第4話 恋愛の自由2
少しの沈黙の後、ツキミは言った。
「梶本さんのこと覚えてる?」
「梶本さん?梶本さんって、あの小学校の?」
「そう。あの毛深くていじめられていた梶本さん」
そうだった。確か小学三年生の頃にいた女の子。
「確か学級会で問題になったよね」
「うん。そう。けど、あの後もいじめはなくならなかった。それで二学期の途中に転校しちゃった」
「ああ、そうだったね。その後、担任の織田先生も辞めちゃったんだよね」
「そう。それで代わりに熊野先生になったよね」
「ああ、そうそう。いやー、アイツ最悪だったよな。すぐ殴るし」
「うん。嫌だったよね」
「すぐに勅語取り出すんだよな。お前たちは勅語に書いてあるとおり、友達を信じ合わないからだめなんだ、とか言ってたっけ」
「うん。でも、わたし、それは違うなって思うの。いきなり信じろなんて言われても、信じられるわけない。ちゃんと相手のことを見て、考えて、話して、知って。そういうことをしないと、わたしたちは信じ合えない。当たり前のことだけどね」
「うん、それはそうだね」
「でも、その当たり前のことが梶本さんに出来なかったなって、思うの。わたしたちは直接いじめたりしなかったけど、見て見ぬふりしてた」
「それは、確かに。でも、仕方ないよ」
「何で仕方ないと思うの?責めてるわけじゃないよ。わたしも同罪だし、責めれる立場にないし。ただ、そこに問題が隠されてるんじゃないかなって思うの」
「どういうこと?」
「わたしたちは怖かったんだと思うの。少なくともわたしはね。何が怖かったかというと、皆に嫌われて、今度はわたしが一人にされることが。でも、何でそれが怖かったんだろう?
秋家くんっているじゃない?」
「あのバドミントン部の?」
寛は気弱そうな、線の細くて色白な同級生の男子を思い浮かべた。確か二人と小学校も同じだった。
「そう。小学一年生の時、彼と同じクラスだったの。それで当時は結構ヤンチャな男の子だったんだけど、帰りの会で問題にされて、皆から罵詈雑言を浴びせられるっていうことがあったの。寛はクラス違ったから知らないだろうけど」
「へぇ、そんなことあったんだ。帰りの会怖えー」
「うん。秋家君は確かに少し乱暴者だったけど、でも中には仲のいい男子もいたと思うの。でも、その子からも悪口言われてた。もう、秋家くん、ボロ泣きでみんなに謝ってた。それから大人しくなっちゃって、傍目にも皆から嫌われないようビクビク行動してたのわかってね。わたし、怖くなっちゃった。その時の担任は小出水先生だったけど『どんなやつでも、みんなで囲んで悪口言ってみな。必ずやっつけられるよ』って、口癖のように言ってた」
「へー、それは、なかなかだね」
寛は小出水先生を思い出そうとした。確か顔が良くて、皆に人気のあった先生だった気がする。それがクラス内ではそんなことを言っていたとはちょっと驚きだった。
「うん。でも、その言葉通りのことって、実は小学校ではありきたりな出来事だったよね。多分、わたしだけじゃない。他の子も皆怖くなったと思う。悪口言ってた子もあとになってから怖くなったんじゃないかな。それからも度々同じような吊るし上げがあって、その度に怖くなった」
確かに、それと似たような出来事は寛にも覚えがあった。幼い記憶が呼び覚まされる。確かのど飴を舐めていただけで吊るし上げられた女の子もいた。今思うと、何であそこまでする必要があったのか不思議だった。
「きっとあれはメッセージだったんだと思う。もしも悪いことしたり、はみ出したりしたらこうなるぞ、っていう。人間の本能に訴えかけてくるような。集団から除け者にされる、排除されるのってすごく怖いことだと思うようにわたしたちは出来てるんだと思うの。同時に、強く刷り込まれもするの。自分はそうならないようにしようって」
「なるほど。なんか村八分みたいだよね」
勝手なイメージでしか無いが、寛はまるで昔の村社会のようだなと思った。老獪な村長が主導し、愚かな村人を煽動して吊るし上げる村人を選ぶのだ。そうすることによって、村は統制される。悪いことや掟に逆らったり、はみ出したりすれば、皆から袋叩きにされたり、爪弾きにされる。つまり、吊るし上げは村八分だ。
「昔っからあるやり方なんだろうね。
けど、それに気付かず、まんまとそのメッセージを受け取って慣らされてしまった小学三年生のわたしは、梶本さんに近付こうともしなかった」
ここで毛深くていじめられていた梶本さんの話に戻るのか。
「俺もツキミと同じだったな。ん?待てよ。この話の流れだと、いじめてた連中が吊るし上げられたって話じゃないの?実際いじめてた連中は立たされて、先生に怒られてたし」
いじめていた連中の顔が浮かぶ。サッカー部の人気者や学級委員長もいたっけ。
「うん。でも、それって吊し上げだった?彼らは村八分にされてた?いじめはその後も続いたじゃない」
「それは、確かに」
そういえばそうだった。少しの間、彼らはおとなしかったけど、また気づけば段々といじめは再開していた。
「彼らは先生に怒られた後に、その場限りでは謝ったけれども本当には反省しなかった。する必要がなかった。なぜなら、わたしたちも含めてみんな共犯だったから。わたしたちは多数派だったから。もしも梶本さんがみんなを嫌っても、そこにはなんの力も働かない。みんなが結果的に梶本さんを嫌ってしまっていたり、無関心だったからこそ力が働いたんだと思う」
だから、彼女はひとりきりのまま転校してしまったのだった。
「多数が少数を裁いて、罰することができる力があるってことをわたしたちは小さい頃に知った。まるで見せしめのように。でも、それは簡単に悪用されるものだった。先生が主導してたはずのものが、いつの間にか生徒の中で自主的に吊るし上げをするようになった。しかも、そこには正当な罪なんかない。罰だけがあるの」
「毛深いだけで悪って、なんだよな……」
「うん。けど、何でそういう事が起きるんだろう?それは罰の恐怖にとらわれて、罪についてきちんと考える、話す、知るといったことをしてこなかったからじゃないかな。なぜ悪いことか?それを見つめることが一番大事なことなのに、それをしなかった。悪いことをしたから罰があるのではなくて、なぜ悪いことなのか?それをまず考えなければいけなかった。だって、そうしないと何が悪くて、何が正しいかわからないじゃない。
罪への恐怖は少ないけど、罰への恐怖は過大。そういう状況で生活していると、次第に悪いことをしないようにしよう、というより罰を受けないようにしよう、つまり除外されない、ひとりきりにならないようにしよう、多数派でいようってそう強く思うようになっちゃうんじゃないかな。そして少数派でいることを恐れて、みんなの顔色を伺って空気を読むだとかをするようになっちゃう」
確かに、空気を読まないといつからか白眼視されるようになった。集団の中の誰かが誰かのことを嫌いといい、一人の同調者が出るとパンデミックのようにひろまっていく。小学生の頃に多く感じた、あの謎の同調圧力。それらは村八分にされるという恐怖が背景にあるのかもしれない。そして今では圧力さえ感じることなく、空気を読むことに慣れきってしまっているのかもしれない。
「ホントは梶本さんの痛みを想像しなきゃ、いけなかった。でも、そうは出来なかった。もしもわたしが梶本さんを助けていたら、今度はわたしがいじめられてたかもしれない。多数から疎外されて、攻撃されるのが怖かった。いじめは正しくないけど、罰への恐怖が刻まれてるから助けない。でもそれは自分のことしか考えていないってことだった」
罪について考えるということは、正しさについて考えるのと表裏だ。だから自分の罪について考えたことがない人は、自分の正しさについても考えたことがない人なわけで、それはとても危うい。
小さい頃に、罪について考えるよりも前に強い罰を目の当たりにする。すると、なぜ悪いのか?ということをすっとばしてしまうということがあるのではないか。ただただ罰への恐怖が過大となり、何が善で何が悪かわからなくなるということが。
またそれらを考え、正しいことがしたいと考えるようになっても実際にそう行動出来る人は圧倒的に少ない。なぜなら、自分が少数派になり、不条理にも罪もないのに罰を受けるのは嫌だからだ。村八分の恐怖はみんな最初に覚え込まされている。
だから無関心を装う人がほとんどで、それが積極的な加害者に好き勝手させる要因になっているのではないか。
「いじめを受けるということは、あらゆる権利を奪われるということだと思う。自由な発言権も、抵抗権も、孤独に追い込まれてそこに存在するという権利すらも奪われ、存在自体を否定される。それは集団の中で人間として生きる上で、もっとも辛いことだと思う。きっと、長時間過ごす学校で拠り所がなければ、生きている価値すら無いと思ってしまっても不思議じゃない。なら、無関心を装うことは梶本さんをいじめたのと同然で、やはりとても大きな罪なんじゃないか。今更だけど、そう思う」
「積極的にいじめる奴っていうのはなんで出てくるんだろうな?」
寛が言った。積極的な加害者であった連中も、吊るし上げ、村八分の恐怖はわかっていたはずだ。なのに、なぜか必ずいじめは発生する。たしかに罪について考えることが圧倒的に足りなかったのかもしれない。しかし、それは無関心を装っていた自分たちもそう変わらなかったはずだ。
彼らと自分たちは何が違って、積極的にいじめをするものとしないものとに別れたのだろう?まるで彼らは自分たちがいじめられることはないと自認しているかのようだった。
「ヒエラルキーの存在が大きいんじゃないかな。特権意識、自分たちは上位の存在だから、下のものには何してもいいなんて思ってたんじゃない?」
「罪深いねぇ」
「本人たちは無自覚だろうけどね。けど、本当は構造に問題がある気がするな」
「どゆこと?」
「構造って言うより、人間の性質かな?
この村八分システムは小学一年生の頃は先生が主導して、多数派に少数を裁かせるシステムだった。それが小学三年生になると、積極的にいじめてた連中が主導して使うようになった。
この村八分システム自体にも問題があったのはさっき言った通り。罰への恐怖が優先して罪への意識が働かないから、正しさのない多数派主義に陥ってしまう。仮に少数側が正しくても、潰されてしまう。また、悪用されて罪のない罰、つまりいじめが起きてしまいがち。
誰が主導するのか?それは先生だったり、ヒエラルキーの上位を自認する連中だね。どっちにしろ立場が横一線ではない、主導する立場の上位階級が村八分システムには必要みたい。
じゃあ、もしかしたら階級社会じゃなかったら、村八分もいじめも起こらないかも。じゃあなんで、階級化してしまうのだろう?
学校がそういう体制なのは、社会がそう望んでいるからでしょう。多くの生徒は会社員になるわけで、会社は上司と部下のある階級社会なわけだから」
「どうでもいいけど、なんか階級社会って言うと変な感じだな。上下関係が厳しいってのはわかるけど」
「上下関係が厳しいとかヒエラルキーとかって、階級社会をオブラートに包んだ物言いなだけだと思うな。だって、実際、そこら中に階級あるじゃない」
寛は学校や世間を思い浮かべた。確かに多くの人間関係は上下で成り立ってしまっている。それもその壁は容易に乗り越えられそうには見えなかった。それは望むと望まざるに関わらず、不思議な程自然に取り込まれてしまっているものだ。もちろん寛自身も含めて。人間関係が上下か横しかない以上、人間関係を拡張したものが社会だとすれば、なるほど自分は階級社会の中に居るのだなと思われた。
「確かにそうだったわ。続けて」
「うん。
そもそものところを考えると、人間は階級を作ってしまう、そういう性質を持っているんだと思う。
人間は肉体と精神で出来ている。それは猫も犬も一緒だけど、人間は言葉がある分、精神が不安定になりやすいんだと思う。言葉って、直接精神に働きかけるから。
だから、肉体だけではなく、安定しようとして精神も拠り所を必要とする。集団の中においては特に。そして拠り所を元にして存在価値を高めていく。足の速いものは体育の授業で頑張るし、プログラミングが得意なものはそこで頑張る。集団の中で生活することで、それらは物差しのような機能も持つ。そして、無意識の内に人は他人を上下に並べる。
いくつもの多様な物差しがあって、それらが認められて、いくつもの小さな多様な階級社会を作っていたりすることもある。これだといじめも比較的起こりにくい。今のわたし達のクラスなんて割とそうだよね。
いじめは恐らく一個の物差しが支配的になった社会で発生しやすいんだと思う。小学三年生の頃は『見た目』が支配的な物差しだった。その階級が下だったり、異端だったりすると、いじめの根拠になってしまう。勝手な根拠だけどね」
「なるほどねぇ、階級社会化は人が集団で暮らす内に自然と起きてしまう業のようなものなんだね」
「だと思う。だからって、じゃあ、村八分やいじめは仕方ないねっていうんじゃなくて、それにいかに自覚的でいられるか、客観視出来るかっていうのが重要なんじゃないかな。それが人間の成熟、社会の進歩なのかも。じゃないと、気付かない内に階級に取り込まれて、知らず知らずの内にまた同じ過ちを繰り返してしまいそう」
「確かに。でも、直接このシステムを意識的に使いこなすような人達がいたら、それはそれで怖いことだよね」
「怖いねー。なにか大きな目的のために集団を動かそうとして、一個の大きな物差しを用意する。それでわざと排除する弱い人々、いじめてもいい人を用意するんだね。そういうのもあるから、やっぱり注意して客観的でいないとね」
「先生がしっかりしてたらそういうことも起きないのかね?織田先生弱かったし」
強いリーダーシップのなかった織田先生が頭に浮かぶ。やる気があるんだかないんだかよくわからない先生だった。風のうわさでは、また他の学校で先生をしているらしい。
「そうは思わないな。だって、熊野先生が担任だったからって、今度は先生自体が生徒いじめてたじゃん」
そういえばそうだった。一見物腰柔らかそうな見た目をしており、校長やPTAへの外面は良かったが、生徒たちには暴君のように振る舞う熊野先生が思い起こされた。勅語を取り出し、「俺はお前らの親みたいなもんなんだから、命令には絶対服従だぞ!いいな!お前らに権利なんかねえ!俺が勅語だ!」そう子供みたいに吠えていたことはなかなか鮮烈な記憶だった。その上、露骨におもねる生徒や人気のある生徒には異様に甘く、自分の気に入らない生徒は率先していじめの対象としていたことを思い出す。この人先生なのに恥ずかしくないのかなと子供心に訝しんだものだった。
「それに良い先生にたまたま当たったとしても、すぐに他の先生になっちゃうんだし、やっぱり見て、考えて、話して、知ってっていうことを地道にみんながやらないとだめなんじゃないかな。じゃないと、例えどんなに立派なお題目があったとしても意味がないと思うな」
「うーん、楽な道はないねえ」
「そうだね。ところでさ」
「ん?」
「みんなが決めたことだから正しいって今でも思う?偉い人たちが言ってたからって正しいと思う?」
「え?」
寛は何でこんな話が始まったのかを思い出した。
みんなが決めたことなら仕方ない、行き過ぎた個人主義はよくないって偉い人たちが言ってた、などと受け売りの応えをしたからだった。
「あー、なるほど、繋がってましたか」
「はい、繋がってました」
ツキミは少し得意げだ。寛は大人しく両手を上げて降参した。
「確かに、みんなが決めれば必ず正しいなんて言えないよね。偉い人たちが言ってたからって言うのもそうだし、偉い人なんてそもそもいるのかな?って気もするよ」
すごい人はいるだろうが、偉い人というのは階級社会という虚像の中で付与される称号なわけで、本質的に偉いなんてことがあるのだろうかと寛は思った。現実には親から受け継いだ『偉い』だけで生きている人間もいるが。
見て、考えて、話して、知って、自覚的でなければその『偉い』に取り込まれてしまう。自分たちはそういう性質を持っている。
高学年になるに連れ、学級会で吊し上げなんてことはさすがに行われなくなっていくが、それはみんなに恐怖が行き渡って萎縮し、誰もが空気を読むようになった証拠だった。小学生から中学生に上がる時、何か世界が変わるのではと期待したが、多少複雑にはなったものの、なんて地続きの世界なんだろうと驚いた。きっと高校に行こうが、社会に出ようが基本原理は変わらないだろう。自覚的でなければ新たな階級社会に取り込まれる。そこは多数派主義はあっても民主主義はない世界だ。そこには正義がなくて、たとえ少数派が正しくても認めることはない。いつまでたっても村社会。まるで生贄のように村八分を求める。小学校の頃、生贄になったあの女の子のように。
「梶本さん、どうしてるかな」
寛はポツリとつぶやいた。それはツキミに話し掛けたのではなく、過去を想い、自然と漏れ出た言葉だった。
「今度会いに行こっか。実はこの前、駅前でばったり会って、連絡先交換したんだ」
「そうなの?」
「うん。元気そうだったよ。というか、ギャルになってて、可愛かった」
「はは、そっか。うん、そうしよっか。でも、ちょっと、偽善っぽいかな?」
「かもね。けど、そこは彼女に任せよう。とにかく話してみることが一番大事なことだと思うから。そうしないと、何も始まらないし」
「そうだね」
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