第21話 前だけ見て進め

高齢の女性の救命に成功した私と木陰君は、詳しい状況を説明するために救急車に乗って近くの病院に来ていた。


倒れた女性は精密検査の結果、木陰君の予想通り、急性心筋梗塞だったと判明した。現在は薬物による治療が行われている。


状況を説明した私たちは担当の医者に、「君たちの適切な応急処置がなかったらこの人は間違いなく死んでいたよ。」と最大級のお褒めの言葉をいただいた。

そして現在、私たちはさらに、倒れた女性の夫である椎名弁達さんにこれでもかという程褒めちぎられていた。

間違いなく私は今、人生で一番自尊心を養っている。

ちょー気持ちいい。


「この度は妻の命を救っていただき本当にありがとうございます。あなた方にはもう何と感謝したら良いのか。やっと定年を迎え、これから妻と目一杯旅行に行って老後を楽しもうと思っていた矢先のことでしたから。」


そうですよねえ、そうですよねえ!私たちがいなかったら、あなた1人で寂しい老後生活を送っていましたよねえ。絶対数年以内に孤独死していましたよ。

さあっ、救世主様である私をもっと褒め称えよ!

普段くすぶり続けていた私の自尊心がここぞとばかりに存在感を主張する。


しかし、そんな私の邪な心の声を知ってか知らでか木陰君は「いえいえ。人として当然のことをしたまでですよ。これからはお気をつけてください。それじゃ、僕たちはこれで。」と淡白にそう言って私の手を引いてこの場をさろうとする。


しかし、それを慌てた様子で椎名弁達さんが引き止める。


「お待ちください!せめて何かお礼をさせてください。妻も命の恩人に一言お礼を言いたいと思いますので。」


そうです!もっと褒めてもらいましょうよ!こんな機会2度とないですよ。


「僕たちは急ぎの旅の途中なのです。ここで立ち止まっているわけにはいかないのです。もし僕たちに対して何かお礼をしようと思うのならば、その思いを別の誰か困っている人を助けるために使ってください。そして、その人からお礼がしたいと言われたら、僕と同じように言ってあげてください。そうして助け合いの輪を広げていきましょう。」


私は一瞬木陰君の背後から後光が差すのを幻視した。

何と言うイケメンな発言。褒めて褒めて!と連呼していた私とはえらい違いです。

そして椎名弁達さんはそんな木陰君をまるで慈悲深い聖女でも見るかのような尊敬の眼差しで見つめる。

木陰君の崇拝者がまた1人増えてしまったようです。


「そんな・・・。ならば、せめてこれを。」


そう言って椎名弁達は名刺を2枚取り出した。

その名刺には椎名法律事務所と記載されている。


「私は定年で退職しましたが、元は弁護士なのです。旅路で何かお困りごとがあればここに電話をお掛けください。私が精一杯対応しますので。」


木陰君はそれを見て不敵に笑い、快く受け取った。


「ありがとうございます。何かトラブルがあったら連絡しますね。覚悟しておいてください。」


その言葉を最後に、私たちは颯爽と病院を後にした。

自転車を止めたビーチまでは徒歩で30分もかかったが、気分が高揚しており疲れはなかった。

私たちは、夕焼けが海を茜色に染める中、自転車に乗って東に進み始めた。



その道中、私は興奮が抑えきれずに、鼻息を荒くして木陰君に話しかける。


「木陰君、人の役に立つってすんごい気持ちの良いものですね。私、久しぶりに自尊心を大いに刺激されてもう大満足です!もしこんなことになっていなかったのなら、お医者さんのような人の役に立つ仕事がしたかったです。」


木陰君は涼しげな表情で答える。

「それは良かったね。偉大な僕に感謝してね。僕も君にやりたいことができて嬉しいよ。何だか子を持つ親の気持ちがわかった気がする。」


子供扱いされたことは気にくわないが、私はさらに調子に乗る。

「はい!木陰君さまさまです!今、私の木陰君への好感度は青天井で登り続けていますよ。今なら木陰君の言うことを1つ何でも聞いてあげますよ!何でも!」


木陰君は真剣な表情で「何でもか・・・。」と呟き、数秒間、茜色に染まった海を眺めながら考え事をし、やがて真剣味を増した表情で私に向き直る。


「それじゃあ、1つお願いするよ。日向ちゃん。

これから先何があっても絶対に後ろを振り返ってはいけないよ。

君は前だけ見て歩き続けるんだよ。それが君への僕のお願いかな。」


?千と千尋の神隠しのハクの最後のセリフみたいです。

そして意味がよくわかりません。

・・・と言うか私に魅力はないんでしょうか。もっと自分の内なる欲求をさらけ出したハードなお願いでも全然良いのですが。


「そんなことで良いんですか?もっとディープなことお願いしちゃっても良いんですよ。木陰君は無欲なんですね。男の子ならもっとガツガツしてても良いのに。」


「ハハッ、僕の好みは金髪で巨乳のお姉さんだと言ったろう。君には手を出す気はさらさらないのさ。」


木陰君は爽やかな笑みを浮かべながら私を軽くあしらう。

私は少しむくれながらも、それが私の過去を知って、気遣ってのことだとわかっているので何も言わない。




海を見渡すことができる道を抜け、やがてシンプルな町が見えてきた。今日はこの先のカラオケ店に泊まる予定だ。


久しぶりのカラオケだ。

J-POP、アニソン、プロ野球の応援歌なんでも歌ってしまおう。

それで気分が上がってきたら、お酒を注文して、2人で飲み明かすのだ。

そしたら、木陰君が言いにくそうにしていた彼の過去とかも聞き出してやろう。

私だけ暴露しているなんて不公平だからね!

彼が飲酒を拒否したら?その時は焼酎の水割りを水だよ!と言って飲ませてやろう。デュフフフ・・・やばい考えてたら楽しくなってきた。


私はこんな日常が毎日続くんだとばかりに、どうしようもないバカなことばかり考えていた。







彼の考えていることなどつゆ知らずに。









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物語は最終局面へ



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