第1話 黄砂の園 後談



「最近帰り遅かったわね。お友達?」

「いや、少し問題があっただけ」

 グリーンピースの独特の香りが漂う。今夜のメニューはエルテンスープか。母の数少ない得意料理だ。白に近い金色の髪を揺らし、口ずさむのはどこの民謡だろう。どことなく懐かしい。

「問題〜? それにしては楽しそうよ、将利しょうり

「そんなことない」

 自室にカバンを投げいれれば、父のアトリエが目に付いた。しばらく会っていない気がする。

「問題児に絡まれて困ってるんだ。俺に絵を描けだのと言ってくる」

「へえ、どんな絵を?」

「ミレーみたいな絵だと。種まく人を文字って、夢蒔く人とか言ってたな」

「ふーん」

 フランスパンを切り分け、スープ皿を取り出す。俺と母と、姉の三人分。父の分は……いいか。

「パパの分も出しといて〜 持っていくから」

 バレたか。

「オヤジはエルテン嫌いだろ」

「食べさせるの」

 ダイニングにシンプルな料理が並んでいく。バゲットの入ったバスケットを置き、母がスープを注げば、タイミング良く姉が帰宅してきた。

「将ちゃん先に帰るなら言ってよう。ちょっと待っちゃったじゃない」

「姉さんと帰ったことないんだけど」

「気持ち!気持ちの話!」

妃那子ひめこ、冷めちゃうわよ〜」

「ああ、待ってえ」

 ドタバタと忙しなく、姉もカバンを放り投げる。カバンの扱いの雑さは、姉弟で似てしまったと思う。

「でも、構図が決まってるなら早そうよね」

「んん?なんの話〜?」

「将利ね、お友達に『夢蒔く人』って題材の絵をお願いされてるんだって」

「いや、描くって決めてないから」

 今日のスープも味が濃い。舌にまとわりつく感覚が、父は苦手なのだろう。水で流し込んでいれば、母はスプーンをくるくると回していた。

「面白そーじゃない。種ではなく、夢を蒔く。なかなか普通じゃあ描けないわよー?」

「お友達って、もしかして浅間くん? 前に将ちゃんにくっついてるの見掛けちゃった。あの子いつもキラキラしてるよねえ」

 姉にまで目撃されてしまったとは、冗談じゃない。姉はうちの高校で保健医として務めている。保健室に厄介になることもないため、校内ではあまり顔を合わせないが。こんな調子の姉だから、わざと会わないようにしているのはここだけの話だ。

「夢、なんて曖昧なこと、どう描けばいいかも検討がつかない」

「逆よ、逆。曖昧だからこそ想像の幅があるし、同時に自由でもあるのよ」

 ここでもまた、見えないものの話か。

「自分の夢や目標、希望なんて言い換えもできるんじゃない? 自分だけじゃなくて、周りの人や物をひっくるめても面白そう」

 簡単に言ってくれる。エルテンスープをバゲットに塗りたくれば、その塩味が無難にマッチした。もう少しジャガイモが多くてもよかったかもしれない。

「抽象画は好きじゃあない」

「ミレーはレアリスムでしょ」

 絵を描くことは好きだ。むしろ絵を描くことだけが好きだ。キャンバスの中は自分だけの世界になれる。目の前を映し出しても、そこには自分とその絵しか存在しない。そこにないものを描き出すことは、すごく、勇気のいることだ。写実と抽象が入り乱れるなど、特に。

「わかった、将利はその浅間くんのお願いを聞ける自信がないんでしょ」

 思わずスプーンを取り落としそうになった。

「なんで」

「できない理由を探してるじゃない? やりたくないならはっきり断ればいいのに。浅間くんもそれを見抜いてるのかもよー?」

 あの浅間が、ミソカスが、そんなはずがない。姉に助けを求めるが、幸せそうにスープに食らいついていた。

「……俺は、天才じゃないから」

 夢だとか、希望だとか、将来だとか。そういう光を見上げきれない、狭間にいる。

 スープを平らげれば、逃げるようにして自室へ飛び込んだ。

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