3
日中ハルマが仕事で不在にしている間、あけるは何もしない。不在時に届いた宅配便を受け取ることさえしない。あけるは湿気の多いベッドの上で、ハルマから与えられたタブレットを使い、ユーチューブを眺めている。あけるはできるだけ息をひそめ、家の中を汚さないようにしているだけだ。冬の間、石の裏で体を丸めて息を潜めるダンゴムシみたいに。料理も家事も、全部ハルマがやってくれるし、ハルマもまた、あけるに仕事を課したり求めたりすることはしなかった。
あけるが得た、非生産的で、怠惰な生活。
ホントにいいの、とあけるはハルマに確認したことがある。ぼくは本当に、何にもしなくていいの。ハルマはそのとき、フレッシュな笑みを浮かべてこう言った。
「だってあけるはペットだろ。俺が『飼ってる』んだ。洗濯したり、メシ作ったりする犬や猫なんて、おかしいって」
ハルマはあけるに、二食の飯を与えた。朝と昼は兼用で、夜はいっしょに食べるのだ。
ハルマはあけるが食事を摂っていると、手を伸ばして頭を撫でた。「なに」とあけるが聞くと、ハルマが言う。
「いや、かわいいな、と思って」
あけるはハルマの言葉に応えず、ハルマが作ったみそ汁を啜る。その日のみそ汁の具は油揚げとトマトだった。それと、焼き鯖とアスパラガスの和え物。あけるはそれらについて文句を言わずに食べる。ハルマがあけるの頭を撫でた手の平をひっくり返し、手の甲をあけるの頬にあてる。
「なに?」
あけるが鋭い声で聞くと、ハルマは表情を変えずに答える。
「なー、機嫌悪いの?」
あけるはハルマの質問に答えない。ただハルマの手の甲の固さを頬に感じながら、ごりごりとマヨネーズの味がするアスパラガスの茎を咀嚼するだけだ。
「風呂、先入っていいよ」
手を戻したハルマがあけるにそう言った。あけるは噛み砕いたアスパラガスを静かに飲み込む。
あけるはハルマに誘拐されるかたちでここへやってきたが、積極的に逃げだす気持ちは湧かなかった。足に枷はつけられているけど、それは「しるし」のようなものだとあけるは思っている。外と連絡が取れる通信機器も与えられているし、ハルマの不在時に窓を破って助けを求めることも出来た。しかしあけるはそういう暴力的な解決は望んでいない。できたら、話し合って和解した上で、ここから出て行きたいと考えている。
それに、あける自身がこの生活に慣れ初めてもいた。「何かする」ことを求められず、只いることだけを求められる生活。実際、ハルマは飼い主としては優秀だった。ハルマはまめにあけるに食事を与え、掃除をした。時折求められる会話をうっとうしいと思うこともあったが、あけるが不機嫌そうに振る舞えばハルマはすぐに手を引いた。猫は飼い主のことを手下のように扱うといわれるが、あけるは今ならその気持ちがよくわかる。ハルマはあけるにとって図体の大きい下僕だった。
ハルマがあけるに唯一求めたことは、セックスをすることだった。
あけるの白くて細い手首を掴む、遠慮のない指と、そこに込められた強い力。暗闇の中でさえ濡れて光って見える、ハルマの双眸――。
ハルマの性交は入れて出すだけのシンプルなものだが、そこには必ず暴行が加えられた。手の平で打つ、つねる、はたく、足の裏で蹴る、つつく、どつく……あけるは自分に嗜虐趣味があるとは思っていない。ハルマに殴られるのも、最初は腹が立ってやり返していた。しかし、一度あけるの中に「どうせいつか飽きるだろう」という諦念が生まれると、それは時間の経過と共に手足の隅々まで行き渡り、あけるの反抗心を削いでいく。
むしろ、あけるはそういったありふれた暴行よりも、ハルマに過剰なほど優しくされることに苦痛を感じた。
そういう日には前触れがない。ハルマはあけるに向かって振り上げた手で、あけるの体を愛撫する。ハルマはあけるの足下に跪くと、陰嚢を優しく揉んで根元からさすり上げ、亀頭を撫でた。あけるはハルマの愛撫が怖い。厳格な指先が、陰嚢を摘み取るんじゃないか、男根をもぎ取るのではないかと不安で仕方がないのだ。しかしハルマは、あけるが嫌がれば嫌がるほど面白がって丁寧に手淫をした。あけるが暴れれば太ももや尻を叩いてそれを咎めた。
一度だけ、あけるがその恐怖に耐えきれず、失禁したことがあった。それはハルマが口淫をしたときだ。あけるが恐怖で引きつった悲鳴を上げるのを無視して、ハルマはあけるの膝を開かせて陰嚢を持ち上げ、唇で食んだ。縮こまった陰茎をなだめるように舌で舐め上げると、温かい体液が伝い落ち、ハルマの頬にかかる。
ハルマが気づいたときには既に遅く、あけるがごめん、ごめんなさい、と繰り返しながら失禁していた。自分の意志で止めることができないのか、失禁は止まらず、あけるの太ももと尻を濡らし、シーツの辺り一面に濡れた染みを作った。
「あーあー……」
ハルマは怯えきったあけるを見上げて、呆れたように笑う。
「仕方ないか」
ハルマはあけるが失禁したことを責めず、手の甲で頬にかかった小水を拭うと、あけるに立ち上がるように指示をする。
「シーツ外して洗濯しちゃうから。先シャワー浴びてきて」
しかし、あけるが足が震えて立てないことに気がつくと、抱きかかえて風呂場まで運び、シャワーを浴びさせた。ハルマはあけるの、濡れた黒い髪を梳きながら、あけるをなだめる。
「別にさ、おしっこ漏らしたこと、そんな気にしなくて良いよ」
その声は浴室中に響き、あけるの胃の底まで揺らすぐらい穏やかなものだった。
「だって、ペットはそういうもんだろ。飼い主は犬のフンは拾わないと行けないし、猫がトイレできるように猫砂と猫用のトイレを用意しないといけない。だから、あけるがベッドで漏らしたぐらい、なんでもないよ。ほんとにさ」
でもさ、人間はペットと普通交尾なんてしないだろ、とあけるは思う。
あけるはハルマにどれだけ優しくされても、もう心を開くことはない。繰り返される暴力はあけるを傷つけたし、本人に自覚がなくても、あけるの深いところはどんどん歪んでいく。
はなから、人間を飼うことなんて無理に決まっているのだ、とあけるは考える。飼う側の精神的な余裕も削られるだろうし、人間一人を飼い続ける経済力がハルマにあるとは、あけるには思えない。
あけるはハルマに飽きてもらえるまで、この怠惰な生活を続けてみようと思っている。
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