サイクリングの日


 ~ 五月二十二日(金) サイクリングの日 ~


 ※軽佻浮薄けいちょうふはく

  軽はずみで落ち着きがねえ



 狭い玄関に並んで腰かけて。

 履き古したスニーカーの紐を。

 同時にキュッと結んだ朝のこと。


 この時の俺たちは。

 まだ。


 笑う事はすなわち幸せで。

 笑わないことは不幸だと信じていたんだ。



 ~´∀`~´∀`~´∀`~



「探検、探検、リュ~ック!」

「リュック、リュック、お・も・い」

「重い、重い、く・じ・ら!」

「くじら、くじら、ひ~げ」

「……くじらにひげ、無いよ? おにい、ナマズと間違ってない?」

「ヒゲクジラって知らん?」

「知らん!」

「納得いかねえなあ……」


 五月の頭に計画していた探検。

 二週間もの時を経て、まさかの復活。


 リュックを背負わされて。

 引っ越して以来一度しか使ってねえ自転車にまたがって。


「ほんじゃ、レッツラたんけリング!」

「やれやれ。レッツラたんけリング」


 漕ぎだす黄色い自転車を追って。

 探検サイクリングにレッツゴー。



 試験休みの朝。

 寝ぼけまなこのご近所を。

 あくびをしながら漕ぎ進むと。


 一漕ぎ毎に風が生まれて。

 洗ったばかりの顔にひんやり化粧水。


 重たい瞼が少しずつ開く速度に合わせて。

 東の空に、雲の切れ間から地上に注ぐ光の柱が一本、また一本。


「……おお、すげえ綺麗。凜々花、すげえぞ。右見ろ右」

「おおおおおっ! 何あれ綺麗!!!」

「天使の梯子はしごって言うんだ」

「ほんと!? 天使のパンツ丸見え!」

「そこかー」

「ヤバいヤバい! 凜々花、テンションマーックス!!!」

「ははっ。マックスになるとどうなるんだ?」

「ん変っ身!!!」


 ほとんど眠ってた俺ですら目が覚めたんだ。

 すでに起きてたこいつが、シャイニング魔法少女凜々花MkII・最終決戦モードに変身するのも頷ける。

 

「説明しよう! 変身した凜々花は一旦ジャンプした全体重を片っぽのペダルにチェストーすることによって光の速さでせーのっ! チェストー!!!」



 ばきっ!


 どんがらずざざざー!


 

「何やっちゃってんのお前!? 大丈夫か!」

「にゃははははは! まじかー!」


 説明の通り、自転車の上で一旦飛び跳ねて片方のペダルにチェストーしたら。


 チェーンが外れて。

 魔法少女は地面に落下。


 あわれ自転車と面白い具合に絡まりながら地面をどんがらがっしゃんすることになったんだが。


「凜々花、あまりの暴走に場内騒然!」

「いや笑い事じゃねえだろ! 平気なのか?」

「ヘーキヘーキ! シロコロのような指が豪快にすり切れたけど!」


 それを言うならシラウオだろうが。

 ……いや、実はほんとにここまで内臓の可能性が?


 凜々花を自転車から救出させて。

 シロコロホルモンの傷を見てやってたら。


「…………何の騒ぎ」


 迷惑千万な騒ぎに、目の前の家から住人が顔を出したんだが……。


「お? なんだ、お前の家か、ここ」

「ハルキー! おはよ!」

「……おはよう。……とか言ってる場合じゃない」


 ツルバラが絡みついた雰囲気のある洋館から顔を出したのは。

 フランス人形でお馴染みの春姫はるきちゃん。

 そして。


「……ってことは、お前の家でもあるわけだ」


 春姫ちゃんの後ろから顔を出して。

 目を丸くさせているのは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


「た、大変……」

「ああ、こいつが平気って言ってるときは結構平気。手が可愛そうなことになっちまってるがな」

「すぐ、消毒しないと、ね?」

「ああ、すぐに引き返す。迷惑かけたな、舞浜」


 玄関から出てきて。

 わたわたしてるこいつに迷惑かけるまでもねえ。


 俺は凜々花の自転車を起こして。

 チェーンを元に戻していたんだが。


 ……お前ってやつは。


「舞浜? おねえちゃん……、ひょっとして、凜々花の舞浜ちゃん?」

「?????????」

「絶対そうだ! ハルキーのお姉ちゃんだったんだ舞浜ちゃん! 初めまして凜々花だよー!」

「こら! その手で抱き着くな!」


 慌てて指示した命令のせいで。

 両手を広げた抱き着き待った無しな姿勢のまま固まって。


 舞浜に顔から体当たりした凜々花の首が後ろにカクン。


「すげえぞおにい! 舞浜ちゃんのエアバッグ、衝撃を完全シャットアウト! 宣伝上の演出ですのでおにいは真似しないで下さい!」

「やかましい! わりいな舞浜、すぐにそいつ連れて帰るから……? っておい!」


 一段高いところにいた舞浜の胸に文字通り飛び込んだ凜々花は。


 そのまま美人姉妹に連れられて。

 事もあろうに家の中。


 しかたねえから、玄関先に自転車を立てかけて。

 俺も慌てて三人の後を追って。

 ご迷惑にも舞浜家へお邪魔した。



 ~´∀`~´∀`~´∀`~



 ……うーん。

 どっちだ?


 やたらめったら高級そうな意匠の内装。

 それに反して調度の類はシンプル。

 いや、質素。


 シックな、焦げ茶色を基調とする応接間的な部屋の。

 中央にしつらえられた巨大な一枚木の木目テーブル。


 そこに。


 まさかのパイプ椅子。


 ……これ。

 笑えって意味じゃねえよな?



「……凜々花は手を洗浄中。たいしてパッとしない兄の方はこちらへ」

「随分了承しにくい案内だな」


 舞浜妹に促されて椅子に座ると。

 切子ガラスの高級そうなグラスに入った水道水を出されたんだが。


 いやはや。

 なにからなにまで。


「どっちなんだよ」

「……なにが?」

「こんな家にいるだけで大笑いしそうになる」

「……笑わない」

「ああ、姉の方に聞いた。咳、止まらなくなるのか? 笑った時はどうすりゃいいんだ?」

「……さあ、どうだったか。三年以上笑ってないから覚えていない」


 三年て。

 想像もつかねえ。


「どんなもん見ても笑わねえ?」

「……町内に富士山でも生えてきたら笑うかも」

「笑えねえよ!?」


 そう言いながら。

 俺は、つい笑っちまったんだが。


 おもしれえこと言った本人は無表情のまま。


 なんかつれえな、これ。


 でも、もうちょっとだけ。

 病気について聞いておきてえ。


「運動も?」

「……鍛えると、発作、起きにくくなる」

「じゃあ運動はしてるんだ」

「…………富士山」

「え?」

「……登ってみるの。……夢」


 意外なことを聞かされたが。

 ちょっと距離が縮まった気がして。


 無理して踏み込んで。

 よかった、かな。


「……運動、もっとしないと」

「そんなら探検リングしようよ!」


 よそんちだってのにでけえ声出して。

 凜々花が応接間に駆け込んでくると。


 後から救急箱持った舞浜が。

 アワアワしながら入って来た。


「……軽佻浮薄けいちょうふはくなやつですまん」

「???????」

「あれ? わからん?」


 まさか。

 こいつ、学があると思ってたのに。


「舞浜ちゃん、ごめんね? おにいはしょっちゅう、ありもしない言葉使って調子こくの」

「そ、そう? なら、安心」

「ひでえ」


 もの知らずな二人のせいで。

 おかしな奴とレッテル貼られちまった。


 でも、そんな俺の肩に。

 春姫ちゃんは手を置いて。


「……すまない。姉は一般的な常識に欠けるせいで簡単な日本語も知らない」

「そ、そうか。安心したよ」


 なにやら。

 中二の女の子に慰められることになっちまったが。


 春姫ちゃん、落ち着いてるもんな。

 今のセリフも妙にしっくりくる。


 そんな彼女を。

 早く救ってあげねえと。


 改めて胸に誓った。

 その理由。


 この部屋に置かれた器材、クスリ。

 ネットで調べたものに違いねえ。


 吸入ステロイド。

 吸入気管支拡張薬。

 抗アレルギー薬。


 おそらくここは。

 春姫ちゃんの治療室でもあるんだろうな。



 ……俺のすぐ隣の床にペタンコ座りで笑い続けてる凜々花。


 きっと。

 こいつと同じような。

 幸せな日々を君にあげよう。


 そんな難題を解決するために。

 必要なピースが二つある。


 一つは、悪気の無いピュアな問題。

 家族に心配をかけねえように。

 親父さんに言われるがまま。

 笑うことを封印した春姫ちゃん。


 そんな彼女に。

 笑ってもらう事。


 こっちについちゃ。

 凜々花にお任せなんだが。


 もう片方。

 こいつは俺の仕事だ。


 本人は善意のつもりかもしれねえが。

 どう考えても悪でしかねえ。


 凜々花に対して。

 微笑の仮面をかぶったまま相手してる女。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 まずはおまえを。

 凜々花共々。



 無様に笑わせてやるぜ!



「……はい、消毒おしまい。凜々花ちゃん、絆創膏、よ?」


 よし、おあつらえ向き。

 舞浜が凜々花に。

 紙に包装されたシンプルな絆創膏を手渡した。

 今がチャンス!


「…………凜々花。朝から口内炎がいてえんだが」

「ほえ? おにい、食いすぎ?」

「ああ、ぜってえそうだ。だからそれ寄こせ」


 これで、絆創膏を口内炎に貼ると見せかけて。

 口が開かねえように、バッテンに貼ったら完璧だ!


 食いすぎの方を止めんのかって。

 突っ込みながら笑うみんなの姿。

 そんなものを想像しながら。

 凜々花が差し出してきた絆創膏を受け取って。

 包み紙をぺりぺり引っ張って開くと。




 アイスのスプーン。




「うはははははははははははは!!!」


 こ、これってもしかして!

 凜々花を笑わせようとした舞浜のネタを俺が取っちまったってことか!?


「うはははははははははははは! す、すまん舞浜! 結果的に大人気ねえことになっちまった!」

「うん……。ダメな、お兄ちゃん、ね?」


 いやはや。

 こればっかりは仕方ねえ。


 俺は謝罪のつもりで。

 その場で立ってることにした。



 ~´∀`~´∀`~´∀`~



 微笑の仮面をかぶったままの舞浜と。

 結局、顔色一つ変えなかった春姫ちゃんに別れを告げた帰り道。


 俺は自転車を二台押しながら。

 凜々花に聞いてみた。


「……あの二人、幸せに見えたか?」

「う~ん…………、笑えばいいのにって思った!」


 だよな。


 そういうことなら。

 やってみるか!


「よし、凜々花! 何としてもあの二人を笑わせるぞ!」

「そだよねだよね! 凜々花もやるぞ!」

「ああ! 帰ったら早速、特訓の仕上げにかかるぞ!」

「おお! まかしとけ!」


 絆創膏だらけの手を高々と上げた凜々花の指の隙間から。

 日の光が通り抜けて俺の目を眩しく照らす。


 ……いよいよ。

 俺たちの作戦が始まろうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る