ことばの日


 ~ 五月十八日(月) ことばの日 ~


 ※棣鄂之情ていがくのじょう

  仲良し姉妹の美しき愛情



 うちの真向かいにあるハンバーガー屋。

 その、一番奥まった席に陰鬱な表情で座る女。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 今まで気づかなかったことには驚きだが。

 妹が花屋の向こうに住んでるってんなら。

 当然こいつもご近所だ。


 そんな舞浜から。

 今日になって。


 ようやく真相を聞きだすことが出来た。



「……春姫はるきちゃんが、喘息ぜんそく?」

「そう、なの」


 ああ、聞いたことあるな。

 喘息持ちに、大笑いは厳禁。


 咳が止まんなくなっちまうって。


「だから、ね? 春姫が面白いもの見ても、笑わないようにって……」

「微妙に納得いかねえが、なるほどね。それで毎日二人して……」

「そう、面白い事、ずっとしてる」

「……お互いに、笑わねえのに?」

「うん」


 面白いことに耐性つけて。

 笑わねえようにしてるとか。


 なんだその訓練?

 そんなことで笑わなくなんのかほんとに?


 ……いや。


「あれで笑わねえんだもんな。本物だよ」

「あれ?」

「パンツ。……お、思い出しただけで……、くくっ!」

「お父様、笑いの天才。私もあれには吹き出した……」


 舞浜は笑ったってのに。

 俺と親父さんが言い争いしてる間。

 春姫ちゃんはずっとパンツ見てたのに表情一つ変えずにいたわけで。


 もう、何見ても笑わねえんじゃねえか?


「俺があんなの毎日見てたら、それこそ笑い続けてシックスパックになっちまう」

「うん。…………あの、保坂君」

「ん?」

「私が笑わない事情、分かってくれた?」


 昼下がりのファーストフードは。

 近所にあるショッピングセンターからわざわざ足を運ぶ客でごった返して。


 俺たちに対して指向性を持ってねえ声が飛び交う。

 騒然とした空間になっている。


 でも、そんな騒音が。

 逆に壁になって。


 俺たちの空間を丸く囲んで。

 音を消し去ってるように感じるから不思議なもんだ。



 そんな静かな空間で。

 俺は考える。



「お前が笑わない事情は分かった。妹さんに悪いから、だろ?」

「うん」

「そんで、喘息持ちでも一般的な生活ができるように、爆笑しねえ訓練してると」

「そう。……良かった、納得してくれて」

「納得いくわけねえだろが」

「え?」


 ……妹さんが笑わないから。

 自分も笑うことを我慢する。


 そんな優しい棣鄂之情ていがくのじょうが生み出しているのは。


 皮肉にも。

 笑い一つない不幸な毎日。



 優しさには褒美を。

 笑うやつには幸せをあげるべきだ。


 神ってやつは。

 あたりめえの事すらなぜできん。



 そして親父さんの考えも分かる。

 いくら笑わねえ訓練してるって言っても。

 何があるか分からねえ。


 だから、俺がいた中学みてえに。

 面白くも何ともねえ学校を探して歩いてるんだろう。



 ……それが。

 不幸を加速させていくとも知らねえままに。


 

 舞浜が。

 舞浜姉妹が。

 いや、舞浜家のみんなが。


 優しさゆえに不幸を背負うこいつらが。

 幸せになる方法は無いんだろうか。



「……喘息って、治らねえのか?」

「小児喘息、中学に上がる頃に半分以上の人は薬無しでも症状が出なくなるんだけど……」


 春姫ちゃん、もう中二だもんな。


 ……ん? 症状が出なく?


「その状態と治るのとは違うのか?」

「うん。再発することもある……」


 なるほど。

 一生付き合っていかないといけねえ。

 そういう病気って訳か。


「でも、こっちに引っ越して来て。少しだけ、良くなった」


 一生。

 ……こんな生活を?


 自分達はおもしれえことやり合って。

 でも、誰も笑わねえ。


 そんな変な生活が続く?




 …………やっぱり。



 納得できん。




 だれかに、幸せになって欲しい。

 俺だってそれくらいの感情はある。


 例えば、俺がおもしれえことやるのは。

 凜々花りりかに幸せでいて欲しいからだ。


 でも、もしも。


 凜々花が同じ境遇になったとして。

 俺、そんな変なことするかなあ?



 ヒントがあるとすれば。

 前に、この店で言われたこと。


 俺が仏頂面してても。

 凜々花は笑うべきだって話。



 なにか、答えが見つかりそうな気がする。

 こいつらが幸せになる答え。


 それは……。



「なーにしょぼくれたツラしてんだてめえらは! 営業妨害か?」

「うるせえ話しかけんな! てめえの方が思考の妨害だ!」


 まとまりかけた考えが吹っ飛んじまったじゃねえか。

 客の席に座るんじゃねえよパワハラ殺人未遂女。


「邪魔だ消えろ。てか仕事しろ」

「してんじゃねえか。暗い客を楽しい気分にさせんのも大事な仕事だぜ?」

「だからポテト食うなバカ野郎!」

「しっかしあの人形みてえな子が喘息持ちたぁ気付かなかったぜ」

「聞いてたのかよ。しかも知ってんのかこいつの妹のこと」

「へへっ、身内によう。困ってるやつがいると見つけ出して連れて来て、でもどうしたらいいか分かんねえからあたしに解決しろって言う大バカ野郎がいるからな」


 なんだその迷惑なヤツ。


 それよりお前。

 ほんと最低だな。

 客の会話なんて、聞こえてても聞いてねえふりすんのが商売の鉄則じぇねえの?


 舞浜も、こいつの怖え見た目に。

 ビクビクしたまま顔伏せっぱなしだし。


 こら、怯えてんのが分かんねえのか。

 そいつの頭ぐりぐり撫でるんじゃねえよ。

 気ぃ失っちまうっての。


「そんで? このバカ姉貴共々暗い顔してたって訳か?」

「バカとはなんだ。舞浜に謝れ」

「バカだからバカって言ってんだ。そんなの気にしたってしょうがねえのに。ほっとけほっとけ」


 思わず、奥歯がぎしりって鳴るほどの怒りが湧く。

 こいつ、他人事だからっていい加減なこと言いやがって。


「……頼むから。席外してくんねえか?」

「おお怖え。すげえな、殺してえほどの眼光ってヤツ初めて浴びたぜ」

「そこまで察してんならあっち行けよ」

「やなこった。このままいなくなったらただの悪者じゃねえか」


 さすがに迷惑だ。

 俺が実力行使しようと、席を立った途端。

 こいつ、舞浜に変なこと言い出しやがった。


「わりいな、怖がらせて。詫びに良いこと教えてやる」

「…………い、良いこと?」

「お前さんと妹さん。二人まとめて、こいつが笑わせてくれるってよ」


 そんな戯言に。

 舞浜は、切れ長の目を大きく見開いて。


 ニカッと笑う悪鬼のことを。

 揺れる栗色の瞳で。

 じっと見つめたんだが。


「お前、なに勝手なこと言ってんだよ! 舞浜! そいつの手に乗んじゃねえ!」

「で、でも。この人、良い人」

「だから騙されんな! そいつ、何もしねえのにお前から信頼されようとしてるだけじゃねえか!」

「…………ほんと、だ」

「ちっ。バレたか」


 バレたか、じゃねえ。

 途端に優しそうなお姉さん顔やめて。

 いつもの嫌味なにやけ顔に戻しやがって。


「でもよう、お前さん、いつも言ってるじゃねえか」

「何をだよ」

「笑わねえと不幸になるんだろ? だったら困ってるこいつら笑わせてみろよ」

「……そんな事言った覚えはねえ」

「妹がいっつも言ってるからな。お前さんが、日ごろ言ってる証拠だ」

「ぐ……」


 二の句が継げなくなった俺の手元からコーヒーまで盗って。

 美味そうに飲み干した泥棒女が嫌味顔のまま語りだす。


「言葉ってのは、誰かに思想を伝えるもんだ。だから、思想を受け継いだやつも同じ言葉を口にする。そんで、思想は人を動かして、必ず結果を生み出す。それが善だろうが悪だろうが、な。……理想を語るんだったら、そのせいで生まれた結果の全てに責任持つんだぜ、バカ兄貴」

「何の話だ?」

「……てめえのバカ妹が、あのお人形ちゃんを笑わせて幸せにするんだって、あたしに宣言していきやがったんだ」


 な……。

 なんてこった。


 あいつも同じこと考えてたなんて。


 でも、あいつには荷が重すぎる。

 俺にだってどうすりゃいいのか分かんねえってのに。



 どこか満足そうに笑う泥棒殺人未遂パワハラ女は。

 言うだけ言った後、舞浜の頭をまた撫でくり回してやがるが。


 なんなんだよお前。

 味方なのか敵なのかわかりゃしねえ。


 ……その裏に。

 どんな思惑隠してやがんだてめえは。


「お、大人なご意見、です。目からうろこ」

「だろう? そんですぐにでもこいつがお前らを笑わせてくるらしいから」

「す、素敵なお話、です。棚から牡丹餅」

「こら舞浜」

「だからさ美人ちゃん。安心したとこで、ウチでバイトしてくんね?」

「はい。バイト、します」

「それが魂胆だったのか! 舞浜! 騙されてる騙されてる!」

「……ほんとだ」

「ちっ、バレたか」


 だから、バレたかじゃねえ!

 一瞬でも信じた俺がバカだった!


「でも、バイトはいいぜえ? 見識が広がるし」

「い、いいかも」

「安いけど給料も入るし」

「いいかも」

「あたしもいるし」

「いいかも」

「じゃあ、客寄せ担当で決まりだな!」

「どうやる、の?」

「店の前で立ってりゃいい」

「それはイヤ」

「うはははははははははははは!!!」


 あからさまに悔しがる泥棒殺人未遂パワハラ女を尻目に。

 俺は爆笑しながら思ったね。


 なあ、舞浜。


 立つのはイヤ。

 そこまでイヤな目を俺に毎日させてやがるのは。

 どなたでしたっけ?


 ちきしょう、明日からのテストが終わった暁には。

 ぜってえてめえを廊下に立たせてやる。

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