第2話「修行の汗は下水道の香り」
エリン・スズカケは所属していた騎士団から追い出された独り身の騎士だった。
このゲームは職業以前の前提として冒険者と騎士どちらの勢力に入るかをを選ぶシステムとなっていて。レッドとエリンは同じ騎士を選んでいた。
ただ騎士団というものは1つではなく、他のゲームのギルドのように複数存在し、簡単にいえば小さなコミュニティのようなものだった。
エリンがその騎士団から追い出された理由とは、すなわちエリンのプレイングスキルが原因であった。
「私はこのゲームを始めてから2年目なんですが、プレイは上手くなくて、他の騎士団メンバーを困らせてばかりだったんです」
「だが、それだけで退団させられるものなのか?」
「私のいたギルドは実力主義でした。ギルドランキング上位を目指していましたから、足手まといだったんでしょうね」
露店広場を離れた人気(ひとけ)の少ない別の通りで、エリンは悲しそうにレッドへそう告げた。
その表情はリアルな顔を投影しているおかげで、悲嘆と寂しさが入り混じっているのがありありと見て取れた。
「同じ騎士団メンバーからは上手くなければプレイなんて辞めてしまえとも言われました。でも私はまだずっとゲームをしていたい。誰にも蔑(さげす)まれることもなく、自由でいたい。だから父さんに相談したんです」
その相談は、もっと強くなりたいという単純明快な願い。確かにレッドよりもこのゲーム<オーダーニューロマンス>を念入りにプレイしているスズカケ師匠なら願いを叶えるのは可能だろう。
だがしかし、その父は弟子に娘の依頼を丸投げするという形で応えたようだ。
「あの人は自分勝手だからな……」
「はい、父さんは勝手な人です」
レッドは呆れたように口角を下げ、エリンはそんなレッドの顔を見て少し笑った。
「まあ、師匠の頼みは断れない。あの人には貸しが多いからな」
「貸し、ですか」
「ああ。俺も昔、初めて入った騎士団を退団したことがあってな。その時に励ましてくれたり、MODの基礎を教えてくれたり色々と世話になった。リアルの方の進路も師匠のおかげで決まったし。そんな人の大事な頼みを断れないだろ?」
レッドは共感を求めてエリンの反応を伺ったが、同意の言葉は聞こえなかった。
「……私、人に借りを作るほど生きてませんよ」
「おいおい、そんなに若いのか?」
レッドが問うと、エリンは会心の笑顔でピースサインを向けた。
「なんと驚き、私の年齢はピチピチの14歳。です!」
「……今時の若者はピチピチなんて使わんぞ」
「そうですか? 父さんはよく使いますよ?」
「だからその参考元がおかしいんだよ」
恩人のことをおかしいと言いつつも、レッドはこの依頼を受けるつもりでいた。
そもそも、断るほどレッドは忙しくもないし。断るほど、義理のない相手でもないからだ。
「それで? エリンはどう強くなりたいんだ?」
エリンはレッドの言葉に、ピンッとくせ毛を立てた。
「よくぞ聞いてくれました。この私にも夢があるんです。どうせ強くなる1番を狙いたいんです」
「つまり、ランキング1位を狙うつもりなのか」
「そうです!」
レッドはエリンの言葉を聞き、少し呆れた。
それと共に驚きもあった。
つい先日、自分のプレイングスキルが理由で騎士団を追い出された少女が、騎士団への対抗意識どころかナンバーワンを目指して強くなりたいというのだ。
人によっては滑稽、無謀。夢物語だと、腹を抱えて笑う案件だ。
「青い、いや新鮮だな」
レッドもかつてプレイ当初はゲームで1番強くなることを本気で目指していた。
けれども結局、自分の力では到底夢が叶わないと知り、挫折してしまったのだ。
今のエリンは限界を知って夢を諦める前の自分の姿のようにも思えた。
「いいだろう。ただし今までのプレイスタイルややり方に固執するなよ。文字通り徹底的にお前を生まれ変わらせる。中途半端な覚悟だと判断すれば、俺は手を引くからな」
「はいっ! 決して失望はさせません!」
エリンは根拠もない自信で、はっきりと口にした。
そうと決まれば、まずは訓練の場所選びだ。
「ついて来い」
レッドは先導してある場所に向かった。
周りは街の中央の賑わいから離れ、建物も少なくなっていき、2人は郊外に出た。
寂れた場所を歩き、ついに到着したその場所は、街の外にある下水道近くの空地だった。
「うえ、ここでも少し臭いますよ」
「心配するな。後で下水道の中に入るから、臭いなんてすぐに気にならなくなるぞ」
「……ええっ」
不満そうなエリンの顔は丸めてくしゃりとした紙のように潰れて、レッドに遺憾の意を表していた。
「どうした? 気が向かないなら止めても」
「や、やります。ただ場所について不満があっただけです!」
エリンは自分のやる気を示すようにファイティングポーズを取る。それに意味があるかはともかく、やる気があるようならレッドも引き下がる理由はない。
「まず最初にエリンの今までのプレイスタイルを見せてくれ」
「えっ、1から始めるんじゃないですか?」
「参考に見るまでだ。その戦闘スタイルは今日限りだと思って一生懸命やるんだな」
「わ、わかりました!」
エリンは全身に力を入れると、淡い光跡(こうせき)とともに姿が変化する。
軽装な格好は変わり、エリンの身体に重厚な黒金の鎧が装着される。手には巨大な人斬り包丁を握り、エリンはそれを掲げた。
「よしっ、とりあえず技の素振りから始めてくれ」
「はいっ」
レッドは数個のウィンドウを目の前に開き、エリンの一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)を見つめる。
エリンはその視線を気にしながらも、大剣を強く振るった。
「<ビッグインパクト>!」
エリンはスキル名を叫ぶとともに大剣を地面にぶち当てる。
その衝撃は凄まじく、衝突部分を中心に地面が揺れ動いた。
レッドの足元に振動が届くも、本人は意に返さずウィンドウ上の数値の変化を眺めていた。
「ど、どうでしょうか?」
「そのまま続けてくれ。こっちはサンプルを取っている最中だ」
「サンプル、ですか」
エリンは浮かない顔をするも、次の攻撃の動作に入った。
叩き付けた剣を今度は水平に引きこみ、横一線になぎ払ったのだ。
「<ソニックストライク>!」
エリンの空中を飛翔する斬撃は方向を意図していなかったため、レッド目掛けて飛来した。
「あっ!」
だがレッドは視線を送ることもせず、左に2歩移動した。それだけで空中を進む<ソニックストライク>はレッドの横を掠め、後ろで流れていたどぶ川を粉砕した。
「次っ!」
レッドはヘドロの飛沫を背中に浴びるのも意に介さず、指示を飛ばした。
そのままエリンは大剣のスキルのすべてを、回避と防御のスキル、自分自身の能力を向上するバフスキルをレッドに披露した。
「い、以上です。ぜえ、ぜえ。どうでしたか?」
エリンがすべてのスキルを出し終える頃には、スキルの際に消費するスキルポイントが底をついていた。
このスキルポイントはマジックポイントとは別で、スタミナに相当するキャラクターのパラメータだ。これが0になるということは、つまりスタミナなしで疲れきっている状態なのだ。
「データはとれた。次は実戦に入る。このスキルポーションで回復しておけ」
レッドはエリンを労(ねぎら)うことなく、次の予定を伝える。これはかなりのスパルタだ。
「それでどこで実戦ですか?」
「それはもちろん、そこだ」
レッドは何のこともなく、エリンの後ろを指差す。
そこは汚いヘドロが流れる下水道の入口、もしくは出口だった。
エリンは絶望的な目でレッドの顔を睨んだ。
「……えええっ……」
「下水道のラットマンは百人組み手にはちょうどいい相手だ。街にも近い方だしな。必要あればすぐに戻れる」
「でも、下水道ですよ。排水があふれてラットマンだけじゃなくてグールローチもいる不衛生地帯ですよ。止めましょうよ」
「臭いや不潔が気になるのか? ゲームの中なら問題ないだろ。確かにステータス上に病気や清潔度の表示はあるけど、薬や風呂もある。いざとなれば街に戻れば大丈夫だ」
「そ、そういう問題じゃないですよ」
エリンはなお一層気落ちした顔でまくし立てた。
「いいですか! 私はこう見えても現役中学2年生なんですよ。街で何度も不潔と病気まみれで往復しているところを目撃されたら、SNS上になんて書かれるかわかったものじゃないですよ! レッドさんだって社会的立場ってものを大事にしたいでしょ!」
「いや、気にならん」
「ズコーーーッ」
レッドは、擬音を口にするなんて古い奴だな、とスズカケ師匠のエリンに対する影響を心配した。
ともあれ、このまま口論していては修業が始まらない。
「言ったろ。俺はエリンが本気ならどこまでも付き合う。けどな、こんなところで躓(つまづ)くならとても最強の称号なんて口にできないぞ」
レッドの言葉に、エリンは唇を噛む。よほど汚れるのが嫌らしい。
「わ、わかりましたよ。ただし薬はレッドさんだけで街に買いに行ってくださいよ!」
「汚れの方はどうする?」
「そこは、どうにかします。ただどうするかは言えません」
エリンはここまでしか譲れません、と断固とした雰囲気を出していた。
「それでいい。なら、始めようか」
レッドは承諾すると、先頭になって下水道のどす黒いどぶ川に革のブーツを浸(ひた)した。
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