煉獄

 5年前、エトルキアとサンバレノが領有をめぐって争ったオルメトはかつてサンバレノ最北端の島だった。国境地帯に広がる山岳の中腹に位置し、火山活動の影響によってすでに200年前には塔の機能を喪失していた。

 もとより僻地のためにあえて寄りつく人間もなかった。標高3000mを超える山々のピークにはフラムの影響を逃れた植物がかろうじて群生しており、これを目当てにキャンプに訪れる天使が年に数組はいるという程度のものだった。塔の領有は住民の帰属によって判断するので、機能喪失して住民のいなくなった塔は厳密に言えば誰のものでもないが、実質的にはサンバレノの主権下にあると言えた。


 状況を変えたのはエトルキアの盗掘家集団だった。金になる遺物や地下資源を求めて頻繁に地上に降下する人々を盗掘家と呼ぶ。その中の一派がいよいよ国境地帯まで足を伸ばし、そしてオルメト周辺の地層にニッケルなどの希少金属の鉱脈を見つけた。彼らはその情報を複数のマテリアル企業に高値で売りつけた。

 まもなくオルメトはエトルキアの貨物機でごった返すようになり、地表はどんどん掘り返されてとてもバカンスを楽しむような場所ではなくなってしまった。

 この状況にサンバレノの支配層は強く反発した。天上府は上院の賛同を得て軍を動員、機動部隊クラッシスを編成してオルメトに近づくエトルキア国籍の貨物機を尽く追い払うようになった。こうなるとエトルキア政府も黙っていない。帰属の曖昧だったオルメトを自国領だと主張し、島に残る労働者たちの保護を名目に軍を送り込んでオルメトを直接占領した。


 ここからはまともな戦争だった。どちらも宣戦こそしなかったが、何の留保もなく正規軍同士がぶつかり合った。緒戦は地上戦力に優るサンバレノが善戦してオルメトを逆占領したが、エトルキアはそこで態勢を立て直して遠距離から一方的に攻撃を仕掛けるロングレンジ戦術に転換した。天使が奇跡を扱うとはいえ、生身の生物に傾倒したサンバレノ軍は射程に難があった。

 数度の空中戦で惨敗したサンバレノはオルメトで籠城にかかったが、これに対してエトルキアは降伏勧告ののち戦術核を使った。宇宙空間まで打ち上げた大陸間弾道ミサイルから20発の核弾頭を島に浴びせかけたのだ。サンバレノ側は18発までは防いだものの、次の1発が塔の根元に着弾、残る1発がその起爆に巻き込まれて空中で炸裂した。

 2度の爆発でオルメトは跡形もなく消し飛び、あまつさえ地表には深さ100mに及ぶ穴が穿たれた。もとよりエトルキアの目当ては地下資源だったので領有権の問題になる塔など消してしまおうというエキセントリックな手段だった。

 加えてこの攻撃でオルメト周辺の植生も完全に消滅し、サンバレノ側も荒廃した土地に興味を失って和平を受け入れた。オルメト周辺の国境策定が講和条件だった。


 サンバレノ側は一連の戦闘とオルメトの蒸発で約1500名が戦死、200名近くが捕虜・・になった。これはサンバレノ軍戦闘部隊の40%に相当する被害であり、実質的な対外戦力の喪失を意味していた。対してエトルキアも戦死2000名を数えたが、これは戦闘部隊比で2%に届かない規模。もとより国土も人口も比較にならない両国であり、本来停戦の潮時を探るべきはサンバレノ側だった。

 サンバレノの天上府と上院はこの失策の責任を全てギネイスに押し付けた。クラッシスの司令官だったギネイスは核弾頭が炸裂した時島から20㎞あまり前線でエトルキア軍と戦っていた。これはエトルキア側が仕掛けた陽動作戦だった。背後で起こった大爆発に気を取られている間に攻撃を受け、瀕死の重症を負って囚われの身となった。

 ギネイスが捕虜になったのは好都合だった。戦争に関する協定――つまり捕虜の扱いに関する規則を何ら持たない両国にとって、敵軍に捕えられるということは戦死をも上回る苦痛と不名誉を意味していた。敗戦の将を擁護する必要などどこにもなかったのだ。

 サンバレノは軍部のすげ替えによって国内の厭戦気運を押さえ込み、粛々と軍備を再編した。その代償にオルメト以前のエトルキアとの小競り合いやレジスタンス鎮圧で打ち立てたギネイスの功績は黙殺されるようになり、各地にあった肖像や石像も取り払われた。語られるのは、無能な将軍ギネイスがいかにして負け、大勢の命を失ったのか、それだけだった。

 そんな無能な天使がなぜ機動部隊の司令官にまで登り詰めてしまったのか、誰も疑問に思わないのは、奇跡の能力さえ高ければ支配層に食い込むことができてしまう国の政体のせいだろう。いつしかギネイスもそうした天使の一角に数えられていた。

「天上府の連中は時々こういうイデオロギーの操作をやるからね、あまり信じてはいけないよ」とペトラルカは言った。

 キアラがギネイスの功績を知っているのは彼女が示した資料を見たからだ。図書館にはきちんと軍の戦闘詳報や広報誌が残っていたし、閲覧に制限もかかっていなかった。ただ誰もそれを見ようとしない。

 ギネイスは本当は偉大な将軍なのだろう。――ペトラルカが言ったことが本当なら、そうなのだろう。


………………


 ギネイスが発電機に電気を注いでいる間、キアラは塔の基底部を隅々まで見て回った。直径100mは下らない空間全体が牢獄として使われているのは確からしい。どこか一部だけ仕切られていて入れない、なんてこともない。内壁を伝ってぐるりと一周することができた。回ってみると床の藁がほぼ全体に行き渡っているのもわかった。硬いコンクリートの床を張り替える代わりに上層の食料区画で刈り取った麦や稲の藁を放り込んだのだろう。

 壁には刃物でつけたような傷が集中している箇所があって、過去に脱出を試みた天使がいることを示唆していた。といっても傷の深さはせいぜい10cm。塔の内壁は死ぬほど分厚く、カルテルスでも穴を開けるのは難しい。

 しかし基底部といえば塔の生命線で、そこに虜囚を放り込むなんて敵に首根っこを掴ませるのと同じことだ。おそらく上の層に後付けのかなり大規模な発電設備があって、実際のところ天使の力に頼らなくてもかなりの期間は持ち堪えるのだろう。水などの汲み上げラインも内壁の外側に移設してあるようだ。一見普通の基底部だが、「煉獄」として用意された舞台、あるいは箱庭なのだということがよくわかった。


 キアラはギネイスのところに戻った。ギネイスは藁の上に蹲ってゼーゼー息をしていた。みっともないと言えばそれまでだが、サイレンから20分は経っている。そもそも全力の息吹アドクラフトをそれだけの時間注ぎ続けるというのがすでに超人的なのだ。

「代わります」

 ギネイスは首を振ったが、キアラは電極の取っ手に手をかけてギネイスの手から抜き取った。彼女の手には「握る」と言えるほどの力は入っていなかった。

 制御盤のメーターが大きくぶれ、一度左側に沈み込んでから少しずつ右へ戻っていく。真ん中に黄色い線が引いてあって、針がそこまで回れば下限はクリアということのようだ。やはり生半可なパワーでは届かない。

 キアラは自分の体力が着々と減っていくのを感じながら指先に集中した。息を呑む。いつか限界が来るのはわかっているのにやめることはできない。まるで力を吸い上げられているみたいだ。

 ギネイスは麻酔を打たれた獣のようにバタンと横に倒れたあと、しばらく息を整えてから座り直し、それからじっとキアラを見つめていた。キアラがへばったらすかさず肩代わりしようと待っているのだ。残り10分のはずなのにその時間は30分にも1時間にも思えるほど長かった。


 けれど結局のところギネイスが手を出す前に再びサイレンが鳴った。終わりの合図だった。

「も、もう大丈夫です」とギネイス。

 キアラは電極を放した。体を動かそうとすると目眩がした。何とか座っているけど立ち上がるのは厳しい。

「アドクラフトがこんなに疲れるものだとは思いませんでした」キアラは言った。

「休んでください」

「平気です。少しの間このままで」

「限界まで力を使わない方がいいです。フィルを止めても、空気が薄くなってくるまで1分くらい時間があります。私はつらい時は時々休憩しています」

「はい」キアラは頷いた。

 ギネイスはブランケットを取ってきて前と同じようにすっぽりと頭から被った。

 また上から音が聞こえた。今度はサイレンではなくブザーだ。短く2回。そして「バツン」と金属製の大きな弁が切り替わるような音が方々から聞こえた。キアラは身構えた。

「あの、大丈夫です。これはフラムの音です」

「フラム?」

「外界から高濃度のフラム混合気を送り込んでいます。気圧で押さえ込んでいるのか、上に昇っていくことはないみたいで」

 天使はフラムを取り込むことで奇跡の元手となる根源ラディックスを蓄積する。フラムが濃い環境ほど奇跡の効果は強くなり、持続力も上がる。要は強制的にエネルギー補給させられているのだ。


 ギネイスはどこからか水を汲んできてキアラに渡した。コップは錆びて黒ずんでいたけど中身は安全そうな水だった。

「私がここへ来た時、私は1人ではありませんでした。部下のうち数名も一緒に放り込まれました。彼女たちは決して私やあなたのように力が強い方ではありませんでした。始めのうちは私も慣れていなかったので30分耐えられないことがありました。彼女たちは私が倒れる度にその電極を代わりに掴んでいきました。そして力を使い果たし、その衰弱から回復できないまま死んでいったのです。それから長い間私は1人でした。今、あなたが来たということは私の力が弱っているのかもしれません」

「ここから出ようとはしなかったのですか」

「反抗や脱走も企てました。けれどここには強力な魔術師が揃っています。体力も飛行能力も削がれた状態ではとても封鎖を抜けられなかった。そして何があろうとあのサイレンは鳴ります。失敗する度に残っていた部下たちが犠牲になりました。それに、脱走したところでいいことなんて何もないです。サンバレノは私の帰還を歓待したりはしないでしょう。ここで知ることのできる情報はエトルキアに都合の良いものばかりです。私を洗脳するための嘘かもしれない。でも筋道を立てて考えれば事実もおそらくそのあたりにあるのだと思います。あなたがギネイスの名を知っていたのは敗戦の将として、でしょう?」

「……いいえ、優秀な司令官だったと思っています。ただ、多くの天使がそう思うに足る材料を与えられないのが現状です」

「あなたは多くの天使とは違う、のですね」

「ペトラルカに教わりました」

「ペトラルカ……? ああ、あなたは天聖教会の……」

「はい」

 ギネイスは目を閉じた。

「そういうこと……」

 サンバレノには天聖教会と天使教会という2つの宗派がある。権力と結びついているのは後者で、軍の聖職者も天使教会信徒アンジェリカンと相場が決まっている。あえて言うなら天聖教会は傍流のマイノリティだった。

 あるいはギネイスは敬虔なアンジェリカンだったのかもしれない。対立していた天聖教会信徒の方がむしろ自分を正しく認識していることに皮肉を感じたのだろう。そんな反応に思えた。


 頬に水滴が落ちてきた。感じるか感じないか微妙なレベルの小さな雫だった。

「ああ、雨。当たると冷えます。こちらへ」ギネイスはブランケットを被り直して制御盤の庇の下に移動した。

「雨?」

 水滴は加速度的に勢いを増して霧雨のように降り注いでいた。キアラは翼を上に伸ばして自分の頭を覆った。

「フラムが溜ると人間は降りてこられないです」

「洗い流しているんだ……」

 つまり人工的な雨なのだ。

 キアラは庇の下に入って翼の水気を払った。塔の内壁が黒く濡れ、水煙が視界を霞ませる。気温も急激に下がってきた。確かに濡れていると激しく体力を消耗しそうだ。せっかくフラムを吸って息苦しさが和らいできたのだ。次のサイレンに備えなければ。

 制御盤の片隅に時計が掛けられている。時刻は11時を回っていた。窓もなくただ煌々と照明が照っているだけなので昼なのか夜なのか判然としない。おそらくさっきのサイレンが鳴ったのが10時半だろう。次のサイレンまで1時間を切っていることになる。

 もう1時間? 

 むずむずした嫌悪感のようなものが首の後ろを駆け抜けるのを感じた。ディアナがこの場所を「煉獄」と呼んだ理由がよく理解できた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る