包囲網を穿て

 天井の向こうを何機ものジェット機が通り過ぎていく。音や振動でそれがわかった。戦闘機ほど重い音ではない。もっと軽くて小さな感じ――そう、ジェットバイクだ。カイは見当をつけてから窓の外に首を出した。

 やっぱりそうだ。

 黒いジェットバイクが10機ほどの群れになって北東へ飛んでいくのが見えた。群れ、だ。行動を共にしているものの、まだ編隊と呼べるほどには並びが整っていない。何か急がなければならない理由があるのか。上の甲板から出たのだろう。距離が遠くて機種はわからない。

「魔術院の連中だね」ラウラが横に顔を寄せて言った。

「インレの方角でしょう?」

「軍が呼びつけたんだろう。人間相手にわざわざ専業の魔術師を駆り出したりするかね……」

「まるで俺たちと入れ替わりに、一体――」

 ジェットバイクが1機、群れからはぐれて緩やかに旋回しながら降下してくる。この甲板を目指しているようだ。

 だが、妙に静かだ。全然エンジン音が聞こえない。上の群れの音に紛れているわけじゃない。こちらに正面を向けているのだから吸気用のファンの金切り音が際立って聞こえなければおかしいはずだった。

「不時着しようとしてる」カイは言った。

 そのジェットバイクは滑空していた。エンジンが切れたのだ。

 かなりの降下角で降りてきて旋回でスピードを殺し、そのまま機首を持ち上げて芝生の上に滑り込んだ。ヘリポートよりさらに100mほど向こうだ。

「ふふん、話を聞いてみようかね」とラウラ。

 ベッドに座っていたクローディアも腰を上げた。

「行くのかい?」

「ギネイスかキアラが脱走したのか、それとも誰かに連れ去られるのだとしたら放っておけない。せっかく決心したのに」

「ここにいるように言われていたけどね」

「緊急事態なんでしょ?」

「つまり、仮にそうだった場合は自分でなんとかしたいってことだね」

 ラウラは何度か仕方なさそうに頷いて自分のコートをクローディアに渡した。

「話がややこしくならないように、とりあえず人間を装っておいておくれよ」


 3人は階段を下りてヘリポートの方へ向かった。

 ジェットバイクの乗員は2人で、1人は早々に再始動を諦めて塔の方へ走っていった。おそらく魔術師とパイロットがペアで乗っていて、パイロットの方が残ったのだろう。スロットルを回したり機体を傾けたりしてどうにか飛ぼうと頑張っていた。

 機種はラウラの私物と同じスパルタン・コメット。ただ胴体の側面に五芒星のマークが描かれていて、それが魔術院の所属を示しているようだ。パイロットは防寒用の黒いコートにカーキの落下傘袋を背負っていた。ヘルメットは外している。

「失礼、インレで何かあったのかい?」ラウラが少し先に歩いて行ってパイロットに尋ねた。

「悪いが今それどころじゃないんだ。急がなければ」パイロットは計器盤に集中している。

 ラウラはポーチから香水のような小さいガラス瓶を取り出して栓を抜いた。彼女お手製のいわゆる「薬」の一種だろう。後ろからパイロットにそっと近づいて首を押さえ、その鼻孔の下に瓶の口を近づける。

「少し落ち着いた方がいい。ぜひとも事情を話しておくれよ」

 するとパイロットは急にとろんとした顔になり、その場に膝をついた。

「さあ、話しておくれ」

「……アークエンジェルが忍び込んだらしい。その対応に向かうところなのさ」パイロットは妙に落ち着いた口調になってそう言った。

「大丈夫かい? バイクから投げ出されて体を打ったようだね。安静にしておいた方がいい」

 ラウラはぐったりしたパイロットの体を芝生の上に横たえる。

「どういうことなの?」クローディアが訊いた。

「この薬には催眠作用があってね、嗅いだ人間は眠りに落ちるまでの間とても信じやすくなる。素直でピュアないい子ちゃんさ。大丈夫、目覚めた時には私たちのことは忘れているよ」ラウラはそう言ったあと、パイロットの肩を後ろから思い切り蹴飛ばした。

「なっ」とクローディアはギョッとした。

「堪忍、堪忍。着地に失敗して気絶したのにどこも体が痛まなかったら違和感があるだろう?――カイ、飛ばせるか」


 カイはすでにジェットバイクがエンジンストールに陥った原因を探っていた。

「予備タンクのコックが開いてた。機体が傾いた時にそっちへ流れたのか、たぶん一瞬エンジンが燃料切れになったんだ。きちんと手順を踏んで始動すれば回っただろうけど、変にスロットルを開いたせいで燃焼室が湿気ってる。コメットはなまじっか圧搾エアスタートだから、乾かすには始動より先にかなり回さないといけない。でもバッテリーが足りない」

「エアーならペダルでも溜められる」とラウラ。

「要は燃焼室に入った燃料を飛ばせればいいんでしょ」とクローディア。

「ああ」カイは杖を取り出した。左エンジンの排気口を覗き込んで中に杖を向け、そのままの位置で腕を伸ばしてできるだけ顔を遠ざけた。

「フュール!」

 排気口の中が明るくなり、ややあって「ボンッ!」と赤い炎が噴き出した。溜まっていた燃料が燃え尽きたのだ。

 カイはすかさずハンドルのイグニッションスイッチを入れ、体重をかけて何度もペダルを踏み込んだ。「フゥーン」とタービンが回転数を上げる。スロットルを回すと「ボォォ」と着火した音が聞こえた。エアー圧メーターが急速に右に振れ、ペダルが軽くなる。

「さすが」とラウラ。眠っているパイロットを見下ろす。「なんだ、こいつら機械は素人だね」

 クローディアがコートを脱いでラウラに返す。

「2人で行きな。私なら上でも顔が利く。1機くらい貸してもらえるさ。その間に高度を上げておくといい」

「高度を上げなくても、まっすぐインレへ向かう方がいい。私なら飛べる。遅ければ引っ張ってくれればいい」

「だったら先に行っていい。牽引でも3人じゃ結局スピードが出ない。すぐに追いつくよ」

 カイはすでにパイロットのポジションに収まっている。クローディアがサドルの後ろに跨って背中に抱きついた。

「よし、もっと後ろ、重心を後ろに」カイはハンドルを引っ張って機体をウィリーさせる。「最初の加速が一番来る。しっかり掴まって」

「いいよ」とクローディア。

「行く!」

 スロットルを開き、ロックのかかった離昇位置まで押し込む。燃焼室の後方、排気口のすぐ手前で燃料が噴射され、一瞬だけ定格以上のパワーを発揮する。機体はつんのめるように空に踊り出した。それより一瞬先に体を前方に伸ばしておいて加速に耐える。振り返る。ラウラが焦げた芝生を叩きながら手を振っっていた。


 200mほど登って機体を水平に戻し、スロットルそのままで加速する。速度計はすぐに200km/hを超え300km/hに迫る。すごい風圧だけど、べったり前傾して風防の影に入ればさほど苦にならない。クローディアもカイの腰に腕を回してぎゅっと抱きついていた。

 先行するジェットバイクの群れは黒い斑点になってインレの東の空に浮かんでいた。一体そこで何が起きているんだ?


………………


「問題はここからだな。海を越えてエトルキアを抜けなきゃならない」キアラは外壁の破孔から茫漠とした外界を眺めながら言った。興奮が切れて体のダルさが顔を出しつつあった。

「あそこに飛行機を隠してある。フェスタルまで飛ぶつもり」

「どこ?」

「フェスタル。あそこに見えるヤード島」

「そっちじゃなくて、飛行機の方」

「ああ、ほら、あそこ、少し高くなってる」

 よく見ると地面が砂丘のように盛り上がっている。砂丘など珍しくもない。しかし砂丘の縁と地面の間に細い影が落ちていて、よく見ると確かに不自然だった。

「滑空はできる?」ジリファは訊いた。

 キアラは何度か羽ばたいて空気の掴みを確かめる。

「なんとか」

 ジリファは開口から顔を出して周囲の安全を確かめ、ギネイスを抱えて飛び出した。キアラも続く。東の空からかなり密なエンジン音が聞こえる。ヘリだろう。まだ遠い。こちらに向かってくるわけでもない。他の島に入り込まれないように封鎖しているのだ。天使が自力で海を渡れないことは人間たちもよくわかっている。

 10秒ほどすると外壁の防護銃座がこちらを見つけて背後から撃ってきた。目視照準なのか狙いはさほど正確ではない。距離3kmほどで射程を外れたらしく鳴りを潜めた。

 フラムの濃い低空は人間には手が出しにくい領域だ。キアラは茨の棘に当たった全身の切り傷を治しながら滑空していく。


 砂丘の手前に着地、偽装用の幌を剥がす。中から出てきたのは高翼単葉の小さなレシプロ機だった。

「観測機?」

 胴体も翼も布張り、主翼にも尾翼にも支柱がついていていかにも脆そうだ。エトルキアの兵器については一通り勉強したはずだけど、見たことも聞いたこともない機種だった。

「エンジン音が静かだし、羽布はふならレーダーにも映りにくい。低空なら地面の反射に紛れられる。こっそり逃げるには最適」

 ジリファはてきぱきと幌を外し、コクピットに入ってエンジンを回した。胴体は細く、ガラス張りのキャビンには前後に3人が並んで座るのにぎりぎりのスペースしかない。真ん中にギネイスを押し込んでキアラは後方の見張り席についた。銃架に機関銃が据え付けてある。弾も入っていた。

 凸凹の地面に跳ねながらふわっと離陸、砂埃が立たない程度の低空で飛んでいく。

 間もなく目の前にあった尾翼がじわりと消え、窓枠が消えた。気づけば自分自身の手足すら見えなくなっていた。ジリファのレフレクトが飛行機全体を覆っているのだ。彼女の力は何度も見てきたけど、自分がかけられてみると不思議、というか不気味な感じだった。


「あっ、上……」ギネイスが何かに気づいた。

 キアラは真上を見た。太陽が眩しい。その中に何かがちらつく。

 ……人影?

 人間が生身で飛行しているはずがない。そう、ジェット・テールだ。

「ジリファ、真上に何かいる」キアラは呼んだ。

「向かってきてる? 眩しくて見上げられない。」

「んー、いや、同航だ。距離そのまま」飛行姿勢が水平だ。降ってきているわけじゃない。「……ん? 見えないはずなのに、きっちりついてきてる?」

「排気。陽炎までは消せない」

「その先端にこっちがいるって目星をつけているのか」

 確かに排気の熱で空気が揺らいでいる。でも決して盛大なものではない。よほど注視していないと見つけられないはずだ。

「下手に手を出せば見失うって、相手もわかってる。だから追跡に徹して、フェスタルに着いたところで押さえようとしてる」とジリファ。

「チッ、こっちから撃つのは居場所を知らせてるようなものか。振り切れない?」

「いいけど、それは相手の思う壺かもしれない。無線で魔術師を呼んでる。ゆっくり飛んでいたら囲まれる」

「ゆっくりじゃなきゃいい」

「うん、1回だけやってみる」

 機体の振動が消え、エンジン音が小さくなる。ジリファはスロットルを絞って右に旋回をかけた。そうか、パワーを絞れば排気も薄くなる。

 すると上空の人影はキラリと光って降下してきた。襲い掛かるつもりか? キアラは手探りで銃を構えた。照準が見えない。クソッ、どうやって狙いをつけろってんだ。

 だが相手は攻撃してくるつもりではなかった。少し下へ行き過ぎたあと、旋回の外側から横にぴたりとつけてきた。

「だめだ、まだ位置が割れてる」

 ジリファはエンジンパワーを上げ、機体を水平に戻した。


 ライトグレーのジェットテールに、つるっとナマモノじみたフライトスーツ、フルフェイスのヘルメット。だが、その人間が持っている長杖には見覚えがあった。

「ヴィカ・ケンプフェル」キアラは呟いた。

「キアラ、前に来られる? 操縦を代わって、私が外に出てあの人間を――」

「だめだ。あいつは強い。ジリファじゃ無理だ」

「ちょっと心外」

「手が出せないから仕方なく追ってるってわけじゃない。狡猾なんだ。それに……っていうかこんなスケスケでそっちまで行くのが無理だよ。うん、なんだこれ、今たぶん窓の間に挟まってる。」

「いた、いたた、うっ」とギネイス。

「ああ、ごめんなさい」

「やっぱり大勢にレフレクトをかけるのはだめか」


 幸い機内のドタバタは外からはわからない。ヴィカは20mほどの距離にピタリとつけながら両手でしっかりと杖を握って抜け目なくこちらを睨んでいる。さっさと撃ち落としてしまいたい気分だったけど、それは悪手だ。相手から仕掛けてくることもないし、こちらの主眼は殲滅ではなく逃走なのだ。ここでドンパチやっても消耗するだけだ。

 よく考えればヴィカはこちらが外壁から出て飛行機の幌を外すところまで見ていたはずだ。雲の中にでも隠れていたのだろう。外壁

で足止めすることも、飛行機を潰すことも不可能ではなかった。こっち3人がバラバラに行動するのを避けているのか。あとで一網打尽にしようということか……。

 いずれにしても、攻撃できるのに、してこない。こちらからも攻撃してはいけない。キアラは厶シャクシャした。ヴィカの方は冷静沈着に杖を構えている。チクショー、その態度がまたムカつく。


 ――と、ヴィカが急にロールして背面になった。真上に杖を向ける。そのすぐ脇を白い大きな影がすり抜けた。

 ヴィカはすぐうつ伏せに戻り、下方に杖を向けて2,3発雷撃を放った。魔素結晶から青白い閃光が走り、銃弾並みのスピードで地面に突き刺さる。発射と着弾、衝撃波が各2回響き渡る。白い影はそれを避けて翼を広げ、ぐるりとループしてヴィカに手を差し向けた。――天使だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る