マーマレードの日


 ~ 五月十四日(木) マーマレードの日 ~


 ※喜色満面きしょくまんめん

  嬉しい気持ちが顔いっぱいに溢れる



 学校からの帰り道。

 駅から出たタイミングで。

 凜々花りりかからの呼び出し。


 指定されたスーパーに寄ると。

 大量のキャベツと文句を同時に投げつけられた。


「遅いよおにい! 凜々花が呼んだら一分で来て! カップ麺ができる早さ!」

「慌てて食うからボリボリ音がして怖いんだよお前。それにしてもすげえ買ったな、キャベツ」

「週末はお好み焼き大会だからね! これで凜々花もブラデビューするんだ!」

「でけえ声でそういうこと言うな」


 そもそも、キャベツで膨らむのか?

 今度きけ子に聞いてみよう。

 キャベツ好きかどうか。


 あいつが好きって言ったら信憑性ゼロだ。


「あとねえ、凜々花、くるりんぱもデビューしてみたいなあ!」

「おお、いい心がけだ。だがまずは四天王で最も弱い、バターはんぺんを倒してからな」

「あれホットプレートで焼くとうんまいよね! 買ってあるよ、五枚入り!」

「俺の分と親父の分と凜々花の分と凜々花の分と凜々花の分だな」

「……もう一枚食いたい」


 やれやれ。

 そんだけ食ってちっこくて細いって。


 胃下垂とかじゃねえだろな。

 大丈夫かお前。


 あと。

 なんではんぺんすらひっくり返せないんだ、お前。



 ……おしゃべりな凜々花の相手をしながら歩く帰り道。

 気になって仕方ねえのは。

 両手に提げたキャベツのせいで拭えない額の汗。


 文句をつける相手を。

 急に暑くなった五月に決めて。


 恨みがましく空を見上げたら。

 汗が目に入っちまった。



 暦の上では春のくせに。

 初夏って言われるこの季節。


 ようやく体になじんできた冬服も。

 もうすぐ圧縮袋の中。



 夏が。

 始まる。



「って言ってんだろうが。季節感出せよお前」

「……ふむ。ごきげんよう」


 きっと暑い。

 絶対に暑い。


 ゴスロリ風のフリフリドレスに身を包んだこいつは。

 この前知り合ったフランス人形ちゃん。


 久しぶりに再会したってのに。

 いつもの無表情を崩しもせず。

 暑苦しくまとわりつく凜々花の抱擁をその身に受けていた。


「見てるだけで暑っ苦しい」

「……べつに。暑くはない」

「ほんとか?」


 いや、ウソに決まってる。


 それが証拠に。

 アップにした豪奢な金髪から覗く細い首に。

 光る雫が一筋流れてる。



 そう。

 こいつ、ウソつきだ。



 笑わないくせに幸せだって言いやがるが。

 ほんとに嬉しかったら。

 ぜってえ喜色満面きしょくまんめんになるはずだ。


 今のそいつみてえに。


「ねえねえ! お買い物なの?」

「……そう。マーマレード、買いに行く」

「マーマレードうんまいよね! 凜々花も好き!」

「……私も好き。だから、買いに行く」


 そして、はるか遠くの空を指差して。


「……マーマレードが生まれた、おフランスへ」

「この間と逆じぇねえか。そっち行ったらオーストラリアだ」


 俺の突っ込みに。

 凜々花はケタケタ笑ってるけど。

 こいつはまるで無表情のまま。


「……先日と違う。なぜお前、笑わない?」

「さあな。それにフランスじゃなくてイギリスだ。マーマレードが生まれたの」


 俺が笑わないことに怒ってるのか。

 あるいは何の感情も湧いてねえのか。


 いずれにしたって。

 無表情。


 本人が楽しんでるとは思えねえんだよな、やっぱり。


「……意外。お前、博識」

「ウソつけ。俺が突っ込むこと想定してやったんだろ?」

「……いや、イギリス発祥と知っていたことについては完全に予想外」

「だとしたら失礼だろが」


 そしてこいつは改めて。

 無表情なまま、俺の姿を見つめてくる。


 ……ああ、そうだな。

 多分何もなかったら。

 今の流れで二度は爆笑してるはずだ。


 でもな?


 会ったのは一度っきりだけど。

 笑わねえお前の事を舞浜に重ねて。

 あれからずっと考えてたんだ。


 なにがお前を不安にさせてんのか。

 あるいはどんな不満があんのか。


 まったく答えは思いつかなかったけど。

 俺には、笑わねえお前が不思議で不憫で仕方ねえ。


 ……そんなフランス人形ちゃん。

 いつまでも青い瞳で。

 俺のことを凝視してやがるが。


 やっぱり。

 何か話てえことでもあんのか?


「相談してえことがあるなら力になるが?」

「……ふむ。相談、か。ならば頼もうか」


 そう言いながら。

 改めてこっちに向き直ったフランス人形ちゃん。


 スカートを軽く摘まんで。

 恭しいお辞儀を披露してくれた。



 おお。

 笑わない。

 その理由について知ることができる。


 この子の原因を知れば。

 ひょっとしたら、あいつの悩みを消してやれるかもしれねえ。



「で? なにに困ってるんだ?」

「……その制服」

「ん?」


 制服がどうした?


「……明日、お前の学校に行く」

「は?」

「……環境を見に行く。そう言っていた」

「言っていた? だれが?」

「……お父様」


 こいつの。

 お父様。


 タキシードとか着てたりして。


 でも、まあ。

 うちみてえな庶民と違って。

 立派な人なんだろうってこたあ簡単に想像つく。


 ……そんな人が。

 うちの学校を見学?


 何のために?

 しかも。

 この子を連れて?


「…………なあ、まるで分からんのだが、お前の悩みってなんだよ結局」

「……私の方が早く到着予定」

「はあ」

「……お父様がいらっしゃるまで、私の相手をするように」

「そんな頼みかふざけんな!」


 なんだよややこしい!

 悩みって。

 お前が笑わねえ原因についてじゃねえのかよ!


「……お前。相談したい事があるなら力になると間違いなく言った」

「うるせえ。事情が変わったんだよ」

「……ならばタダとは言わん。礼代わりにおフランスのお菓子をやろう」

「やれやれ、しょうがねえ奴だ。……おい、凜々花。お菓子くれるってよ」

「いいの!? あ、でも、凜々花は何にもしないから……、じゃあ日本のお菓子と交換こ!」


 面倒なことになっちまったが。

 まあ、しょうがねえか。

 こんな美少女が一人でウロウロしてたらパラガスにさらわれちまうしな。


 俺がため息ついてる前で。

 無表情なフランス人形と。

 幸せそうな凜々花がお菓子を交換こ。


 呑気なもんだ。


「……はい。おフランス生まれのエッグタルト」

「ほんじゃお返しに、日本生まれの月餅!」

「うはははははははははははは!!! どっちも中国生まれだっての!」


 つい大笑いしちまったが。

 そん時、気付いたことがある。


 この、鉄面皮な女の子から。

 小さくガッツポーズしたようなオーラが出た気がしたんだ。



 ……やっぱり。

 こいつはこの状態で幸せなのか?


 さっぱり分からねえや。

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