愛犬の日


 ~ 五月十三日(水) 愛犬の日 ~


 ※驢鳴犬吠ろめいけんばい

 聞くだけ無駄な話



 中間考査一週間前。


 だからって。

 半ドンになるとか。


 たかが定期試験前に。

 そこまでする必要あるのか?


 しかも授業だって。

 中学の復習程度のことしかやってねえし。


 入学してからこっち。

 勉強についちゃ不安で不安で仕方ねえ。



 とは言え。

 手は抜けねえ。


 そう思って、念のため。

 今までの範囲を復習してたら。


 思いのほか集中して。

 気づいたらこんな時間。


 ……晩飯食いそこなっちまった。


「あのね? ちゃんと理由があるの! パパが買ってきたから揚げがね? さっくさくったらさっくさく!」

「はいはい。そんでサクサクやっつけちまったのね」


 二人前くらいわけなく入る凜々花りりかの頭に手をポンと乗せて。


 財布と携帯だけ持って、サンダルつっかけて。

 お向かいで晩飯だ。



 ……とは言え。


 九時過ぎるとレジにいるのはあいつなんだよな。


 できるだけ関わらないようにしようと心に誓いつつ。

 自動ドアを抜けると。


「おや、いらっしゃい」


 珍しい。

 いつもは厨房にいる店長さんが迎えてくれた。


「……よかった」

「なにがだい?」

「いや、こっちの話。えっと……、何食おうかな」

「ゆっくり選んでね。他にお客さんもいないし」


 確かに、貸し切りだからな。

 のんびり選ばせてもらおう。


 しかし、あいつと違って。

 この店長さん大人だよな。


 物腰が柔らかくて、丁寧で。

 自然と俺も謙虚になっちまう。


「そうだ、妹から聞いたんですど。ここってメニューに載ってないものも注文できるって……」

「『裏メニュー』って呼ばれてるまかないの品だね。材料があれば作れるよ?」

「デスなんとかブリトーって、作れますか?」

「ああ、デススパイシーデスチリトマトデスブリトーデスね」


 最後の『ですね』は、どっちだ?


「そう、それです」

「作れるよ。凄く辛いけど大丈夫かい?」

「はい。激辛好きなんで、試してみたいなと」

「念を押しておくけど、本当に辛いからね?」


 店長さんはもう一度辛さについて確認してきたけど。

 決して否定したりしねえ。


 子供として扱わずに。

 激辛に挑む決断を全て俺に委ねてくれるこの度量。


 大人だなあ。


「じゃあ、それで」

「毎度ありがとうございます。炭酸だと辛さが紛れないからね、ラッシーを出してあげるよ。これはサービスね」

「悪いですよ。ちゃんと払います」

「いいからいいから」


 笑顔で手を振る大人な店長さんがキッチンに入ると。

 途端にバーガーの焼けるスパイシーな香りが漂う。


 ああ、たまらん。

 いい香り。


 あの暴力女と会うことになっても。

 それでも店に来る理由がこれ。


 ここのハンバーガーが。

 めちゃくちゃうめえから。


 スパイスの美味さと肉の旨味がヤバすぎる。

 東京じゃ千円以上で売れるレベルのこの味が。

 たったの百円。


 もっとも。

 この裏メニューは高いんだよな?


 なんでも、千円するデスソースをまるまる一本使うらしいから。


「はい、おまたせ」


 トレーを受け取って、ドア近くの丸テーブルに置いて。

 サービスポテトなる意味不明のタダのポテトを一本口にしてから。

 正規の商品じゃねえってことを主張する無地の包みを開いて。


 スパイシーな香りを楽しみつつ一口かじれば。



 …………お。



 おおお!

 これこれ、これよ!


「良い感じの辛さじゃねえか! いいぜ裏メニュー!」

「そうかい?」

「おっとと。凄い美味いです。俺好み」


 あまりの美味さに素が出ちまったが。

 それもしょうがねえだろこりゃヤバイ。


 脳天に抜けるほどの刺激。

 そんな辛さの向こうから。

 スパイスの香りが、肉の旨さを乗せて押し寄せてくる。


 こいつはリピ確定だ。

 しかしほんと辛ぇな美味ぇけど!


 うん、ほんと辛い、美味い!


 辛くて、うまくて。


 いや、これ、辛……?



 あれ?




 辛すぎねえか!?




「うっわ! 辛ぇええええ! なんだこりゃ!?」

「だから言ったのによう。ほれ、ラッシー飲め」

「助かったぜ! んぐっんぐっぷはー! いやいやまだ舌がビリビリしてやがるってなんでてめえが目の前に座ってんだ!」

「慌ただしい奴だな」


 どこから出てきやがった暴力女!

 しかも客のテーブルに座り込んでポテト食ってんじゃねえ!


「俺のポテトじゃねえか返せ!」

「ケチケチすんなよ、どうせタダじゃねえか」

「うるせえ仕事に戻れ! 店長だって困った顔してんじゃねえか迷惑かけんな」

「ああん? ……こらてめえ何見てやがる! 明日の仕込みはてめえの担当だろうがあほんだら!」

「ひいっ! ご、ごめんね? すぐ済ませるから……」


 ……うわあ。

 最悪だな。


「あと、一般人にデスブリトー作る時は小さじ一杯って言ってんじゃねえか! てめえ、また大さじ一杯入れやがったな!?」

「い、いつもまるっと一本入れる姿を見てて感覚がマヒしちゃってて……」

「グダグダ言ってねえで手ぇ動かせ!」

「ひいっ!」


 ほんと最悪。


 暴力がまかり通って。

 道理が引っ込む。


 俺が一番嫌いな世界の。

 諸悪の根源。


「……おい、てめえ。店長さん働かせて仕事サボってんじゃねえよ」

「いいんだよ。あいつのポカのせいでこっちは足が棒なんだから。それよかあたしの悩み聞いてくんね?」

「ふざけんなぜってえいやだ」

「代わりにてめえの悩み聞いてやっから」

「そんなもんねえっての! なにが代わりだふざけんな!」


 ほんとは悩みばっかしだけど。

 勉強の事とか。

 笑わない二人の女の事とか。

 笑わなくても幸せなのかとか。


 ……でも。


 てめえにはぜってえ相談しねえ。


「あたし、犬飼いてえんだけど。チワワとパグ、どっちがいいと思う?」

「相談聞かねえって言ってんだろ。聞けよ他人の話」


 きけ子か。


 しかも驢鳴犬吠ろめいけんばい

 どうだっていい話だ。


「飼うの大変なのは分かってんだけどよ、どうしても飼いたくて」


 まったく。

 見てらんねえぜ。


 店長さんのさっきの姿。

 同情しちまうっての。


「ったく可哀そうったらねえ。目ぇウルウルさせてお前のこと見上げて」

「なるほど、確かにチワワにゃその魅力があるんだよな……」

「細い体、ぷるぷる震えさせて。キャンキャン泣きながら逃げてったじゃねえの」

「そうか……。よし! 分かった!」


 ……ん?


「さんきゅ、相談に乗ってくれて助かった。検討してみるわ!」

「あ? だれが相談に乗ったって?」


 嬉しそうにニヤニヤしてっけど。

 急にどうしたんだよお前。


「それからさ」

「なんだよ」

「やっぱお前、うちで立……、バイトしねえ?」

「ぜっっっってえやらねえ」


 ふざけんな。

 今、『立つ』って言いかけたのちゃんと気づいてっからな?



 いつか、ここに殺人未遂パワハラ女がいるって通報してやるから。


 覚えとけよ?

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