第7話「後悔は一時の雨のように」

 ピンク色の巨体、ピッグリードを倒した2人はストレンジオブジェクトの回収を行うことにした。


「よいっ、しょ! これがストレンジオブジェクトですか」


「なんだ。見るのは初めてか」


 ピッグリードの胸にあるネックレスを剥がし、エリンはその小さな箱を手に取って眺めた。


「ストレンジオブジェクトは周囲の魔素濃度を増加させて異常現象を起こす。クリーチャー、アノーマリーもそいつが原因だ。だから――」


 レッドが忠告するのも聞かず、エリンは何気なく箱を開いてしまった。


 箱の中身はオルゴールになっていた。それはむき出しの歯車と金属色のシリンダーやドラムがはめ込まれた簡素な作りだった。


 箱を開けた瞬間、オルゴールが回りだす。


 同時に、中に入っていた豚の頭をしたバレリーナの人形も踊りだした。


「……綺麗です」


「馬鹿! 無力化していないストレンジオブジェクトは――」


 レッドが箱を閉めようとするも、それは遮られた。


 いや、遮られたのではなく手が届かなかったのだ。


「まずい……」


 レッドの身体が、空間が、遠近感がなくなって引き延ばされる。


 レッドの視界も見つめた手の平がカートゥーン映画みたいに伸びたり縮んだり、膨らんだりしぼんだり、感覚もおかしい。


 ミステリーハウスにぶちこまれたような違和感は空間さえも蝕み、エリンを中心に拍動(はくどう)のように踊りだす。


 これでは数分で頭がイカレてしまいそうだ。


「はや――く。しめろしめろしめろ―て――お――くれに」


 レッドは実験台にされた人形のように引き延ばされながらも、エリンに声を掛け続ける。


 しかし当の本人は、オルゴールに魅了されて薄明(はくめい)に包まれたような心地になっているようだ。その両目の視線も焦点が合わず、上の空だ。


 レッドは思考さえも加速と遅滞を繰り返す中で、ある手を思いついた。


 レッドは拳銃を抜き、エリンに向けて銃口を合わせ、撃ったのだ。


 ――チュインッ


 エリンの足元で銃弾が地面の土を弾く。それには流石のエリンも驚いた。


「っ! うわわっ! 急に何ですか!」


 エリンは咄嗟に自分を庇い、オルゴールの蓋を閉めたのだった。


 その途端、レッドを襲っていた異常も空間の歪みも、一瞬で元に戻った。


「ちっ。手間かけさせるんじゃないぞ」


「一体何が……私はオルゴールを開けて……」


「ストレンジオブジェクトをそのまま扱えば何が起こるか分からないんだぞ。場合によっちゃ、ロストだってあり得る。もっと慎重に扱えよ」


 エリンはレッドに真顔で叱られ、シュンとしながらオルゴールを手渡した。


 オルゴールを受け取ったレッドは、早速ストレンジオブジェクトの解体を始めた。


「まずは無効化、それから解体だ」


 レッドはオルゴールを地面に置き、左腕の魔導腕の指先をオルゴールに向けた。


「ツール展開、キープラグイン検索、1……2……3……、一致。改造コードの競合性と互換性の検索、一致。メタデータの解析完了まで2……1……0、ストレンジオブジェクトの無効化に成功」


 レッドは呪文のような言葉を呟きつつ、次の段階に移る。


「コーディング開始、コンパイル化の実行。データ変換フォーマット起動、既存のオブジェクトコードに変換まで……0。解体実行!」


 レッドが詠唱を追えると、オルゴールから光が溢れだす。


 それは夕焼けの優しい光のようで、どこか懐かしさを感じるようなものだった。


 光が零れ落ちた時、オルゴールの中からカシャッと機械の外れる音がする。しばらくすると光を帯びたまま1つの歯車が浮かび上がった。


「ストレンジオブジェクト確定。回収!」


 レッドは最終通告を宣言すると、魔導腕でストレンジオブジェクトである歯車を包み込んだ。


 それっきり、光陰もなくなり、水音しかない地下下水道の静寂が戻ってきた。


「それがストレンジオブジェクト……。意外に小さいのですね」


「こんな野良下水道じゃ、こんなものさ。けれどこいつ1つで最高級の家が1件買える。利益を考えればダンジョンでストレンジオブジェクト探求する魔導技師も珍しくないよ」


「……分け前はもらえますよね?」


「現金な奴だな。分け前は出すから安心しろ」


 レッドがエリンをなだめすかしていると、今度は地鳴りが起こり始めた。


 揺れは2人の足元だけではなく、地下下水道全体が蠢いているようだった。


「ストレンジオブジェクトの影響にあった下水道が崩れるぞ! 走れ走れ!」


 レッドはエリンを急かし、元来た道を戻る。


 エリンはピックリードの片手にオルゴールを持たせた後、急いでレッドを追いかけた。


 途中でラットマンやグールローチも見かけたが、彼らも地下下水道の終わりを感じているらしく、こちらに見向きもせず一心不乱に地上を目指していた。


「出口だ!」


 2人は走り続け、外の光を見る。そのまま光の下に駆け込み、脱出に成功した。


 2人が下水道の出口をくぐると、後ろでは土や石くれが倒壊する音が響いていた。


「壊しちゃってよかったんでしょうか?」


「このゲームの下水道は自然発生的に産まれるから。またどこかに出現するだろ。ほかのダンジョンも似たようなもんだしな」


「じゃあ、修業は別のダンジョンで継続ですか?」


「いいや。修行は次の段階に移る」


 レッドは隠しておいたエリンの武器と防具を彼女に返しながら告げた。


「次は対人戦だ」


 エリンは久々に新品の装備が戻ったことに興奮しながら、疑問符を浮かべた。


「対人戦、ですか? 相手は?」


「そりゃもちろん、この俺だ」


 レッドは両手を開いて自己主張するも、エリンの方は懐疑的な視線を送っていた。


「どうした? 気がのらないか」


「だってレッドさんベテランじゃないですか。私程度が敵う相手には見えません」


「ほう。そいつは殊勝(しゅしょう)な判断だな。だが安心しろ。この対人戦で俺は一切攻撃しない。所謂(いわゆる)サンドバックって奴だな」


 ただし、とレッドは条件を提示した。


「この訓練は俺に1度でもダメージを与えられたら終了だ。簡単だろ?」


「えっ。それでいいんですか!?」


「ああ。俺はあまり二言を言わない主義だ。安心しな」


「それなら強くなった私には容易いことですね。今更プランを変更なんて言わないでくださいよ!」


 エリンは畏(かしこ)まった姿勢から、一気に自信ありげな態度に変わった。


 ピッグリードという大物をほぼ1人で倒したせいもあるのだろう。今のエリンには修行に大切なモチベーションが満ちていた。


「ならスタートだ」


 レッドの言葉を合図に、エリンは引き絞った矢を放つがごとく跳ぶ。それは並みのプレイヤーなら翻弄(ほんろう)されるスピードだ。


 エリンは右手に小太刀の武蔵、左手にアンガーを構え。自分の身体を殺陣のごとく左右に振って狙いをずらし、レッドに近づいた。


 それに対してレッドは、ステータスを宙に表示したまま、左手の魔導腕を正面に構えて悠然と立ち止まっていた。


「行きますよ!」


「来いと言ってるだろ」


 2人が交錯する瞬間に、1発の銃声と空(くう)を裂く一陣の風が薙いだ。


 そうしてエリンが通り過ぎる際に、レッドの横髪が僅かに揺れた。


「触った! 髪に触りました! 私の勝利です!」


「馬鹿たれ。ダメージを1点でも与えたら、と言っただろ。触っただけじゃノーカウントだ」


「えー……」


 エリンは不服そうに閉口した。それでもすぐに気を取り直し、1丁と一振りを握る。


「そもそも今のエリンは対人戦において間違いを1つ侵している」


「何ですか。それって!?」


 エリンはレッドに接近しながら銃弾に魔力を込める。それは<ファイヤーバレット>と言われる一般的な銃弾のスキルだった。


 エリンが引き金を引くと、レッドに向かって炎の弾となった1発が襲い掛かった。


「悪手(あくしゅ)だ」


 レッドが魔導腕を傾けると、<ファイヤーバレット>の軌跡が歪み。銃弾は大きい渦を巻きながらレッドの脇を通り過ぎた。


 ただそれは陽動だ。


「<一閃・蝸牛(かたつむり)>」


 銃弾の後ろから突き出した傘のような、渦のような斬撃がレッドに迫りくる。


 レッドは受け流せないと判断し、上に高く跳躍した。


「空中では無防備ですよね!」


 エリンのスキルが地上から90度に曲がり、空中のレッドを追尾する。一方レッドは体勢を変更して地面から飛翔するエリンを迎え撃った。


「リアルなら、な」


 レッドは無数のピアノ線を掻き鳴らすように魔導腕の指を忙(せわ)しなく動かす。その途端、空間がたわんだ。


 少なくともエリンには、そう見えた。


「魔導腕は魔素を秘める全ての物に干渉できる。アボイドメイルも例外じゃない」


 気づけばエリンは鎧に加えられた僅かな力により姿勢が制御できず、スキルを保てなくなっていた。


 対するレッドは空を遊泳する魚のごとく弧を描き、エリンとは離れた場所へ飛んでいった。


「いたっ!」


 エリンは受け身を取ることもできず、地に身体を叩きつけられる。レッドの方はつま先から優雅に着地し、エリンの醜態(しゅうたい)を眺めていた。


「対人戦における初手。ピッグリードの時は自分で気づいただろ」


「あっ」


 エリンはその時やっと気づく。まだレッドのステータスが幾らなのか見ていないではないか。


 エリンは慌てて起き上がりながら、レッドのステータス画面を開いた。


「これって……」


 そこに表示されていた数値はエリンにとって驚きというより意外という印象を与えた。


 レッドのステータスは回避、体力、力などの高低がエリンとほぼ同じで、それどころか敏捷においてはエリンの方が高く。唯一レッドが勝っているのは器用さくらいなものだった。


「これがプレイスキルの、差」


 エリンは砂利か苦虫を噛み潰すような、悔しい顔をする。


 レッドはそんなエリンを励ますように言葉を口にした。


「逆に言えば、それだけってことだ。だが俺の見立てによれば、エリンの吸収力や成長速度で俺に1撃を入れるまでは……そうだな。1週間くらいだな」


「1週間、ですか」


 ラットマンやグールローチを相手にした時間を考えれば、エリンにとってそれは膨大なような気がした。それでもこの1年間、騎士団の元で戦った時よりも強くなっている実感を、エリンは感じていた。


「……本当に、私は前の騎士団に役割を強制されていたのでしょうか」


 エリンがポツリポツリと後悔のように呟くのを、レッドは聞いた。


「思い出して見れば、騎士団の皆との距離を感じていました。向こうからの約束は厳守なのに、私からの約束はほとんど守られませんでした。最初はそんなもの、だと思っていました」


 1度流れ出した大量の水は堰(せ)き止めがたい。エリンは言葉を吐き出すように苦い想いを口にした。


「装備をくれたのも入団した時だけでした。その後はアイテムを取ってくるように言われるばかり! 物も、時間も、思い出も、命令されたことばかりじゃないですか!」


 レッドはエリンの暗い感情を、目を背けずにジッと見ていた。


「そんなの一方的な搾取じゃないですか! それなのに私は作り笑いで頭を下げてばかりで、馬鹿じゃないですか。私は今まで何をしてきたんでしょうか……?」


 エリンの寂しげな問いかけに、レッドは首を傾げながら逆に訊いた。


「でもこのゲームが好きなんだろ?」


「……そうです」


「そのために強くなりたいんだろ?」


「……そうだと、思います」


「なら昔のことはいいじゃないか」


「!?」


 レッドはエリンの目の前で突如ステップを踏んで踊りだした。


「ゲームは面白いからやる。つまらないならやめちまえ。

 義務や責任でやるなら、面白いからを追加しろ。

 止めちまえ。止めちまえ。

 でもそれでもまだゲームにしがみついていたいなら、過去や責務や感情なんて足枷(あしかせ)は外しちまえ」


 レッドはステップを止めた。


「その後悔もゲームが楽しいから出たんだろ。それをひっくるめて笑っちまえ。過去を自分の重荷にするくらいなら忘れるか、乗り越えちまえばいいんだよ」


 レッドはエリンのすぐそばまで近づいていた。


「あくまでも、これは俺の考え方だけどな」


 その言葉を聞いたエリンはクスッと笑い。


「隙ありっ!」


「ひえっ!」


 レッドはエリンの不意の一撃を何とか躱した。


「おい! 卑怯だろ。今のは演技か? 演技なのか?」


「ハハハッ。驚きましたね。もう少しだったのは残念ですが、次は当てますよ!」


「さっきみたいな状況は今後一切ないからな。厳しくいくぞ。厳しく」


 レッドはエリンから距離を取り、エリンは武器を別の組み合わせにしようと動き出す。


 そして、誰にも聞こえないように小さく言った。


「……ありがとうございます」

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