第10話 夜明け前が一番暗い

私は本当によくやったよね。だってか弱いただの女の子がチンピラの親玉相手にここまで逃げたんだよ。最大級に自画自賛できるよ。あんなに集中して何かに取り組んだことなんて今までの人生なかったよ。死ぬほど怖かったのになぜだか本当に楽しかった。これが生きているってことなんだろうなって初めて思った。神様、私もう十分頑張ったよね。


だから、もう楽になって・・・・・・・・・なりたくない?


なんなんだろうこの感情は、この心の奥底から湧き上がる感情は、言いようのない喪失感は。



横を見ると、ガガガッと自転車を退けて、木陰君がヨロヨロと立ち上がる。

彼のどこにそのような余力が残っているのでしょうか。

膝が小刻みに震えており今にも転倒しそうで手を顔もダランと下を向いている。

例えるなら、ゾンビのような佇まい。


「こんなとこで終われねえ・・・。終われねえ!終われねえ!!俺の冒険はまだ始まったばかりだ!!!」


だらんと下を向いていた顔を持ち上げ、チンピラの親玉を睨みつける。

その目にはまだ一筋の光が宿っている。彼はまだ諦めてはいない。


「ホント感心できるくらいの胆力してんなあ。嬢ちゃん。でも俺はお前には散々やられたけど、女をタコ殴りにする趣味はないんだわ。今はすっこんどいてもらえるかな。お前の相手はまたベッドの上でやってやるからよう。」


チンピラの親玉が睨みを効かせる。

しかし彼は一歩も引かない。むしろチンピラの親玉を睨みつける眼光をさらに強く光らせる。

そしてトコトコとチンピラの親玉の方に歩いて行き、ポスッと間抜けな音が聞こえてきそうなほどゆったりとしたパンチをその腹に叩き込む。


チンピラの親玉は、もういいわと言いながら木陰君の体を太い腕で横に払う。ずざざっと地面と肌が擦れる音とともに、木陰君は地面に倒れる。


「・・・まだだ。」


しかし、それでもなお、木陰君は両手で膝をつきながら必死の形相で立ち上がる。

その姿はまさにアンデッドだ。

なんで立ち上がれるのだろうか。彼の小さな体の一体どこにそれほどまでのエネルギーを内包しているのだろうか。

再びゆっくりとした足取りで、チンピラの親玉の方に向かっていく。



しかし無慈悲にも、チンピラの親玉は「もういいわ。眠っておいてくれ。」と言い、満身創痍の木陰君の顔に右ストレートを食らわせた。


木陰君はボロ雑巾のように吹っ飛び地面に叩きつけられた。

完全に意識が飛んだのだろうか、今度はピクリとも動かない。


「さて、お前との後始末をつけないとな。その綺麗な顔がぐしゃぐしゃに潰れるまで殴り続けてやるよ。」


そしてチンピラの親玉が無慈悲な宣告を告げて、私の方に近づいてくる。




今、私の目には何度でも立ち上がる木陰君の姿がフラッシュバックされている。

彼は一体なぜあんなことができるのだろうか。

何もしなければ、彼は痛い目に合わずに済んだだろうに。

意味わかんない。


でもどうしようもなく諦めの悪い彼の姿が私を捉えて離さない。

彼にここまでさせておいて、私がこんなことで諦めていいのか。

こんなところで逃走を諦めていいのか。

まだ何かできることがあるんじゃないのか。


こんな時に私の胸の奥底に眠る殺人鬼は何をしている。

お前じゃなくてはこの状況を乗り切ることはできない。

思い出せ、あの時の感情を。真っ赤に煮えたぎったマグマのような激情を。

奴は今私の方に向かってきている。危害を加えようとしている。殺そうとしている。未来を奪おうとしている。

・・・ならどうするか。簡単なことだ。


殺せ。

奴を殺せ。

殺せ殺せ!

殺せ殺せ殺せ殺せ!!

殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!!!!


私はぬらりと立ち上がる。目に爛々とした光を宿して。

体の震えはない。

一点の曇りもない殺意のみが私を支配している。


私はふらふらとした足取りでゆったりと一歩前に足を踏み出す。

また一歩前に足を踏み出す。

私とチンピラの親玉の距離が縮まっていく。

少しずつ私とチンピラの親玉の距離がゼロに近づいていく。


その距離がちょうど1メートルくらいになった時に、


チンピラの親玉がゴツゴツした右手の拳を力強く握りしめて、私に振りかぶる。


私も握力のなくなった右手の拳を精一杯握りしめ、大きく右手を振りかぶる。




ゴウンと音を立てながら、チンピラの親玉の右ストレートが風を切り裂きながら私の頬に一直線に向かってくる。

時間が伸長される。

コンマ何秒もの世界のはずなのに何十秒にも感じられる。

これは走馬灯というやつでは?




チンピラの親玉の右ストレートが私の頬に直撃する––––––––––––––––––––––





次の瞬間、私の目の前に強烈なフラッシュライトがほとばしった。



「両者そこまで!!!それ以上は死人が出る!!!」



重厚な叫び声がその場を支配する。


チンピラの親玉は一瞬のことに驚き、右ストレートの軌道がずれて、私の頬を掠めるだけにとどまる。


そして強い光の中から、グレーの革ジャンを着たスキンヘッドの厳つい男が現れた。


その男は私とチンピラの親玉の間に割って入って、厳しい顔をして言った。


「事情は、道の真ん中で喧嘩していた4人組に聞いた。全くお前ら馬鹿だよ。金髪のお前は完全に暴力罪だぜ。ちょっと頭にきたからってすぐ暴力行為に出るな。そして茶髪のなよなよしてるお前。お前も馬鹿だよ。なんでこんな夜中に人気の少ない道路を女を連れて自転車なんかでフラフラしてんだよ。襲ってくれって言ってるようなもんじゃねーか。」


しかしチンピラの親玉の興奮は治まる気配がない。  


「ああん!人の喧嘩に横槍入れんじゃねーよ。テメーも殺るぞ。」


そう言って、チンピラの親玉がスキンヘッドの男に殴りかかった。


「なんでそう血気盛んなんだか。」


スキンヘッドの男はそうポツリと呟き、殴りかかってきた拳を、素早く一歩横にずれてかわした。そしてすぐに目にも留まらぬ速度で男の懐に飛び込み顎に鋭いアッパーを食らわせた。

その動きは洗練されており、百戦錬磨のボクサーを彷彿とさせた。


ごんっと鈍い音とともにチンピラの親玉は白目をむいてバタンと仰向けに倒れた。

猛スピードのバイクから振り落とされて生きていたあのチンピラの親玉が一撃でノックアウトだ。


スキンヘッドの男はこちらに振り返って、こう言った。


「お前の行動は馬鹿だ。阿保だ。愚かだ。

・・・だが、お前は女を守るために、あの男に立ち向かった。その勇気は褒めてやる。俺は骨のある奴は嫌いじゃねーぜ。っとそんなことを言っている場合じゃないな。おい!!そこの女。大丈夫か!!!」


スキンヘッドの男は木陰君の元に駆け寄り、抱き起こした。


「・・・うーん。僕は一体・・・。っっひぎゃあ!?」


抱き起こされた木陰君はすぐに目を醒まし、目の前にいる泣く子も黙る厳ついスキンヘッドの男の存在に気づき、情けない悲鳴をあげました。

無事で何よりです。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



現在、私と木陰君の前にはスキンヘッドの男がいます。

男の名は小口雅弘さんと言うそうです。厳つい顔をしているのですが職業は保育士らしいです。

彼がなんでここを通りかかったのかと言うと、ストレス発散だそうです。園児たちに振り回された一週間の疲れを、真夜中のツーリングによって発散するそうです。


「いやー。それにしてもお前ら俺がきてなかったら危なかったぜ。感謝しろよな。なっはっは。」


そう言って、小口さんが豪快に笑います。


「その旨は本当に感謝しています。危ないところを助けていただきありがとうございました。お礼ならなんでもするので言ってください。」


私は丁寧に頭を下げて感謝を口にしました。


「気にすんなって。人は助け合いの生き物だろう。困っている人がいたら助けるのは当たり前だ。だから礼はいらねーよ。それよりもお前さん達はどうするんだ。両方とも怪我をしているしうちに来るか。簡単な手当くらいならしてやるぞ。いや、来いよ。女の子の顔に傷が残るのはよくねえ。」


小口さんは木陰君の顔の擦り傷を指差してそう言いました。

見かけによらずとても紳士です。

だからこそ、この人がこれ以上私たちと関係を持つのはまずい。私たちは逃走中の身の上なのです。


私がどう言おうかあたふたしていると、木陰君が小口さんに向けて口を開きました。


「心配はいりません、小口さん。僕たちはこのまま旅を続けます。」


小口さんは心配そうに眉をひそめます。


「だけどよお・・・。」


しかし木陰君は「大丈夫です。なんたって僕たち2人とも男ですから。」とあっけらかんと言い、茶髪のウィッグを勢いよく取り外しました。


「なっっっ!?!?・・・まじかよ。完全に騙されたぜ。」


小口さんはよほど驚愕したのか、目を見開いています。その気持ちは非常によくわかります。なんたって最初は私も完全に騙されましたから。


「そう言うことです。だから僕たちのことは大丈夫です。それに僕たちはこれ以上予定を遅らせるわけにはいかないんです。首を長くして北海道で祖父母が待っていますから。」


完全に即席で考えた設定です。穴だらけな気がしてなりません。


「・・・そうか。でもそれなら、なおさら俺が手助けした方が良い気がするが。」


「この旅は僕たちの力のみでやりきってこそなのです。」


木陰君はそう言うと、輝くような笑みを浮かべました。


「ったく。わかったよ。お前らの決意は堅そうだな。その代わり、人目の多い町までは俺がバイクで付き添ってやる。まだ夜は更けていないからお前らだけじゃ不安だ。」


私と木陰君は互いに向き合って少し相談し、その申し出を受け入れることにしました。







海岸線沿いの道を小口さんの付き添いのもと3人で静かに進む。

わずかに水平線の先から太陽が顔を出している。

夜明けは近い。









・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なぜか少年漫画みたいになってしまった。











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