第3話「下水の味は悔し涙の不味さ」
周囲は暗く、上と左右は古いレンガ作りのアーチが延々と続き、足元にはとても飲み水にはなりそうにないへどろの川が流れていた。
レッドとエリンはそんな下水道の中を、ランタンの明かりだけを頼りに進む。
二人の人影が追跡者のように追いかけてきて、レッドよりも後ろにいたエリンは怯えていた。
「ちょっと暗すぎませんか? ココ」
「人は滅多に出入りしないからな。その代わりに狩り場としては穴場だ。敵もそろそろくるぞ」
「敵って……」
二人がさらに進むと、少し開けた場所に出る。
暗闇に浮かぶのは立体的な下水道水の交差点だ。水の通路があり、歯車と水車が噛み合い、下水が自然な流れのように行き来している。
「くるぞ。散開!」
「え、ええっ!」
レッドは右に跳び、後ろにいたエリンは対応が遅れる。
ほどなくして、ランタンに照らされた薄暗闇から火花と小さな爆発音が響いた。
「わわっ!」
それは銃声だ。更にエリンの腹部を目掛けて鉛色の一閃が駆け抜ける。
しかし間髪入れずに、エリンを襲った弾丸は不自然な軌道を描き、彼女を避けて後ろの壁へ突き刺さった。
「アボイドメイルを着ているからといって、数と距離によっちゃ直撃するぞ。早く隠れろ」
エリンはレッドの勧めで、慌てて近場の石柱に身を隠した。
アボイドメイルとは、簡単にいえば矢避けの加護を付加し、全ての飛翔物を回避するようにした鎧のことだ。
これなら銃弾も魔導も軌道が逸れる優れ物。全てのプレイヤーが標準的に装備しているといっても過言ではない装備なのである。
ただアボイドメイルも万能ではなく、向かってくる銃弾の数や発砲距離によっては効果が薄くなる。
つまり過信は禁物、というわけなのだ。
付け加えると、この加護は重装甲であればあるほど効力が強くなっている。
「こ、これからどうします?」
「どうって、エリン1人で倒すんだよ。そのための実戦だ」
「え、ええええ!」
エリンが戸惑っている間も、ラットマンの足音が近づきつつある。
ラットマンはいわゆる二足歩行の巨大ネズミだ。肥大した脳みそはずる賢く臆病で、鼻の曲がるような下水道の中でも冴え渡る嗅覚を持つ。
また、器用に発達した前足は人間ほどではないにしろ道具が扱え。そのために、その辺の棍棒を握ったり冒険者から奪った装備品を身につけることができるのだ。
おまけに数はハツカネズミほどに溢れ、徒党を組んで下水道に迷い込んだプレイヤーやNPC、つまりノンプレイヤーキャラクターに襲いかかってくるのだ。
更にラットマンは食欲旺盛で、文字通り何でも食べる。しかも執拗で、追われたら下水道を抜け出すまでついて来ると思った方がいい。
だから捕捉された2人がここから逃げ出すには、ラットマンを先に倒すしかないのだ。
「このーっ! 分かりました。私の勇姿、しかとその目に叩き込んでくださいよ!」
エリンは自分を勇気づけ、石柱から身を翻(ひるがえ)した。
まず狙うのは1番前線に出ていた、剣と盾を持ったラットマンだ。
生意気にもそのラットマンは大きすぎる鎧を引きずっており、防御力は高そうだ。
とは言っても、そいつは頭装備を身につけてはいなかった。
「頭部ががら空きなのですよー!」
エリンは大剣を肩に乗せて構える。そして、両腕に力を蓄(たくわ)えてその鉄塊を持ち上げた。
そのまま大剣をラットマンの頭蓋に振り落とす。そう思われた。
しかしエリンの一振りは、ラットマンのはるか前方の床を叩いて砕いただけだった。
「あえ?」
幸いにもマヌケな奴はエリンだけではなく、ラットマンも勢いづいた前進で止まり切れずにすっころび、振り下ろされた後の大剣にぶつかった。
数値上はラットマンの体力の3分の1、見た目ではラットマンの自慢の鼻先がぱっくりと割れる結果となったのだ。
「何を遊んでるんだ……?」
ラットマンは自慢の鼻がもげそうになって苦しみ。レッドは呆れ、エリンは顔を真っ赤にして慌てていた。
「こ、これはほんの序の口ですよ! これからです」
エリンは地面に刺さった大剣を引き抜くと、今度は刃を水平にした。
「よいしょっ!」
おそらく目の前で鼻を押さえて悶えているラットマンの首を跳ねるつもりで薙ぎ払ったのだろう。
けれどもエリンの水平斬りはラットマンの鼻先で振られるだけで、かすり傷1つ与えられなかった。
「あれ? あれええ?」
「……そのまま続けろ。次はスキルを使え」
「わ、分かりました!」
エリンは大剣の返す刀で、スキルポイントを消費してスキルを放った。
「<クイックラッシュ>!」
エリンの身体に淡い光の膜が纏(まと)われたかと思うと、彼女は加速した。
目前のラットマンに1撃、そのままスピードを緩めず後方に待機していた2匹の銃を持ったラットマンにも斬りかかる。
先に右の銃持ちラットマンを袈裟に斬り払い、左の銃持ちラットマンは斜めに斬り上げられた。
これは効果の強い加速バフを短期間に付与する連続攻撃、思考の加速も合わさり、正確な連撃ができる。
そのはずだった。
「3匹とも致命傷じゃない、と」
後方から見ていたレッドの目には、腕や足の一部を失ったラットマンの姿が映った。
どうやらエリンの攻撃ではラットマンの士気を完全に挫いておらず、まだまだ戦いは終わらないようだ。
「<クイックラッシュ>の後は一時的に行動不能だったな。――ここまでか」
レッドの言う通り、スキルを放ち終えたエリンは膝を崩している。これでは数秒と経たずにラットマンの餌食だ。
とはいえ、レッドもその姿を傍観(ぼうかん)するつもりはなかった。
「戦闘は、久しぶりか」
レッドは自身の装備を装着する。
防具はほとんど軽装のまま、武装は腰に差した片手剣と拳銃だ。
片手剣は歯車によって可変式となっており、斧にも姿を変えて変則的な攻撃が可能となっていた。
一方、拳銃もまた普通ではない。複数のトルクが銃身に突き刺さり、蒸気によって加速する蒸気拳銃となっていた。
それぞれの武器の名前をレッドは、片手剣がローエン、蒸気拳銃をグリンと呼んでいた。
武器はそれだけではない。レッドの左手には大きな機械の爪が装着されているのだ。
「魔導腕の方は割と最近も使い慣れているけれどな」
レッドは左手の機械の腕を大きく前に構え、蒸気銃の装填を確認してから照準を覗き込んだ。
「<魔導弾・シルバーブレッド>」
レッドは1番近くにいるラットマンの頭部を狙って、トリガーを絞り込む。
小さな炸裂音、白い蒸気と硝煙を纏(まと)った煙が立ち昇り、銃口から加速した銃弾がはじき出された。
銃弾は銀色の閃光となってラットマン目掛けて飛翔する。
だがあまりにもレッドの挙動が遅く、更に照準時間の長さのせいか。ラットマンは自分が狙撃されるのに気づき、なんと伏せたのだ。
レッドはラットマンに銃弾を避けるほどの知能と俊敏さがあることに驚きつつも、慌てなかった。
「っ!」
レッドは左腕の魔導腕の指を、微分積分解析機の駆動のように滑(なめ)らかに動かす。
すると、どうしたことだろう。銀色の軌道が振動し、ついには奇妙な軌跡を描き、伏せているラットマンの頭部に突き刺さったのだ。
「次っ!」
レッドの魔導腕の指の動作は更に加速して回転する。
今度は伏せたラットマンの脳みそを食い破り、勢いそのままの銀色の弾丸が天井を目指してから、後続のラットマンを目指して加速したのだ。
これには後方2匹のラットマンも驚き、怪我を庇いながらも銀の弾丸を撃ち落とそうと銃撃を繰り返した。
それでも指先ほどの塊を狙うのは至難の技だ。そのうえ、不可思議な力によってジグザグに接近すればなおのこと当たるはずがない。
「チェック、メイト」
銀色のきらめきは渦を描くようにたわんだかと思うと、急に軌道が変化して2匹のラットマンの頭部を線で結び、ついに壁へめり込んだのだった。
「魔素の操作は順調、と」
レッドは、ふうっと一息つく。そうするとやっとエリンが行動可能になり、レッドへ振り返ったのだ。
「レッドざああああんっ!」
「どうした、そんな泣きそうな声で」
レッドが茶化すも、エリンは目を潤ませながら悔しそうに顔を歪めた。
「この通り、私の腕じゃ皆に迷惑が掛かってしまうんです。こんな私でも、強くなれるでしょうか。このゲームを楽しんでいけるでしょうか……」
エリンの言葉1つ1つは懺悔(ざんげ)と大好きなこのゲーム、オーダーニューロマンスへの愛がこもったものだった。
レッドはゲームを始めたばかりの自分の姿をエリンに重ね、エリンを励ました。
「エリン、ゲームの上達のコツは何だと思う?」
「……ゲームのセンス、ですか?」
「いいや違う。それはゲームが上手くなる速度の違いだ。ゲームを上達するにはまず必ず、ゲームを好きにならないといけない」
レッドは講釈を垂れるようにまだ残っている魔導腕の指を1本指した。
「ゲームが好きなら練習が苦にならない。しかも好きならゲームの特徴を見逃さない。例え負けたとしても挫折することなく、なぜ負けたのかを分析できる。つまり愛と言う原動力がゲームを分析し、鍛錬を積む力となるわけだ」
レッドの言葉にエリンは納得したのか、天を仰ぎ地を眺めるがごとく頷いた。
「まあ、それには時間がかかる。鍛錬は自分自身でしかできないが、ゲームの分析は俺に任せろ」
レッドはエリンの前に大小複数のウィンドウを表示した。
「エリン。お前が思う以上に、お前は強くなれる素質があるぞ。今はまずその戦闘スタイルを変えよう」
エリンはレッドの激励により彼を信じたのか、申し出を否定することはなかった。
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