魔術院は疑う
クローディアがフライトジャンパーの裾に手を差し入れ、ズボンのベルトを掴む。
「えっ?」と振り返って訊きそうになるのをカイは堪えた。拳銃の冷たいスライドが脇腹に当たったからだ。自分で持っているのはまずい、とクローディアは感じたのだろう。とりあえずカイのズボンに隠しておくことにしたようだ。カイはくすぐったくて笑いそうになるのを堪えながら、こっそり背中を丸めてウエストの余裕が広がるようにした。
「そういえば、ヴィカはどこへ行ったの?」
「インレに戻ったよ。それにジェットテールじゃ島を渡るのは厳しい」
「墜落したんじゃなければひとまず安心ね」
「心配した?」
「抜け駆けして先にレゼに行ってるなんて言われたら癪だなと思ったの」
かなり抑えているようだけど、やっぱりギネイスがどこへ行ったのか気になって仕方がないのだろう。腰に巻きついた腕がせわしなく位置を変えていた。
ラウラは黙って左隣を飛んでいる。乗っているのはカストヘリオス・バルバル。カイも実物を見るのは初めてだった。つまりタールベルグにスクラップとしてやってくる機体すら見たことがない珍品、という意味だ。コメットと同時期にデビューしたジェットバイクで、コメットに比べると、デカい・重い・高い、と3拍子揃っていてマーケティングに大敗北を喫した、というのをいつかの航空雑誌で読んだことがあった。特に翼幅が長くて収納スペースを取る、というのが原因らしい。翼が大きいということは低速でも安定しているわけで、おまけにきちんとタイヤがついているので滑走離陸が可能なのだけど、そこを割り切って推力重量比を高めたコメットに軍配が上がったわけだ。
魔術院でも試しに買ってみたもののやはりコメットの方が使いやすく、2機種を一緒に運用するのも取り回しが悪いのでお蔵入りになっていた、という事情がなんとなく透けて見えた。
魔術院の魔術師が乗る10機以上のジェットバイクは全部コメット、それが周囲を取り囲むように飛んでいた。全員お揃いの黒い防寒ジャンパーにパラシュートの背嚢を背負っていた。頭はヘルメットではなく飛行帽とゴーグルで、首には各々思い思いにマフラーを巻いたりネックウォーマーを被ったりしていた。
よく見ると全部が全部2人乗りではなくて、2人乗りと1人乗りが半々くらいだった。操縦技量を持たない魔術師はパイロットをつけているのだろうか。いや、でも話しかけてきた魔術師はどう見ても部隊のリーダー的な立場、つまり魔術師としてもより上級だろう。なのに2人乗りの後席に座っていた。それとも2機一組でその中に1人指揮役がつく、といった編成なのだろうか。
「何か気になるかね」さっきのリーダーが機体を近づけさせて訊いた。
「いや、べつに。ただ、どうして1人乗りと2人乗りの機体があるのかと思って」カイは訊いた。
「なぜだと思う?」
「後席に乗っているのは指揮官、あるいは操縦技量を持たない魔術師ですか」
「残念、違うな。飛翔技術を持つ魔術師はいざとなればこの鈍重な乗り物から離れて単独で戦闘を行う。その間機体の制御を維持するのがパイロットの役割だ。飛翔技術を持たない魔術師は操縦を他人に任せる必要もない」
彼はパイロットの肩に手を置いた。当然パイロットも単身で飛べない魔術師から選ばれるはずで、暗に半人前だと言っているのと同じだった。気を悪くしたんじゃないかと思ったけど、ゴーグルのスモークが濃い上に鼻まで襟に隠していて表情が窺えなかった。いずれにしてもリーダーの方は忌憚のない性格らしい。
「すると、勝手に飛びながらジェットバイクの遠隔操作までできる魔術師なら、逆に1人でもいいってことですか」
カイが訊くとリーダーは高らかに笑った。「確かに。いや、それは凄まじい。自分自身と他の物体を浮かせる魔力量に加えて、両方を高度に制御する並列処理能力、いや、何より集中力が必要になる。そんな状態でまともに戦えれば大したものだ。私など到底そのレベルには及ばない」
多少空気が和んだように感じた。
そう、もともとかなり緊張した空気だった。ただの編隊というには異様に密集している。互いの位置関係に常に気を配っておかなければ容易に接触事故を起こしかねない距離だ。逆サイドを飛ぶラウラもかなり窮屈そうだった。少なくとも外敵に備えた布陣ではない。自由に回避機動がとれないからだ。つまり、これは俺たちを囲んで動きを制限するための陣形なのだ、とカイは理解していた。
不時着機を乗り逃げした罪を問われているわけではないだろう。魔術師たちはこちらに対して何かもっと重大な問題意識を向けている。ゴーグル越しでも時折クローディアの翼に刺さる視線は十分感じられた。
10分ほどでシャトー・ルナールに到達、編隊は高度を上げて中層甲板の上に出た。芝生で覆われた半径500mほどの円盤の上に古風な建物がぽつぽつと並んでいる。インレから見えた通り長く尖った屋根が目につく。間違って落ちて刺さったら痛そうだな、と思う。
南側に太陽の模様が描かれたレンガ敷きの広場があり、まず1機がそこへ降りて行って着地した。隣を飛ぶリーダーが指を差した。あとに続け、ということのようだ。
カイは減速しながら高度を下げて残り10mくらいでエンジンを吹かして機体を浮かせ、尾部を下に接地、機体がしっかりと立ち上がったところで体重移動でゆっくりと機首を倒した。タールベルグで何度かラウラのコメットに乗せてもらったのでジェットバイクの扱いは身につけていた。
細い回廊で囲まれた中庭のような場所だ。一角がレンガ敷きで、残り7割ほどの面積は芝生になっている。
後続のラウラもすぐに降りてきて、やや浅い降下角で接地、そのまま滑走して何度かガクガクとブレーキをかけながらもレンガの舗装からはみ出した。5mほど進んだところでつんのめって機体の後ろが浮く。ラウラは投げ出された。が、むしろ自分でハンドルを突き飛ばして飛び上がったように見えた。機体が転覆して下敷きになるのを避けたのだろう。空中でぐるぐる手を回してバランスを取り、背中からやや頭を下にして落下した。一瞬の出来事だ。杖を取る暇もなかった。
「ラウラ!」
クローディアが先に駆け寄っていく。カイも機体のエンジンを切ってあとに続いた。
ラウラは仰向けになって目を細めていた。幸い外傷はない。地面も思ったほど固くなかった。もともとクッション性を意識して整備してあるのかもしれない。50mほど離れたところに黒いローブの一団がいて、一列に並んで氷の魔術を練習していた。飛行魔術も同じようにこの広場で学ぶのかもしれない。
「もう少し迎え角をとってもよかったね。失速が怖くてビビっちゃったよ」
「大丈夫?」クローディアが訊いた。
「君たちもいい加減理解していると思うけど、私は俊敏な方ではないんだよ。うん、頭をぶつけた。とても強い衝撃を感じたね。血は出てないかな。血は嫌いなんだよ」
「手は動かせる?」
「ああ、動くよ。でももう少しばかりじっとしておいた方がよさそうだ」
大丈夫そうだ。カイはひとまずバルバルの機体を立て直すことにした。そう長いこと背面でいられるような設計にはなっていないはずだ。エアインテークを掴んで後部を下にひっくり返す。フロントが潰れ、下になった風防のガラスが真っ二つに割れていた。案の定、燃料が漏れかかって給油キャップの周りが濡れている。
きちんと着地したコメットの魔術師たちが三々五々集まって担架を担いでくる。数人がかりでラウラを芝生の上から移し替えた。
「いや、そんな大層なものじゃないよ。すぐによくなるはずだよ」
「いや、首のケガはこわいぞ。大事を見た方がいい」リーダーが歩いてきて言った。
「あの男はエピックの急先鋒だよ。気をつけるんだ」問答無用で連れて行かれる前にラウラはカイを引き寄せてそう言った。
魔術師2人で担架を運んでいく。魔術師というわりに原始的な絵面だけど、結局自分の手でやるのが一番繊細で確実なのだろう。
かくしてカイとクローディアは2人だけでリーダーの男の前に残された。
「メル・ベルノルス。どうぞよろしく」と簡潔に自己紹介。空の上では声を張っていたけど、地声は案外控えめな声量だった。
「カイ・エバート」カイは握手に応える。「――ベルノルス?」
ディアナと同じ名字だ。確かに面影がある。端正で心持ち気品のある顔立ちだ。ビジネスライクに整えた髪は彼女と同じ亜麻色。ただ目の色は赤ではない。黒あるいは焦げ茶だった。
「君たちのことは妹から聞いている。来てくれ。まずは除染のシャワーを浴びよう。最下層より低高度に降りたはずだ」
北向きの建物に向かって歩き出す。広場を囲む回廊の中央にあって、3階建てくらいの高さの上に大きなドームが乗っているのが見える。上から見た時は回廊の後ろに四角い建物がたくさんくっついていた。たぶん魔術院の中心的な施設なのだ。
そういえばカイは雲より下には降下していない。マスクを持っていなかったからだ。クローディアに言うべきことのはずだけど、メルは彼女には挨拶もしなかった。まるでそれが当然みたいな態度だった。
振り返るとクローディアはぎゅっと目を瞑ってべーっと舌を出した。もちろんメルは背中を向けていて見ていない。
広場ではレインコートを着た整備員たちがアナコンダみたいなホースを引っ張ってきて水を撒き始めた。大雨のようなシャワーがジェットバイクに付着したフラムを濯ぎ落としていく。
メルは柱が並んだ建物の正面から少し右へ逸れて、ちょっと入り組んだところから中へ入った。エアロックと同じ分厚い小さな扉だ。
除染室というと狭苦しい小部屋の中で強力なシャワーとエアブローを浴びてフラムを洗い流す暴力的な設備を想像していたし、実際タールベルグの塔に備え付けのものはそういった仕組みなのだけど、魔術院の除染室は違っていた。まず5人くらいなら全員両腕を延ばして広がれるくらいの広さがあって、噴き出すのは水流ではなくて霧だった。風圧自体はかなりのものだけど、水滴が小さいのでさほど暴力的な感じはしない。そのうち霧の噴出がなくなって風だけになり、気づけば全身がすっかり乾いていた。
「これで終わり?」クローディアが訊いた。
「電荷を与えた水滴を噴霧することでフラム粒子を効率的に吸着しているんだ。ただのシャワーでは乾かし方を間違えれば粒子を取り去ることができないが、この大きさの水滴なら表面張力が強く働いているからそのまま吹き飛ばすことができる。従来方式よりずっと時短で省エネだよ」
どうやら魔術院というのはその名に似合わずかなり科学的な領分らしい。
電子レンジの中のような黒くて機械的な部屋を抜けると廊下に出た。天井が高く、
お世話係だろうか、メルは待っていた若者にジャンパーを預け、代わりに裾の長いジャケットを着た。ハードカバーのファイルを受け取って目を通す。
ファイルを閉じ、「行こうか」と言って左手に進んでいく。その先にホールがあってそこからまた左を見ると中庭だった。ここが建物の正面なのだろう。除染室の方は迂回路になっているわけだ。
ホールは廊下よりさらに天井が高く、上には半球形の大きなドームになっていた。外から見えたあの大屋根の下にいるらしい。
ドームの内側には歴史画が描かれていた。誰がどうやって描いたんだろう。10年くらい毎晩肩の筋肉痛と戦いながら描き続けていたんじゃないだろうか。そんな感じだった。
床には太陽の模様がタイルで大きく描かれている。また太陽。放射光線が赤い細長い三角形で表現され、真ん中の円形は黒だった。その黒丸の真ん中に立ってメルは振り返った。
「ところで、ひとつ訊きたいことがあったんだが」とメル。その声はとてもよく響いた。また上から下まで軽量建材のせいで音を吸わないのかもしれない。まるで宇宙人の声みたいだった。
「君たちはキアラという天使と面識があったそうだね」
「面識。殺し合う関係性をそういうふうに表現できるなら、ですか。その時のことは……アイゼン事変だとか、そういう呼び方をしているんでしょう? 僕らが殺されかけたことは知っているはずだ」カイは答えた。
メルは頷いた。足を揃えて立ち、両手を後ろで組んでいた。マネキンみたいだな、と思う。
「最終的にキアラは捕縛された。君が助命を訴えたせいだと聞いたが」
「おかしいですか?」
「理由によっては」
「その時からクローディアの奇跡を回復する方法として血液脱換の可能性は与えられていた。生かしておけばドナーとしての利用価値があるかもしれない。そう考えただけです」
「なるほど。ではキアラに死んでほしくなかった、あるいは、天使に与する立場から救おうとした、なんてことはないと、そういうわけだね」
「なぜそんな疑いをかけられているのかわかりませんが」
「なるほど。では我々の疑念を率直に言わせてもらおう。――なぜサンバレノは君たちがここへ来るのと同じタイミングで刺客を送り込んできたのだろうか」
「偶然では?」
「偶然ではないとしたら?」
「俺たちは魔術院の招待に応じただけで、自分でタイミングを選んだわけじゃない。合わせたとしたら、それはサンバレノの方だ」
「だとして、サンバレノはいかにして手術のことを察知し、国境を越え、あまつさえ空軍の中枢に入り込むことができたのだろうか。1人の協力者も存在していなかったのだろうか」
「私は奇跡を取り戻すために来たんだ。それ以上でもそれ以下でもない。助けるなんて、余計なことをするものか」
「君には訊いていない」
カイは横に手を出してクローディアを制止した。
「彼女の奇跡を取り戻すには今のところ医科大学が提案した方法しか考えられない。治療に必要な天使をわざわざ逃がすなんて、目的と真逆の行為だ」
「もとより奇跡を取り戻すつもりなどなく、救出のための機会として招待を利用したのではないか、とも考えられないかな」メルはあくまで姿勢を崩さない。カイもさすがにその態度が気に食わなくなってきた。
「それこそありえない。クローディアはサンバレノの天使から何度も命を狙われてきた。なぜ手を貸す必要がある?」
「キアラが属する天聖教会はかの国では左派だ。サンバレノに対する対立という意味では手を組んだとしてもおかしくはない。結果的に両者生き残っているのだから、壮大な芝居だったとしても納得できる」
「その場にいなかった人間の発想だ」
「そもそも、奇跡が使えなくなったというのは本当なのかな。ルナール、あるいは首都に入り込むためのブラフだったのでは」
「だとして、何のために」
「何か、だよ。それがわかってから動いたのでは遅い、というケースには枚挙に暇がない。むろんこちらもデータを揃えたわけではない。今のところ君たちに不利益を与えるつもりもない。ただ、不安要素は排除したい。脱走した天使の捕縛は魔術院と空軍で行う。悪いが君たちにはここで大人しく待っていてもらいたい」
カイはクローディアの方を見た。彼女もメルの言いなりになるつもりはなさそうだった。
「不信感、という意味ではおそらく俺たちも同等のものを魔術院に対して抱いている。俺たちとしてもあなたに任せたくはない」カイはクローディアの手を引いて中庭の方へ引き返した。しかし並んだアーチの下の扉がゆっくりと閉じていく。走っても間に合いそうにない。
カイは杖を取り出して唱えた。
「ラーフュール!」
ところが急に手首に何かが巻き付いて狙いが逸れた。杖の先から撃ち出された火球はアーチの根本の部分に直撃して表面のパネルを砕いた。
「言い忘れていたが、校舎の中で攻性魔術を使うのはご法度だよ」とメル。
「今のはどうなんだ」カイは振り返ってメルに杖を向けた。彼が手に持った杖から黒い蔓のようなものが伸びている。さっき手首に巻き付いてきたのはそれか。
「おっと、それもいけない」
今度は足首に黒い蔓が巻き付き、足を掬われた。尻もちをつき、そのまま足の方へ引きずられる。カイは長袖長ズボンなのでいいが、手をつないだままクローディアも一緒に振り回された。剥き出しの脚が床に擦れ、「痛ぁっ!」と声を上げる。手を離す。クローディアも咄嗟に翼で体を覆って床を滑る。カイは振り回されて側廊の柱に激突した。パネルが割れて中身の鉄筋が肩に食い込む。だがとにかく足の拘束は外れた。クローディアの前に走り込んで左手で杖を構えた。
「ん? それは拳銃か」
割れたパネルに混じって拳銃が落ちていた。ズボンに差していたはずだが、なくなっていた。
黒い蔓の動きは目で捉えられないほど速い。今度は腰に触れた、と思った時には後ろにいたクローディアとまとめて一緒に縛り上げられていた。
「聞き分けるつもりもなかったということのようだね。なら、少し眠ってもらうしかない」
締め付けがきつくなる。腕が動かせない。自分の肘が肋に食い込む。
「フュール!」
杖の先がかろうじて外に向いていたので破れかぶれに唱える。杖の先に火が生まれ、黒い蔓を炙る。だがそれくらいではびくともしない。
だんだん息もできなくなってきた。
「そのあたりにしておけ」
上から声が聞こえた。いや、声が聞こえるよりも
急に緊縛が解け、カイとクローディアは床の上に投げ出された。
その後ろ姿を見てクローディアは「メルダース!」と呼んだ。
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