第4話 二面性

 舐田太郎君の家を出発した私たちは、逃走の準備のために木陰君の家を目差す。

時刻は夜8時を回っており、辺りは人の感覚を麻痺させるような暗闇に包まれている。ナイフでこいつの背中を刺したらなんて妄想をしてしまう。


「ゲリラ豪雨のせいでびしょ濡れですよね。木陰君の家に行くのはわかったんですけど、まずは私の家に着替えを取りに行くべきではないでしょうか。微々たるものながら、逃走資金の足しになるであろう貯金もありますし。」


 ストーカーを蹴り殺し、混乱した私は、大雨の降りしきる中、傘もささずに走った。今は雨は降り止んだが、制服はびしょ濡れだ。か弱い私は風邪を引いてしまうかも知れない。木陰君も男の子なら、『ほらこれ羽織っとけよ』と照れ臭そうに上着をかけてくれてもいいのにな。その辺の気遣いはなさそうだ。


 私ははぁとため息を吐き、前を歩く彼の後ろをとぼとぼ付いていく。しょんぼりと彼の足元を見ていると、彼はこちらを振り向きもせずに、軽蔑が含まれた声色で呟いた。


「君は馬鹿だね。警察に通報されていて、君の家に事情聴取のために警官が来ていたらどうする気だい。計画がパーだよ。安心して。君の着替え、逃走資金には考えがあるから。」


 お母さんの洋服を貸してくれるのだろうか。派手で目立つもの以外ならオッケーだ。

だが彼も私と同じ普通の高校2年生だ。お小遣いなんてたかが知れているだろう。さらに私たちの通う学校はバイトが禁止されている。一体全体、逃走資金はどこから捻り出すのか。

 それに、彼の家に行くということは、彼のご家族と対面することになるはず。彼は私のことを何とご家族に紹介するのでしょうか。


「あの、ご家族には私のことはどう紹介するのですか。」


「ああ、そのことに関しては大丈夫だよ。僕の両親は今、スーパーの福引で当たった地中海沿岸旅行のチケットでバカンスに行っている。だから僕の家は今、もぬけの殻さ。確か8月10日に帰ってくる予定だったかな。」


「なんで木陰君はバカンスしていないのですか。」


「二人用のチケットだったからさ。今頃、夫婦水入らずで、乳繰り合ってるんじゃないかな。」


「・・・そうなんですね。では8月10日まではあなたの家で潜伏できそうですね。」


「君と2人で1つ屋根の下で過ごせるのはとても魅力的な提案だが、残念ながらそう言うわけにはいかない。僕が制服を着ていることからもわかるように、僕も今日学校にいた。いつかは警察が事情を聞きにくると思う。それにせっかくの夏休みに家で潜伏するだけなんて全くもって面白くないじゃないか。ドキドキとワクワクの夢と希望に溢れた冒険の旅に出掛けようぜ。」


 そう言うと木陰君は勢いよくこちらに向き直り、私の頭をわしゃわしゃと撫で始めた。それはかなり乱雑で何本か大切な髪の毛が引っこ抜かれた気がした。痛い。

 それにしても木陰君は学校にいたというのにどうして私が自殺しようとした橋の上にいたのだろうか。まぁ、それは今考えることではないか。


 そんな軽口を叩いているうちに木陰家に到着した。

木陰家は2階建で、30坪くらいのこじんまりした佇まい。玄関の扉の右隣の窓には夏の日差しを防ぐための簾がかかっており、熱の風物詩であるヘチマが所狭しと巻きついている。


 鉄錆色の門を開けて、玄関に入ると、掃除が隅々に行き届いているこぎれいな玄関が現れた。

玄関のたたきに泥だらけの上靴を脱ぎ、丁寧に向きを揃えて並べる。この時、久しぶりに上靴のまま街を歩いていたことを思い出す。

 そうしているうちに、彼はズカズカと家の奥に進んでいく。私は慌てて早足気味の彼の後を追いかけ、2階にある彼の部屋に向かった。



 初めて入る異性の同級生の部屋に妙な居心地の悪さを感じながら、彼の部屋を見渡す。

勉強机は夏休みの宿題である数学の問題集、辞書、読みかけの本、漫画、パソコンなどでごった返している。

整理整頓が苦手なのだろう。部屋が汚い人間は頭の中もぐちゃぐちゃだと言うが、彼もそうなのだろうなと失礼なことを考える。


 4段式の本棚には学校の教科書、漫画、新書、図鑑などバラエティーに富んでいる。1番下の段にはバッハ、リストなど有名な作曲家の名前が書いてあるピアノ教本が置いてある。興味が湧いたので質問する。


「へえ、木陰君は男の子だけどピアノが弾けるんですね。」


そう言うと、木陰君は得意げに鼻を膨らませた。

「意外でしょ。ピアノの弾ける男は女にもてるって聞いたから中学生の時から結構真面目に練習しているんだ。今では有名どころなら大体弾けるぜ。」


 確かにピアノの弾ける男はかっこいい。彼氏(仮)と楽器販売店でデートしているシチュエーション妄想してみよう。

 新しく入荷したピアノを試し弾きしてほしいという店員さんの前に颯爽と現れる彼氏、悠然とした動作でピアノに向き合い、超絶技巧で知られるリストのラ・カンパネラを平然と奏でる。いつもは少し間の抜けた表情でバカなことばかり言っているのに、ピアノを弾いている時の彼はいつになく真剣で、その横顔が凛々しい。そのギャップに彼のことをより一層好きにな・・・何を考えている、私は。

 顔が緩んでいるような気がして、慌ててシャキッと頬をあげる。彼はそんな私をニヤニヤと見つめていた。


「顔がだらしなく緩んでいるよ。ひょっとして僕がカッコよくピアノを弾いている姿を想像して興奮した?僕に惚れちゃった?僕も罪作りな男だね。でもごめん。日向さんは僕のストライクゾーンからだいぶ離れてるんだ。ピッチャーの投げた球が観客席に飛び込むくらいには。」


 どうやら勝手に告白したことにされて、勝手に振られてしまったようだ。

それにしても観客席に飛び込む暴投なんて、ノーコン筋肉ダルマのジャイアンツの澤村投手でもそんな芸当できないだろう。

 私は悔しくなって、高速で首を左右にブンブン振り回し、彼の言葉を否定する。


「断じて木陰君のことを想像していたわけではないですから。木陰君は私のタイプではないです。」


「へえ、じゃあ一体どういう男がタイプなの。」


「そうですね、優しくて思いやりのある人でしょうか。」


「優しくて思いやりがある−−−それまさしく僕だね。君の好きな人は僕だったんだ。本当にごめんよ」


 私に相談もせずに変態隠キャクソメガネに私のスマホを献上するわ、雨でびしょびしょの女の子に大丈夫の一言もかけることができないこいつのどこに優しさや思いやりがあるのだろうか。

しかも非日常から抜け出したいなんて高校2年生にもなって痛々しい。

 軽蔑を示すために上から目線でふんと鼻息を吐く。


「まあいいや。ああそれとこれタオルね。しっかり拭いておいてね。それと僕の家にいる間はこれ履いといて。」

 タオルと手袋が差し出された。・・・前言撤回はしないが、少しはお前の優しさを認めてやろう。

単に彼の部屋を汚されたくなかっただけかもしれないが。手袋はこの家に私の指紋を残さないためだろうか。


「とりあえず、君汚いからさ。さっさとシャワー浴びて、着替えてくれないかな。僕の部屋が穢れる。」


 浴室は階段を降りて右手の部屋ねと最後に言い残し、彼は私の背中を突き飛ばし、部屋から追い出した。

やはり私の身を案じてくれたわけではない。

 彼の部屋に向かってあっかんべーと舌を出して威嚇する。すると彼の部屋が再び開き、乱雑に何かを投げつけてきた。


「これジャージと下着ね。ちょうど僕と君の身長は同じくらいだからサイズ的に大丈夫でしょ。」


 それは黒のジャージの上下と女性用の下着だった。

なぜ女物の下着が彼の部屋からでてくる。下着の収集癖でもあるのだろうか。女の敵だな。

私の中で彼に対する信頼が大魔神佐々木のフォーク並みに落下していく。


 呆然としている私に、彼はアインシュタインを思い出したよと言ってドアを閉めた。

天才物理学者を思い出すほど、私は賢そうな顔をしているのだろうか。

ちょっと自信出てきた。

 


 脱衣所に入り、びしょびしょの制服と下着を脱いで、そばにある空のカゴに入れる。縦に分割された扉が中折れするタイプの浴室ドアを開け、浴室に入る。浴室の床は一般的なタイルではなく、樹脂素材でできている。保温性があるようで、つま先のファーストタッチが冷たくない。浴室は全体が白で統一されていて、清潔感を感じる。そして浴室を暖かな蜜柑色の光が包み込んでいる。

 

 私は腰の高さまである黒髪を丁寧にシャンプーで洗いながら考える。

本当に私は人を殺したのだろうか。今までのことは白昼夢だったのではないでだろうか。しかしそんな幻想は腕に残る青あざと記憶に刻み込まれた死人の虚ろな瞳が否定する。

 あの時の私は本当に私だったのだろうか。一心不乱に彼を蹴り続けた私は。自分の中にあんな狂った殺人鬼がいると思うとゾッとする。だが思考とは裏腹に心臓があの時の興奮を思い出したかのように高鳴る。

 もうだめだ、私は今すぐ消えるべきだ。そして私は自分の死ぬ姿を想像した。ナイフで手首に走る太い動脈を切り裂く。猛スピードで走っている車に飛び込む。致死量の睡眠薬を服用する。ロープで首を吊る。

不思議と動悸が少しおさまった。



シャワーを止めると、体からこぼれ落ちた水はしゅるるると音を立てながら底が見えない排水口に流れて言った。




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