天使大隊

天使大隊

 天使大隊・・と言っても常備は約40人、その中でも即応状態で日々任務に従事しているのはその半分、規模で言えばいわゆる大隊の100分の1以下、分隊に過ぎなかった。実態としては予備役部隊だ。たぶん常備を100人・1000人規模にすると天使集団として政治圧力を持ってしまうからだろう。軍部の判断だ。もっともクローディアが把握しているのは地上の書籍にあった旧文明の軍政組織であって、そもそもの人口が少ない現代のエトルキアはもっとコンパクトな組織構造になっているのかもしれない。

 クローディアはスピカが率いるその20人とともにフォート・ラークスパーのメインシャフトをリフトで降下していた。

 天使たちはエトルキア空軍制式の戦闘服と集塵マスクで揃え、あとはスカーフなど思い思いのものを身に着けていた。遺物の収集目的でツルハシなどを持ち込んでいる天使もいたけど、そういった大物は防弾ベストやヘルメットとともにトラックに積み込まれていた。

 トラックは3台。行軍装備や測定装置の他に、瓦礫地帯の荷役用に4足歩行ロボットを2機ずつ積んでいた。

 大型犬から頭と尻尾を取り去ったくらいのサイズで、その名もノーズレス。つまり「鼻無し」だけど、エトルキアには犬の首を「鼻」と表現する文化があるのか、それともネックレスとかヘッドレスだと語感がイマイチだったのかもしれない。

 背中と腿がベージュの外殻で覆われている他はブレースや配線むき出しのスケルトン、脚を折って伏せると長さ1mくらいのほぼ直方体になるので場所も取らない。

 胴体の先端に一つ目のような半球型のカメラがあって、足につけた小型レーダーと合わせて周囲を認識していた。カメラで平面的に捉えるだけではわかりにくい地面の凹凸もレーダーならきちんと検出できるし、足と地面の距離も正確に測ることができる。

 基本的にはペアリングした小さなリモコンを追って自動走行するようになっていて、人間・天使が連れて歩いてもいいし、別の機体にリモコンを乗せればキャラバンよろしく縦隊を組むこともできた。

 リモコンには電源ボタンの他に起立と伏せのボタンがあって、伏せ状態では追走がオフになる。試しに一度立たせてみたけど、バランスよく積めば100kgくらい苦もないし、押したり躓いたりしてもきちんと重心が投げ出された先に足を突っ張って転ばずに立ち続けていた。じつに犬めいた動作で、そういう悪ふざけをしても怒ったり怯えたりしないのがむしろ不気味だった。稼働時間はフル充電のバッテリーで最長10時間、体感平均3時間といったところらしい。

「こういうロボットも旧文明の技術なの?」クローディアはスピカに訊いた。スピカも灰色の迷彩服とブーツで、キャップを被っているせいで普段よりボーイッシュに見えた。

「ざっくり言えば、ね。ただし旧文明の遺物そのものではない」

「ざっくり言わないと?」

「コンピューターもマテリアルも技術的には旧文明由来のものだけど、設計自体は現代のもの、一個のメーカーが独自にやったのね。旧文明にも同じようなものはあったかもしれないし、もしかすると性能ももっとよかったかもしれないけど、そいつとは別物ってこと。要は飛行機や自動車と同じ」

「それにしては普及してないのね。買い物の手伝いやなんかに使われていてもよさそうなのに」

「買い物なら車か、せめてカートでいいでしょ。甲板の上は真っ平らなんだから」

「そう。個別の用途なら家電とかの方が使いやすいし安上がりだっていうのは理解できるんだけど……」

「ははん、言いたいことはわかった。要は人型のアンドロイドに家事全般を任せられないのか、ってことね」

「究極的には。ステータス的にも申し分ないだろうし」

「理由は色々あるでしょ」スピカは格納状態のノーズレスの背中に腰を下ろした。「現代の技術でそこまで人間じみた動きができるロボットが作れるのかどうか、というのはひとまず置くとして、合理的な理由も色々ある。いきなり心性のせいにするのはバカの思考だろうけど、根本的にはそこに問題があると思うの」

「だとすると?」

「そいつは天使が原因かもしれない」

「天使?」

「アプローチは全然違うけど、天使もロボットも人間が生み出した意識体ってところは共通してるでしょ。ロボットの方の意識は見かけ上あるように思える、というレベルのものだけど、人間主観なら天使の意識だって『あるように思える』以上の確信はないわけだよ。天使が自ら意識を主張しているからロボットとは違うように思えるってだけ。そう、思えるだけ」

 スピカは天使だ。でも中身はエトルキアの人間の思考だった。天使が人間の被造物であるという歴史観を前提に話を進めていた。

「エトルキア史において近世は天使による支配の時代だった。人間にとってそれは自ら生み出した意識体の暴走だったんだ」

「怖いんだ、繰り返すのが」

「エトルキア人は自分の生み出したものが自分で手段を選んだり考えたりするのを嫌うんだろうね。だから、たとえ自動飛行や離着陸が可能でも隅々まで制御できる操縦桿がついた飛行機は普及するし、リモコンを追いかけるだけの単純な機能しかなくても、ボタンがこれっぽっちのロボットは受け入れられない。しゃがむとか回るとか、手段的な動作までは選べない。たとえ些細でもロボット側に裁量を任せることに変わりはない。それが気持ち悪い」

「天使のメイドには裁量が与えられていると思うけど」

 スピカは少し考えた。

「生き物である以上仕方なしに与えられているだけで、本当は与えたくないのかもしれないね」

 クローディアはシピの首筋にお料理ボタンやお掃除ボタンがついているのを想像した。それはちょっとセクシーだったけど、決して気持ちのいい想像ではなかった。

「この部隊の天使とロボットって、人間にとってはすごく面白くない組み合わせじゃない?」

「軍令部直轄でなかったら成り立たないでしょうね。それでも人目につかない地上行動に限定されているわけで、まあ、私の忠誠が担保になってるんだわ」


 リフトが最下層で止まる。天使たちは防塵マスクをつけて外界に通じるエアロックに入った。外壁側の分厚い扉が持ち上がり、砂混じりの生ぬるい風が吹き込んできた。ラジオチェッカーを掲げて放射線量を測定。塔の中に比べれば高いが、甲板の上ならほぼ同等の数値だ。時間的制限なしに活動できることを意味していた。

 風が止む。開ききった扉から一面砂の世界が覗いていた。トラックに続いてエアロックの敷居を踏み越える。1歩ごとに靴底がシャリシャリと鳴る。舞い上がった砂で大気が灰色に染まっている。視界は1km弱。クローディアにとっては馴染みの景色だ。砂煙の層は塔の上から見れば薄い膜に過ぎないが、地上に立てば幅と長さが厚みになる。クリアに見えるのは頭上の空だけだ。

 周囲の確認を済ませてトラックに乗り込む。ほとんどは幌のついた荷台に座り込むのだけど、クローディアはゲストの特権でキャビンの真ん中の席に座らせてもらった。つまり運転士と助手席のスピカの間だ。薄いクッションの下からトランスミッションの震動が直に伝わってくる素敵な席だった。

 

 フロントガラスはまだ綺麗で、砂まみれの景色をきちんと透過していた。おそらく塔の建設に使われたものだろう、エアロックから塔の基礎部分を通り、荒野に向かってコンクリートの広い道が伸びていた。トラックはその古びたセンターラインに沿って進んでいく。

 塔の円盤状の基礎は珍しいことに周囲の地面とほぼ同じレベルで滑らかにつながっていた。もともとはどの塔もそういうふうに造られているのだろうけど、風雨の影響で地面が痩せて基礎が10m以上も立ち上がっていたり、逆に最下層のエアロックまですっかり砂に埋もれていたりというのは全然珍しいことではなかった。それだけラークスパーの周りの環境が安定しているのだろう。


「まず巨人の井戸に向かうんでしょ?」

 クローディアが訊くとスピカは地図を開いた。最近作ったものらしく、地図記号や地名がびっしり書き込まれた旧文明の地図に比べるとかなりあっさりしていた。地形図と言った方が合っているかもしれない

「巨人の井戸を覗き込んで、それから風下にあるスタントンホールの旧市街に行って線量を測る」

「山に登るわけじゃないのね」

「どうして?」

「ノーズレスはトラックが入れないところで使うんでしょ?」

「ああ、この辺りにはトラックで登れないような急な山はないよ。あれを使うのは街に入ってから。瓦礫が多いから」

「瓦礫?」

「着けばわかるわ」


 井戸の縁までは1時間と少しの道のりだった。地図で見ればたかが6〜70kmの距離だ。縮尺が間違ってるんじゃないかと思った。でもよくよく計算してみると70kmというのは時速70kmで1時間に進める距離であって、ほとんど不整地であることを考慮すればむしろ速すぎるくらいだった。飛行機のスピードに慣れすぎなのかもしれない。

 確かに天使なら自力で飛ぶ方が速い。ただそれだとひたすら体力を消耗するし、雨風が強ければ飛べない。運べる荷物にも限度がある。それに乗り物はそれ自体が簡易的なシェルターとして機能する。最悪野営の手間を省いて構わない。

 ならヘリコプターを使うのはどうか。たぶんこれも燃費と輸送量の問題だろう。トラックなら1回の燃料補給で数日活動できるけど、ヘリコプターだと飛ぶ度に満タンにしないといけない。せいぜい数時間だ。それだけ緊急時の時間的マージンが大きいとも言える。

 クローディアはキャビンの後ろについた小窓から荷台の中を窺った。1台あたり荷台に5人前後乗っている。天使たちは自分の荷物でクッションを作って積み荷の隙間に収まっていた。まるで明かりを消したベッドルームのような雰囲気だった。誰も話さず、外を窺うこともなかった。肉体の活動レベルを下げて、ただひたすらにこの時間を受け入れていた。そこには地上に縛りつけられた憂鬱や、トラックの遅さに対する苛立ちもなかった。これが最善の移動手段だということを全員が理解しているようだった。


 地表を覆う砂煙はどこまでも途切れず、均一に地平線を覆っていた。地面と砂煙にはほとんど境目もなく、廃墟や丘などはそのぼんやりとした景色の中から滲み出るように姿を現して近づいてきた。

 ある時砂煙の中に壁のような幅広のシルエットが現れ、その手前でトラックよりも大きな岩石がゴロゴロした一帯を通り抜けた。

 壁のように見えていたのは岩山で、それが「井戸」だった。麓から見てもそこに穴があるとは全然思えなかった。山があるな、とは思ったけど、それを井戸と結びつけようとする気持ちはまるで起きなかった。だからそこでトラックが止まった時は何が起こるのかと思ったし、「着いたよ。ここが巨人の井戸だ」と言われてかなり驚いた。要するに爆発で吹き上げられた土や岩が穴の周りに堆積しているのだ。平たくなった稜線までは100m以上の高さがありそうだったけど、上空から見た時は穴のインパクトが大きすぎて縁の高さまでは目に入らなかったのかもしれない。


 線量はさっきの2〜3倍。まだ対策基準以下だけど、穴に近づくにつれて高くなっていくはずだ。

 スピカは隊内無線のマイクを取って「各車、総員防護服着用、5分後に整列」と2度繰り返し、最後に「かかれ」と命じた。呪文みたいに平板な発音だった。お仕事モードだ。

 荷台がゴソゴソと動き、キャビンにいた3人分の装備を後ろに吐き出した。全て5分前行動の軍隊において「5分後」というのはつまり「直ちにかかれ」という意味だ。天使たちは続々と緑色の防護服を着てスピカの前に並んだ。スピカは「休め」の姿勢でキャップのつばの下から鋭い眼光を巡らせていた。そこには彼女がスピカ・メルダースでいる間の気の良さは微塵も感じられなかった。彼女は全員揃ったところで時計を見ずに班分けを始めた。立坑内の大気測定、周囲に飛散した岩石の収集、周辺大気・土壌の放射線測定、エトセトラ。

 クローディアは司令部付きの扱いでスピカと一緒に岩山に登った。坑内測定班が先行してずんずん登っていく。こんな急傾斜なら風に乗って上昇する方が圧倒的に楽だろう。そんなことはわかりきっているけど、防護服を着込んでいるから翼は使えない。たとえ翼の形に袖を膨らませたとしても、風を掴むのは羽毛の機能だ。飛べるようにはならない。かといって翼だけ防護服の外側に剥き出しにすれば翼がもろに曝露することになる。それでは防護服の意味がない。脚力に頼るしかない。

 まだ新しい山肌は足を置く度にずるずると沈み、崩れた。しっかりした足場なら同じ歩数で倍以上の高さを登れたんじゃないかな。落石があるから踏み跡を辿って縦1列で登るのは危険で、自分で新しい道を作らないといけなかった。

 稜線に出る頃には息が切れていた。防護服の中で袖から手を抜いて額を拭う。換気能力が低いから中は蒸し風呂だ。太腿にツーンとした疲労感があって、明日になったら足に力が入らなくなってるんじゃないかという気がした。他の天使たちはやはり鍛えているのかペースが落ちなくて、スピカは特に速かった。

「ここでノーズレスを使うんじゃないの?」クローディアはスピカに追いついてその防護服のバックパックに触れた。手袋の部分に電極がついていて、ゴムかアクリル以外の部分に触れると声が通じるようになっていた。

「乗せる荷物がないでしょ」

「荷物?」

「まさか、自分で乗るつもり? いいけど、この傾斜じゃしがみついている方がよほど大変だよ」スピカは笑った。

 稜線は「井戸」を綺麗な円形に囲っていた。真っ黒い影の差した穴を見るまでクローディアはここが巨人の井戸だということを信じ切れていなかった。

 爆発の威力だろう、穴の直径はもともと10mだと聞いていたけど、見たところ100mくらいまで広がっていた。岩山はさらにその外側を囲んでいるのだ。内側はなだらかなすり鉢状になっていた。坑内測定班が早くもその斜面を下っていく。杭を打ち、体をつなぎとめるロープを繰り出しながら3人で連なって下っていく。手慣れたものだ。多少足元が崩れたくらいでは動じない。いや、むしろ踵で土を突き崩して自分の立っている位置が穴のぎりぎりになるように調節した。その場で腰のポーチから野球ボール大のものを取り出して穴の中に放り投げた。

 金属製らしい。太陽をキラキラ反射しながら穴の中に落ちていった。穴の内壁には日当たりと日陰の境目がくっきりと斜めに引かれていて、その真っ黒に塗り潰された側に突入すると同時にその物体は一切の光を失って闇の中に溶け込んだ。まるで次元や世界の壁が破れて、生き物の認知能力を超えた何かがその向こうに広がっているような感じだった。

 測定班はもう何個か同じものを穴の中に投げ込んだ。が、どこかに落着した手応えは全くない。

「超深度ロガーだよ。通称スーパーボール。穴の中の環境を調べるんだ。深さ、温度、圧力はどうか、水があるかどうか。高温高圧環境でバルブが開いて中に仕込んだ気球を膨らませる。10時間くらい待てば浮かんでくるはずだ」

「それまでここで待つの?」クローディアはラジオチェッカーを見た。

「500メートルより高く上がらないように浮力を調節してあるから、よほど風に流されない限りは回収できるはずだよ」

「ああ、空中で拾うのね」

「待ち構えて網で捕まえると思った?」

「思った」

「穴から距離を取れば防護服は要らないからね」

 ラジオチェッカーが低く長いブザーを鳴らしていた。線量が基準を超えたサインだ。

「天使にはフラム耐性がある。ロボットには放射線耐性もある。地上だから天使とロボットの部隊が認められている。でも、だからって、ただそれだけで汚れ仕事みたいな意味合いでやらされているわけじゃないのよ。少なくとも、そう解釈する余地が私たちには与えられているでしょ?」

 スピカは向かいの稜線を見つめていた。そこには1つの人影があった。彼は防護服を着ていなかった。

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