第6話 変装してみましょう

「イッツショウタイムだ。」

 そう言うと彼は徐に引き出しから断髪用のハサミを取り出した。

不意にぞわりと背筋に冷たいものが走る。何だか嫌な予感がする。


  木陰君はハサミをくるくる回しながら宣言する。

「日向さんには今日から男の子になってもらうよ。だからその腰の高さまである無駄に長い髪の毛は切ろうか。」


 私は死刑判決を受けた犯罪者のように青ざめた。

中学2年生の頃にとある女性のバーチャルアイドルに憧れを抱いたあの日から、この髪を今まで大切に、我が子のように大切に伸ばし、ケアしてきた。だからこの髪には語りつくせない思い出と愛着がある。

 平安美人と言われたこともあった。リアル貞子と言われたこともあった。だが私は初志貫徹、終始一貫、頑固一徹、髪を伸ばすことをやめなかった。今となっては、この髪は私の命そのものであるといっても過言ではない。それを切り落とすことは私の死を意味する。


「君が男装して、僕が女装する。この変装では性別を逆転させる。まさか警察も君がとびきりイケメンの男の子になっているなんて思いもしないだろうさ。それに昔から性別逆転デートなるものをしたかったんだよね。本当にちょうどいい機会だったよ。」


 彼は私の内面なんてまるで知らずに、呑気なことをほざいている。

この部屋は二階、少し低いが・・・いけるかな。

私は物騒なことを考えながら2階にある彼の部屋にある窓を開け、体を乗り出そうとする。


「ちょっ、日向さん!?何しているの!?」窓から半分乗り出していた私の体を部屋に引きずり込みながら、彼は素っ頓狂な声をあげる。

 私は悟りの境地に達した修行僧のような落ち着いた声で、彼に語りかける。

「止めないでください。我が髪の消失がトリガーとなって、緊急停止装置は作動しました。」

あとは最高速の別れの歌を歌うのみだ。


「初●ミクの消失か。だから日向さんは長髪なんだ。」

木陰君は納得したとばかりに手をポンと叩いた。

 彼が納得してくれたようで私はホッと胸をなでおろす。

だが彼はでもと言葉を続け、「僕はメイコの方がタイプなんだ。」の一言で髪を切らないという選択肢を一刀両断した。


 数分の議論のち、私は結局断髪することになった。だが切り落とした髪は袋に入れて大切に、未来永劫保管しておくつもりだ。





木陰くんによる私の男装が完成してしまった。


「完成したよ。ほら見てごらん。」


浴室の鏡の前には、切れ長の凛々しい目が特徴的な茶髪の美男子がいた。アイドルのように背景にキラキラエフェクトが見えてきそうだ。ただ、ひとつ残念なことにアホの子のように口をポカンと開けている。


 その美男子が私であることを確認するために、私がピースサインするとその美男子もピースサインし、ジョ●ョ立ちを決めると同じくジョ●ョ立ちを決める。やばいこれ私だ。


「ははっ、驚いたかい。これが生まれ変わった君さ。

テーピングによって目尻をあげ切れ長の目を形成、アイブロウペンシルで直線的で太い凛々しい眉毛を形成、さりげなく瞼の上に自然なラインを描いて目の輪郭を強調、そしてパッチリとした二重は・・・・・・・以下割愛。僕の手にかかればモブ顔の君をイケメンに変装させることなんてイッツァピースオブケイクさ。」



「・・・スンバラシイね。これは鳥肌ものですよ。・・・地味でモブ顔の女の子にはとても見えない。」


「気に入ってもらって何より。さて、僕は自分の準備があるから少し待っていてくれ。」


 時間にしておよそ30分ほど。木陰君が女装を終えた。

そこには先ほどの写真と同じ、庇護欲が掻き立てられる少女漫画の主人公のような女の子がいた。

もうこいつ性転換したらいいのではないだろうか。


「流石ですね。それならば誰も木陰君だと気づかないです。ただ・・・一つ気になることがあるんですけど。」


 木陰君はうんっ?と首を横に傾けた。


「美男美女カップルとか周りから目立ちまくりじゃないですか。もっとモブ顔メイクでよかったんじゃないですか。」


「ははっ、何をいうか思えば、そんなことか。日向さん、美男美女ってのはねえ、その存在だけで価値があるんだ。美貌格差って知っているかい。」


「美貌格差?」


「容姿が良い人の方は容姿が平均的な人や醜い人よりも色々な面でお得なのさ。例えば容姿が優れている人の方は優れていない人より収入が多いし、美形の方が借金をした時に融資が受けられることが多い、言わずもなだけど美形の方が結婚にも有利だろうね。

そして若い時に美しいと評価された人たちは歳を重ねてもその年代の中で相対的に美しいと評価される傾向があるらしいよ。ははっ、生まれた瞬間から美形であるというだけで一生もののアドバンテージがあるんだ。

ちょっと話が逸れたね、つまり何が言いたいかというと、僕らが美男美女であるだけで人々は僕らを信用し、協力的になりやすくなると思うんだよ。」


「美しさなんて人によって価値観が違うんじゃないですか。それに美形を駆逐してやるとか、リア充爆発しろなんて言っている人たちもいますよ。」


「そうでもないんだ。だいたいの人は同じ顔を美しいと評価するんだ。誰かが美しいという人は、だいたい誰にとっても美しい人なんだ。残念なことにそういう研究データがあるんだよ。それと顔の良さだけで人を差別する人なんて信頼できないし、そんな人の助けは借りたくないよ。」


「それは・・・そうかもしれませんね。」


「そうだ、リア充爆発しろとかいう人たち対策に僕たちの関係はカップルじゃなくて兄妹ということにしよう。君が兄で僕が妹ね。美男美女兄妹、いいね。大衆受けしそうだ。」


 時計の針は夜の9時を過ぎ、私はもう1つあることに気づきました。


「性別転換して変装しているわけだから、今のままの名前じゃおかしいよね。偽名を考えた方がいいんじゃないですか。」


「そうだった、忘れていたよ。・・・そうだね僕は小暮静香としよう。しずかって呼んでね、お兄ちゃん。」


「じゃあ私は小暮太陽でお願いします。たいようって呼んでください、妹よ。」


「あと、2人きりの時は口調はそのままでいいけど、誰か周りにいる時はちゃんと男言葉を使ってくれよ。僕の場合は最悪、ボクっ娘なんだねこの子、で通るけど、君の場合は女だとバレるかもしれないからね。」


「わかりました。頑張ってみます。」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 木陰家の台所の机には晩御飯が並べられています。木陰君・・・ではなくて静香ちゃんがささっと作ってくれました。

簡単即席冷凍ご飯とトマトの缶詰のリゾットが紅茶カップに、新鮮卵のスクランブルエッグ、レタス、ソーセージが大皿に盛り付けられています。


「静香は料理もできるんだね。もういっそ僕のお嫁さんにならないかい。」


「もーー、兄妹では結婚できないんだよお兄ちゃん。そういうのって近親相姦っていうんじゃないの。バーカ。」


そんな軽口を叩きながら、晩御飯を食べる。


 晩御飯を食べ終えると、彼はすぐさま私の食器を台所の洗面台に持っていき、洗い始めた。さすがに申し訳なく思い、私も手伝うよと言うと、いーの、いーの、家事するの結構好きだから、と言い洗い物を続けた。


 木陰君は間違いなくお父さんではなくお母さん向きだ。もう去勢したら良いのでは。

私は彼の後ろ姿を暖かな目つめた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 午後10時。木陰君は家の掃除をしている。なんでもこの家に私がいたであろう証拠を徹底的に排除しているそうだ。浴室の排水溝も調べているあたり、抜け目がない。


 私は何もするなと言われたので、台所の椅子に座り、ボーッと台所の部屋の角の方を見つめる。何も考えないのが一番です。


 掃除が終わったのか、木陰君が手招きして私を呼ぶ。

そこは大きなタンスのある畳の和室だった。


「ちょっと忘れかけていたけど、今回の逃走資金はここにあるんだ。」


 彼はタンスの下から2段目の棚を開けた。彼の母親が使っていたのでしょう、ショーツやブラなど女性用の下着が入っている。

彼は女性用の下着を数着取り出し棚の中のスペースを空け、棚の中に手を突っ込んで棚の上の壁から何かをべりっと引きはがした。

茶色の封筒だ。まさか・・・・・・。


「はい。逃走資金確保と。どれどれ、1、2、3、4、5–––––––––––50万と。そこそこあるな。これでなんとかなるか。」


 あっという間に50万円を確保してしまいました。彼の今までコツコツ貯めた貯金でしょうか。

「それは木陰君が貯めたの?」


「まさか。小遣いもほとんどないのに俺が50万も貯金できるわけねーじゃん。母さんのへそくりだよ、へそくり。以前母さんが自分の下着をしまう場所にこそこそ何か隠しているのを見ていたんだ。思った通り、へそくりだった。母さん、今まで俺のために貯めていてくれてありがとう。」


 彼は平然とした顔でそう言った。なかなかの外道っぷりだ。今回はそれに感謝しよう。


 午後10時30分。さあ、準備は整いました。

冒険の旅に出発しましょう!



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