第2話 始まり2
中学卒業の義務教育課程終了とともに全国民に配布される自殺薬。約一〇年前に見舞われた世界恐慌で日本の社会保障システムは崩壊し、その代替品として提示されたのがこれだった。
当時の厚生労働大臣曰く、「人生一〇〇年時代、しかしそれはあまりにも長い道行きです。途中で疲れる方もいるでしょう。しかし、難渋なるは死には痛苦が伴うことであります。そこを解決するソリューションがこちらになります」。
もちろん社会保障費を圧縮したい一心のこの提案は、人道的に受け入れられるものではない。
しかし、これに反対したのは一部の良心的な国民のみであった。多くの国民は長引く不況に倦み疲れ、不満が溜まっていた。人間、貧すれば鈍するというが、また酷薄にもなる。
彼らの不満のはけ口は、当時国民の三割を占めていた高齢者に向けられた。高齢者のことをなんの生産性もなく、ただ国を食いつぶすだけの人々とみなした。また、無駄に資産を溜め込んでいるから、世の中に金が循環せず、新陳代謝が起こらないのだ。そうだ、これは新陳代謝アップを図るための一大社会政策であり、痛みを伴うのは仕方がない。高齢者には悪いが、国の未来のために死んでもらおう。
などといった身勝手な世論が横行し、一部の良心的な国民の声はあっさりとかき消された。それもそのはず。この世論は世界恐慌よりだいぶ前から醸成されていた。一般的な市民でさえ、高齢者は富を蓄えていると内心不満に思っていた。少し目を見開いて周りを見てみれば、富裕な高齢者などほんの一握りだけであるということはわかりそうなものであったが。
結果として、多くの高齢者が犠牲になった。いや、犠牲などという言葉でごまかしてはいけない。多くの高齢者が実際には家族によって殺されたのだった。
どういうことかといえば、不況の上に社会保障は崩壊し、貧困家庭が続出していた。さらには、家族の面倒は家族で見なければならないという新憲法の原則から、なおさら公的扶助は期待できず、辛い現実に世論も手伝って、寝たきりの高齢者が何故か自ら自殺薬を飲んで死亡したという事案が急増したのだった。政府のソリューションを読み解き、理解した国民が罪に問われる事はなかった。皆、共犯であった。
中には楢山節考を思い起こさせる悲壮さで自ら死を選ぶ高齢者もいた。まるで日本全体に姥捨て山が偏在していた。孤独へと追い込まれる高齢者には、唯一の正解としての自殺薬が提示された。
しかし皮肉なことには、総じて自殺薬を飲んだ高齢者は、資産など無い貧しい人々であった。積極的にせよ、消極的にせよ自殺薬に賛意を示した大衆に金が回ってくることはなかった。高齢者への社会保障費が削られたからといって、大衆への福祉など政府は露程も考えていなかった。潤ったのは一部の人々だけであった。そしてその人々は今もその恩恵を受け続けている。
自殺薬で死んだのは何も高齢者ばかりではなかった。障害者の人々や生活保護を受けざるを得なかった人々もまた生産性がないと断じられて、自殺薬を飲まされたり、飲まざるを得ない状況へと追い込まれた。
また、苦しい生活、希望の持てない未来に倦み疲れた人々から剥落するように服薬していった。
自殺薬の配布が始まってから実に三年で国民の約二割が亡くなった。その数は約二千五百万人以上。ジェノサイドだとヨーロッパを中心とした国際メディアや人権団体、国連は猛批判したが、国内メディアは不気味なほど静かだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます