最終話 幸福の日 そのいち


 ~ 五月二十九日(金) 幸福の日 ~


 ※ 三人成虎 《さんにんせいこ》

  ウソ偽りも、三人で言えばみんな信じる



「じゃあ、舞浜。行くぞ」

「うん。……信じてる、ね?」



 狭い玄関に並んで腰かけて。

 履き古したスニーカーの紐を。

 同時にキュッと結んだ朝のこと。


 この時の俺たちは。

 まだ。


 笑う事はすなわち幸せで。

 笑わないことは不幸だと信じていたんだ。



 ……そう。

 あの人に出会うまでは。




~´∀`~´∀`~´∀`~




 朝から家を出て。

 休憩を二回挟んで。

 車で五時間。


 はるばると。

 やってきましたこの場所は。


 知らぬ者などどこにいよう。

 名前を聞いただけで。

 景色が自ずと目に浮かぶ。

 あまりにも有名な観光スポット。



 その名も。


 


『ふじのくに田子の浦みなと公園』




「…………どこ」

「知らねえのか舞浜妹!? 日本で五本の指に入る絶景スポットじゃねえか!」


 何なんだお前。

 いや、姉の方も凜々花も。


 揃いも揃って頭の上にハテナマーク浮かべやがって、このもの知らずどもが!


「おい店員! こいつらに自分の非常識ってもんを教えてやってくれ!」

「すげえなお前。バカ凜々花から聞いてたけどそこまでどっぷりとはな」

「どういう意味だよ!」

「あたしらの趣味がマニアックだって話だ。あと、店員って呼ぶな」


 納得いかねえが。

 まあ、世間知らずを責めてもしょうがねえ。


 後で、その景色見りゃ。

 自ずと理解してくれるだろ。



 長旅で硬くなった体を伸ばしながら。

 パーキングから外へ足を踏み出すと。


 初夏の日差しに焼かれてぱりっと乾いた。

 潮の香りが鼻腔をくすぐる。


 そうなると必然的に。

 すきっ腹が新鮮な海の幸を求めてぐうと鳴るわけだ。


「なあ、昼飯食わねえか?」

「そうだな、何食うかな~。おいダリア! 何食いてえ?」


 殺人未遂以下略女が。

 声をかけたその相手。


 ちょっと筆舌しがたいミステリアスな美貌を持ったその人は。

 ロシア人の、藍川あいかわダリアさん。


 どうやら、殺人……、めんどくせえな。

 こいつの工場夜景見学友達らしい。


 ……銀糸って表現できるほどのプラチナブロンド。

 そんな長い髪を潮風になびかせつつ。


 急な依頼にもかかわらず車を出してくれたこの人は。

 透き通るような声でぽつりとつぶやく。


「富士市メイブツと言えば。田子の月最中」

「昼飯に!?」

「ジョウダン。少年、つっこみ方がダレカさんにそっくり。ソシツあり」

「だろ? こいつ、うちの呼び込みにピッタリだと思わねえか?」

「ふざけんな」

「よし、サイシュウ面接。……正座」

「しねえよ!? なに言ってんの?」

「ミコミ、ない」


 意味の分からん会話で爆笑してる殺以下略女を放っておいて。


 携帯でこの辺の名物を調べながら尻尾ブンブン振り回してる。

 舞浜姉に声をかけた。


「ほんとお前、イベント系のこと好きな」

「ど、どうしよう。旅行、楽しい……、ね」

「まだ始まってねえだろが。んで? 良いもん見っけたか?」

「名物は……、ね? つけナポリタン、生しらす丼」

「しらすはこの時間じゃ釜揚げしかねえだろうな……って。何をつけるって!?」

「ナ、ナポリタン……、よ?」


 これには鉄面皮の春姫ちゃんも食いついて。

 子供チーム四人で顔寄せながら。

 舞浜の携帯を覗き込む。


「なるほど、トマトスープっぽいもんにつけて食うんだ」

「ちゅるちゅる! 凜々花、ちゅるちゅる食べたい!」

「……麺に乗ったレモン。どう使うか疑問」

「ねえ! ちゅるちゅる!」

「こ、これ……、食べてみたい……、な」


 舞浜の左右と前で。

 三つの顔がコクリと同意。


 よし、目標決定だ。

 あとは近所にこれ食える店探して。

 大人二人に伝えよう。


 と、思ったところで。


「凜々花、ウナギ食いてえ!」

「ちゅるちゅる食えるわけあるか!」

「ぷっ!」

「おお、いいなあバカ凜々花!」

「同意。さっそくサガス」

「おい待ててめえら! それ、静岡の反対側の名物だろうが!」


 呆れた三人組が商店街の方に歩き出す姿を眺めながら。

 俺たちは肩をすくめてため息一つ。


 でも、この暑いのに、いつものフリフリなドレスで来た春姫ちゃんは。

 舞浜の顔を横目でちらっと窺うと。


 スカートをくしゃっと握りしめたまま。

 無表情な目を海に向けて。

 ぽつりとつぶやいた。



「…………旅行。久しぶり。楽しい」



 姉と同じことを口にした青い瞳。

 感情が描かれてない仮面の内に。

 心からの笑顔が見てとれる。


 そんなものが分かるようになった、その訳は。

 この子の秘密を知ったから。


 多分、舞浜もとっくに気付いているんだろう。

 だから今、笑うの我慢したんだよな。


 だって、俺は聞き逃さなかったぜ?

 さっき吹き出してたろ。



 姉妹揃って。

 凜々花の天然がツボなんだな。



 ……さあて。

 俺も負けてらんねえ。

 凜々花ばっかにいいとこ取られてなるもんか。



 お前ら二人揃って。


 俺が無様に笑わせてやるからな。




~´∀`~´∀`~´∀`~




「うんめえ! 上!」

「うめえなあ! 上!」


 結果的に。

 文句無し。


 うな重のうめえことうめえこと。


「『上』で喜ぶショミンども。うまいカ?」

「ご馳走してもらっといてなんだが、何て言い草だ」

「おにい、我慢だよ? なんたってダリアちゃんは『並』なんだから!」

「ホントは特上とシャレコミたいところ、四人に『上』ヲ振舞うではそれも叶ワズ。ヨヨヨ……。ほれ、サンショウを取れ、ショミン」

「庶民庶民うるせえ! 命令すんな!」


 お前んとこからなら。

 手ぇ伸ばせば届くじゃねえか。


「おにい、我慢我慢! 自分は五百円分我慢しといて『上』を食べさせてくれるなんてまさに神の所業! 並神様だよ!」

「そうだったな……。こちらが山椒にございます、並神様!」

「クルシュウない。……ああ、来た来た」

「なんだ? もう一つ重箱来たけど」

「私の分のオカワリ」

「誰が我慢してるって?」


 並二杯で特上超えるじゃねえかふざけんな。


 だが凜々花の言う通り。

 こんな高級なもんご馳走になっといて。

 礼を尽くさないなんて人としてあり得ねえよな。


「ああ、チョウジカン運転。カタがこった」

「凜々花がもんだげる! ちっと髪避けるよ?」

「ハシ持つのもタイヘン」

「しょうがねえな。わたくしめが食わせて差し上げます」

「はむっ。ゴクラクゴクラク」


 昼下がりのウナギ屋は貸し切りみてえな状態で。

 俺たちの騒ぎを咎めるやつもいやしねえ。


 ……しかし。

 このおもしろ姉さん。


 全くの無表情でよくもまあこれほどおもしれえこと連発できる。

 いまさら気づいたんだが。

 こいつ、舞浜妹にそっくりだ。


 金と銀。

 そんな違いはあるけども。


 話し方も。

 やってることも。

 まるで同じじゃねえか。


 おかげでボケが二倍。

 ツッコミが忙しくて。


 今日のマストミッション。

 舞浜を爆笑させなきゃいけねえのに。


 俺がボケてる暇がねえ。


「すげえ綺麗な髪! あ、でも凜々花ね? ダリアちゃんの髪、どっかで見た!」

「ソウカ。ワタシの髪。日本人ならば誰デモ一度は目にスル」

「え? どこで?」

「ご祝儀ブクロの銀のアレは、全部ワタシの髪」

「……偶然。金は私」

「きゃはははむぎゅっ! ……ふぉっふぉっふぉ」


 まったく、この金銀コンビは……。

 今日はデニムだからつねりづらいだろうに。

 凜々花、よく耐えた。


「少女。笑い方、キョウフ。まるでちょっと具合の悪いゾンビ」

「あ! 腿つねったらショックで思い出した!」

「……ぼけ殺し」

「ムネン」

「ダリアちゃんの髪見た場所わかった! うちのソファーに引っ付いてたやつ!」

「そりゃ親父の白髪だろうが!」

「いや、そりゃあこいつの髪の可能性あるぜ? なんたって……」

「ご祝儀ブクロから落ちた」


 笑い声は二人分。

 笑顔は三人分。


 妙に静かなメンバーだけど。

 居心地のいい楽しい世界。

 

「ダリア、言わねえでいいのか?」

「言ったトコロデ。今はカレラの城。ブスイ」


 大人二人はたまにこうして自分達しか分からん会話してるけど。


 凜々花はずっと笑いっぱなしだし。


 無表情にスカートを握りしめたまんまの春姫ちゃんも。

 俺には笑ってるようにしか見えねえし。


 その上。


 旅行っていうシチュエーションでテンション上がってるからだろうな。


 舞浜は、凜々花がなんかやらかすたびに。

 いちいち吹き出してやがる。


 ようし、場があったまってきたところで。

 笑いの神に選ばれた。

 俺の才能を見せつけてやるか。


 さて、どうやって舞浜を無様に笑わせようか。

 急いで考えねえと。


 ……そう、急がなきゃ。

 銀色金色の無表情コンビが。

 あれよあれよとボケまくるからな。


「……オイ、少年」

「ちょっと邪魔しねえでくれ。今忙しい」

「なぜツユダクを頼んだら、ソウイウのはちょっとと言われたか」

「牛丼屋じゃねえからに決まってんだろ」

「……凜々花兄の言う通り、牛丼屋とは異なる。共通しているのは、これだけ」

「うはははははははははははは!!! どうして紅ショウガ乗ってんだ春姫ちゃんの重箱!」

「ソウカ。これだけカ」

「うはははははははははははは!!! ラッキョウはカレー屋だ!」


 いつ仕込むんだよお前ら!

 油断も隙もねえ!


 だが、笑わされてばかりじゃいられねえ。

 俺もテーブルの上の品でボケねえと!


 慌てて目を走らせた調味料セット。

 ワサビと醤油。

 七味と山椒。

 つまようじと割りばし。


 くそう、なにも思い浮かばん!


 しかも。

 それらグッズが取られたり戻されたりひっきりなし。


「わちゃわちゃうるせえぞ舞浜! なんでいちいち笑いのお返し探すんだてめえは!」


 びくうと固まった舞浜の右手。

 シラウオのようなその指で持つのはつまようじの容器。


 そして左手に持った付箋には。



 『うな重(上)用』



「うはははははははははははは!!! 並の人に、もっと自由を!」


 ちきしょう、なんなんだよお前ら!

 邪魔すんなっての!


 これっぽっちも笑わねえ二人組が。

 強力な助っ人加えてトリオに変身。


 こんなことで。

 作戦上手くいくのか?


 なんだか、飴色の舞浜の髪が……。


「お前の髪が銅色に見えて来た」

「え?」

「おもしれえやつの一位決める表彰台みてえ」

「……ならば私が一位ということか。見る目を持っているな」

「ナンノ。この店でイチバン面白い素敵ジョシはワタシに決まっている」

「……それはどうかしら。三人の内、誰が一番面白いか、その男に決めてもらいましょう」


 一斉に俺の方を見た表彰台トリオ。

 困り顔の銅と。

 鼻息の荒い金と銀。


「少年。ダレガ優勝か」

「……金にすればいいのだ」

「ギンにスレばいいのだ」

「うるせえ黙れ。舞浜、ちょっとこいつら黙らせろ」

「ど、すればいいの……、だ?」

「うはははははははははははは!!!」


 ほんと。

 俺にもボケさせてくれ。



~´∀`~´∀`~´∀`~



 ゆっくりウナギを堪能して。

 近所を散歩して。


 舞浜念願の喫茶店で。

 紅茶とケーキを楽しんだところで。


 さて。


「今日は風も強かったし。期待できるよな、店員」

「さあなあ。冬の間ならともかく、こんな時期じゃはっきり見えねえと思うぜ?」

「いやいや、見えてもらわねえと困るっての! ネガティブなこと言うんじゃねえよ、店員」

「だから、店員って呼ぶなってんだ。……おい、ダリア待て! あたしが先だ!」


 店員女が駆けていく。

 ふじのくに田子の浦みなと公園。

 昼の顔と夜の顔。

 どちらの景色も見事なんだが。


 黄昏時のちょいと手前。

 この時間だけは。

 その両方を同時に楽しむことができる。


 そしてこの素晴らしい景色が。

 すぐそばにいる、笑わないこいつの悩みを。


 吹き飛ばしてくれるにちげえねえ。


「あ! あれ何? 舞浜ちゃんこっち来て!」

「り、凜々花ちゃん!? 薄暗くなってきたから、遠く行っちゃダメ……」


 公園の展望広場へ至る坂道を。


 六人で登ってたのに。

 あっという間にバラバラ。


 俺は、少し立ち止まって。

 ゆっくり歩くフリフリドレスがようやく追いついたとこで。

 歩調を合わせて歩き始めた。


「……なぜこんな遠くまで来たか分からんが。まあ、楽しかったな。たいして使えない兄の方にしてはなかなか」

「なかなかだあ? まだ、こっからがメインイベントだっての。こいつを見てから評価しろい」



 普通、こんな風にあおられたら。

 期待に胸躍らせるところなんだろうが。

 春姫ちゃんの反応の悪いこと悪いこと。


 それもしょうがねえか。

 結局、一番の問題は解決しないままだもんな。



 期待しとけって約束した俺に。

 不信感持ってやがるな?


 このままじゃまずい。

 でも、強行していいのか?


 俺のシナリオ。

 まだ中途半端なままなんだが。


 あと一つだけ。

 重要なピースが足りてねえ。


 でも、もうすぐ広場に着いちまう。

 こうなりゃ。

 行き当たりばったりだ。



「なあ、春姫ちゃん」

「……なんだ?」

「お前さ。今の生活、幸せか?」


 丘を走る潮風に紛れて。

 我ながら抵抗のある言葉を口にすると。


 軽くため息を吐いた春姫ちゃんは。

 遠くで凜々花の相手してる最愛の人を気遣うように、慎重に。

 言葉を選ぶような口調でつぶやいた。


「……私は幸せ。そう言っている」

「そうか? じゃあ、お前の幸せの定義って何なんだよ」

「……美しき景色を目に楽しみ、花の香りを鼻に楽しみ、鳥の調べを耳に楽しむ。物語を読んで心を楽しみ、そして今日のような時間で人生を楽しむ」

「姉ちゃんのせいで、悲しい思いしてるのに、か?」


 俺の言葉に。

 足を止めた春姫ちゃんは。


 俯いて、首を背けて。

 泳がせた目を。

 凜々花に振り回されて走る舞浜に向けて。


 そして、首を横にさせたまま。

 こくりと顎を引いた。


 今の首肯が『幸せ』にかかっているのか『悲しい』にかかっているのか。

 それはどうでもいい。


 結果、その反応で。

 真実だって分かったからな。



 お前が。


 舞浜のせいで悲しい思いをしてるってことが。



「……なぜ。そのような事を聞く」

「俺、お前を笑わせるって約束したよな。そのためには、お前さんに信用してもらわなきゃなんねえから」

「……待て。お姉様に言う気か? お前、過不足なく理解しているのだろうな」

「当然だ、理論的に考えれば単純明快。お前は姉ちゃんのこと大切に思ってるし感謝もしてる。……だから言えないんだよな」


 吟味って名前の眼鏡かけて。

 俺の目をじっと見つめて。

 無言なままだった春姫ちゃんが。

 青い瞳をゆっくり伏せる。


 そして、しばらく黙考していたかと思うと。

 ようやく観念したように。


「……任せた」


 そう言ってくれた。


「よし、任されたぜ。お前らを、心の底から笑顔にさせてやる。……舞浜! 凜々花! こっちこい!」


 慌てて登って来る二人を見て。

 不安そうにする春姫ちゃん。


 俺は、小さく震える手を握ってあげて。

 展望広場への坂を上る。


 安心しな。


 今の感情が吹っ飛ぶくらい。

 すげえ景色が待ってるから。


 俺がお前を。

 心の底から笑わせてやるから。



 空ばかりしか見えなかった視界が。

 丘の稜線に近付くにつれ少しずつ下に広がっていく。


 それと反比例するかのように。

 足元ばかり見つめてた俺たちの顎は上がって行って。


 伏せがちだった瞼が。

 最後には、これでもかってほど見開かれた。




 さあ、ここが。

 お前の夢の入り口だ!





 後半へ続く!

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