第26話 置いて逝くなんて許さないから
木陰君を殺し私は生き残るか、拳銃を所持した佐藤義樹に無謀な勝負を挑み2人とも死ぬか。
私は今、命の選択を迫られていた。
そして私は愚かにも、選択を迷っていた。
それにしても不思議なものだ。ほんの3日前までなら、私は迷うことなく死ぬことを選んでいただろう。
しかしこの逃走を通じて、私は生きることの喜びを知ってしまった。将来こんなことができたら良いのにという目標ができた。
だからできれば死にたくなんかない。
でも・・・結局こんな展開になるんだったら、こんな思い知らなければよかった。
心の奥深くからヘドロのような暗い感情が溢れ、胸いっぱいに広がっていく。
神様、これが私への罰なんですか。あの時死ぬことができなかった私への。
どうしようもなくなって、木陰君を見つめる。
私は此の期に及んでまだ木陰君に助けを求めている、哀れなものだ。
その時、私の期待に応えるように木陰君が膝に手をつきながら、ヨロヨロと立ち上がった。
私はヒーローの復活に一瞬歓喜した。しかしその顔は苦悶に満ちていて、なぜだか私に明確に死を連想させた。
「ゴホゴホッ、日向ちゃん。僕が囮になるから、逃げるんだ。」
木陰君は咳き込みながらそう言うと、私の前に立ちふさがった。
その姿はまさに満身創痍。
呼吸は荒く、息も絶え絶え。蹴られた脇腹が痛むのか、右手で支えている。
撃たれと足は出血が止まっておらず、赤い鮮血がとめどなく流れている。
でも眼差しは死んでいない。
眼差しの奥深くから垣間見える強い意志の光が、佐藤義樹を貫いている。
私は、その後ろ姿を見つめていると、なぜだかわからないが、とめどなく涙が溢れ出てくる。
彼にここまでさせて、私は一体何を悩んでいるんだろう。
ここまできたら一蓮托生だ。
ぎゅっと両手の拳を握りしめた。
「何言ってるんですか。私たちはもう運命共同体でしょう。逝くのならば、一緒に逝きましょうよ。」
しかし木陰君は違うんだと言わんばかりに首を横に振りながら、私に言う。
「よく聞くんだ、日向ちゃん。僕はもう・・・長くはない。」
「長くはないって・・・、足を撃たれただけなんでしょう。」
木陰君は静かに首を横に振る。
「ちょっとジャージの裾をめくってくれないかい。」
私は木陰君の言われた通りに右手のジャージの裾をめくった。
そこには何かにぶつけた後のような青あざが無数に存在した。
「僕はね、黙っていたけど新型のウイルスの感染症に罹患しているようなんだよ。そしてそのウイルスの影響で身体中の血小板が消費されて、血が固まらないんだ。だからちょっとぶつけただけでも簡単に内出血を起こして青あざができるのさ。そして撃たれたところを見てごらん、出血が止まっていないだろう。きっとそう遠くない未来には出血多量で死んじゃってるよ。もう僕は死人も同然なのさ。だから今こそ僕のお願いを聞いてくれないかな。後ろを振り返らないで、前だけ見て進むんだ。」
木陰君が力のない笑みを向ける。
そんな・・・木陰君が死ぬ?
全身を虚脱感が襲い、目の前が真っ暗になる。
気づけば、私は底の見えない暗闇の中を落下していた。
光が全く存在しない完全な暗闇。私は目を開けているのか閉じているのかさえわからない。体は動くのだろうかと、試しに体を動かしてみると、体を動かしている感覚はあるが、全ての動作が空を切る。
何かないものかと周りを見渡す。
すると暗闇の中に、ガラスの欠片のようなものが一緒に落下していることに気づく。光が全く存在しないはずなのに、そのガラスの欠片だけははっきりと認識できる。
なんとか手を伸ばして、ガラスの欠片に触れると、突然辺りが眩ゆい光に包まれた。そして、私の頭の中に木陰君と過ごした3日間の思い出が激流の如く勢いで流れ込んできた。
木陰君は雨が降りしきる中、一緒に逃走しようと手を差し伸べてくれた。
あのときは木陰君のことを、弱り切った魂を食いにきた悪魔だと思った。
木陰君は私のスマートフォンを変態に差し出したこともあった。
納得のいく理由だったけど、殺意が湧いた。
木陰君は性別逆転デートがしたいとか言って女装していた。
やっぱりこの人は変態なんだと思った。
木陰君は私を守るためにチンピラの親玉にタイマンを挑んだ。
正義感溢れる眼差しを少しかっこいいと思った。
木陰君は私の話を聞いて涙を流してくれた。
私のことを理解してくれた世界で初めての人だった。
木陰君は女性の命を救ったこともあった。
その知識と実践力に尊敬の念を抱いた。
たった数日の出来事のはずなのに、たくさんの思い出が間欠泉のごとく勢いで吹き出してくる。そして私は理解する。
ああ、私はやっぱり木陰君のことを好きになってしまったんだね。
もう君なしの人生なんて考えられないや。
もっともっと君と一緒に素敵な未来を作って生きたいな。
だから、木陰君。
私を置いて逝こうなんて許さないから。
記憶の欠片にピシピシとヒビが入り、砕け散った。
目の前の現実に引き戻される。
もう大丈夫。
心なしか先ほどよりも視界が広い。
苦しげな表情を浮かべる木陰君、にこやかな笑みを浮かべる佐藤義樹、無念な表情を浮かべる物言わぬ死体、眼に映る全ての光景が寸分の狂いなくはっきりと見える。
私はふらふらの状態で私をかばう木陰君のジャージの首根っこを掴み、こちらに思い切り引き寄せることでバランスを崩させて、腰に手を添えて、地面に優しく倒した。
「?!!?日向ちゃん、何を!!」
私は慌てた表情の木陰君の口元に人差し指を添えて黙らせる。肉厚な唇の感触が少し艶かしい。
そして安心させるようににっこりと微笑む。
木陰君はそんな私を今にも泣きだしそうな目で見つめている。
その目は本気で私を心配しているのがわかるので愛おしさで胸が一杯になる。
今度は私が君を守るから、そっと耳元に呟いた。
さてと・・・まずは障害物を取り除かないとね。
私はパーンと自分の頬を一回叩いた。
全身をアドレナリンが一気に駆け巡る。
心拍数が上がり、身体中から汗が噴き出してくる。
どくどくと激しく波打つ心音が私の胸を覆っていた恐怖の感情を溶かしていく。
後に残ったのは一点の曇りのない殺意。
私は銃口をこちらに向けている青年にとびきりの笑顔を向けた。
こいつはたくさんの人間を殺した。
こいつは私の大切な木陰君を殺そうとしている。
そして、こいつは私さえも殺そうとしている。
私を傷つけようとするものは・・・殺さないとね。
私はポケットから鋭利なナイフを取り出し、切っ先を青年に向けた。
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