風呂カビ予防の日


 ~ 五月二十六日(火) 風呂カビ予防の日 ~


 ※呉越同舟ごえつどうしゅう

  敵同士で同じ境遇



 今日になって急に。

 凜々花の特訓がうまくいき始めてる。


 飯の後も特訓するとして。

 明日あたりには形になるだろう。


 さてそうなると。

 次に問題になるのは。


 あの鉄面皮どもを。

 どうやって笑わせるか、だ。


 俺は風呂場の中。

 結局昨日、親父がサボりやがったカビ退治をしながら考える。


 妹の方は。

 凜々花の特訓さえ完了すれば。

 いつでもどこでも笑わせることができるようになる。


 だが、問題は姉の方。


 あのやろう。

 今まで一度も爆笑したことねえからな。


 それでも、たまに吹き出すことはある。

 親父さんのパンツ姿にも吹いたらしいし。


 タイミングとシチュエーションも工夫して。

 会心を叩き込めば、あわよくば。


 あとは、会心をたたき出すためのネタだが。


 今まで俺が体験してきた。

 笑いに笑ったネタの数々。


 その中から珠玉の逸品を引き出すべきか。

 それとも…………。




~´∀`~´∀`~´∀`~




 とっかかりは腰が重いもんだが。

 終わってみればすがすがしい風呂掃除。


 だってのに。


「さっぱり綺麗になった心が一瞬でカビまみれにされた気分だ」

「なんて言い草だよてめえ」


 いや、世間様の誰が聞いても。

 俺を弁護するに決まってる。


 フード付きの薄手革ジャンに。

 ダメージジーンズ姿。


 ダイニングの俺の席。

 背もたれに腕をかけてふんぞり返ってやがるのは。


 向かいのバーガーショップの店員。

 殺人未遂パワハラ泥棒女。


「……不法侵入か?」

「違うよ、見て分かんだろ?」

「どっからどう見たって不法侵入だ」

「出前だよ出前」


 …………出前?

 いつから出前が、ずけずけ家ん中まで入ってくるようになったんだ?


 俺はひとまず。

 手に持ってた銀イオンスプレーをひと吹きしてやった。


「うおっ!? 何の真似だよ!」

「防菌」

「風呂カビ扱いすんなっての」

「掃除しても掃除してもわいてきて。ほっとくとぬるぬるへばりつく」

「うめえけどひでえな。こちとら休みなのに出前してやってんだ。もっともてなせもてなせ」


 横柄なことを言い出すこいつに。

 文句言おうとしたら。


 キッチンから、随分嬉しそうに。

 凜々花が飛び出して来た。


「そだよねだよね! はい、おねえちゃん! にげえドクダミ茶!」

「……バカ凜々花のもてなしは怒れねえからタチわりいな」

「水すら要求する資格ねえだろがよ。なんだその紙包み」


 殺人未遂パワハラ泥棒不法侵入女の目の前に転がってるのは。

 中身がからっぽになって握りつぶされた紙包み。


「オレンジのトマトブリトーと星印のワンコインバーガーは親父が注文したやつだと思うが」

「やれやれ。バカ兄貴は消費税も知らねえのか?」


 テーブルの上のバーガー。

 八個の内二個。

 25%の消費税。


「いつから日本はノルウェーになったんだよ」

「わはは! てめえはもの知りだな、バカ兄貴!」

「それ褒めてんのか? けなしてんのか?」


 おおかた、凜々花が買い物してるの見て。

 ひょこひょこついてきたんだろうが。


 なんて傍若無人。

 さすがに今日こそ通報だ。


「ああ、そうそう! 今度、バカ凜々花連れて工場見学行くんだけどよ、お前も来るか?」

「ぜってえ行かねえ。頼まれても行かねえ」

「なんであたしが頼まなきゃならねえんだよ。普通はお前から頼むもんだろが」

「うるせえ。もし俺から頼むようなことがあったらバイトでも何でもしてやる」

「お? 素直じゃねえなあ! バイトもしてえし工場見学にも来てえんならそう言えよ!」

「なんでそんな都合よく曲解できんだよお前!」


 もう、こいつの事はほっとこう。

 精神衛生に良くねえ。


 俺は自分に銀イオンスプレーを吹きかけてカビ予防した後。

 呉越同舟ごえつどうしゅうを受け入れつつ椅子に座る。


 今は時間が惜しい。

 凜々花の仕上げにかからねえとな。


「ほれ、凜々花。特訓の続きやるぞ」

「え~!? 凜々花、店員ちゃんとお話したい!」

「その呼び方やめてくれよ。……で? 何の特訓してんだ?」

「笑わないで大笑いする特訓!」


 ……しねえよ、説明。

 だから、この中坊がなに言ってるのか和訳しろって顔でこっち見るんじゃねえ。


「意味分かんねえんだけど、大笑いしてえのか?」

「そう!」

「こら、邪魔すんな」


 俺の静止も聞かずに。

 こいつはニヤニヤしながら話しだす。


「じゃあおもしれえ話ししてやる。今、携帯で食いもん注文するサービスが流行っててな?」

「それな! 凜々花知ってるよ?」

「あたしもおんなじサービス始めたんだ」

「そっかー! だからハンバーガー持ってくれたんだ!」


 おいおい。

 なに言ってんだこいつ。


「全然ちげえじゃねえか。なんだよ持ってくれるサービスって」

「食うバーガーイートってサービスだ」

「パクり方下手くそか。食うとイートがかぶってんじゃねえか」

「手数料は、運んだバーガーのうち一個食って、一個イートする」

「そんで二個食ったのか! 高すぎなんだよ手数料!」

「きゃははははははは!」


 空の紙袋指差してニヤニヤすんな。

 それよりも、だ。


「……凜々花。失格」

「あ、ちがった! こう? ……へにゃあ。ふぉふぉふぉふぉふぉ」


 凜々花の様子見て。

 殺人未遂パワハラ泥棒不法侵入屁理屈女が。

 また怪訝な顔してやがる。


 でも、無視無視。


「まだ太ももつねらねえと我慢できねえのか?」

「いてえけど平気!」

「じゃなくて。つねんなくても大丈夫にならねえと」

「そだよねだよね! ……ふぉふぉふぉふぉふぉ」

「よしよし」


 特訓中なら意識してるけど。

 さっきは普通に大笑いしちまってたからな。


 まだ完璧じゃねえ。

 普段からこれが出来るようにならねえと。


 そんな真剣な特訓風景見て。

 こいつがまた絡んで来やがった。


「なにやってんだお前ら? バカみてえなことして遊んでんのか?」

「バカって言うんじゃねえよ。そもそも、てめえが勝手に舞浜と約束しちまったんじゃねえか、二人を笑わせるって」

「はあ!? これがあいつらを笑わせる方法?」

「…………そうだよ」


 だから、そのバカにしたような顔やめねえか。

 お前に真意なんか分からねえだろうが。

 説明する気もねえ。


「……よく分かんねえけど、頑張れや」

「他人事かよ」

「まあ、あたしも手ぇ貸してやるけど……、おもしれえことすりゃいいのか?」


 いや、その必要はねえな。

 でも……。


「そう言うなら、ちょっと手ぇ貸してもらおうか」


 実は、会場を探してたんだ。

 こりゃ渡りに船。


 俺がざっくり希望を言うと。

 殺人未遂パワハラ泥棒不法侵入屁理屈女は渋い顔しながら。


「面倒だな。それに貸し切りなんていくらかかると思ってんだよ」

「大人だろ? ケチケチすんな」

「…………しょうがねえな。段取りがあるから。明後日でいいか?」

「すげえ助かる」


 結局。

 希望を受け入れてくれた。



 ――我ながら無茶苦茶な要求。

 それを渋々ながらも了承してくれるなんて。


 やっぱり、こいつ。

 良い奴なのかもしれねえな。




 って思うたんびにさ。

 いちいちちゃぶ台ひっくり返すんじゃねえ。


「やっぱ、通報していいか?」


 今、お前が食い始めたのは。

 俺の分のバーガーだ。


「大人だろ? ケチケチすんな」


 良い奴なのかとんでもねえ奴なのか。

 さっぱり分からねえ女が。


 ニヤニヤしながら食い終えた包みをくしゃっと潰すと。


 四つ目のバーガーに手を伸ばした。



「あと、やっぱうちでバイトしてくんね?」

「ぜってえやらねえ」

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