13 あと、三日

「僕の油絵は結局認められることはなかった。友人がね、同じアトリエで絵を描いていた友人がね、いくつかの公募展で急に受賞しだしたんです。徐々に名前が知られて、絵に値が付き始めました。僕の絵は、受賞もしなければ売れもしなかった。どんどん自分が惨めに感じられてしまって、ある日アトリエを出ました。誰に認められなくても、褒められなくても、自分の決めた道を突き進めばいいんだって強く誓ったのに、心ではわかっているのに、あまりに結果が出ないとやっぱり辛いもんです」

タンジイは僕が描いた絵をじっと見つめて言った。

「お前さんがおらん間もずーっと見とる。お前さんの絵は心に響く。そがん気持ちにさせちまったとは私たちの責任でもある。どんな良いものも誰かがちゃんと見つけてやらんと、何も無かったかのように時がそれを消してしまう。すまんかった」

タンジイは僕の目を見て、深々と頭を下げた。僕は、自分の中にあるドロドロした感情が流れていく気がした。ぐっと力を入れ、滲んでゆく目の前のカンヴァスに抗った。絵は、ほとんど完成しかけていた。今日完成させることもできた。しかし、僕はこの空間をもう少しだけ味わいたかった。だから、あと数筆を残して今日は筆を置くことにした。この絵が完成するまでタンジイは死なない。そんな気がした。


「これから一緒に佐和珈琲に行きませんか。僕が奢りますよ」

「ふむ。行ってやらんこともない」

いつものタンジイに戻っていた。

 タンジイはいつになく饒舌だった。これまでの人生で苦しかったことなんかただの一度もなかったかのように、おかしい話を延々とした。僕はその話を聞くのがただ嬉しくって、わざと根掘り葉掘り話を引き伸ばした。  

 僕が憶えている母さん。いつも父さんと喧嘩してヒステリックに怒っている姿。僕に自分の考えを押し付ける姿。いつも嫌だった。けれどタンジイの知っている彼女は、泣き虫で寂しがりやなただの娘だった。僕の記憶の中の彼女は、彼女を象っているもののほんの一部なんだと思い知った。タンジイの話を聞いていると、もう二度と会いたくはないと思っていた彼女に少しだけ、ほんの少しだけ会いたくなった。

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