主婦休みの日


 ~ 五月二十五日(月) 主婦休みの日 ~


 ※海底撈月かいていろうげつ

  無駄な努力。だがイーハン。



「でな? 調味料はどうしたって怒った客に、すまし顔でコックさんが言ったんだよ。僕の名前は、ですが? って」

「きゃははははは!」

「失格! そんなことでどうする!」

「そうだった! 悔しい! もういっちょお願いします!」


 夜の保坂家は。

 普段から騒がしい。


 だが今日は。

 凜々花の笑い声がひっきりなしだ。


 ……笑うなっつってんのに。


「ほれ。手の甲に書いた『甲』の字」

「ぷくっ! …………だ、だいじょぶ。こうして腿をつねれば……」

「これをごしごし拭いたらその正体が!」

「きゃははははは! 『平』になった! そっち違う!」

「失格!」

「くふふふふっ……! ももういっちょ!」

「腿いっちょ?」

「きゃははははは!」


 なあ、凜々花よ。


 金曜の試験休みから。

 土日もまるっと三日間。


 こんだけ繰り返してんのに。

 どうして会得できねえんだ?


 このまんまじゃ海底撈月かいていろうげつ

 なんとか会得してくれねえと困るんだけど。


「ねえ、ここのところずっとだけど。それは何をやってるのかな?」


 ダイニングで向かい合って。

 特訓を続ける俺たちに。


 ココアの入ったマグカップを二つ差し出しながら親父が混ざって来たんだが。


 ちょっとは考えろって。

 こんなの凜々花が口に含んだら吹き出しちまうだろうが。


「どうして凜々花ちゃんは腿をずっとつねってるんだい?」

「これは、爆笑する練習だ」

「ええ!? だって、笑う度に失格って言ってるじゃないか……」

「説明面倒だから既読スルーな。……そんで、凜々花。腿はダメだっての」

「くふふ……! つ、つねってないと笑っちゃう……!」

「それじゃダメだって。ほれ、こんな感じ」

「こうだよね、こう! ……ほへ~」


 何度繰り返しても上手くいかねえのは。

 笑っても罰則がねえからなのかな。


 いや、そんなことねえか。

 笑わねえようにするために。

 腿を散々つねってるのが。

 そのまま罰にもなってるわけだから。


「……なのに上手くできねえのはなんでだ?」

「ほへっほへっほへっ……。これでもう大丈夫。ばっちこい!」

「この写真は朝顔。これが昼顔。で、これが変顔」

「ふぉふぉふぉふぉふぉ……」

「おお、結構いけたな。で、最後の写真が、ガオー!」

「きゃははははは! ライオン、変顔してる!」

「失格!」

「くそう! もういっちょ!」


 親父は眉を八の字にしながら凜々花を心配そうに見てやがるが。

 いらんことで悩んでないで。

 掃除でもしろっての。


 今日は俺が主婦業休みなんだからさ。

 こんだけネタ作る時間の工面に押し付けたとは言え。

 きっちり仕事しろ。


「ねえ、お兄ちゃん。ほんとに平気? 変な遊びじゃない?」

「変なわけあるか」

「ちょっと心配になるよ……」

「余計なこと考えてねえで仕事しろ」

「ああ、掃除?」

「いや。職業の方」

「してるって!」


 でも、いつもテレビ見て携帯いじってるじゃねえか。


「向かいでバイトでもすれば? 今なら客寄せを大募集中だ」

「勘弁してくれよ……。あ、そうだ。お向かいで思い出したけど、髪の長い店員さんいるだろ?」


 ん?

 俺の敵の話か?


「凜々花を工場夜景見学に連れて行ってくれるって言うんだけど、お兄ちゃん、一緒に行ってあげてくれないかな?」

「工場だと!?」

「お兄ちゃんも好きだったよね、工場夜景」

「くっ……」


 あ、あいつと同じ趣味だとぉ?

 納得いかねえ……っ!


 でもここ半年ぐらい引っ越しやらなんやらで見てねえんだ。

 この機会を逃すなんて……!



「だ、だが断る」

「ええ!? なんでさ!」

「親父がついてってやればいいだろ。仕事ねえんだし」

「だからしてるってば!」

「ああもう邪魔だ邪魔。凜々花、敵を排除だ」

「どうやって?」

「笑い倒してやれ」

「ラジャートレジャー靖国神社ー!」


 そして凜々花お得意のくすぐり攻撃が始まると。

 親父は椅子から転げ落ちてもんどりうつ。


 撤退も時間の問題だな。


「やめてよ凜々花ちゃん! あははははは!」

「「失格!」」

「ええ!? それは無理な話……、あははははは!」


 まあ、そうだわな。

 これは無理。


 だが。


「さらに失格! 凜々花! 笑う時のお手本を見せてやれ!」

「ふぉふぉふぉふぉふぉふぉ」

「よし、完璧!」

「そ、それ、ほんとに変な遊びじゃないんだろうね!?」

「……凜々花。やれ!」

「あははははは!」

「そして凜々花! 半魚人!」

「きゃははははは! 洗剤で手の平に水かきでけとる!」

「失格!」

「きゃははははは!」


 ……やれやれだ。


 こんなことで。

 うまくいくのかな。


「きゃははははは……、ふごっ!」

「ブタ声!? うはははははははははははは!!!」

「「失格!」」


 ……三人揃って。

 失格。


「あははははは!」

「きゃははははは!」

「うはははははははははははは!!!」


 夜の保坂家は。

 普段から騒がしい。


 だが今日は。

 一段と騒がしい夜になっちまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る