第3話 恋愛の自由
○日本国憲法
〔家族関係における個人の尊厳と両性の平等〕
第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
●自民党日本国憲法改正草案
(家族、婚姻等に関する基本原則)
第二十四条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。
2 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
3 家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
自殺薬の配布は郵便書留で行われているのだが、一時期、死の配達人と忌み嫌われ、黒い制服は不吉の象徴とされた。それに耐えきれなくなった一人の若い郵便配達人が、郵送中の自殺薬を業務中に服薬して死亡するという事件があった。
しかも、自殺薬を飲んだ後もなぜかバイクに乗り、死の兆候として現れる眠気に襲われ、トラックに正面から突っ込んで死んだのだった。これを受けてイメージの転換を図ったのだろうか、今では郵便配達人は水色の制服を着ている。
水色の制服を着た郵便配達人が家にやってきた時、寛は、小学生の頃にツキミが背負っていたランドセルの色にそっくりだなと思った。
封筒の端を乱暴に破り、中身を取り出すと、黒くて四角い小さなケースが出てきた。振ってみても何の音もしなかった。
スマホを開いて、国民管理アプリ『セーブニッポン』を起動した。このアプリはマイナンバーと連動しており、身分証明として使える。そればかりでなく、預金口座と連動しており、予め設定している一定額まで使えた。今ではほとんど現金は見かけなかった。
アカウント情報の自殺薬同期ボタンを押し、自殺薬のケースの中央部分を指で強く押した。すると、ケースの端っこが緑色に点滅した。どうやら同期完了したらしい。これで国のデータベースに管理されている指紋情報と紐付けられ、この自殺薬は寛しか開けられなくなった。
試しにケースを開けてみる。ケースの上面に人差し指を押し当てる。すると指紋認証が成功した証に、さっき光った部分が赤色に点滅し、ロックが外れた音がした。
ケースは勉強机の引き出しのように開いた。中から出てきたのは何の変哲もない白い錠剤だった。透明なプラスチックに包装されている。上から押せば、包装が破れるやつだ。ピッタリと設えられたくぼみに収まっている。
寛はつまんで目の高さと水平になるように持ってみた。これを飲めば死んでしまうのか。そう思うとその薬の軽さに比してあまりに重い事象、そして現実感の無さに少し気が遠のきそうになった。
寛は薬をしまった。五分以上薬がケースに戻されないと、その持ち主は自殺したと判断されてしまう。そうして保健所に依頼された業者が死体を引き取りに来る手筈になっていた。
このシステムは自殺薬配布から一年後に施されるようになった。あまりに多くの死者が短期間に出すぎたため、火葬場が足りず、衛生状態の悪化を防ぐために野焼きが行われた。更には誰にも知られず一家心中をしたケースも多数あったため一時期は謎の奇病が発生したという噂がまことしやかに市中を流れた。
国内のことだけであれば緊急事態条項を世界恐慌から未だに発動し続けているので無視し続けることも出来ただろう。しかし、欧米諸国の非難の高まりを受け、何より病気の蔓延を恐れた支配層は自殺薬管理の施策を講じるに至ったのであった。
当時の副総理曰く、「こんなに自殺薬を飲む人が多いってことは、それだけ需要があるってこと。これからも供給責任を果たしていきたい」とのことだった。
保健所から委託される業者は『自殺衛生管理者及び簡易神式葬儀官』という資格を取り、今でも活動している。なかなか金が良いらしく、人気の職業の一つだ。時折、特需が訪れることもある。
寛はしばらく手の中でケースを弄んでいたが、スマホのチャットアプリを開くとツキミにメッセージを送った。
「自殺薬届いたわー
大人の階段一歩のぼってしまった」
すると、すぐに返信があった。
“こっちも来た。そっち行っていい?”
どうやらツキミは家にいるらしい。ツキミの家は五〇メートル位離れた近所にあった。なにか用事だろうか?と思ったが、会えれば嬉しいので寛は即了解した。
「うん
コーラ買ってきて、あとで払うから」
一〇分ほどで、ツキミは斉藤家の住むアパートに来た。手にはコンビニの袋を提げている。
「おじさんとおばさんは?」
ツキミが聞く。寛の父は巨大倉庫会社で、母は病院で看護師として働いていた。
「今日は二人共準夜勤だ。げへへ、二人きりだぜ、お嬢さん」
寛は戯画的に舌なめずりした。両手は前に出し、戦闘態勢だ。
「きゃー、やめてー」
ツキミは無表情でコンビニの袋ごとコーラを上下に振りだした。
「ちょっ、やめろ。俺のコーラが」
ツキミは激しく内部で発泡しているコーラを寛に渡した。
「馬鹿な真似するからだよ」
鼻で笑って、ツキミは靴を脱いで家に上がった。勝手知ったる他人の家なので、寛をおいて居間に向かう。
「あーあー、ひでえなあ」
不満を漏らしながら寛は後に続いた。
居間には三月だというのに、まだコタツが出ていた。
「ふー、どっこいしょ」
ツキミがコタツに入る。特に寒くもないので、コタツの電源は入っていない。それでもツキミは寛ぐのにこんなに最適なアイテムはないと、コタツが大のお気に入りだった。
「ババ臭いなー」
ツキミの向かい側に寛も入る。
受験があったので、二人でこうしてコタツに入って寛ぐのは正月ぶりだった。あの時のツキミはお雑煮に磯辺焼き、きなこ餅と食べ過ぎて、苦しそうに寝転んでいたっけ。
「何?人の顔見てニマニマして」
「別に」
「変態?」
「なぜそうなる」
「いやらしいこと考えてるのかな?と」
「考えてねーよ」
ふーん、と今度はツキミが寛の顔をみてニマニマし始める。こたつに顔を置いて、上目遣いでするその仕草は正直言って可愛い。
「あざといですよ、ツキミさん」
「へへー」
寛はもうずっとツキミのことが好きだった。物心ついた時には一緒にいたからいつから好きだったのかよくわからないが、意識しだした時のことははっきりと覚えている。
小学生五年生の頃、二人で映画『ウェディング・シンガー』を見た時だ。ツキミは母親の影響で昔から古いアメリカの映画や音楽が好きだった。この映画は一九八〇年代の音楽をふんだんに使った作品で、ツキミにとっては一度に二度美味しい映画だった。
寛はというと、アクション映画のほうが好みではあったが、ツキミの家の大きいテレビでスナック菓子とコーラを片手に映画を二人で見るのは最高に贅沢な時間だった。なので、なんでも楽しめたのだった。
映画自体はいわゆるラブコメディで、なんとなく気恥ずかしくなることもあったが、全体的に笑えて最後は幸せな気分にしてくれる、そんな良い映画だった。
自分もいつかあんな風に好きな人が出来て結婚するのだろうか?相手の幸せを一番に願って行動できるだろうか?
そんなことを考えていると、ツキミが横からじっと見ていることに気づいた。
「なに?」
「寛って好きな娘いるの?」
「はぁ?」
不意打ちな質問に驚いた。それにこういう話題を二人でするのは初めてで、みるみる内に自分の顔が紅潮していくのがわかった。
熱に浮かされて頭が勝手に暴走する。自分が誰かの幸せを願って、あの映画のヒロインのように隣で笑ってくれているとしたら、それは、
「別に!いないし!」
恐ろしい結論に到達しそうだったので、寛は無理やり思考をシャットダウンした。
「ふーん」
そんな寛の反応を見て、ツキミはニマニマとどこか満足そうに微笑むのだった。
その日の夜、寛の脳裏からはツキミのニマニマ笑いが離れなかった。あの心の中のすべてを見透かすような眼差し。それでいて慈愛を含んだ口元。まったく嫌な感じがしない。むしろ快ささえ感じてしまっていて寛は戸惑った。
次の日の朝、寛は寝不足だった。
通学路で、この感情は何なんだと繰り返し煩悶する。あの映画のヒロインは、健気で素直で、優しくて、決して意味ありげな笑顔などしない。そうだ!ああいう娘を好きになるべきだ。そうだ、そうしよう。それこそ幸せになる道だ。危うく邪悪な笑顔に惑わされ、ダークサイドに堕ちるところだった。ふぅ、闇の勢力はここまで力を伸ばしていたか、まさに一寸先は闇だな。
「おっはよー!」
「うわっ!」
耳元で突然大きな声で挨拶をされた。
犯人はツキミだった。
「あっはっは」
満足そうに今度は高笑いを上げている。
「お前なぁ」
寛が呆れているのも構わず、ツキミは手を伸ばした。
「学校行こ?」
口元には邪悪な慈愛のこもった笑み、目は寛の反応を見逃すまいと爛々と輝いている。
「言われずとも、行くわ」
寛はツキミの手を軽く叩くと、先に立って歩いた。そして観念した。
(あーあ、俺、コイツのこと好きだったみたい)
寛はいつの間にやら自分がダークサイドに堕ちていたことに気づいた。
今振り向けば、きっとすべてを見透かしたニマニマ笑いが見られることだろう。だが、せめてもの反抗として、それは我慢した。
「いやー、それにしても高校受かって良かったねー」
ツキミがテレビのチャンネルを変えながら言った。夕方のこの時間はだいたいどこもバラエティ番組をやっている。特に面白くはないが、笑い声は満載だった。
「うん。これでまた同じ学校行けるな」
寛はにっこりと笑った。最近では寛の方からも仕掛けるようになってきた。
「ストーカー?」
「ちがうわ!何だよ、嬉しくないのかよー」
寛が拗ねるようにいうと、
「嬉しいよ」
寛の目をまっすぐ見て、微笑むのだった。寛は恥ずかしくなって目をテレビに移した。
このように、仕掛けては簡単に打ち返されるのが常だった。
「あー、そういや、自殺薬もう見てみた?」
寛が話題を変える。
「んーん、まだ」
「俺はさっき見たよ。何かふつーの薬って感じでさ、現実感ないっていうか、変な感じだった」
「そっか、もうアカウント登録したんだねぇ」
どこか寂しそうな声音に、寛はツキミの方を向いた。
「わたしはちょっとまだ出来ないなぁ」
「何で?簡単だよ」
登録して薬を見るのに一分もかからなかった。スマホの調子でも悪いのだろうか。いずれにせよ、届いてから一ヶ月以内に登録しないと『セーブニッポン』のアカウントが凍結されてしまい、あらゆる面で不便を被ることになる。
「だって、怖いじゃない。それに、何だか悔しい」
「悔しい?悔しいって何が?」
「何で私達は死ぬことまで管理されなきゃいけないの?それも一方的に押し付けられて」
寛はそんなこと考えてもみなかったことに気づいた。確かにさっき少し怖いなと思った。けど、それは自殺薬がもたらす死に対してだ。
国から当然に送られてきたものだから、当然に受け取っただけだった。悔しさなど生じる隙間もなかった。
「それは、多分、みんなで決めたことだから」
寛は自信無さげに言った。実際自信はなかった。自分が今、すごくあやふやなものに立って喋っている気がした。
「みんなで決めたことだから仕方がないの?自分の命もみんなのためだったら、軽くなるの?わたしにとっては一個しかないのに?わたしは、わたしの命さえ自由にする権利はないのかな?」
ツキミは悲しそうに言った。
寛は何か言わなくちゃと思った。本当はこんな事言いたくもないのに、それに対する答えっぽいことはこれしか知らないから。
「それは、行き過ぎた個人主義だよ。みんなは国家のために何ができるか考えなくちゃならないって、偉い人達がよく言ってるじゃないか。憲法にも書いてあるだろう。学校でもよく言われるだろう。個人が好き勝手に権利を主張しすぎたら、世の中は悪くなる一方だよ。昔はそうだったって、習ったじゃないか」
テレビから大きな笑い声が上がった。
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