めんの日


 ~ 五月十一日(月) めんの日 ~


 ※有耶無耶うやむや

 なんだかいい加減でさっぱり分からん



 喫茶店の事があったから。

 なにげに提案してみたら。


 どえらい勢いで食いついてきた。

 世間知らずのお嬢様。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 そんなやつを連れての学校帰り。

 約束通り。

 駅向こうへと足を運んで来たが。


 どんな顔すんのか。

 ちょっと楽しみではある。


「……ちわ」

「だーっしゃいせっしょっしゃっせー!」

「だーっしゃいせっしょっしゃっせー!」

「?????????」


 ああ。

 泡食ってる泡食ってる。

 すっげえおもしれえ。


 俺は、制服の裾を握りしめたまま固まる舞浜の背中を押して。

 半ば強引に椅子に座らせた。


「だーっしゃっしょっしゃっしぇっしゃー!」

「?????????」

「どんな味がいいか聞いてるんだ。お前が答えろよ」

「あ、えと、素材の味を生かして淡麗な滋味の中にきらりと光るお出汁の風味を感じるような……」

「醤油二つ」

「しょーっしゃっしょっしゃー! っちょー!」

「しょーっしゃっしょっしゃー! っちょー! したー!」


 いい感じに靴底が張り付く床。

 極端に落とした照明に。

 聞こえるか聞こえないか程度の有線。


 赤のれんも薄汚れた。

 こってこてのラーメン屋。


 威勢のいい兄ちゃんズ・ボイス。

 実に良い。

 やっぱラーメン屋はこうじゃなきゃな。


 でも。

 慣れてる俺ですら驚くやかましさだ。

 舞浜がどれほどのカルチャーショック受けてるか。

 想像に難くない。


 今日はあんまりからかわねえで。

 優しく接してやるとしよう。


「こ、これ、なに?」


 お?


 このあいだの喫茶店と違って。

 前向きじゃねえか。


 知らねえことを知ろうとするその姿勢。

 良い傾向だぜ。


「それはコショウ。ラーメン辛くしてえ時に使う」

「辛い、と、美味しいの?」

「辛さの好みは人それぞれだろ。だから店の方で入れねえで、自分で入れるようにしてあんだよ」


 俺の説明に。

 天知人のことわりでも悟ったみてえな顔して青い筒掲げてやがるが。


 隣のおっさんがよこせって顔してっから。

 とっとと戻せっての。


「じゃあ、こっちは?」

「それはラー油。餃子用だな」

「これは?」

「お酢。……前に教えたろが。見た目で分かんだろ」

「こ」

「醤油だ! さすがに説明さすな!」

「じゃ、じゃあ……」

「それはまねきねこ!」


 ああもうやっぱりめんどくせえ!

 でも、今日は優しくするって決めたんだ。

 ちょっと落ち着こうぜ、俺。


 一般常識を知ることは楽しいって。

 こいつに教えてやらねえと。


「……わりい、怒鳴ったりして」

「う、うん。……迷惑?」

「いや、そうじゃねえから。なんでも聞いてくれ」

「じゃあ、これは?」

「それはお前の隣に座ったおっさん」


 さすがに失礼だったか。

 おっさん、不機嫌そうに出て行っちまった。


 そんなおっさんが食べ残した餃子とラーメンどんぶりを。

 こいつはじろじろ観察してやがるけど。

 さすがにそれはやめとけ。


 ……あ、そうだ。

 野郎同士じゃねえわけだからな。

 こいつが必要だ。


「にいちゃん、エプロン二つくれ」

「しゃーっぷっしょーしゃー! っちょー!」

「サンキュー。……舞浜。髪留めとか持ってるか?」

「なん、で?」

「下向いて食うもんだから。お前の場合、髪が邪魔になるかもしれん」


 俺が紙エプロンつけるのをまねて。

 紐の結びにくさに難儀しながら。


 こいつは、他の女性客がラーメン食ってる姿を見て髪留めの意味を悟ると。


 それならとばかりに。

 ブラウスの中に髪を押し込んじまった。


「……まあ、それで構わんのだが」

「これ、だめ?」

「今日は問題ない。でも、髪留めの方がいい理由についてはまた今度教える」

「りょ、了解……」


 ああ、確かに。

 ラーメンを食う分にはそれで問題ない。


 俺が、結わえた髪が好きな件については。

 また今度教えてやろう。


「ましゃーっしたしょーっ! っちょー!」


 そしてようやく。

 待ちに待った丼が目の前に置かれると。


 これでもかとばかりに。

 舞浜の目が大きく見開かれる。


 俺にはあまりに当たり前のことだから。

 ついつい忘れちまいがちだが。


 ラーメンってな、このスープの色と麺の波と具材のレイアウトで。

 人の心を魅了する魔法をかけるんだ。


 お前の表情見て、思い出したぜ。

 これ、見つめてるだけでワクワクするよな?


「だーっしゃいせっしゃっしゃー! しょーっちょー!」

「ごーっくっしゃっしゃーせー!」

「?????????」


 そんな舞浜に投げかけられたがなり声。

 これもある意味魔法だよな。


「おろおろすんな、いちいち通訳求めんな。ゆっくり食べてくれって言ってんだ。なんか返事してもいいんだぞ?」

「お返事? ……しゃ、………………………………っす?」

「しゃっしぇしょーしゃっせしゃっせー!」

「ふえっ?????????」

「うはははははははははははは!!!」


 今のはぜってえ意味ねえだろ。

 兄ちゃん、ニヤニヤ笑ってるし。

 からかわれたんだよ、お前。


 ただ、そんなこと言っても。

 余計パニックになるだけだろし。


「ほら、食うぞ」

「う、うん。……ずっとドキドキ、だよ」


 言いてえことは分かるけど。

 ラーメンなんて日本一気楽な食いもんだっての。


 俺が苦笑いをごまかすために。

 ずるずる麺をすすり始めると。

 こいつも真似してずるずるちゅるり。



 ……その直後に。



 舞浜は、足をバタバタさせて。

 目ぇ丸くさせて。

 体全部で美味しい気持ちを表した。


 ああ、そうだろ。

 美味いだろ。


 俺も、つい嬉しくなって。

 いつもの自分好み。

 コショウを山のようにふりかけたんだが。


 ……やべえ。

 こいつが俺の真似して食ってること忘れてた。


 止めようとした時には既に手遅れ。

 お隣りの丼にもコショウの山が出来上がっちまった。


 うわ。

 どうしよ。


 善後策を必死に考える俺の耳に。

 箸を丁寧にテーブルへ置いた舞浜の囁くような声が届く。


「保坂君と、お友達になって、良かった」


 ……おい。


 なんだよその不意打ち。

 照れくせえよ。


 熱いラーメンすすってたせいで赤くなった耳を自覚しながら。

 俺は思ったままの返事をした。


「やめねえか。誰と友達になったってラーメン屋ぐれえ連れてってもらえる」

「……でも。連れて来てくれたの、保坂君」


 うおお照れくせえ!


「ああもう黙れ黙れ! これやる!」


 何とか誤魔化さねえと。

 そんな緊急避難に選んだものは。


 カウンターの上からレンゲを取って。

 すくって渡した渦巻きナルト。



 恥ずかしくて、まともにそっちを向けなくなったが。

 お前の気持ち。

 どうしてだろうな。


 ……こんなにも。

 はっきりと伝わってくる。



「ばかやろう。お返しを探すなわたわたすんな」


 ちょっと色っぽいこととか考えてた俺がバカみてえ。

 ああ、そうだよな、お前はそういうやつだよな。


 そして何かに気付いた舞浜が。

 カウンターの上からレンゲを取って。

 すくって渡してきやがったのは。




 コショウの山。


 ほぼ全部。




「うはははははははははははは!!!」

「な、なにか、違う?」

「違わねえよ、OKOK!」


 偶然だが、あっさり問題解決。

 俺は、腹から笑って楽しい気分のまま。

 ざらざらするほどコショウが絡まったちぢれ麺をすすった。



 ……だから。



 耳がなんだか熱いのは。

 コショウが効きすぎてるせいだ。


 勘違いすんなっての。







 ………………いや?


 まてよ?




 できすぎてね?




「お前、このコショウわざとじゃねえよな?」

「ん?」


 うわ。

 なんだそのどっちにもとれる表情。


 この世で一番解読の難しい難題に。

 頭をひねりながらコショウだらけのラーメン食って。


 全く答えの糸口もつかめないままに。

 会計済ませて外へ出る俺の背中にかけられた声。


「あーっしゃっしたー! まーっこしゃーっせー!」

「まーっこしゃーっせー!」


 ……ああ、また来るよ。


 こいつの表情なんかより。

 お前らの言ってることの方が断然簡単だ。

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