国際的な大企業でしょう。

逆に円安は材料費の高騰に繋がりますから中小企業には厳しいですし、物価は上がり家計には苦しいものでした。

 円安になっていたのは当時政府が首相の名をもじって行っていた経済政策の内の一つ、金融緩和のためです。当初は二年ほどで狙った効果は達せられると踏んでいましたが、何年経っても達せられず、唯々諾々と金融緩和を続けていました。その手法は政府の借金である国債を民間銀行が一度買い、それを日銀が引き受けるというものです」

 寛はちょっと何を言っているのかわからなくなってきた。その表情を読んだのか、老人は少し考えたあとに言った。

「ものすごくざっくり言えば、政府の借金を日本銀行が延々と引き受けてくれている状態です。お金は信用でその価値を保っていますので、本来このような手法は禁じ手なのです。それを彼らは異次元の金融緩和と呼び、実施し続けました。しかし、世界恐慌により一気に破綻しました。

 ここにも反知性主義の影が読みとれます。というのも、政権の経済政策は華々しく喧伝されていましたが、多くの人がその中身を問われると答えられませんでした。

 政権六年目にもなると働き方改革と称し、労働者の残業代をゼロにしようという露骨な動きがありましたが、多くの人々はやはり気にすることなく受け入れました。当初は高収入の人々限定の処置でしたが、段々と切り下げられ、今では皆等しく低所得者ですね。

 また、日本の株高は国民の年金資金によって支えられていたところが大きかったのですが、世界恐慌後はこれが仇となり老後社会保障は崩れてしまいました。株高は七難隠すと言います。政権はポートフォリオを変え、国内株式への運用比率を一一%から二五%までに引き上げていました。世界恐慌なので他の資産も下がります。被害は甚大でした。

 このように政権の数々の失策により、世界でも類をみない被害を日本は受けました。

 国債安、円安、株安、ハイパーインフレとなりました。その時です。首相は緊急事態条項を発動しました。直ちに国民の預金封鎖を行い、国民の財産を徴収。国の借金の返済に当てました」

 だから、多くの人々は先代からの遺産を引き継げなかったという面もあるのだろうと寛は思った。貯蓄に関してはこの時点で相当目減りしたはずだ。

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