リリック・オア・エピック

 ラウラが席を立って窓から外を窺った。

「話をすれば、だね」

 クローディアもカーテンを持ち上げた。さっき外でラウラが座っていた辺りに人影があった。

 ヴィカだ。カラスたちは用心するみたいに手摺や上の甲板にとまって遠巻きに彼女を見下ろしていた。ラウラの時の態度とは大違いだ。

「なんで降りてきたんだろう」カイはそう言って少し考えてからジャンパーを羽織って出ていった。

「水を撒いて辺りが濡れているから人がいるのはわかるね。仕方ない」ラウラもコートを着た。やっぱり会いたくないみたいだ。


 ヴィカは座ってバゲットを齧っていた。中層で買ってきたものらしい。例の飛行機野郎っぽい革ジャンを着ていて、脚の開き具合といい、ワイルドというか、ウエスタンな感じだ。

 それはともかくとして、背中に長杖を背負っていた。片身離さず持っているようなものじゃない。わざわざ持ってきたとしか思えなかった。

 だとして、カイに稽古をつけるため?

 いや、まさか。


 ヴィカはおもむろにバゲットを包み紙に戻し、尻の横に置きかけてから周りを見渡した。カラスに狙われると思ったのか、革ジャンのポケットを開いて潰れないようにどうにか入れ込んだ。

 そして長杖を抜いて3人に向かって構えた。

 ふざけてるの?

 敵対的な行為のわりにあまりに真剣さの欠けた態度だった。

 でもラウラは自分の杖を取り出して構えていたし、その直後にヴィカが放った雷撃の鋭さはとても冗談になるレベルじゃなかった。

 矢尻の形をした青白い光がライフル弾のような速さで飛んでくる。

 弾道の周囲には放電の細い稲妻が走り、衝撃波がバリバリと大気を割って響いた。まさしく本物の雷のような壮大な音響だった。

 そのせいでまるで聞き取れなかったけど、ラウラは何か唱えながら杖を横に振り払っていた。

 雷の矢尻はラウラの目の前で透明な球体に張り付いたアメーバのように広がり、瞬きする間もなく再び細長い形になってヴィカに向かって跳ね返った。

 すると矢尻はちょうど両者の中間あたりで無数の稲妻に分かれて消滅した。

 その瞬間にはすでにラウラは「スウィンゲル・フュール」と唱えて杖の先端に火種のようなものを浮かべていた。

 だが放電の光が消えた時、ヴィカはもう杖を構えていなかった。

「ラウラ・クレスティス」ヴィカが呼んだ。

「そうさ」とラウラ。一瞬杖を離して火種を消した。

「すまない。このところ対人戦がご無沙汰だったから、ひとつ腕慣らしをやらせてもらいたくてさ」ヴィカは杖のベルトを肩にかけてこちらに向かって歩いてきた。

「困るねえ。カラスたちが驚いてるじゃないか」

「じゃあ場所を変えてもいい。もう少し付き合ってもらえると嬉しいんだけど」

「遠慮しておくよ。私は物理的な魔術がてんで苦手でね」

「苦手? まさか」

「今のもギリギリだったよ。あまり一方的なのもつまらないだろう?」


 ヴィカはズボンの尻で手を拭って差し出した。

 ちょっとレベルの低い挨拶だ。でもともかくラウラは握手に応じた。

「私はヴィクトリア・ケンプフェル」

「ああ、中佐?」とラウラ。

「今はオフだよ。それに、よしてくれ、お互い同じ学院の出なんだ。かしこまった付き合いは好きじゃない」

「この島に来るなんて物好きは私だけだと思ったけどね。ふうん。意外だね」

 そういえば2人とも黒髪のロングだった。長さはラウラの方が長く、裾をきっちりと切り揃えたワンレンなのに対して、ヴィカは切りっぱなし風だった。髪色も少し違う。地毛のヴィカに比べるとラウラの染めた黒はいささか真っ黒すぎる人工的な黒だった。

「2人に会いに」ヴィカは顎でカイとクローディアを指した。「長めの休暇をもらったんだけど、特にこれといってやりたいこともなくてさ」

 ラウラは手を離した。ヴィカはそれを待っていたようにバゲットを取り出して齧った。バゲットはサンドイッチになっていて、肉とレタスとトマトが挟んであった。クローディアはそれを見てなんとなく安心した。さすがにプレーンのバゲットを丸齧りしていたわけじゃない。


 2人が話しているのを見てカラスたちも安全だと思ったのか少しずつ集まってきた。ラウラが手を翳すと1羽がその肩に飛び乗って、しばらくバサバサとバランスを取ったあと翼を畳んで落ち着いた。

「嵐のあとに戻ってきたんだろう?」ヴィカが訊いた。

「できれば嵐の前に戻ってきたかったね」とラウラ。

「どこへ行ってたんだ」

「フーブロン」

「話によるとベイロンの一件のすぐ後には島を出ていたそうだけど。1ヶ月近いか」

「まるで尋問だね」

「いや、興味本位さ。もしかすると軍を避けてるのかなと思ったんだ。今回くらいの嵐なら駐屯部隊はちゃんとした基地に退避する。それくらいは部外者でも簡単に予想がつくだろう」

「軍と関わり合いにならないように島を出たって?」

「そういうことさ」

「だとしたら筋金入りのアン・ミリ(軍嫌い)だね、そりゃ」

「まあ、いいや。訊いたところで正直な答えが返ってくるわけがない」

「島を渡るっていうのが一般的な考え方で言えば少なからず冒険というのはわかるけどね、私はバイクも持ってるし、いざという時は魔術も使える。ふらっと島を出ていくみたいなことはしばしばやってるんだよ。それであんまり詮索されても困るっていうのが正直なところだね」


 カイがクローディアの横に来て「なんか変だ。ヴィカが敵対的すぎる」と囁いた。不可解そうな苛立ったような様子だった。

 クローディアは2人の仲違いには興味がなかった。でもそう言われてみるとひとつ気になったことがあった。

「ヴィカ、前に魔術院にも派閥だとか学派があるって言っていたけど、何か関係あるの?」クローディアは訊いた。

「ああ、それも無関係ではないね」

「そういえば、詠唱の仕方が違わない? 短縮系は同じだけど、長い方? 基底部で水を汲み上げる時、ヴィカは素朴な、C言語みたいなものを唱えていたでしょう。でもラウラが診療所のシャッターを直す時に唱えていたのはもっと詩みたいなものだった」

「登録詩だね。アクティベートという言い方もある」ラウラが答えた。

「ああ、エピックとリリックのことか」とヴィカ。まだ食べているせいで曖昧な発音だった。パンが硬いからなかなか食べ終わらないのだ。

「意味が違うの? それとも形式だけ?」

「形式だね」ラウラ。

「使い勝手も違う。数値を使う分、エピックの方が精密だ」ヴィカ。

「でも覚えにくいよね。風情もない」とラウラ。「リリックは段階的な程度でしか表せないけど、杖を慣らせば短縮だけでも強弱をつけられるし、それは登録詩がエピックでもリリックでも同じだよ。実際、いちいち登録詩を読まなきゃいけないような微妙な調節が必要な魔術も少ないからねぇ」

「ええと、ヴィカのがエピックでラウラのがリリック?」クローディア。

「そう。主にエピックを使う魔術師を古典派、あるいは主流派と呼び、リリックを使う魔術師を文学派や空想派などと呼ぶ」ヴィカ。

「エピックの魔術師がそう呼んでいるだけさ。特に私のようなのは自分が何派だとか、主流とはこういうものだとか、そんな観念は持っていないね」ラウラ。

「杖によってどちらを使わなければならないとか――」

「そんなことはないよ。全ての杖が両方に対応している。柔軟だろう? その柔軟さを楽しむのがリリックだね。エピックといえば一通りだけど、リリックにはいくつも形式がある」

「そうなると間違って術が出ちゃったりしそうだけど」

「誤爆、ね。詠唱の時は杖を握っておかなければならないし、詩には鍵となる言葉を仕込まなければならない。だからそうそうやるものじゃない。でも、まあ、杖を身に着けている時はあのメモは読まない方が無難だね、カイ」

 カイは頷きかけてゆっくり首を傾げた。

「さっき読んだのは……リリック?」

「その通り」とラウラ。

「エピックって? 単にフュールっていうのは短縮形というやつで、また別物なんでしょ?」

 どうやらカイはちんぷんかんぷんだった。そういえばカイはヴィカがポンプ魔術を使うところを見ていないのだ。


 ヴィカはようやくバゲットを食べ終え、それから背中の長杖を下ろした。

「私は火の魔術はあまり使わない。エピックを見せてやるよ」

 そう言って杖を甲板の外に向けた。

「アドミニストレーター・コマンド・エールサフィール、アクティベート・コントロール・コード・フュール、オーダー・ワン・メガジュール、ラウンド・ワン・メーター、コーディネート・テン・メーター・ヘディング――ランチ」

 詠唱が終わると同時に魔素結晶から杖の延長線に空気の揺らぎが走り、甲板よりいくらか外側に大きな火の玉が生まれ、ぐるぐるとうねってから弾けるように消滅した。


 さっき見たロウソクのような火に比べるといささかスペクタクルなスケールだった。またカラスたちが一斉に上の甲板へ逃げ出して恨み節みたいにワーワー鳴いていた。

「おいおい、だからカラスたちをいじめないでおくれって。フュールというよりラーフュールじゃないか」ラウラは恨み節になった。

「エピックならスペルのパワーレンジを超えても発動できる」ヴィカ。

「すぐ消えたのもエネルギーの割に規模が大きかったからだろうね」

「色々できるんだよ。エピックに創造性がないみたいな言い方は不適だ」

「まあ、エピックだとこんなところだね」ラウラがカイに目を向けた。

「あ、というか英語なんだ」とカイはまだ呆気に取られていた。

「プログラミングといえば英語だって昔から相場が決まってるんだよ」とヴィカ。

「それで、えーと、ラウラが覚えにくいって言った意味がよくわかったよ」

「だろう?」


「あれ、リリックなら使えたのか?」ヴィカが訊いた。

「フュールなら。さっき覚えさせたばかりなんだ」

「そいつは偉いな。ようやく血中魔素が活性化してきたってことか。その杖、フォーマットしてすぐならエピックでもひとつ撃ってみたらどうだ。どっちの方が勝手がいいか試してみたらいい」ヴィカは結構素直に嬉しそうだった。

「ヴィカみたいに唱えればいい?」

「ちょっと抑えてほしいもんだね」とラウラ。

「……仕方ない。半分でやろう。オーダーのところをゼロポイント・ファイブ・メガジュールに変える。――ああ、そうだ、杖の名前は?」

「名前?」カイはラウラを見た。

 ラウラは首を振った。

「まあ、1本持ちならコールしなくてもいいか」

 ヴィカはそう言って自分の杖を足元に置き、カイが甲板の外に向かって半身に構えるのを待って詠唱を始めた。フレーズごとにカイが復唱する。

「ランチ」の一言でさっきと同じように甲板の外に炎が生まれた。ただちょっとうっすらしていて、持続時間が長く、消える時も弾けるというよりは消え入るような具合だった。

 炎が消える。

 カイは怪訝そうに自分の杖を見た。

「いや、カイや杖のせいじゃない。設定一つでこれだけ効果が変わるんだよ。私がやっても同じだ」

 ヴィカはそう言って自分の杖を拾い上げ、カイに教えた通りにもう一度詠唱した。するとカイが生み出したのとほとんど同じ規模の炎が生まれ、そして消えていった。


「これ、今の状態だとフュールを二通りに覚えさせたってことになるわけだよね?」カイは杖を箱に入れて訊いた。

「ああ」

「今短縮形を唱えたらどっちが出るんだろう」

「やってみればいい。基本的には新しい方が上書きされるが、読み方によっては別パターン扱いで記憶することもある。今のは結構力の入った読み方だったからな」とヴィカ。

 カイは再び杖を取って構え、控えめに「フュール」と唱えた。すると杖の先端に小さな炎が生まれた。今にも風で消えてしまいそうな大きさだ。全身の構えからのその小さな炎はちょっとシュールだった。

「さっきみたいに言ってみな」とヴィカ。

「フュール!」

 カイが力を入れて唱えると今度はさっきの大きな炎が浮かんだ。

「ほらね。やるじゃないか」

「す、すごい……」カイは感心していた。自分が魔術を使いこなしているみたいに思えたのかもしれない。


「それで、どっちが合っていると思うんだい?」ラウラが訊いた。

「どっち?」

「エピックとリリック」

 カイは杖を箱に仕舞って少し考えた。

「エピックの方がわかりやすいんだろうけど、手っ取り早く覚えるならリリックの方がいいのかな……とは思うけど」

「はっきりしないな」とヴィカ。

「まあ、仕方ないね。1階や2回で判断のつくものでもないだろうよ」とラウラ。

「要するに、詳しくない人間にとってはどっちでも構わないってことでしょう?」クローディアは言った。ある意味、詠唱も設定もない奇跡を扱う天使としての発言だった。

 ヴィカはラウラを振り返って肩を竦めた。ラウラも溜息で返した。


「ところで、杖のホルダーは用意してやらなかったのか。一々開けたり閉めたり、手も塞がってる」ヴィカが訊いた。

「生憎ね。家ごと飛ばされちゃったから持ち合わせがないんだよ。まあ、自分のはあるんだよ。でも太腿に巻くタイプだからねぇ。男子の君には合わないんじゃないかと思うけど、欲しいかい?」

 ラウラはそう言ってスカートを捲った。黒いストッキングに包まれた太腿に革製のホルダーが巻き付いている。基本的には腰から吊り下げておくもののようだ。

 というか、細いけど柔らかそうな綺麗な脚だった。長いスカートばかり穿いていないでもっと見せればいいのに、と思ったけど、想像してみると確かに短い服は彼女には似合わなそうだった。雰囲気が違うのだ。

 カイはちょっと赤くなって首を振った。さすがにそんな下着みたいなものを貰うわけにはいかないと思ったのか。

「軍人の使い古しでよければ宿舎に余りがあるよ。どうする? まあ、そこのアン・ミリが嫌がるかもしれないが」

 カイもラウラを見た。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎いじゃあるまい。とんでもないボロでもなければ貰っておけばいいよ。プラスマ・ダルジェンも同じくらいの大きさだろう?」

「なら、決まりだな」ヴィカは背中越しに手招きしてエレベーターに向かって歩き始めた。

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