第15話 将来の夢
涙で顔を濡らしながら少年がポツリポツリとことのあらましを私たちに伝える。
その内容を要約すると次のようになる。
・男の子たちは公園の隣にあるフェンスの低い狭いグラウンドで野球の練習をしていた。
・運悪く、男の子の打ったボールがグラウンドに隣接していた家に飛び込んでしまった。
・ボールを取ろうとその家に無断!?で侵入したところ、家の人に見つかり、捕縛。
・めちゃくちゃに叱られた挙句グローブ、ボールそしてバットを没収されてしまった。
・私たちにはグローブ、ボール、バットを取り返すのを手伝ってほしいとのこと。
非常にくだらない理由で、なおかつ自業自得であった。
これは私たちがどうこうできる問題じゃないですね。本人たちに任せるのが一番良さそうです。
「というか、なんで無断で侵入するんですか。明らかに不法侵入ですよ。通報されていたらあなたたち逮捕されていたかもしれないですよ。むしろ、その家の人が温情のある優しい人だから、グローブやらバットやらを没収されたぐらいで済んでいるんだと思いますよ。」
私がそう言うと、男の子はバツの悪そうな表情で呟いた。
「その・・・俺達何度もこの家にボールぶつけてて、その度に勝手に入ってボールを回収していたからさ。今更インターフォン鳴らしてボールを取らせてくださいっていうのも気が引けて・・・。」
「もう弁解できませんね。ギルティーです。というかそれならなんでこんな家が隣接しているような狭いグラウンドで野球なんてやっているんですか。あなた達野球部でしょう。もう十分部活で練習しているんじゃありませんの。」
「違うんだ。俺たち野球部に入っていないんだ。それに俺たちの使えるグラウンドはもうここしかないんだ。他に使えそうなグラウンドがこの近くにあるんだけど、そこはいつもサッカーの連中が使っているからさ。」
「はあ?野球がここでしかできない理由はわかりましたけど、あなた達は野球部じゃないんですね。それならば野球の練習なんて何でしているんですか。」
私がそう言うと、野球少年たちは私をキッと鋭い目つきで睨みつけた。
「俺たちには夢がある!同じ高校の野球部に入ってバッテリーを組んで甲子園に行くという。だから、それまでの間、俺たちは2人で練習するしかないんだ。」
「いや、じゃあなんで中学では野球部に入っていないんですか。高校野球がしたいのなら野球部に入って練習したら良いじゃないですか。あなた達言っていること矛盾していますよ。」
「それができていたら苦労していないよ!それができなかったからこうして2人で練習しているんだよ!俺たちの中学に野球部はないんだよ!!」
私と男の子との舌戦はヒートアップしていく。それを見かねた木陰君が私たちの間に割って入って言いました。
「なるほど。事情はわかったよ。ええと、要するに君たちはバットやグローブを取り返したいんだね。それならば、僕たちに任せてくれ。一緒に謝りに行ってあげよう。」
男の子2人が慈悲深い天使を見るような眼差しで木陰君を見つめる。
私は頭の思考回路がブチっとキレそうになるのをなんとか我慢して木陰君に向かって言った。
「どう考えても自業自得ですよ。なんで手助けなんてするんですか。そんなの私たちになんの利益もないですよ。」
だが言った後に気づく。それは私と木陰君にも当てはまる。
巨大なブーメランが私の胸を深々とえぐる。
「確かに男の子達がボールを家にぶつけたり、不法侵入したことは悪いことだ。でも僕は思うんだよね。どんな悪人でも罪を悔い改めたならさ、一度はやり直す機会が与えられてもいいんじゃないかってね。とても甘い考えかもしれないけどね。でもこれが僕の正義だから。」
なんだか、私を説得するセリフのはずなのに、私を慰めてくれたような気がする。
「わかりました。手伝ってあげますよ。はあ。」
そうこなくっちゃと木陰君は私に向かってサムズアップした。
私たちは木陰君の「謝罪は午前中にすると許してもらいやすくなるんだよ。」という言葉に従って、いそいそと4人揃って野球少年たちのグローブ、ボール、バットを没収した人の家の前に行きました。
ちなみに私たちは大学生で、彼らの姉と兄という設定です。
インターフォンを鳴らし、野球少年たちが謝りに来たと伝えると、四角い顔の口髭を生やしたおじいさんが出て来ました。
「何しにきた。わしは保護者を連れて来いと言ったんだぞ。帰れ。」
目を細め、冷たくおじいさんが言い放つ。
それを聞いて、私は右手を顔の前で左右に振りながら、慌てて弁解する。
「すみません。今は両親が出かけていまして、私たちが彼らの責任者として来ました。あの、この折はうちの弟が迷惑をおかけして本当にすみませんでした。」
そう言ってぺこりと頭を下げた。私を見習って他の3人も慌てて頭を下げた。
それを見たおじいさんは、おほんと一回咳払いをして、私たちに返答した。
「ふん。まあ、謝罪は認めてやろう。ではこれからはどうする気じゃ。」
おじいさんが鋭い目つきで私を睨め付ける。
私がどう言ったら良いか分からずあたふたしていると、それを見た木陰君がおじいさんに言いました。
「これからは・・・もうこの愚弟にはここで2度と野球をさせないと誓わせます。もう2度とおじいさんには迷惑をかけません。」
それを聞いた野球少年たちの顔がえっと驚いた顔をする。
その顔を見て厳しい顔でおじいさんが告げる。
「お嬢さんがそう言ってもなあ。そちらのバカ2人が約束を守るとは思えんよ。なんせ、何度も不法侵入されておるからのぉ。お嬢さんはそこのバカ2人がここで2度と野球をしないと証明できるかい。」
「はい。なのでこれを受け取ってください。」
そう言って、木陰君は鞄から見覚えのある茶色の封筒を取り出しました。
おじいさんはそれを受け取って、中身を確認する。
「なっ!何じゃこれは!」
そこには1万円札が数十枚入っている。
私はそれを見てぎょっとする。
それ、私たちの逃走資金じゃないですか。元はあなたの母親のへそくりですけど。それを渡してしまって、一体これからどうする気なのでしょうか。
野球少年たちもそれを見て顔面蒼白です。そりゃあ見ず知らずの人に数十万もの大金を払わせているんですから当然ですよね。
「これは今までのお詫びです。もちろん私と彼がバイトで貯めたお金です。受け取ってください。そしてこれは私たちの覚悟です。信じてください、絶対にこれから先にここで彼らに野球はさせません。」
おじいさんは木陰君の顔をじっと見つめ、やがて諦めたように呟いた。
「・・・お嬢さんの覚悟はわかったよ。わしもそこまで鬼じゃない。おい!そこのバカ2人!お前さん達は弟思いの良い姉と兄を持ったことに感謝するんじゃな。
今回のことは許す。その代わり、次にお主らがここで野球をしているのを見かけたら、わしはお主らを通報する。あとお嬢さんとそこのお兄さんの貯めた大切な金はいらんよ。わしはこれでも小金持ちじゃしな。」
そう言うと、おじいさんは渡された封筒を木陰君に返しました。そしておじいさんは家の方に歩いて行って、野球少年たちのグローブ、バット、ボールを取って来て、彼らに返しました。
おじいさんが家に戻った後、野球少年たちが木陰君に言いました。
「お姉さん。この度は本当にありがとうございます。ただ・・・。」
「わかってる。君たちは高校野球を目指しているのに野球の練習ができない。じゃあどうしたら良いかだったね。それなら僕に考えがある。君たちの中学には陸上部はあるのかい。」
少年は質問の意味がわからないといった様子で首を傾げながら答える。
「はい。あります。」
木陰君はその答えに満足気に頷きながら言った。
「じゃあさ、君達陸上部に入りなよ。何でかって言うとね、陸上部は筋トレ部と言われるほど体つくりにはもってこいの部活だからさ。見た所君たちはまだまだ体ができていない。野球の練習は陸上部でしっかり体を鍛えてからじゃないかな。それに実は中学時代は陸上部で高校に入って野球を始めた人でプロになった人がいるんだよ。だから野球の練習は高校からでも遅くないよ。
それと、お姉さんは夢がある君たちがすごいと思うよ。お姉さんくらいの歳になっても将来何がやりたいか具体的な答えを見つけていない人がたくさんいるからね。だから、お姉さんは君たちをずっと応援してるよ!頑張って!」
その言葉を聞いた野球少年たちはみるみるうちに目に涙をためて、木陰君に向けてありがとうございます、ありがとうございますと何度も何度もお礼の言葉を述べた。
そんな様子の野球少年たちに木陰君は「ほら、男の子なんだから泣かない!」と声をかけて、満開の桜が咲いた笑みとともにハンカチを渡す。
野球少年たちは顔を真っ赤に染めながらそれを受け取って、大切そうにそのハンカチで涙を拭いた。
そして幾分か落ち着いた時に、野球少年の片方が何かを決意した顔で言った。
「見ててください!俺は絶対、甲子園に行って、そこで大活躍して一躍有名になって、プロになりますから!!
だから・・・それまで待っててください!絶対迎えに行きますから!」
哀れ、うぶな男の子が1人木陰君の毒牙にかかってしまいました。
木陰君は男の子の突然の告白に驚きながらも、少し頬を赤く染めて「待ってるよ。」と言った。
いや、待ってたらダメでしょう。
野球少年たちと別れた私たちは再び当初の目的であるラピュタこと石の宝殿に向かっていた。
今は気の遠くなるような石段をだらだら汗を流しながら登っている。
石段の周りは草木に囲まれていて、名前も知らない小さな虫の大群が私を取り巻いている。
私はそんな虫の大群をしっしっと手で追い払いながら、野球少年たちのことを考える。
野球少年たちは夢があると言っていた。
私は今まで生きてきてそのような明確な夢というものを持たずに生きてきた。
何で生きているのという問いに対する答えは、死にたくないから生きている、それだけだった。
だから私は彼らが少し妬ましい。
そういえば、木陰君には将来の夢とかはあったのかな。
ふと疑問に思って木陰君に質問してみる。
「あの野球少年たちには明確な夢がありましたけど、木陰君にはそういうのはあったんですか。」
「おう、唐突だねえ。そうだね、僕は看護師になるのが夢だったな。だから、日向ちゃんと逃げ出す前は高校を卒業したらちゃんとした大学の看護学部に入って卒業したら看護師として病院で働こうと思っていたんだ。」
「そうだったんですね。でも意外です、看護師だなんて。男性がほとんどいない職業じゃないですか。どうして看護師になろうと思っていたんですか。」
その時、一瞬空気が緊張し、木陰君の顔が曇る。
それを見て、私はその質問を後悔した。
ほんと人との会話ってどこに地雷があるかわからないから怖い。
少し間が空いて、木陰君は気まずそうな表情で「ごめん。それは言いたくない。」と言った。
初めて見せる木陰君の表情に私は少し気になりながらも、センシティブな話題に踏み込んでも碌なことにならないとわかっているので「そうですか。」とだけ答えた。
私は話題を変えようと思い、「あのお金を本当におじいさんが受け取っていたらどうする気だったんですか。」と質問した。
「ああ、あれね。おじいさんがお金を受け取らない自信があったからね。何度も家にボールぶつけられても今まで何も言わなかったんだよ。普通だったらそんなのありえないよ。だからあのおじいさんは相当懐の深い温情のある人だと思ってさ。そんな人が大学生が汗水貯めて働いたお金を受け取るとは思えなかったのさ。」
なるほど、おじいさんの良心に付け込んだんですね。なかなか悪い人です。
階段を登り終えた先には威風堂々とした神社があり、境内に入るとすぐ正面にそれはあった。
悠久の歴史を感じさせる大きな岩が堂々たる佇まいで私たちを見下ろしている。
そして、その大きな岩を神社の横にある山道を登って上から眺めると、原理はよくわからないが本当に中に浮いているように見える。
天空の城ラピュタのように本当に飛べるのなら私と木陰君を乗せてどこまでも飛んで、誰もいない世界に連れて行ってくれたれたらいいのにな。
私は叶わないと知りながらも心の中で神様にそっとお願いした。
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