7 あと、九日

「セイコーマーベルじゃな。青年、贈り物か? 」

思わず自分の時計に目をやった。

「これは、母親が家を出た時に置いて行ったものなんです。処分しようかとも思ったんですが、なんとなく」

タンジイはふむとひとつ頷き、右手で顎をさすった。

 油絵は乾きが悪いから小さいカンヴァスでも一日で描き上げることはできない。だから、これから数日間はここに通うことになる。僕は彼との会話がすっかり楽しくなっていた。


 さっき買ったサンダルを袋から取り出し、川の水に足を浸した。冷たかったけれど、心地いい温度の風とぽかぽかした太陽とが清々しい気持ちにさせた。めいっぱい息を吸い込むと、草花の香りと土の臭いが肺の中で混じった。わざとばしゃばしゃ音を立てながら上って行った。小指くらいの小さな魚がきらきらと光り、青い小鳥が目の前の細い枝に留まった。スズメやカラス以外の鳥を見たのは初めてだ。そっと近付くと、地面に降り立ち、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら逃げて行く。羽の色は濃淡があり、濃い部分は幾つもの色を重ねたようだ。しばらくすると、その鳥は小さく左右を確認して飛び去って行った。くぅーっと気持ちが胃の奥から湧きあがってくるのを感じた。上って行くにしたがって木々が周囲を囲み、日陰が多くなってきた。そしてとうとう石で積み上げられた大きな壁に出くわした。ちぇっ、せっかくここまで来たのにもう進めないや。

 川沿いを下って行く途中、古い民家があった。人はもう住んでいないようだった。木枠の窓は朽ちていたが、その隙間から三毛猫がこちらの様子を窺っている。目つきが鋭いからきっと野良だろう。あまりにじっと見られたもんだから、負けじと見つめ返した。ピクリとも動かないから、草をちぎってそーっとヤツの前に差し出した。やっぱりピクリともしない。結局、僕の方が根負けして再び歩き始めた。


 帰り際にラーメン屋の前を通りかかると、ちょうどおっちゃんが暖簾を掛けるために外に出てきたところだった。

「明日、また餃子チャレンジお願いします」

「おう。楽しみにしてるよ。しっかし、君もすきだねぇ」

振り向いたおっちゃんは、片眉を上げながら苦笑いした。

 

 ホタルが見れればそれでいい。最初はそう思っていたのに、気が付くと色んな人に出会い、興味を持ち、カッとなり、癒され、そしてワクワクしている。なぜ、僕はこんなにも生きている? もう深くは考えない。どうせ、あと八日ちょっとの命なのだから。

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