第17話 花火!
8月2日、時間は19時15分。私たちは未だに播磨のラピュタこと石の宝殿がある山の頂上にいた。
完全に陽は沈み、あたりは真っ暗で私たち以外に人影はない。時折ジリリリとキリギリスの鳴き声が聞こえるが、基本的に静寂のみがこの場を支配している。
私と木陰君は隣り合うようにベンチに座って、頭上を覆い尽くす燦然と輝く無数の星々と眼下に広がる街の夜景を眺めていた。
お互いの距離はジャージの裾が軽く触れ合うぐらい近く、心臓の音がうるさい。
山頂の夜風はひんやりとしているのに、背中からはとめどなく汗が流れ落ちている気がする。そして喉が異常に乾く。
たまらなくなってアクエリアスをぐいっと飲む。
ひょっとして私は・・・木陰君を意識している?
・・・いや違う、私の心臓側に木陰君が座っているから心臓を守ろうとする防衛本能が働いているのか。そうにちがいない!
さて、私たちがなぜ今だに山の上にいるのかと言うと、花火を見るためである。
今日はここから距離にして5kmほど離れたところにある兵庫県で最大流域面積を誇る加古川で花火大会が行われるのだ。
花火大会が行われるのは19時30分。あと15分もしないうちに夜空は美しい花火で彩られるであろう。
私たちは静かにその時が来るのを待っていた。
隣をちらと見ると暗くてよく見えないが、私と距離が近いにもかかわらず木陰君は平然としているように感じる。
私はこんなにも防衛本能が働きドキドキしているのに良い気なもんだと思っていると、突然腰に手を回され、ぐいっと身体を彼の方に引き寄せられた。
突然私と木陰君を隔てる距離がゼロになり、肌と肌が密着する。
驚愕のあまり体が一瞬びくりと震え、息が詰まる。
鼓動が激しさを増していく。
私は身体を強張らせて、ぎゅっと目を瞑った。
しかし遅れてやってきたのは頭を伝う優しい感触だった。
木陰君は赤子を撫でる母親のような手つきで、無言で私の頭をゆっくりと撫でていた。
そして誠に不本意ながら、それが妙に心地よくて、私の体の緊張が風船に穴を開けたように緩んでいく。
そして体の緊張が完全に緩み切った時、私は体重を木陰君に預けた。
その時、パーンと乾いた音と共に夜空一面に何種類もの煌びやかな花が咲いた。
静寂と暗闇に包まれていた空間に一瞬光が差し込む。
木陰君は優しい表情をしていた。
夜空に咲いた花が枯れ、この場を再び深い闇が包み込んでいた。
私はずっと木陰君に体重を預けていたが、話がしたいと思い、名残惜しげにそっと離れた。
「ありがとうございます。」
まずは一言そう呟いた。
「どういたしまして。」
少し間が空いて、彼も一言ポツリと呟く。
そして、再び感謝の思いを伝える。
「私、この旅が始まるまでずっと人間なんて信用してはいけないと思っていました。でも、チンピラから守ってくれた小口、倒れた私を無償で手当てしてくれた太田さん、そしてこの逃避行に連れ出してくれた木陰君。この世界には少しは信じてみてもいいと思える人がいるという事実に気がつきました。本当にありがとうございます。」
木陰君は照れ臭そうに頬をぽりぽりかきながら再び「どういたしまして」と言った。しかしすぐに顔を引き締めて真面目な表情私に言った。
「この機会に1つ聞きたいことがあるんだけど良いかな。」
私は黙って首を縦に振る。
「君は今、人間なんて信用してはいけないと言っていたよね。そして僕の記憶が正しければ、君はクラスでもいつも1人でいた。他者との関わりを積極的に避けていた。その理由を聞いても良いかな。」
それは私が最も触れて欲しくないこと、心の奥深くに鍵を閉めて、ずっと仕舞い込んでおきたかったこと。
しかし暗闇が私の理性を狂わせる。
私は彼になら打ち明けても良いかなと思った。
そして私は語り始める、泥まみれの私の過去を。
「少し長い話になりますが聞いてくださいね。
あれは、私が中学2年生の時でした––––––––––––」
全てが狂い始めたのは私が中学2年生の時だった。
それまでは優しい父親と慈愛溢れる母親に囲まれて暮らす普通の女の子だった。
変化があったのは父親が偶然受けたガンのスクリーニング検査で陽性の判定を受けたときだった。
膵臓癌だった。
日本の癌の平均五年生存率は50%を超えているが、膵臓癌の五年生存率は10%を下回る。そんな最も予後の悪い癌に父親は罹患してしまった。
そして残酷なことにすでに父親のガンの進行度はStage IV (5段階あるうちで一番進行している状態)だった。医者は完全な切除は不可能と判定し、父は化学放射線療法を受けることになった。
しかし、化学放射線治療の結果は芳しくなく、日に日に父の容態は悪化していった。
癌の驚くほどの進行の速さ、さらに血行性に肝臓に転移したことで担当の医者は早々に匙を投げて、終末期医療を私たちに勧めた。
それでも、父をこよなく愛していた母は諦めなかった。
陽子線治療、免疫療法、食事療法などの様々な治療法を探してきて父に受けさせた。
結果は言わずもがな。悪化の一途だった。
この頃には悪液質がたまり、父は寝たきりになっていた。
そして父の病状が悪化するとともに、母も心身ともに衰弱していった。
追い詰められた人間が最後に手を出すのはやはり宗教であった。
母は狂ったように神に拝み続けた。毎日10時間以上。
そしてその頃から我が家に変なものが増え始めた。
白い袴のような宗教服、魔除け払いの大麻、謎の形状をした破魔矢、複雑な文様が描かれた仏旗など挙げれば枚挙にいとまがない。
母は一体これらの仏具をどこから手に入れているのだろうか。
私は母がだんだんおかしくなっていることに気がついてはいたが、それを指摘すると母が壊れてしまいそうで結局私は何も言わなかった。
そしてその判断が私に悲劇をもたらす。
私がいつものように中学校から帰ってくると、家に白い袴のような宗教服を着た怪しい男の人が何人か来ていた。
その中の一番上等な服を着た男が私を舐めまわすように見て言った。
「おお、これがあなたの娘か。美しい。」
それに対して私の母は「はい。そうです。全身から若さがにじみ出ているでしょう?なんたって14歳ですから。司祭様、この子でどうでしょうか。」と答えた。
「素晴らしい!素晴らしい!若さ溢れる肉体!それこそ私が求めているものだ!今までのツケはこの子で許してあげよう。」
私は不穏な会話に嫌な予感がし、すぐさま逃げ出そうとした。しかし司祭と呼ばれた男の部下に拘束される。
私はたまらず「助けて!お母さん!」と叫んだ。
これは何かの間違いだ、優しかった母が私をひどい目に合わせるわけがないと心の中でも無意味な叫び声をあげる。
しかし、そんな心の叫びに耳を貸すものなど誰もいない。
「お父さんが良くなるためよ!あなたも我慢しなさい!」
そして私は母に売られた。私が物語のヒロインだったらかっこいいヒーローが登場して私を助けてくれたのだろうか。果たして助けは来なかった。
今となってはヴァージニアなんて私の体のどこを探しても見つからないだろう。
その後私は母から逃げるように叔父さんの家で暮らすようになった。もう何もかもどうでもよかった。
そして私が中学3年生になったときに、警察によって謎の宗教団体は完全に解体された。母は宗教団体の幹部になっていたようで逮捕され全国ニュースでその顔を白日の下に晒した。気づけば父は死んでいた。涙は出なかった。
それからは世間全体が私の敵だった。学校ではみんなが消えろ、死んでしまえ、無駄な存在だと私を罵った。最初は優しかったおじさんもだんだん私の存在を厭うようになった。
そして気づいたときには私は人間を嫌いになっていた。
誰もが私を傷つけるような気がした。
私は人と関わらなくなった。
全てを聞き終えたとき、木陰君は涙を流しながら、そっと私を抱きしめてくれた。
優しいぬくもりを感じた。
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