第24話 後悔


私はトイレに行くと言い残して去っていった木陰君の帰りを飲屋街のカラオケ店の前で待っていた。

すでに時間は15分ほど経過しており、ガヤガヤとした周りの喧騒に1人取り残された私は少し居心地の悪さを感じる。

木陰君はトイレが見つからないのか、はたまた迷子になってしまったか一向に姿を現さない。もしかして何か良からぬことに巻き込まれてしまったのだろうか。

不安な気持ちが胸の中で渦巻いていく。


そんな気持ちを紛らわすように、ぎゅっと目をつぶる。

脳裏上に思い浮かぶのは木陰君の眼差しだった。


チンピラの親玉を睨みつける憤怒の眼差し

ジョークで私を笑わせてくれた愉快な眼差し

倒れた私を心配する憂わしげな眼差し

花火の夜に見せた私を労わる哀絶の眼差し

心筋梗塞で倒れた女性を助けると決意した正義感溢れる強い眼差し


そして、この世界で唯一私をまっすぐと見つめる澄んだ眼差し

その眼差しは、誰かが私を見つめてくれる喜びを教えてくれた。

もう私を1人にしないで。

両手を体の前でぎゅっと握りしめた。




数分後、木陰君は人混みをかき分けながら、私の元に駆け寄ってきた。

不安な思いは、氷解して雪解け水のように流れ去っていく。

いつの間に彼の存在が私の中でこれほどまでに大きなものとなっていたのだろうか。


「ごめん、日向ちゃん。待った?」


謝罪の言葉とともに、木陰君が爽やかな笑みを私に向ける。

それはいつもと何1つ変わらない笑み。

だけどその笑みが、なぜだかわからないが少し無理をしているように感じた。

まるで何か大事なことを隠すように。

私は何かあったのかと口を開きかけたが、それを聞いてしまうとなぜだか木陰君が遠くに行ってしまう気がしてとっさに別の内容を口にした。


「15分は待ちましたよ!もう心配させないでくださいよ。早くカラオケ店に入りましょう!」


私は木陰君から感じた違和を頭の隅に追いやり、自動ドアをくぐり、カラオケ店内に入った。



カラオケの受付は2階にあるようで、1階のフロアーには2階につながる階段とエレベーターがポツンとあるのみであった。そして1階のフロアーには人が誰もおらず、妙な静けさが場を包み込んでいる。

私はその静けさに少し違和を感じながら、階段へと歩を進める。

階段は折り返し型のため、受付がある2階のフロアーの様子は1階からはうかがい知ることができない。

私は妙な静けさと先が見えないことに少し不安に感じながら、階段を登る。

コツコツコツという無機質な足音のみが階段に響く。



異変に気付いたのは、階段の踊り場が2、3歩先に差し迫った時だった。

唐突にムッとした鉄臭い匂いが鼻をかすめる。

私は思わずうっとつぶやき、その場に立ち止まる。

今のはまさか・・・血の匂い?

・・・いや、まさかな。この先にあるのはカラオケ店だ、血気盛んなヤクザどものアジトがあるわけではない。


階段の途中で急に立ち止まった私を不審に思った木陰君が、どうかしたのかと私に声を掛ける。

木陰君はどうやら先ほどの匂いに気付いていないようだ。

やはり私の勘違いだったのだろうか。


私は確認のために、もう一度すんすんとあたりの匂いを嗅ぐが、もう先ほどの鉄臭い匂いはしない。

だから私は木陰君になんでもないと返答して、足音を殺して、さっきよりもゆっくりとしたスピードで階段を登り始めた。


しかし、階段の踊り場を折り返した時に、先ほどよりも強烈な異臭が私の鼻を抉る。

あまりの異臭に私はゴホゴホと咳き込む。

やはり先ほどの匂いは勘違いではなかった。


突然咳き込んだ私を心配した木陰君が私に尋ねる。

「ねえ、大丈夫?さっきから挙動不審だよ。」


私は木陰君がなぜこの異臭に気付いていないのか疑問に思いながら、匂いのことについて木陰君に話す。

「この先から、鉄臭い匂いがします。なんだか嫌な予感がします。」


それを聞いた木陰君は少し慌てたそぶりを見せて答える。

「ホントに?僕は少し鼻が詰まっているから、匂いがあまりしないんだ。でもそれはおかしいね。僕が様子を見てくるよ。日向ちゃんはちょっとここで待ってて。」

木陰君はそう言って、さっさと階段を登り、横開きのドアを開けて受付のある部屋へと入っていく。

私はそんな木陰君を止めようと思ったが、舌がもつれてうまく言葉を発せなかった。

だから不安な心持ちで見送ることしかできなかった。




そしてその判断を私は悔いた。



突然2階にある受付の方からドンドンッ!!!という2発の破裂音が聞こえ、その後にどさっと何かが倒れたような鈍い音が聞こえた。


私はいても立ってもいられなくなって、第六感が大音量で警笛を鳴らしているのを無視して、階段を駆け上がった。

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