第4話 一日十万回の山殴り
集中。
全神経、全筋力、全魔力、そのすべてを拳に込める。
スッ。
拳を構えて。
トンッ。
殴る。
(百回目!)
だめだ。
今の拳は腕だけで殴ってしまっていた。もっと身体全体の体重を乗せないと。
より高い威力を出すためにはもっとこうすべきだ、と一発一発殴るごとに必ずフィードバックを行った。
(五千回目!)
(五千一回目!)
(五千二回目!)
山を殴る回数が五千回目を超えた頃、体に限界がきているのがわかった。
ヤバい……! 腕がぶっ壊れそうだ。それに拳から血が流れている。
やりすぎは良くないか……?
ここらでやめとくべきなのか。
そしてあの言葉が浮かぶ。
『私、強い人が好きなの』
俺は山殴りを続けた。
(九千九百九十八!)
(九千九百九十九!)
(──一万!)
早朝から始めたはずなのに、一万回殴り終える頃には深夜になっていた。
――やっと一万回だ……。
俺は地面に倒れ込んだ。
体中の筋細胞がボロボロになっていた。
指一本動かすだけで身体に激痛が走る。
その上、毎回の拳に魔力を込めているので、身体が魔力切れを起こして、意識が飛びそうだった。
自分で自分のことをいかれてると思った。
こんなの強くなるための修行でもなんでもない。
ただ自暴自棄になって山を殴っているだけじゃないか。
まあそれでもいいや。
そしてすぐに気絶するように寝た。
意識を失う寸前、アイリーンに肩を寄せて立つギル・アルベルトの顔が浮かんだ。
一日一万回の山殴り。
***
スッ。
トンッ。
(一回目!)
スッ。
トンッ。
(二回目!)
スッ。
トンッ。
(三回目!)
朝起きてすぐに山殴りを再開した。
動くだけで涙が出るくらい全身が痛かった。
だけどギル・アルベルトの顔を思い浮かべると、体の痛みくらい、なんてことの無いように思えた。
腹が減れば、そこらの木の実や山菜を食べた。
時間が惜しかったのですぐに山殴りに戻る。
スッ。
トンッ。
(千二十一回目!)
……今のはフォームがだめだな。もっと重心を低くするべきだ。
集中。殴る。フィードバック。
ひたすらそれを繰り返した。
(九千九百九十九回目)
(──一万回目)
全身が悲鳴を上げていた。
もうやめてしまおうか。
その言葉が頭に浮かぶ。
けれど、心が折れそうになるたびにギル・アルベルトとアイリーンの顔が頭に浮かぶ。
すると心の奥底から力が込み上げてきて、やってやろうという気持ちになれた。
一日一万回の山殴り。
***
スッ。
トンッ。
(三千四百一回目)
とにかく殴る。
スッ。
トンッ。
(六千九百三回目)
殴り終えれば倒れるように寝る。
起きてはまた殴るを繰り返す日々。
スッ。
トンッ。
(九千五百五十回目)
駄目な自分を変えるために。
スッ。
トンッ。
(一万回目)
一日一万回の山殴り。
***
山殴りを開始して一か月ほどが経過した頃だろうか。
体に異変が訪れた。
朝起きたときの筋肉痛が、無い。
確かに夜寝る前は、地獄のような痛みと疲労感があるのに。
朝起きるとそれが綺麗になくなり、むしろ身体に力が漲っている感覚すらあった。
身体がこの異常な生活に適応し始めてきたのかもしれない。
俺の自己回復能力は、限界まで痛めつけられた身体を一晩で回復できるくらい、極限まで高められていた。
おかげで殴ることに集中できた。
(六千五百二回目)
一日一万回の山殴り。
***
どれくらいの期間が経過したのだろうか。
もはや時間感覚は俺の中から消失していた。
スッ。
拳を構える。
ドンッ!
殴る。
日に日に拳の威力が増しているのがわかる。
拳に込められる魔力もだんだん増加していた。
(九千九百九十九!)
(──一万!)
ある日、俺は気づいた。
一万回殴り終えても、まだ日が暮れていない。
最初のころに比べて、俺の拳はスピードが上がり、一万回殴り終えるのに要する時間が半分程度になっていた。
そうか。
ならば殴る回数を二倍に増やせるではないか。
今日からは一日二万回、山殴りを行うことにしよう。
一日二万回の山殴り。
***
山殴りを続けるにつれ拳のスピードが増していった。
毎回必ずフィードバックを行っているので、殴るたびに成長する。
スピードが増せば、ノルマの回数をこなすのに要する時間が減る。
なのでだんだんノルマの回数を増やしていった。
今では一日に十万回、山を殴ることにしている。
一日十万回の山殴り。
その成果は如実に表れていた。
まず俺の体つきが明らかに変化した。
もともと俺はヒョロガリだったが、今は程よく筋肉がついて、すらりとした体つきになっている。ごつすぎるというわけではない。そもそも木の実や山菜しか食べていないのでそんなに筋肉がつかない。拳の威力を上げるための必要最低限の筋肉のみが付いた。
おかげで細身ながらもしっかりと筋肉がついた最高の状態に仕上がった。
そしてさらにもう一つ変化があった。
スッ。
拳を構える。
パァンッ!
殴る。
これだ。
拳を振り下ろすと「パァンッ」という乾いた音が鳴るようになった。
この音は、鞭が空中で振られたときに鳴る音に似ていた。
鞭は空中で音速に達することによりこの音を鳴らすという。
つまり、俺の拳はその鞭の速度まで到達していたのだ。
試行錯誤を繰り返し、フォームの調整や、拳に込める魔力量の底上げを行った結果だった。
一日十万回の山殴り。
***
拳が鞭の速度に到達してから、拳のスピード自体はあまり上がらなくなった。
なので一日十万回のノルマは固定にして、あとは威力を上げることだけに集中した。
スッ。
パァンッ!
(七万九千回目)
スッ。
パァンッ!
(七万九千一回目)
……また魔力が分散してたな。無駄になってしまっている魔力をもっと一点に集中させないと。
その時だった。
……ん?
一日十万回の山殴りを繰り返していたある日、俺は気づいた。
「山が消えてる……」
俺が立っていたはずの山が消失していた。
どういうことだ? 地盤陥没でも起こったか?
まあ山はいくらでもあるし別の山に登ればいいか。
俺は特に深く考えず、別の山に登り直して山殴りを再開した。
一日十万回の山殴り。
***
数日後。
スッ。
ドゴォンッ!
(六万回目)
スッ。
ドゴォンッ!
(六万一回目)
……まだ分散して無駄になっている魔力がある。無駄のないよう魔力を制御するのが本当に難しい……。
…………ん?
そして俺は気づく。
「また山が消えた……」
さすがにこれはおかしい。地盤陥没がこう都合よく俺のいる山だけに起こるわけがない。
もしかして……。
俺の拳が山を消し去ったのか?
そうか、そういうことか。
殴ることのみに集中していて気づかなかったが、どうやら俺の拳は山を消し去ってしまっていたらしい。
ついに俺の拳は山を消し去れるまでの威力になってきた。
もう少し。
もう少しで何かが掴めそうだ。
修行の終わりが近づいてきているのかもしれない。
一日十万回の山殴り。
***
もういくつも山を消し去ってしまった。
そのおかげで、俺は修正する部分がまったくない『究極の拳』にまで到達しようとしていた。
その時は突然訪れた。
スッ。
──パン。
あ、これだ。
今の殴りだ。
一切の無駄がなく、それでいて極限まで一点に魔力を集中させることができていた。
今の感覚を忘れないうちに、何回も反復しておこう。
スッ。
──パン。
これこれこれ!
やべえ、最高の感覚だ。
拳を繰り出すたびに、体中に不思議な感覚が流れる。
何度も何度も同じように拳を山に叩きつけた。
────それから数日後、俺の拳は完成した。
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