盗掘家
人影は稜線を辿って近づいてきた。ごついマスクで顔面を隠し、背中には大きな背嚢を背負っていた。放射線には無防備でもフラム対策は完全だ。
「気をつけて、盗掘家かもしれない」クローディアはスピカを呼び止めた。
「わかってる――そこの、ラジオチェッカーは持っているか」外部スピーカーを入れて自分の手首を指差しながら近づく。
相手は両手を上げてやはり手首を示した。持っている、という返事だ。
「ここは放射線が濃い。穴から離れろ」
「それでも一時よりはよほど低くなった」彼は全く驚いていなかった。ラジオチェッカーが壊れていたわけではないのだ。
「軍隊だな」
「ラークスパー特務大隊、メルダース大佐だ」
「医務官はいるか」
「看護兵なら」
彼はその答えに頷いた。
「来てもらえないか」
「負傷者か?」
「病人、だ。ここから東北東に街がある」
「スタントンホールか」
「ああ」
「構わない。我々も向かうところだ」
男は山を下るために背を向けた。背嚢にセパレートタイプのツルハシが差してあった。盗掘家のステータスのような装備だ。こいつは盗掘家に違いないとクローディアは確信した。
「各車、収容後井戸の北側に回れ」スピカは無線で指示して盗掘家を追った。滑るように斜面を下る。砂煙が風に吹かれて真横に靡いた。
盗掘家の車は大柄なピックアップトラックで、自重だけでも車軸がひしゃげそうな図体をしていた。砂嵐に塗装を削り取られてしまったのだろう、外板はコンクリートのような不思議な質感になっていた。荷台にはドリルやグラインダーなどとともに土まみれの遺物がごろごろと積まれていた。見たところほとんど機械の部品のようだけど、何の中身なのか全然見当がつかなかった。知識の問題じゃない。それくらい何にでも使えそうな部品ってことだ。
「こんなところでも遺物が採れるのね」
マイクは入れていなかったが、クローディアが言うと盗掘家は振り返った。そうか、防護服を着ていないからこっちより耳がいいんだ。
「地下に坑道が埋まっていたんだろう。爆発で吹き上げられて岩と一緒にそこら中に散らばってる」
大隊のトラックが岩山を回って走ってきた。スピカが防護服を脱ぎ始める。クローディアはピックアップの助手席を覗き込んだ。
「空いてる?」
「そのゴムみたいなやつは脱いでくれ」と盗掘家。
クローディアはスピカに許可を取ってから、防護服を脱いで荷台に投げ込んだ。
「ヒュー」盗掘家は口笛を吹いた。着けたままでも口笛が吹けるマスクってのがあるんだな。「ラキの再来か。染めたんじゃなきゃ黒いのは初めてだ」
「モグリのくせに神話を知ってるなんて」
「こう見えてももとは市民様だったのさ。それに、神話じゃない。歴史だ」
ラキというのはエトルキア王家の始祖ルイ・エトワールに付き従って国家統一を果たしたという黒羽の天使のことだ。メルダース夫妻の両方から聞かされていい加減覚えた。
盗掘家はエンジンをかけてアクセルを踏んだ。猛獣みたいなエンジン音がしてノロノロと動き出した。車というより船に乗っているみたいだ。
「だいたい、姉ちゃんこそ天使のくせにモグリに詳しいな」
「ねえおじさん、天使を捕まえたことはある?」
「いや、そういう仕事はやらない」
「そういう、って、そんなに件数があるものなの?」
「召使いなり捕虜なり、地上に逃げた天使の捜索依頼ってのは時々軍警から下りてくるのさ」
「クランだとか連盟だとか、そういうのに参加してるの?」
「ソロだ。連盟の資格は持ってるが」
要は、仲間がいるのか、数が知りたかったんだ。
私は盗掘家を恐れているのだろうな、とクローディアは思った。敵は力でねじ伏せてきた。だから危ないと思った相手から逃げたり隠れたりするより、むしろ向かっていって積極的に潰そうとする生き方が染み付いているのだろう。盗掘家に対してやけに距離を詰めようとしているのもそのせいだ。
「女とはいえ人間の上官について働く……いや、あの指揮官とタメで話してたな。その上の上官の子飼いか?」
ああ、そうか、この盗掘家はスピカのことを人間だと思い込んでいるんだ。クローディアは気づいた。たぶん当面は伏せておいた方がいいだろう。
「私は兵士じゃないし、もちろん軍人でもない。今回は同行してるだけ」
「なるほど、お姫様だ」
「ずいぶん低くなったって言ってたけど」
「爆発の次の日には穴を見に行った。その時はちゃんと防護服を着てたさ」
「近づくこと自体が無謀だとは思わない?」
「さあ、天使は神経質だな。俺のことを心配する義理もないだろうに」
「核を恐れない生き物が珍しいのよ」
「他の生き物は恐がるのか?」
「あのね、生き物っていうのはね、常に死にゆく細胞を新しい細胞で補うことで命を保っているのよ。新しい細胞を生み出す機能を破壊するのが放射線の危なさだって、わかってるの?」
「わかってるね。天使は見えない脅威との付き合い方を知らないから神経質になるのさ。フラムに鍛えられた人間とは違う」
「過剰な楽観視ね。鍛えられたんじゃなくて、慣らされただけでしょ」
「かもしれないな」
中身のない返事だった。ナンセンスな意見のぶつけ合いだと思ったのだろう。クローディアも話をやめた。
なぜ天使大隊がノーズレスを用意しているのか、街に着いてようやく理解できた。道という道が氷河のような瓦礫で覆われているのだ。
街の真ん中には高さ500mくらいありそうなビルが建っていたけど、かつてはそのレベルのビルが林立していたのが風化などによってほとんど崩れ去った結果のようだ。ここに市街地が存在することは塔の上からでも窺えたけど、どの程度もとの姿を留めているのかまではわからなかった。ヨーロッパの街では見ない崩れ方だった。
当然、自動車で通り抜けることはできない。中心部まで入っていくとなると距離的には岩山登りよりも体力を消費しそうだった。沿道の建物の中を辿っていく方が楽そうなくらいだ。ただ裏路地も一部ぎっしりと瓦礫が詰まっていて、それを避けながら進むのは迷路に入り込むようなものだった。
スピカは医療キットを積んだノーズレスと赤十字腕章をつけた天使を率いて盗掘家に続いた。クローディアは用心棒枠だ。大隊の中で躊躇いなく奇跡を使えるのは自分だけだけだと自覚していた。
道の上の瓦礫は歳月によって石垣のように馴染んで固まり、体重をかけたくらいではびくともしなかった。その点、歩きやすさで言えば岩山よりはマシだ。ノーズレスも複雑な足元をよく見極めてひょいひょいと追ってくる。本当に動物じみた身のこなしだった。
中心部の一番高いビルから1ブロック手前に瓦礫を掘り込んだ一角があって、下りていくと正面の建物に地下へ下りる階段が口を開けていた。内壁はきちんとしたタイル貼りだ。地下鉄駅のエントランスかもしれない。そんなに大きな街だったのだろうか。懐中電灯をつけて進むと3度目の折り返しで光芒一杯にシェルターの扉が映った。
エアロックはずいぶん時間をかけて中の空気を入れ替えた。たぶん循環式で、フラムを含まない空気を大事に扱っていた。フィルターの容量が小さいのだろう。
その間に盗掘家はマスクを外し、外套を脱いだ。思ったよりがっしりして恰幅がよく、なんだかイノシシを思わせた。体格だけじゃない。顔が下膨れで、頬から下が短いヒゲに覆われているからだろうか。
シェルターの中は大部屋と各種水回りに区切られ、大部屋には木箱やコンテナが詰め込まれていた。当然どれも人の手で抱えられるサイズのものだ。食料、石鹸、燃料、その他生活用品。加えて紙の書籍が相当数あるのが意外だった。
「ここで生活しているのか?」スピカが訊いた。何かおぞましい感じだった。
クローディアにはスピカの感情が理解できた。
盗掘家たちは時に「モグリ」と呼ばれる。それでも大多数は塔の上に家を持ち、必要に応じて地上に降りるだけで、生活の全部を地上に置いているわけじゃない。塔のインフラに頼らない生活は過酷なものだし、まともに機能している地上のシェルターを見つけ出すのは容易なことではない。クローディアが長年地上に居られたのはひとえに天使だからだ。
むろん、シェルター探しにもメリットはある。地上に補給拠点を築けば行動範囲を大きく広げることができるからだ。もし本当ならこの盗掘家は一流なのだろう。
盗掘家は手と顔をよく洗ったあと、一行を大部屋のさらに奥へ通した。
コンテナに囲まれた四角い空間の真ん中に古びた布張りの大きなソファが置かれ、その上に小さな人間が寝かされていた。見たところ10歳前後。健康でないことはひと目でわかった。身体には筋肉も脂肪もなく、呼吸に合わせて上半身全体が上下していた。目は虚ろで、上になっている左目はまるで銀の盃みたいに白化していた。
「パパ?」と少年は訊いた。目が動かない。やはり見えていないようだ。
「医者を連れてきた」
盗掘家が少年の前にしゃがむと、少年は右手を伸ばして手の甲で盗掘家の頬に触れた。無精髭まみれの頬だ。
この2人が親子なのか。このイノシシみたいにごりごりした不衛生な男からこの妖精みたいな淡白な男の子が生まれたのだろうか。髪の色も顔立ちも全然似ていないように見えた。
看護兵は一旦部屋の外で盗掘家に症状を聞いてから診察を始めた。少年の体には麻痺があった。左半身が重く感覚さえない。右半身もかろうじて動かせる程度で、力は入らない。先ほど手の甲で盗掘家を触っていたのは指先を動かしたり手首を返したりできないからだろう。上衣がワンピースのように長いのもオムツを替えやすくするためらしい。目も悪く、左目は完全に見えていない。右目もいくら近づいても人の顔が判別できないくらいだった。
6年前に高熱を出して生死の縁を彷徨って以来、一向に回復する気配がないという。つまり、それ以前は全く健康だったわけで、先天性の麻痺ではない。
「フラム症じゃないはずだ。肺も粘膜も問題ない。島の医者もそう言っていた」と盗掘家。
「医者に見せたのか」スピカが聞き返す。
「ルナール、レゼ、その他大きな街は全部回った。でもどこへ行ったって『フラム症ではない』とさ、それだけだった」
「それだけ医者に見せたなら、我々が見たところで……」
「放射線の調査をしてるんだろ?」
「ああ、確かに原爆症の諸相は把握している」看護兵が答えた。「けど、これはどのケースにも当てはまらない。髪もしっかりしてるし、吐血もない。倦怠感もなさそうだった」
「そうか」盗掘家は気落ちしていたが、そもそも期待していたわけでもなさそうだった。
看護兵はポーチから錠剤の茶瓶を2つ取り出してサイドテーブルに置いた。
「治療薬というわけじゃないけど、この辺りは放射線量が高い。内臓への放射性物質の蓄積を抑える薬だ。1日2錠、噛まずに飲んで。こっちはあなたの分」
「ああ」
看護兵は瓶の蓋を開けて中身を手のひらに振り出した。ビーズのような小さな赤い粒。ヨウ素剤だ。大隊の天使も地上に降りる直前から服用している。
「いい、あとで俺がやる」盗掘家は制止した。「下手にやると喉に詰まらせちまう。勝手はわかってる」
看護兵は少しぎょっとしたが、頷いて錠剤を瓶に戻した。
「あなたが探しているのは高く売れる遺物じゃない。薬、あるいは情報なのね」クローディアは言った。4人も入るとぎゅうぎゅうの小さな部屋だ。戸口にあたるコンテナの間に立っていた。
「塔のデータベースにも当たった。だがわからなかった。なら、旧文明より古い時代の文献に当たれば何かわかるんじゃないか。そう思ってるのさ。治療法がわかるなら薬だってあるんじゃないか、とね」
「積んであった本はそういうことでしょ」
「ああ」
実のところ、クローディアは他の3人のやり取りを聞きながら恐々としていた。
少年を見た時からポリオウイルスによる脳性麻痺だと思っていた。でも今のところ誰もその名を口にしていない。何かポリオを否定する決定的な要素があるのだろうか。そんなことは大前提なのだろうか。だんだん不安になってきた。
「ねえ、ポリオじゃないの? その線は疑ったの?」クローディアは思い切って訊いた。
「ポリオ?」
「何のことだ?」
そうか、私だって地上の図書館の小説本や社会史・疫病史の研究書でその言葉を目にしていただけで、誰かが罹っている様子を直に見たことはなかった。塔の上でその言葉を耳にしたことさえなかった。たぶん、旧文明の間に全世界的に根絶されたのだ。誰も罹らないのが当たり前になって、みんな忘れてしまったんだ。塔が建てられる頃にはあえて語ることもないような過去の病になっていて、伝承の枠組みから外されてしまったんだ。
クローディアはつばを飲んだ。
「旧文明より昔、そういうウイルスが流行っていた時代があって、子供の時に罹るとありとあらゆる後遺症に悩まされるって、古い本に書いてあった。東部の地上の図書館にはそういう本があったの」
「そうか、それが本当なら、ポリオに効く薬を探せばいいんだな」と盗掘家。
「……うん」クローディアは妙に精神的にすり減ってしまって頷くことしかできなかった。
本当のことを言えば、この子の体の中にはもうウイルスは残ってないんだ。罹った時の高熱で脳細胞や神経細胞が焼かれてだめになってしまうのが麻痺の原因なんだ。不可逆の変化なんだ。だから薬では良くならない。治療法がないと言ってもいい。必要なのは薬ではなくリハビリだ。それでも当然、もとのような健康体には戻れない。なんて言えなかった。
「私はプロじゃないし、もちろん断定はできない」それが精一杯の慰めだった。
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