謎の天使

 ヴィカの前に無数の火の玉が壁のように現れ、彼女は避けられずに突っ込む。右エンジンがまともに火を吸ったのか、排気口から黒煙を噴いた。ヴィカはバランスを崩して減速、片肺でどうにか体勢を整えたが、もう追ってくることはできない。

 助かった、とキアラは思った。

 当の天使は東へ向かって飛びながら周囲をぐるぐる見渡していた。こちらを見失っているようだ。

「助っ人?」キアラは訊いた。

「わからない」ジリファはそう答えつつもスピードを落としてレフレクトを切った。じわぁっと自分の体や飛行機に実体が戻っていく。ギネイスはまるでバナナみたいに体を横曲げにしてシートの隙間にはまり込んでいた。頬にキアラの膝がぐりぐり押し当てられていて、ぎゅっと目を瞑って耐えていた。キアラは慌てて膝をどけた。もはや素直に謝るのを躊躇うレベルだった。


 天使はすぐに寄ってきて翼の下に入り、支柱を掴んだ。翼も髪もかなり白い。服がゆったりしているせいか、大柄に見えた。むろん面識はない。

 ジリファはキャノピー側面の小窓を開いた。

「ブンドの使者だ。フェスタルの封鎖は厳しい。レゼに向かえ。支援する」天使は風圧に負けないように大声で言った。

「ありがとう」ジリファも言い返す。

 天使はすぐに機体から離れ、身を翻してヴィカの足止めに向かった。エンジンが回復すればすぐに追ってくるはずだった。

「「誰?」」キアラとジリファは顔を見合わせた。お互いがお互いの知り合いだと思ったようだ。でもそのどちらでもなかった。

 ジリファはとりあえず再びレフレクトをかけた。

「レゼ? わざわざ内陸に向かうわけ?」

「あの島にはブンドの拠点がある。匿ってもらうにはいい」

「ブンドって、天使の地下組織の?」

「そう。こんなに積極的に出てきてくれるとは思わなかった」

「頼んでおいたんじゃないの?」

「私じゃない。でも、利用できるものは利用する」

 ジリファはスロットルを押し上げ、大きく旋回して西へ機首を向けた。後方に青白い電撃と赤い炎の交錯が見える。距離は着実に遠くなっていく。

 その交戦を目印にして魔術院のジェットバイクが集まってくる。ヴィカが無線で指示を出したのだろうか、半分くらいは西へ戻って散開し始めた。だがたとえインレから半径10kmの範囲に限っても小型機1機の基準なら十分広大な空域だ。今さらこちらを見つけようとしても後の祭りだろう。一応息を潜めて周囲の監視を続けていたけど、先ほどまでのような緊張感はもうなかった

 100mほど上空を背後から追い上げてきたジェットバイクがそのまま素通りして前方に去っていく。やはり見つからない。ヴィカが追ってこられたのは事前のお膳立てがあったからだ。


 ラ・シェル・クレスパン=レゼ。エトルキア最大の人口を抱える首都。ベースは5層構造の住居島だが、人口増加に伴って甲板はその隙間を埋めるようにして増設に増設を重ね、最低限日当たりを考慮した結果八重咲きの花のような姿になっていた。エトルキアの政治家たちはその姿を称するにあたっていかにも優雅っぽくバラの花に例えたが、その実、甲板の下には強度を保つためのブレースが何の計画性もなく立てられ、10万という過剰な人口を支えるためのインフラ配管はもはや塔の外壁を覆い尽くしていた。ある意味ではそれは植物的なグロテスクさにも通じているのかもしれない。受け取り方によってはバラのたとえはレゼの二面性をよく表していると言えた。

 地中深く潜っていく塔の根本にはさながら幹から分かれて地上に這い出した根のように水道管が広がっている。ジリファは最下層甲板の下を旋回して注意深く平坦な地面を探してから飛行機を下ろした。

 滑走距離はほんの数十メートル。そんなに慎重になる必要があったのだろうか。

 とにかく外に出て地面にペグを打ち、持ってきた幌を掛け直す。見上げると塔の向こうに太陽があって、花弁・・の輪郭が光で縁取られていた。

 その一角から天使が1人飛び降りてくる。シルエットがみるみる大きくなり、目の前で羽ばたいて減速、着地。手にホイストのワイヤーとハーネスを抱えている。

 彼女もかなり白い翼をしていたが、さっき助けてくれた天使とは別人だった。三角顔で顔立ちはあどけなく、髪も短い。

「匿ってもらえるの?」

「はい、そのように。この上に公会堂があります。軍警が嗅ぎつける前に、早く」

 天使はテキパキとギネイスにハーネスを巻きつける。キアラも見様見真似で足を通して腰に巻きつけ、ワイヤーを引っ張った。巻き上げが始まる。ジリファもワイヤーに掴まって金具に足をかけた。少し遅れて迎えの天使もギネイスと一緒に上ってくる。

 塔の外壁にはインフラの配管に埋まるようにベランダくらいの小さな甲板がいくつも張り出していて、天使たちがそこで洗濯物を干したり食材を切ったりしていた。そうか、最下層より下はフラムが濃いから生身の人間は立ち入れない。管理が行き届いていないのだ。天使たちはワイヤー吊りの一行を見てなんとも言えない視線を向けてきた。

 新しい仲間がやってきた喜び、というのはたぶん違う。まさか厄介事を持ち込むつもりじゃないだろうね、という感じか。いや、それはネガティブすぎる。厄介なのはわかっているけど、今までだって助け合いでやってきたんだから仕方がない。そんなところだろうか。期待しすぎるのは良くない。でもひとまず休息できる場所はありそうだ、とキアラは安堵した。



………………



 魔術師たちのジェットバイクはインレの西側の空域に展開しつつあった。その一角、最下層レベルの高度に光芒が見える。近づいていくとジェットテールと天使が撃ち合っているのがわかった。ジェットバイクも数機だけ周りに留まってジェットテールの方を援護していた。空中戦向けの弾速の速い電撃が飛び交う。天使の方はそれを巧みに避けながら、敵の周りに火球を出現させて応戦している。しかしさすがに多勢に無勢、少しずつ高度を上げ、絨毯のような層雲の中に飛び込んだ。

 ジェットテールとジェットバイクは上下に分かれて捜索を始める。

 使っていた奇跡からしてキアラではない。ギネイスにしては元気が良すぎる。もしかして今のがインレに侵入した天使なのだろうか。

「さっきのパイロットが言っていた忍び込んだ天使って」

「うまく追い出せたってこと?」

「でも、だとしたら西の方に展開しているのは……?」

「とにかく、追いかけて」クローディアは文字通り背中をせっついた。

 と、前下方からジェットテールが近づいてきて手を振った。速度を合わせてバイクの機首に取り付く。機首が重くなって機体が傾く。カイとクローディアは慌てて上体を後ろに倒してバランスを取った。バイザーを上げる。ヴィカだ。そういえば持っている長杖もヴィカのものだった。魔素結晶が相当加熱しているのか、周囲の空気が温められてうっすらと雲を引いていた。

「だめだ、取り逃した」

「え?」

「あれは囮だ。本隊の方は姿をくらました。透明化か不可視化の奇跡だ」

「本隊って」

「ギネイスとキアラ」

「うそぉ! やっぱり逃したのね」

「やっぱりとはなんだやっぱりとは。それに、逃したんじゃない、逃げたんだ。だが、逃げたのはレゼの方角だった。内陸へ逃げたんだ。まだ籠の外に出られたわけじゃない。手掛かりもまだそこにある」ヴィカは足元の雲を指した。「天使の味方をしにきたわけじゃないんだろう? こっちを手伝ってくれ」

「拳銃でいい、貸して」

「おいおい、説得しに行くんじゃないのか」

「ガシガシ撃ち合ってた人がそれ言う?」

「わかったよ」ヴィカは脇のホルスターからセローP990を抜いてカイに渡した。

「いつも君の方が前線にいるっていうのは気に食わないな」

「今はいいから」クローディアはカイの肩を押して立ち上がり、後ろへ飛んで背面で排気の轍をすり抜ける。ジェットバイクがさらにバランスを崩して、ヴィカが慌ててエンジンを吹かすのが見えた。どんどん遠ざかっていく。天が落ちていく。

「天使が隠れるなら、フラムスフィアでしょ?」クローディアは誰に訊くでもなく言った。


 拳銃の弾倉を確認。弾はきちんと入っている。薬室に妙な仕掛けも見当たらない。排莢口を外側に向けて試射。バツン、と射撃音が響く。反動で腕が跳ね、手の甲に熱い火薬の粉が降りかかる。目を瞑るとマズルフラッシュの残像が網膜に焼き付いているのが見えた。

 ひんやりした雲の中に突っ込む。翼を広げて落下加速を水平スピードに変換する。

 かなり密度のある雲だ。視界も利かないし、顔に水滴がへばりついてきて息が辛い。ずっと雲の中を飛んでいるとは考えにくい。クローディアは雲の下に出た。下方に黒い影。翼の形も見えた。

 降下。やや前方に進路をとって相手の直上から襲いかかる。

 ふとシルエットの上で人が振り返った。

 天使に馬乗りになっている?

 いや、違う。そもそも天使じゃない。ジェットバイクだ。翼の形がコメットと違うのでジェットバイクとは思わなかった。

 人影は振り返って杖を向けたが、クローディアが拳銃の照準を外すのを見て杖を横にした。

 クローディアは一度下に通り抜けて半ループで上に出てから減速、スピードを合わせる。

 乗員は1人。マスクとゴーグルをしているが、ラウラだ。何か言っているけど、マスクとエンジン音のせいで全然聞き取れない。クローディアが距離を詰めようとするとラウラは上を指して雲のすぐ下まで上昇した。

「天使を探してるんだね?」とマスクを外して訊いた。

「あなたも?」

「これを借りるのに少し手間取ってね、その間に低空に逃げたという話が入ってきたんだよ」

 話している間もラウラの目は天使を探していた。

 それから約30分、燃料の持つ限り捜索を続けたが、結局成果は上がらなかった。雲の上に出ると魔術院のジェットバイクが集合していて、頭数を数えてから編隊を組んでルナールに進路をとった。

 クローディアはカイの機体を探して乗り移る。周りをぐるっと魔術師たちに囲まれていて、なんとなく視線を感じた。自分の翼があるんだから自分で飛べばいいじゃないか。そんな感じだろうか。

「ついていっていいのかしら。パイロットにあんなことして」

「今さら逃げるのも無理だよ」

 編隊の先頭にいた1機が下がってきて横並びになった。後席の魔術師がマスクを外す。

「協力ありがとう。その機体は中下層に不時着したものか」男の声だ。

「そうです」カイは頷いた。いささかヤケクソな反応だった。「逃げた天使は」

「やはりレゼに逃げ込んだようだ。このまま捜索を続けても埒が明かない。一度出直すつもりだ。機体も回収したい。ぜひ同行してくれ」

 案外感じのいい挨拶だな、とクローディアは思った。思ってしまった、といった方がよかったかもしれない。

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